017 プロローグ
タケルへの用事が済んだのか、王女オリビアは満足した顔で部屋を後にした。
突如ヴィクトリア王国に現れた最強の戦士に対して、どこから来たのか、どうやって来たのか――聞きたいことは山ほどありそうだが、オリビアはそんなことに興味はないようだ。
強い人間が自分の護衛に就くことさえ決まれば、どういう人物だろうが関係ないのだろう。
メイド達はオリビアに振り回されながらも、まるで金魚のフンのように王女の後ろを付いて回るのだった。
一人取り残されたタケルは呆気に取られ、なんだったんだ、あの人……と心の中で呟きながら、落ちるようにベッドに腰掛けた。
しばらく時間が経った頃、メイドのマリィが小さなノックとともに一人で部屋を訪れた。
何やら普段以上に気弱な表情をしている。
「……失礼いたします。タケル君、お体はもう大丈夫ですか?」
「ああ。迷惑かけてごめんな」
「……いえ、タケル君のおかげで、リリシア様はご無事だったのですから。本当に感謝しています」
いつまでも辛気臭いままではいられないと、タケルは無理やり笑顔を使ってマリィに対応した。
「それにしても、さっきのオリビアさんには驚いたぜ。あの人いったい何者?」
「ははは……何の説明もなかったんですね。オリビア様らしいです。オリビア様はヴィクトリア王国の第一王女。現在、王位継承権の序列第一位におられる方です。ちなみにリリシア様のお姉様にあたります」
「マジで!? めっちゃ偉い人じゃん! いや確かに……すごい数のメイドさん引き連れてたから偉い人なんだろうなとは思ってたけど」
「……それで、オリビア様はどういうご用件だったんですか?」
「王女様は俺に近衛騎士団に入れって言ってたな。で、メイドさんの一人が俺に家と使用人を準備してくれるとか言ってたけど、そんな話ある? 騎士団なんて、俺……何もできないぜ?」
その話を聞いて、マリィは「本当ですか?」と、タケルに近付きながら、何かを閃いたような顔で、これまで聞いたことがないくらい早口で詰め寄った。
「タケル君にお願いがありますっ!」
「……なんだよ。顔近いって」
普段は気の弱そうなマリィが起こした積極的な行動に少しドキッとする。
ジュディとマリィは髪型や背格好がよく似ている。目つきと雰囲気は違うが、どちらもスレンダーで美形のメイドさんだ。
ジュディは気が強そうな雰囲気で、マリィは優しくお淑やかな印象を受ける。
つい先程まで、マリィとよく似たジュディの腕に抱かれていたことを思い出し「よく考えたらヤバいことしてないか?」と、タケルの顔は真っ赤になった。
「ジュディのことなんですけど……」
「あっ、はい! なんでしょう!?」
心を読まれたのかと思うくらいのタイミングでジュディの名前が出てきたのでパニックになる。
「……先程、メイド長からのお達しで、ジュディが公務を辞任することになりました」
タケルはてっきり、ジュディと一緒にベッドで寝ていたことを聞かれるとばかり思っていたので、そうではなかったマリィの言葉が頭に入らなかった。
「……え、どういうこと?」
「その、申し上げにくいんですけど……公務中に客人のベッドで眠っているジュディの姿をオリビア様が見られまして……もちろん、眠ってしまったジュディか悪いんですけど……本来なら、メイド長からのお叱りで済む程度だと思うんですけど……オリビア様がいらっしゃった今回ばかりは……」
「んー、わかりにくい」
「……ですから、オリビア様の一声でジュディがクビになってしまったんです」
「クビ? なんか理由あるのか?」
「……公務中にもかかわらず、客人と一緒に寝ていたからです」
「……俺のせい? 俺のせいでジュディが仕事をクビになったわけ? いや、ちょっと待ってくれよ。ジュディは俺のことを心配して一緒にいてくれただけなんだぜ?」
「……はい。理由はジュディから聞きました」
「いやいやいや。あんまりだろ。俺、ちょっとオリビアさんに謝ってくる」
「やめてくださいっ!」
マリィが語気を強くして言い放った。
普段は大人しい人の方が怒ったら怖いという現象だろうか、タケルは驚いて後退りした。
「タケル君は……違う世界から来たから分からないかもしれませんが、ここはそういう世界なんです……。オリビア様が決められたことは、もう変えようがないんです」
自分が差し出がましく余計な口出しをすると、マリィにも迷惑がかかるかもしれない。そう思ったタケルはそれ以上、口を開くことができなかった。
「……すみません」
「いや、俺の方こそ」
「……それで、なんですけど。タケル君、おそらく今日中にはメイド長がタケルのお屋敷を準備してくださると思います。なので、ジュディをメイドとして雇ってもらえませんか? 私達はリリシア様のメイドとして10年以上勤めていますので、身の回りのお世話はひと通りできます」
「えぇ!? いや、そんな急に言われても。というか俺、お金なんて持ってないぜ? 雇うって、そんなこと……いや、ちょっと待て。確かジュディは17歳って言ってたよな。10年以上って……お前達、いつから働いてるんだ?」
「……それは、ジュディから直接聞いてください。それに、お金のことなら大丈夫です。近衛騎士団に入るんですから、生活に困らない程度の給金があると思います」
王宮の公務に就く者は、ヴィクトリア王国においてエリートと呼ばれる存在である。
その者達は、スクールの専門教育課程を卒業した22歳頃になってようやく公務に就くことができる。
中には19歳で卒業し、近衛騎士団の騎士団長になったマシェリィ・スカーレットという異質な者も存在するが、彼女は別格なので参考にならない。
そういう意味では、17歳にして10年以上も公務に就いているジュディとマリィには、他人には言えない秘密があるようだ。事情を察したタケルは深く追求することはしなかった。
トントンと、扉を叩く音がした。マリィが歩いて行き、扉を開ける。
そこには王女リリシアと見慣れない少女が立っていた。
少女は町娘のような服を着ており、この王宮内ではかなり珍しい格好で、恥ずかしそうに手を体の前で組んでいる。
「失礼するわ。クズ・タケル、体の具合はどうかしら」
本来であればリリシアの方がよほど精神的なショックが大きいはずなのに、それでもタケルを気遣う姿は女神のようだ。
「リリシア、様っ! おかげさまで大丈夫です! はい!」
タケルは背筋を伸ばして敬礼をしてみせた。
おそらく、近衛騎士団が王家直轄であることを思い出し、リリシアは自分の主人にあたる存在だと考えたのだろう。
「ふふふ。その様子だと大丈夫そうね。それに、副団長としてずいぶん気合いが入っているみたいね」
「副団長!? 俺が!?」
「あら? 耳に入ってないのかしら。何日も副団長が不在では公務に支障が出るでしょうし、役人達は副団長就任の準備で慌ただしくしていたわよ?」
近衛騎士団の副団長だったジャック・カエサルは王国の僻地に収容されたため、現在は副団長不在の状態である。
オリビアは王国議会に話を付けておくと言っていたが、やっていることがメチャクチャだ。
仰々しい立ち話を好まないリリシアはテーブルに着き、タケルを手招きして座らせた。
それを見たマリィが二人に飲み物を提供する。
「少し遠いけれど、使われていないお屋敷があったみたいだから、貴方のために準備することになったそうよ。あ、これが場所を示した地図ね。それで、この子が使用人として貴方の身の回りのお世話をするから、よろしくお願いするわ」
リリシアが連れてきた少女がタケルの顔をまじまじと見る。とんとん拍子で事が進んでいることに、タケルは頭が追いついていないみたいだ。
「……アンタ、ぜったい気付いてないでしょ」
聞き覚えのある声にタケルの耳が反応する。
「私よ。ジュディよ」
町娘の格好をした少女はジュディだった。
着慣れないのか、恥ずかしそうに頬を少し赤らめている。
どうやらマリィも気付いていなかったようで、タケルと二人して口をポカンと開いていた。
「マジぃ!? 全然わからなかった、どこの美少女かと思ったぜ!」
「は? テキトーなこと言うな。てゆーかマリィ、その反応だとアンタも気付いてなかったわけ?」
仕事をクビになったと聞かされたが、ジュディはいつもと変わらない様子だったのでタケルは安堵したようだ。
「……まったく気が付きませんでした。というか、これはどういう状況なんですか? いや、実は私も同じことを考えていて……さっきタケル君に、ジュディをメイドに雇ってくださいとお願いしていたところでした」
「やっぱり同じようなこと考えるものね。私の仕事がなくなっちゃったから、メイド長が気を利かせてくれたのよ」
それを聞いて、マリィは薄っすらと目に涙を浮かべる。
仕事がなくなれば、食べていくこともできない。理由あって幼少の頃から王宮で働いているジュディとマリィは、そのことをよく理解しているようだ。
「……よかったですね、ジュディ」
「うん。助かった」
「お二人さん、ちょーっといいスか?」
そろそろ頭がこんがらがってきたタケルがジュディとマリィの会話に割って入る。
リリシアは保護者のような目で三人を見ているが、彼女がこの中で最年少だということを忘れてはならない。
「ちょっと整理していい? 俺とジュディが二人で暮らすってこと?」
「当たり前でしょ、住み込みの仕事なんだから。というわけで、アンタが私のご主人様だから、よろしく」
「なんでそんなに冷静なんだよ。いや、この世界じゃ当たり前のことなのか!? 普通に考えて男と女が二人で暮らすとか倫理的に大丈夫!? しかもご主人様とか呼ばせていいの!? いやいや、そんなこと考えてる時点で俺の倫理がおかしいのか!? いやいやいや、二人で暮らすとか……俺の倫理が壊れたらどうするんだよ、ジュディ!」
「倫理倫理うるさい」
文字通り頭を抱えて喚くタケルをジュディがポカンと叩いた。この光景だけを見ると、どちらが主人でどちらが使用人かわからない。
「なあマリィ、お前はどう思う? ダメだよな?」
「……タケル君。ジュディのこと、よろしくお願いしますね」
「いやもうそれ、その発言で俺の倫理壊れるよ? マリィ大丈夫? 責任取れる?」
「あーもう、うるっさい! 決まったことをごちゃごちゃ言わないっ!」
どうしてジュディに叱られなきゃいけないんだ。
というか、数時間前まで一緒にベッドで寝てたんだぞ。少しくらい意識しろよ。これじゃあ、俺だけがお前を意識しているみたいで恥ずかしいだろ――と、タケルの羞恥心は今にも爆発しそうになっている。
「さあ、そろそろ馬車が迎えに来ると思うわ。行きましょう」
喧嘩する兄妹を諭す保護者のようにリリシアが言い、この場の全員で王宮を囲む塀の外に出ると、そこには既にタケルとジュディを待つ馬車が到着していた。
馬車と言っても荷馬車だ。必要な家財道具や食料品を運ばせるため、人は馬に乗らなければならない。
「……俺、馬なんて乗れないぜ?」
「はぁ? アンタ騎士団でしょ。騎馬できないんじゃ仕事にならないわよ」
「そんなド正論言われても……」
ジュディに睨まれながら、タケルは慣れない動きで渋々と馬に跨る。そして彼女の手を引いて自分の前に座らせると、二人で手綱をしっかりと握った。
心地よい春の風が王都シャルルを吹き抜ける中、リリシアとマリィに見送られて二人は出発した。
ジュディが地図を見ながら行き先を指差す様子が見えなくなるまでリリシアとマリィは王宮の門の前に立っていた。
クズ・タケルがヴィクトリア王国に転移して約一ヶ月。
彼の異世界転移の物語は、ようやくプロローグを終えたのだった。




