016 第一王女ーオリビア・ヴィクトリア
「ありがとうジュディ。もう大丈夫だから……」
ジュディの腕の中で、タケルが力なく呟いた。
彼女の精神的な支えによって、少しだけ現実を受け入れることができたようだ。
「ほんと? もうずいぶんと前のことだけも、何か辛いことがあったときは、こうやってお母さんに抱きしめてもらうと安心して眠ることができたの。だから、私に気を遣わなくていいから、タケルが落ち着くまでゆっくりしていいわよ」
「……でも、申し訳なくって」
「気にしなくていいってば。辛いときはお互い様なんだから。それに、タケルは違う世界からやって来てそんなに経ってないんだし、心だけじゃなくて体も疲れてるんだと思うわ」
普段は気が強くて相手を突き放す印象のあるジュディだが、言葉や態度はどうであれ、心の奥では人を大切に思っているのだろう。
王女リリシアが誘拐されたと聞いたときも、我を忘れて王女の心配をしたくらいだ。
「……ごめん。それじゃあ、もう少しだけ」
タケルは彼女の言葉に甘え、目を閉じて心と体を休ませる。
心地よい静寂に包まれた部屋の中では、二人の吐息だけが唯一の音だ。
その穏やかな奏を聴きながら、二人は夢の中に入っていくのだった。
タケルとジュディが眠る中、王宮内では血相を変えたマリィがとある人の後ろを歩いていた。
その人が王宮内を歩けば、役人や貴族達はどんなに急いでいても一旦手と足を止めて頭を下げなければならないほどの超要人。
その人は今、多くのメイド達を引き連れてタケルとジュディがいる部屋に向かっているのだ。
「タケル君は今、とても面会できる状態ではありません。メイド長、どうか考え直してください……」
「無理ですよ……マリィ。オリビア様が行くと仰った以上、どうすることもできません」
メイド長と呼ばれた40代半ばの女性、ラベンダ・ブリュメールは、マリィの頼みを小声で断った。
このメイド達は、長いスカートに黒色のタイツを履いており、ジュディやマリィと違って露出の少ないメイド服となっている。これぞ王宮に仕えるメイドという品格のある容姿だ。
そのメイド達の主人こそが、オリビア・ヴィクトリアその人である。
彼女はリリシア・ヴィクトリアの実姉であり、ヴィクトリア王国の第一王女である。
この王宮内にいる者は全員、彼女の機嫌を取ることに必死だった。
ヴィクトリア王国において、オリビアは王位継承序列第一位の人物。権力を愛し、権力に愛された女性。それがオリビア・ヴィクトリアという存在なのだ。
緩く巻かれた長い髪を揺らしながら、オリビアは上機嫌に歩いていた。
自分と国王が外交に出ている間に、元近衛騎士団の長と現役の副団長が実妹である王国の第二王女を拐ったことなどまったく気にしていない様子で、とにかく強い戦士が王国に現れた、ということにだけに興味を示しているようだ。
「どの部屋なの? まだ歩くかしら?」
オリビアはプレゼントの箱を開ける前の子供のように心が弾んでいる。
「そちらの部屋になります。オリビア様」
メイド長のラベンダが客室の扉を手のひらで指し示すと、オリビアはノックをすることもなくいきなり扉を開けて中に入っていき、それを見たマリィは立ち尽くすことしかできなかった。
「お邪魔するわ」
メイド達は、リリシアの客人であるタケルに失礼であると理解していながらも、「失礼いたします」とオリビアの後を追って室内に入る。
少し歩いたところで、タケルが休んでいることを気配で察したオリビアはゆっくりとベッドの方へ向かっていく。
「お休みになっているところごめんなさいね。ご挨拶させてちょうだ―――」
タケルとジュディが一緒に横になって寝息を立てている姿を見つけ、オリビアは言葉を失ってしまった。
見てはいけないものを見てしまった、という顔だ。
「……ラベンダ。これはどういうことかしら」
メイド服のままベッドで眠るジュディの姿を見つけたメイド達は口元を手で覆いながらざわつき始める。メイド長ラベンダの顔は蒼白だ。
王宮に仕えるメイドでありながら、客室のベッドで眠ってしまうなんて考えられない行為である。
しかも客人と一緒に寝ているなんて前代未聞のこと。メイド達を束ねるメイド長という立場を考えると、これはラベンダの監督責任でもあるのだ。
「オリビア様、申し訳ございません……この者には後でしっかりと指導しておきます……」
ジュディは確実に処罰されるだろう――マリィは複雑な心境だ。
「あら、そう。では彼女にはお暇を与えてちょうだい。わたくしが目を覆いたくなる前に、早くその者達を起こしてくれるかしら」
あまりにも淡白な物言いだった。お暇を与える、とは要するに仕事をクビにするということだ。
この瞬間、ジュディはあっさりと仕事を失ってしまった。マリィはもう頭を抱えるしかない。
「マリィ、こちらへ」
ラベンダ自身、この状況をうまく飲み込めないので、とりあえずマリィにジュディを起こすよう命じる。
マリィは言われるがまま、ジュディが目を覚ますよう体を揺する。
どうしてジュディとタケルが抱き合うようにして眠っているのか、二人の間に何があったのか、気になることはたくさんあるのだが、王女オリビアの手前、黙って言うことを聞くしかない。
体を揺すられたジュディは、いつのまにか眠ってしまっていたことに気付き、ハッとなって体を起こす。
そして彼女の頭は自分が置かれている状況をすぐに理解した。
すぐに立ち上がり、メイド服を整えながら周りを見渡すと、メイド長のラベンダが鬼の形相で彼女を睨んでいた。
ジュディがベッドから飛び起きた反動で、タケルも目を覚まして上半身をゆっくり起こした――が、彼はこの状況を理解できず、初めて見る顔ぶれにキョロキョロと周りを見ることしかできない。
「メイド長……っ! あの、これは……えぇっ!? どうして、オリビア様……っ!?」
さすがのジュディも、これはマズイといった表情になる。
「あら、こんな不埒な真似をするメイドは貴女だったのね。客人にご挨拶をしたいから、貴女はお荷物を纏める準備をしたらいかが?」
ジュディのことなど心底どうでもいいのだろう。オリビアは冷たく言い放った。
ジュディはメイド長に助けを求める目線を送るが、王女に意見できる者は存在しない。
「……オリビア様の仰るとおりです。ジュディ、早く出ていきなさい。マリィは荷物を纏めるのを手伝ってあげなさい」
言われたとおりにジュディとマリィは静かに部屋を出ていった。
いきなり王女からクビの宣告を受けて消沈するジュディを一人にしないよう、メイド長なりの気遣いだったのかもしれない。
まだ頭が働いておらず、状況を理解できないタケルはポカンとしているだけだった。
「お見苦しくてごめんなさいね。はじめまして。わたくし、オリビア・ヴィクトリアと申しますわ。貴方、お名前は?」
オリビアはスカートの裾を摘み、軽く膝を曲げてタケルに挨拶をする。
タケルは咄嗟に、何やら偉い人のようだと察する。
――ヴィクトリア? リリシアと同じ名前……ということは、この人も王女様なのか?
ベッドで上半身を起こした格好では無礼だと判断して立ち上がる。
「俺はクズ・タケルっていうんですけど……あの、どういう状況……ですか?」
「クズ・タケル。いいお名前ね。ずいぶん若いようだけど、おいくつかしら?」
オリビアの自信に満ち溢れた顔と高圧的な態度にタケルは少し戸惑う。
「……20です」
「あら素敵、わたくしと同じなのね。だったら話は早いわ。貴方、近衛騎士団に入ってわたくしの護衛を務めなさい。ラベンダ、この方にお住まいと身の回りのお世話をする使用人を準備してあげて」
「オリビア様。この方に公務を行っていただく件については、現在、王国議会で審議がなされているようですが……」
「あらそう。だったら、わたくしが話を付けておくわ。今日中にお住まいを準備できる?」
「……ご準備いたします」
「ありがとう」
この人メチャクチャだ、とタケルは思った。
自分の都合しか考えていないし、それがまかり通ってしまう存在。それがオリビア・ヴィクトリアなのだ。




