014 聖女崇拝
血を流し過ぎ、生死の淵に立っているマシェリィの顔は意外にも穏やかだった。
その顔にはもう迷いがなくなっていた。
王家の紋章が光る左肩を力強く握りしめて決意する。
私は近衛騎士団の騎士団長、マシェリィ・スカーレット。
ヴィクトリア王国を守るため、リリシア様を守るため、タケルさんを守るため、剣を振るッ!
「まだ立ち上がるか……恐ろしい女だぁ。やはりお前は早く殺すべきだなぁ」
デイビッドは首を傾げ、心の底から驚いているようだった。
ここまで血を流しながら、ヴィクトリア王国への忠誠心と近衛騎士団の騎士団長としての誇りを失うことなく立ち上がり、自分に向けられる迷いのないマシェリィの瞳を見て僅かに恐怖した。
「騎士団員に告ぐッ! 誇り高き元騎士団長デイビッド・クラウン、および現副団長ジャック・カエサル。この両名……我等がヴィクトリア王国に仇なす敵と心得よッ! 必ず生かしたまま捕え、牢獄にぶち込むッ!」
真紅の瞳は光を戻し、その真っ直ぐな眼差しに騎士団員達も呼応した。
「マシェリィ団長……ッ!!」
人に剣を向けることに迷いがなくなったマシェリィの姿を見て、デイビッドとジャックは無意識に一歩後退りしていた。
これまでの戦闘では、初めて体験する命の取り合いに心の迷いがあったためジャックに及ばなかったが、それが吹っ切れた彼女は疑う余地がないほどに最強だった。
当然、ジャックが敵う相手ではない。
「……マシェリィ団長、貴女は血を流し過ぎた。放っておけば絶命するでしょう」
「そうなるかもしれない。しかしジャック副団長……ッ! その前に貴方を捕えるッ!」
一瞬にも満たない速度、マシェリィはジャックとの距離を詰め、振り抜かれたその剣は彼の左腕を砕いていた。
ジャックが燈値の盾で防ぐことすらできない早業だった。
鈍痛に顔を歪ませると同時に、それが真剣でないことをすぐに理解する。
やろうと思えば腕を切り落とすことも、首を刎ねることもできたはずなのに、マシェリィはそれをしなかったのだ。
というより彼女は気付いたのだ――例え相手が命を取ろうと剣を振りかざしたとて、自分も同じ土俵に立つ必要はないのだと。それほどに、自分は最強なのだと。
「グッ……!」
雷が落ちたと錯覚するほどの衝撃と激痛でジャックは崩れ落ち、その隙を見逃さない騎士団員達が彼の身柄を拘束した。
僅かな時間だが仲間だと思っていた者に対して本気で剣を振り抜いたことによる心労か、これまでの止血と先ほどの爆発的な移動速度を生み出すために大量の燈値を使ったせいか、あるいは出血によって大量の血液を失ったせいか、マシェリィはその場に倒れ込んでしまった。
その姿を見て、絶望した王女リリシアは力なく膝から崩れ落ちるのだった。
「マシェリィ団長ッ!」
彼女の救護に騎士団員達が駆け寄る。
この瞬間、マシェリィとジャックに気を取られた騎士団員達は、王女リリシアと一般人タケルの二人から完全に目を離してしまっていた。
デイビッドがこの千載一遇の機会を見逃すはずがなく、タケルの首を目掛けて剣を突き出した。
咄嗟に気付いた騎士団員達は、「しまった」という顔でタケルの方へ足を踏み出すが間に合わない。
タケル視点では、世界がスローモーションのようにゆっくりと流れていた。
死ぬ間際の走馬灯というわけではない。
自分よりも年下の女性であるマシェリィの崇高な生き様を目の当たりにしたタケルの中で、正に覚醒と呼ぶべき変化が起きていたのだ。
――ちょっと待ってくれ。情けなくないか、俺。
――マシェリィは血塗れになりながら戦っていて、騎士団員の人達は俺を守ってくれている。
――何のためにここについて来たんだ? ジュディとマリィに王女を助けてくれとお願いされて来たんだろ?
――やべぇ、あと少しで首元に剣が届く……ということは、そこに燈値の盾を具現化させれば……ほら、防げた。
剣は燈値の盾に触れた瞬間に光の粒となって消えていく。
タケルが持つ莫大な燈値の練度にデイビッドは面食らったという表情だった。
――マシェリィの戦闘を見て色々燈値の使い方が何となくわかったから……たぶん、踏ん張った足裏で具現化した燈値爆発させれば思いっきり前進できるはず。
タケルは燈値の爆発を推進力にして、一気にデイビッドの間合いに入った。
そして、剣を握って思いっきり叩き込んだ。
「くかかかか。すごい、すごい。しかし剣の腕はど素人だなぁ。そんなデタラメな大ぶり、防ぐ必要もない」
タケルの剣は簡単に避けられてしまう。
莫大な燈値の総量を持っていたとしても、彼の戦闘スキルでは百戦錬磨の元騎士団長には遠く及ばないのだ。
デイビッドは身軽に横っ飛びして走り出した。
くかかかか。今ここであの男まで始末したいところだが、ジャックが捕まったせいで少しばかり数的不利か……?
奴ら騎士団員は俺の元部下だった男達、相当腕は立つ。急いては事を仕損じる……出直す方が賢明か。
まあいい。あの女はもう助からない。一応、当初の目的は成し遂げた。
「チッ、逃すかよッ!」
このまま追いかけても間に合わないと判断したタケルは、辺り一面に光の玉を可視化させた。
数万もの光は時が止まったかのように空中に存在している。
天井のステンドグラスから差し込む七色の光がタケルの燈値に反射し、大聖堂の内部が虹色に包まれていた。
「なんだぁ、これは……ッ! なんという膨大な燈値だぁ……ッ!」
息を呑むほどに美しく異様な光景に、デイビッドは走る足を止めて振り返った。
デイビッドだけでなく、膝をついたリリシア、倒れ込んだマシェリィ、捕えられたジャック、そしてこの場の騎士団員達は皆、目を見開いてその美しい景色を眺めていた。
タケルはデイビッドを指差して「ばーん」と小さく口を開き、拳銃を打つよつな動作を真似てみせると、光の玉が連続してデイビッドに飛び込んだ。
――ドドドドッ!
数分にも及ぶ衝撃にシャルル大聖堂の床が揺れる。
そして、静まり返ったそこには、何とか息を繋いでいるデイビッドが転がっていて、白金の衣装は無惨にも大破していた。
それは、剣の技術や戦闘スキルなどまるで意味がないと言わんばかりの荒業。タケルが持つ圧倒的な燈値の量があるからこそ成せる所業だった。
当のタケルはというと、一瞬のうちに大量の燈値を消費したせいで意識が飛びかけている。やはりまだ、燈値の扱いに慣れてはいないようだ。
「あぁ……」
デイビッドが喉の奥から力を振り絞って声を出し仰向けに寝転がると、天井のステンドグラスに模られた聖女が見下ろしており、自分に微笑みかけているように感じられた。
「聖女は……存在するぅ」
ゆっくり、ゆっくり。
リリシアの方へと床を這いながら近寄っていく姿はまるで悪魔のようにも思える。
傷だらけの体は強烈な痛みが蝕んでいるはずなのに、デイビッドは何かに取り憑かれたように幸せそうな顔だった。
元上司だった者の無惨な姿を目の当たりにした騎士団員達は動くことができない。ついにデイビッドはリリシアのすぐ近くまで辿り着く。
リリシアに向けられる歪んだ顔は、心の底から人々の幸せを願うものである。だが皮肉なことに、彼の真意を理解する者はこの場にいない。
デイビッドは震える手をリリシアの体に伸ばす。
それは聖女への崇拝を意味しており、まして彼女に危害を加える行為では決してない――が、それを理解することは難しい。
「タケルさん……早く、リリシア様の安全確保を……ッ!」
騎士団員達は動けない、王女が危ないと察したマシェリィがタケルに助けを求めて体に鞭打ち声を張った。
その言葉を聞いたタケルは、手放しかけた意識を取り戻して勢いよくデイビッドに剣を振り下ろした。
無意識のタケルは何も考えていなかった。
無抵抗のデイビッドに襲いかかった無慈悲な鈍痛は彼の命を断ち、リリシアに差し伸べた手はゆっくりと床に落ちた。
結果的にデイビッド・クラウンは死亡、ジャック・カエサルは騎士団員達によって身柄を拘束されたことで一連の騒動は幕を下ろすこととなった。
動かなくなったデイビッドを見て、リリシアはマシェリィに駆け寄り彼女の無事を祈る。
王女と騎士団長の二人を見つめながら、タケルはついに意識を手放した。




