エピローグ 声が届く場所で
あれから五年の月日が流れた。
街は変わり、季節も何度も巡った。
けれど、あの曲――《月が見ている》は、いまだにどこかで流れている。
蒼真は、海沿いの小さな町で暮らしていた。
ライブハウスの店長として、若い歌い手たちの活動を支えている。
今夜も、屋上から海風に吹かれながら、空を見上げていた。
月は静かに、淡く光っていた。
ギターを抱え、彼は弦を軽く鳴らす。
音が夜気に溶け、波の音と重なっていく。
あの頃と違い、彼の声にはどこか優しさが滲んでいた。
ドアの向こうから、小さな声がした。
「蒼真さん、次のステージ、準備できました」
振り向くと、ひとりの少女が立っていた。
まだ十代半ば、ギターを抱えたその姿は、どこか紬を思わせた。
彼女の名前は――紗月。
「この曲、緊張しますね」
「大丈夫。歌えば、ちゃんと届くから」
そう言って彼は微笑む。
少女は深く頷き、ステージへと向かった。
やがて、店の中から歌声が響く。
透き通るような声だった。
どこか懐かしくて、まっすぐで、
まるで紬の声が重なって聴こえるようだった。
> 「――月が見ている あの日の約束を
> あなたの声が まだここにあるから」
観客の中に、涙をぬぐう者もいた。
その光景を見て、蒼真はそっと空を見上げた。
月が、笑っていた。
まるで、あの日の紬のように。
> 「なあ、紬。
> お前の声、今も誰かの心で歌ってるよ」
海の風が頬を撫で、夜空に響くその歌声が、
遠い記憶といまをひとつに結ぶ。
月の光が、海面に揺れていた。
その光の向こうに、確かに紬の笑顔が見えた気がした。
彼はギターを抱え、低く呟く。
> 「……ありがとう。ちゃんと、届いたよ」
波音がその言葉を運び、
空のどこかで、誰かが微笑む気配がした。
そして、音が、夜に溶けた。
月が見ている。
――声が届く場所で、今も・・・
ここまで読んでくださったあなたへ。
心の底から、ありがとう。
「声が届くまで」という物語は、最初から“儚さ”と“生きる意味”の狭間を描きたいと思っていました。
人は誰も、永遠には生きられません。
けれど、誰かを想い、その想いを残すことは――たとえ姿が消えても、確かに生き続ける。
そんな想いから生まれた物語です。
紬は、光でした。
消えていく運命の中で、最後まで笑って、歌って、愛して。
彼女の歌声はきっと、誰よりも“今”を生きていました。
一方で蒼真は、彼女を通して“喪失の先にある希望”を見つけていきます。
彼の歌が最後に誰かを救い、繋げていく。
それは、紬が彼に残した最大の贈り物でした。
この物語の象徴である“月”と“音”は、ふたりを繋ぐ鍵です。
月は決して手の届かない場所にあるけれど、
それでも私たちは見上げることができる。
それが、想うことの力だと思うのです。
そして“音”――それは形のない絆。
言葉よりも、姿よりも、まっすぐに心へ届くもの。
誰かの声が、誰かの生きる理由になる。
そんな奇跡を、私はこの物語で信じたかった。
書きながら、何度も紬と蒼真の姿が浮かびました。
夜の街角で歌う彼女、
イヤホン越しに聴く彼の音。
ふたりの間に流れる“無音の時間”こそが、愛の証のように思えました。
もしこの物語を読み終えたあと、
夜空を見上げて、少しだけ優しい気持ちになれたなら――
それが何よりの幸せです。
紬の声は、もうどこか遠くに消えたかもしれない。
けれど、その歌はきっと、
あなたの中にも届いているはずです。
> 「声は、届くよ。いつか、誰かの心に――」
そう信じて、この物語を閉じます。




