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第七章 ――芽生え

朝。盆地に白い靄、遠くで鳥が二度鳴いて、風がやわらかく回る。

 仮の門は昨夜のうちに骨組みまで立ち、井戸は澄んだ水面を揺らしていた。土はよく眠り、起きる準備ができている。


「畦はこっち、二歩右寄り。そこ“線”が喜ぶ」

 ユウゴが写し板と実地を見比べて、先頭の農具隊に声を飛ばす。

「喜ぶってなんだ」と若い男が笑う。

「倒れないってこと」ユウゴは胸を張る。「未来でへし折れてない“線”が見える」


 ミレイが杖の先で印をつける。「じゃあ、若いの、印に沿って刻みな。深呼吸、息合わせ」


 俺は門柱の根を撫で、柱の重みが土へ正直に落ちる角度を整える。

 指先の輪が規則正しく灯り、骨の裏で神律しんりつが深呼吸する。


「アーデン、こっち、手伝って」

 フィアが袖を引いて、笑う。目の下にうっすら影。昨夜、子どもたちを治して回って、少し寝不足だ。

「寝る?」

「あとで。“つくる”ほうが目が覚める」


 彼女は指先を地へ滑らせ、小さな水路を一本、生ませた。

 水が音もなく走り、畦の角で止まり、ふっと笑ったみたいに丸く広がってから落ち着く。


「うん、かわいい水」

「水にかわいいは新しいな」

「なんでもかわいいよ。――アーデン以外には“きれい”って言わないけど」

「条項、守れてるのえらい」


 フィアは得意げに胸を張り、ついでに俺の前髪をぴょこんと摘まんで整えた。

 金の粉が一粒、朝の光に弾ける。



 午前の作業の合間に、ユウゴの「基礎訓練」が始まった。見張り台の下、縄を円にして即席の稽古場。

「今日は、ぼくの“声”に合わせて動くやつ。目はつぶってもいい」

「盲目プレイは趣味に合わないけど、やってみよう」


 俺は目を閉じる。

「右、半歩――いま」

 足が草の起伏をきれいに避ける。

「前、肩だけ落として。左から来る棒、肩で滑らせて――下!」

 子どもが振る丸棒が頭上をかすめる。俺は棒の尻だけ指で押して、地面へ優しく寝かせた。


「すご……」見物の子らがどよめく。

「調子に乗るなよ、俺」

「乗っていいよ」フィアが拍手する。「アーデン、かっこいい」

「ありがとう。――と、ユウゴ、次は?」

「いちばん大事なのは“息”。ぼくが数えるから――あ、数えないでいこう。アーデンはもう合ってる」


 ユウゴは俺の動きに合わせて呼吸を刻む。

 “線”に沿って声が落ちて、そのまま体に入ってくる感じ。

 村の若い連中にも役割を振ると、ぎこちなさが取れていく。二人一組の動きが嘘みたいに揃った。


「ユウゴ、いい声だ」

「ほんと?」

「指揮官の声。将来はうるさいタイプだな」

「えっへん」


 調子に乗ったユウゴが縄につまずいて前のめりになり、地面にダイブしそうになる。

 フィアがひょいっと光のしゃで受け止める。

「えへへ、セーフ」

「将来の指揮官、足元見ろ」



 昼。

 鍋の番はフィア。彼女は「料理、つくるの得意」と胸を張った。

 鍋に芋、草、少量の干し肉。最後に――光の粉をひとつまみ。

「それ調味料?」

「“やさしさ”の記憶。すこしだけ入れると、人の舌が安心する」

 できた汁は、やさしい。やさしいが――ほんのすこし甘い。


「うまい。……けど、子どもが三杯いきそうな甘さだ」

 子どもがすでに三杯目で笑っていた。

 ミレイが匙をすすって、目を細める。「年寄りにも悪くないね。歯がなくても飲める」

「成功!」フィアが両手を上げる。

 その勢いで帽子もないのに頭を押さえ、俺の袖に寄りかかる。「ご褒美、なで」

「了解」


 頭を撫でると、彼女は目を細め――ふっと眉を寄せる。

「……胸、ぎゅってなった」

「どっちの?」

「え、胸って一つ? ――あ、気持ちのほう。さっき、アーデンがミレイさん見て“いい顔だ”って言ったから」

「それは条項に引っかからない」

「わかってる。でも、ぎゅ。これ、“しっと”?」

「たぶん嫉妬」

「嫉妬……覚えた。――やだな。やだって言っていい?」

「言っていい。で、隣に来い」

「もう来てる」


 彼女は自分の心拍を確かめるみたいに、俺の袖をぎゅっと握った。

 金の粉が小さく浮いて、すぐに溶けた。



 午後。

 盆地の縁で、土の蜥蜴とかげが群れているのをユウゴが見つけた。

「十六。うち六が突撃、四が回りこみ、二が吠えて脅す。残りは迷ってる」

「迷い組は俺に任せろ。吠え組は……フィア、音をやわらげられる?」

「できる。こわい音、光で包む」


 見張りの若い二人には網。ミレイは合図役。

 俺は正面に立ち、目を細める。

 突撃の六。爪が低く、膝が高い。体が重い。

 砂を一度蹴って、前に出る。

 肩と肘だけで進路をずらし、互いの巨体をぶつけ、土に寝かせる。

 脇で吠えが上がったが、フィアの光が鈴みたいに柔らかく鳴り、音は怖さを失った。


「右、二、落ち葉の下に穴!」

 ユウゴの声に合わせ、俺は足を半歩引く。すぐ前を走った蜥蜴が穴に前脚を取られ、体勢を崩したところに、若い衆の網がかかる。

「やった!」

「声は小さく、足は早く」ミレイが合図で口をすぼめる。


 回りこみの四は、ユウゴの指示で浅瀬に誘導して足を取らせ、子どもでも引ける軽さになる。

 最後の“迷い組”は、俺が掌を見せて一歩近づくと、肩をすくめて逃げていった。

 無理に追わない。逃げ道を覚えたやつは、次に争わないことが多い。


 終わってみれば、誰も傷一つない。

 歓声は出さないが、目と目で笑う輪がいくつも生まれた。

 ユウゴが両手を高く上げる。「作戦成功! ぼく、指揮官むい――うわっ!」


 また縄に足を引っかけて、今度は見事に転んだ。

 フィアが手を伸ばすより早く、俺が襟首を摘んで持ち上げる。

「指揮官、まずは歩け」

「歩く! めっちゃ歩く!」



 夕方。

 門の梁に仮の布を張り、旗のもとを作る。

「国の印、決めよう」フィアが目を輝かせる。「“泣かない”の印」

 俺は井戸の輪に触れる。「円」

「うん。輪。――それと“糸”。アーデンがくれた言葉、好き。“金の糸”」

「じゃ、輪の中心を一本の糸が通る。“つながる”“ほどけない”。」

「いい……!」

 フィアは空中に光で線を描き、輪の中に金の糸を一本通した。

 風に揺れても切れない感じ。見ているだけで肩の力が抜ける。


「王印にする?」

「王?」フィアが小首を傾げる。「アーデン、王する?」

「王、したら君は?」

「女神……えっと、“王妃”? ――あっ、ち、違う、いきなり飛ばした! 今の忘れて!」

「忘れない。重要議題だ」

 真っ赤になったフィアが、俺の肩をぽかぽか叩く。「忘れて!」

「じゃ、保留」

「保留……(小声)でも、いやじゃない」


 ユウゴが水路の弁の陰から顔だけ出して、「三歩下がって!」

 俺とフィアが反射的に下がると、整えたばかりの水が勢いよく噴いて足元を洗った。

「助かった」

「ぼく、役に立つ!」

「立ってる」



 夜支度。

 見張り台の上で、星のない空を見上げるミレイの横に立つ。

「昼の甘い汁、よかったよ」

「子どもに人気すぎて、貯蔵計画が狂ったな」

「贅沢な悩みだね」


 静けさの底で、遠い雲の縁が細く光った。

 乾いた電の匂い。

 フィアが隣で指を握り直す。

「来る?」

「来る。――雷のやつ、足が速い」

 ユウゴが台の下から地図を掲げる。「“線”は明日。夕方かも。焦ってる声」


 焦って笑う声。

 遠い崖の上、若い影が槍をくるくる回して、こちらの門を見下ろす。

 雷牙らいがはまだ名を名乗らない。ただ、速さに自信がある笑いだけ置いていく。



 火を小さくし、子どもの寝息が重なるころ。

 俺は井戸端で手を洗い、輪に触れる。

 フィアが横に座り、膝を抱える。

「今日、また“しっと”したけど、最後はふわって消えた。ね、アーデン」

「うん」

「たぶん、“自分の番がある”ってわかったから。――昼も夜も、手をつないで歩く番」

「君の番は、ずっとある」


 フィアはにやっと笑い、俺の肩に額をこつん。

 輪が規則正しく灯り、井戸の面に小さく二人分の光が揺れた。


「明日、門を本組みにする。畦をもう一枚。見張りは交代を短く」

 俺は手を拭き、立ち上がる。「雷の槍は“音”で脅してくる。怖がっていい。怖がって、動きを早くする」


「了解」

 ユウゴが眠そうに目をこすりながら、でも真剣に頷く。「ぼく、声を出す番、増やす。みんなが落ち着く声、練習しとく」


「頼もしい」


 風が変わり、盆地の空気が少し涼しくなる。

 泣き声は――やっぱり、ない。

 でも、泣きそうな明日の気配はある。

 それでも構わない。泣くのは悪くない。泣き止ませるのが俺の仕事だ。


「――もう、泣かせない」


 小さく言って、門の影をもう一度確かめた。

 遠い雷がひとすじ、笑う。

 俺も笑い返す。

 王でも、英雄でもいい。名前は何でもいい。

 ここで、守る。ここで、増やす。ここで、笑う。


 金の糸が、夜風の中でほどけずに立っていた。

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