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第六章 ――最初の民

 夜明け前。

 川沿いの霧が薄れて、群青の空に金の雲が一筋。

 歩幅を合わせながら、俺たちは盆地の手前の丘に出た。


「煙、二本。右が新しい」

 ユウゴが目を細める。「“線”がざわついてる。急げば三分で間に合う」


「行く」

 フィアの指が自然と俺の袖を掴む。あたたかい。


 丘を越えると、小さな集落が見えた。柵は低く、屋根は藁。

 灰色の皮膚、骨槍、仮面――魔王軍の小隊が二列で押し込んでいる。戸の内側からは、押し殺した息だけ。


「右の列は“飾り”。左が本命。中央に“縫い糸”」

 ユウゴが矢継ぎ早に言う。「まずは糸の根っこ!」


「了解」


 俺は柵を踏み台にして前へ。

 土が跳ねる。骨鈴が一度。

 地面を這う黒い糸に指を当て、記憶だけをつまんでほどく。

 糸は形だけ残して、意味を失い、土の上で自重に負けた。


「侵入、左二、屋根一」

「屋根、任せて」フィアが囁く。

 彼女の指先から、薄い光のしゃがひらりと舞い、屋根の棟を包む。

 飛びかかった影は、その柔らかさのまま、ふわりと地面に置かれた。傷はつかない。ただ、立てない。


「子ども、奥の樽の裏。右手に出る線!」

 ユウゴの声が早くて、明るい。


 俺は中央に滑り込み、骨槍を二本まとめて受け流す。

 互いの刃をぶつけ、指の腹だけで角度を変え、足元をすくう。

 神律しんりつが骨に染みていて、力がいらない。


「援軍呼べ」仮面が低く言う。

 その手が骨鈴へ伸びる前に、俺は肩を叩いた。「報告はあとで」


 鈴は鳴らない。

 仮面の目の穴に朝の色が差した瞬間、小隊は潔く散った。

 怖いもの知らずの数匹だけが唸り、フィアの紗に足を取られ、やがて大人しく眠る。


 息が落ち着くのを待たず、戸口の奥から小さな声。「……もう、いい?」

「いい」

 俺が答えると、樽の陰から子どもが二人、こわごわ顔を出した。

 その後ろで、背の曲がった老婆が杖をついて出てくる。

 頬にはすす。瞳の奥は黒曜石みたいに澄んでいた。


「助かったよ、旅のひと」

「観光客です」

「また突拍子もないことを……」老婆は鼻で笑ってから、ふっと目を細めた。「でも、光ってるね。怖くはない」


 大人たちが戸口から次々と現れ、ざわ、と半歩下がる。

 視線は俺より――フィアの手元へ。

 彼女の光が、ちぎれた戸板を縫い合わせ、割れた壺に水を満たし、倒れた梁を軽く支える。


「つくるの、得意」

 フィアが控えめに言うと、老婆は口の端を上げた。「それはよくわかったよ」


「負傷、八。重傷、なし。水、足りない。火は……だめ。煙、見える」

 ユウゴが市場の呼び子みたいな声で、すらすらと報告する。

 俺は頷き、一人ひとりの手と足を見て、包帯代わりに布を裂いていく。

「動ける人は柵を直して。動けない人は家の中で座って、深呼吸。子どもはここで列」


「列?」

「うん。フィアの“手当て列”。先着順、泣いていい」


 その“泣いていい”に、子どもたちの肩の力が抜けた。

 フィアは一人ずつ額に触れ、喉の渇きを和らげ、擦り傷を撫でるたび、金の粉がふわっと弾ける。

 泣き声は――やっぱり、ない。

 かわりに、小さく鼻をすする音と、ほっと笑う息が混じる。


 老婆が俺の横に立ち、低く訊いた。「さっきの連中、また来るかね」

「来る。今日は顔見せ。明日か明後日が本番」

「だろうねえ」


 老婆は一瞬だけ空を睨む。

 遠い雲の縁に、針のような光が一本。

 雷の匂いが、風にまじる。


「ここは道の途中。守るには、場所が悪い」

 俺は丘の方角を見る。「ここから半日の盆地がある。川が抱いて、風が抜ける。土が濃い。……“泣かない場所”を作る計画がある」


 誰かが息を呑む。

 “泣かない”という言葉は、世界のどこでも、まっすぐ胸に刺さる。

 けれど、すぐに別の声。「でも、動けない家もある。畑も、家畜も……」


「畑は持っていけない。でも、土は向こうの方が強い」

 フィアが顔を上げる。「水も、通せる。さっきの“設計図”、ある。つくるルールもある」

 彼女は小さな板を取り出し、老婆の目の高さで光景を見せる。

 みぞが走り、畑が格子を描き、家々が風に沿って並ぶ――光の線の街。


 人々の目が、少しずつ柔らかくなる。

 それでも、恐れは残る。住み慣れた場所を捨てることは、戦いより難しい。


「俺は強い。たぶん、とても」

 俺は正直に言う。「でも、俺一人で“国”は作れない。必要なのは、手。笑い声。火の番。水の番。子どもの泣き顔を見逃さない目」


「泣き顔を見逃さない目……」老婆が繰り返し、杖の先をとん、と地面に当てた。「うちの者は、泣くのが下手でね」


「お揃いだ」

 俺は笑う。「泣き方は教える。泣き止ませ方は、もっと」


 沈黙。

 それから、老婆が深く息を吐いて言った。「……行こう。生きて、泣かない練習をしよう」

 最初に頷いたのは、さっき樽の裏から出てきた小さな子だ。「いく。こっち、こわい」


 堰が切れたみたいに、賛同の声が重なる。

 反対の声もあったが、ユウゴが間に入り、「今は“移動の線”が太い」と静かに示すと、やがて頷きに変わる。


「荷は軽く。食料と水、薬、道具。家は――」

 俺が言いかけると、フィアが指を上げた。「戸板と梁は持っていかなくていい。向こうで、つくる。……でも、思い出のものは、持っていこう」


「思い出……」

 大人たちの顔に、やわらかい影が差す。

 古い木彫り、母親の刺繍、子どもの描いた石の絵。

 人はそれを手に取ると、さっきより速く動けるようになる。


 移動の準備を振り分け、先頭と殿しんがりを決め、列を作る。

 ユウゴが地図を抱えて先導に立つ。

「右は崖。左は湿地。真ん中を“静かに”通る線。声は小さく、足は早く」


 出発の直前、老婆が俺の手を握った。

 固く、温かい。「あたしはミレイ。名乗るほどの者じゃないが、若い者らの顔になる。……あんたの顔は、頼りになる」


「顔で選ばれるの、今日二度目」

「いい顔は、繰り返し選ばれるもんだよ」


 列が動く。

 フィアは俺の左、ユウゴは右。

 子どもたちの中に泣きそうな顔がひとり。

 フィアがそっと手を握ると、金の粉が指の間で揺れ、泣き顔は――やっぱり泣かない顔になった。


 川沿いの茂みを抜け、浅瀬を渡る。

 橋はない。ユウゴが「石、四つ並んでる」と早口に言い、俺が二人、三人を抱えて渡す。

 そのたびに、背中の小さな手の重みが増え、胸の輪が強く灯る。


 昼前、盆地の縁へ。

 風がやわらかく回り、土の色が濃くなる。

 ここだ。地図の光と、目の前の地面が、ぴたりと重なる。


「まずは水」

 フィアが両手を地面へ向ける。

 神律の筋が、土の中でほどけるように広がり、浅い井戸の穴が一つ、静かに“生まれた”。

 水が満ちて、透明な面が空を映す。

 誰かが歓声を上げかけて、慌てて口を押さえた。声は小さく。足は早く。


「次、畑の心臓」

 ユウゴが写し板を片手に、杭の場所を指す。「四角四面じゃなくて、風の曲がりに合わせると“線”が喜ぶ」


「線が喜ぶのか」

「うん。ぼくはそう見える」


 俺は杭の位置に光を落とし、土の中の小石を撫でて、根の通り道を作る。

 人々は鍬を持ち、足で土を崩し、息を合わせる。

 額に汗。息に笑い。

 泣き声は、ない。


 昼の終わり、最初の鍋。

 大きな鍋ではない。けれど、フィアが少しだけ“味の記憶”を足すと、芋と草の汁は不思議と温かくなる。

 ミレイが匙を配りながら、ぽつりと言う。「泣きたいときゃ、泣いていい。――でも、今日は、笑おうかね」


 その言葉に、囲んだ輪が少し広がった。

 子どもが一人、俺の膝の上にちょこんと座る。

「にいちゃん、つよい」

「うん。まあまあね」

「いちばん?」

「いちばん、って言うと、後で強いヤツが怒るから、二番って言っとく」

「ずるい」

 フィアがくすっと笑い、俺の肩を小突く。「いちばん、だよ」


 鍋の湯気の向こう、丘の稜線に黒外套の影が一つ。

 遠巻きに見るだけ。鈴を鳴らさない。

 空の高いところに、針のような電光。早口の笑いは、まだ降りてこない。


「来る」

 ユウゴが器を両手で抱えながら言う。「“速い線”。二日以内。若い。雷」

「じゃあ一日で“輪郭”まで作る」

 俺は立ち上がり、地図の線を指でなぞった。「畦と水路、仮の結界。夜は火を小さく。見張りは二人一組」


「二人一組、任せて」

 ミレイが杖を掲げる。「若いの、夜目の利く子は手を上げな」

 すっと十本の手が上がる。

 俺は一人ひとりの肩に手を置き、簡単な合図と、逃げ道の位置を教える。

 ユウゴは“逃げ道の線”を薄く地面に描き、子どもたちに踏ませて覚えさせる。


「名前、あるの?」

 誰かがぽつりと聞いた。

 フィアと目が合う。

 俺は少しだけ頬を掻いて、答える。「ある。けど、看板はまだ」

「ひみつ?」

「うん。勝ち取ってから、大きく言う」


 夜。

 仮の結界が薄く灯り、井戸の水面は星のない空を静かに映す。

 ミレイが見張り台の下で、子どもに毛布をかける。

 ユウゴは地図の端に小さく“最初の民:二十八”と書いた。字が相変わらず丸い。


 フィアは俺の隣に座り、膝を抱えて空を見上げる。

「今日、いっぱい“つくれた”。でも、いちばんうれしいのは――」

「泣き声がなかったこと?」

「ううん。アーデンの笑い声、いっぱい聞けたこと」


「それは、俺も」


 風がやんで、盆地の静けさが降りる。

 遠くで、雷が細く一度だけ鳴った。

 誰かがこちらを測っている。

 でも、ここはもう“点”じゃない。

 人の息と手が重なった“面”になりつつある。


「明日、畑の一枚目を起こす」

 俺は立ち上がり、掌で土を撫でる。「それと、入口の門。泣くのが下手なやつほど、門は頑丈に」


「お揃い」

 フィアが笑って、俺の腕に額を当てる。軽い。


 見張り台の上、ミレイが静かに言った。「――ようこそ、わしらの“国”へ」


 胸の輪が応えるみたいに灯り、井戸の水面がかすかに震えた。

 最初の民が、生まれた。

 泣き声は、やはりどこにも、なかった。

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