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第三章 ――邂逅

黒い旗が村を囲むときには、もう角笛が三度鳴っていた。

 柵の外側に灰色の皮膚と骨槍、内側の戸口に怯えた息。泣き声は――ない。固まっている。


「間に合ったな」


 俺は柵の上に乗り、最初の槍だけ指で弾いた。乾いた音。骨は粉になって風に混じる。

 走る影が三つ。地面の乾き方が違う。右二歩、左一歩。

 踏み出す。肩がずれる。光が線になって、影の足元だけが抜け落ちた。


「門閉じて!」

 叫ぶと、戸口の奥で誰かが我に返るように動いた。木が擦れ、閂が落ちる。


 魔王軍の斥候は古いやり口を使わない。固まって突っ込んでこない。

 柵の外に弓、内に潜り込む小型、屋根の上に一人。

 屋根の気配へ跳ぶ前、耳の奥で――ぽつん。

 水の音。昨日の森のほこらで聞いたやつ。


「……こっちか」


 屋根上の影を脇で寝かせ、耳を夜にする。

 ぽつん。もう一度。柵の外、北。白い塔の方向。

 俺は柵を蹴り、外へ出た。弓の一矢が頬を掠める。血が温い。構わない。


 風が変わる。

 草の匂いの奥に、ほんの僅か――はちみつみたいな甘さ。光の匂いだ。

 丘を越えた先、小さな祭壇が崩れた広場。石が円を描き、中央にひとつ、布。

 布の端に、膝を抱えて座る子ども。金色の髪。肩が小さく上下して、涙が布に染みる。


 その前に――黒い犬。いや、狼。背に骨の棘。目が暗紫。

 五、六、七……前より多い。円の内側に踏み込めずに唸ってる。

 円の縁には薄い光。けど、砕けてる。保てない。


「わんこ、多すぎ」


 俺は狼の列にそのまま入った。

 一匹の背を手で押さえ、もう一匹の顎を軽く叩く。白い線がぱちんと走り、二匹は土に沈んだ。

 残りが散る前に、足元の石を二つ、三つ拾って投げる。

 石は輪の欠け目に落ち、光が少し戻る。狼の足が入れない隙間が増えた。


 金の髪が、こちらを見上げた。

 涙で濡れた大きな瞳。色は蜂蜜色。声は震えているのに、音だけ澄んでいた。


「……ひと?」


「観光客。泣き止む観光案内、無料で付いてます」


 狼が最後の一匹まで残らずに散るのを待たず、俺は子どもの前にしゃがんだ。

 その瞬間、背中に冷たい針。屋根の上にいた弓だ。遠回りしてきたか。

 肩が温かくなる。血が流れる。

 目の前の子が、びくっと肩をすくめた。


「いたい?」

「ちょっと」

「ごめん。わたし、守るの下手。だから、泣いてた」


 子は布の上からそっと手を伸ばして、俺の肩に触れた。

 指先が柔らかく光る。光は水みたいに広がって、傷口の熱を飲み込んだ。

 痛みが、うそみたいに消える。


「……早いね」

「うん。つくるのは得意。なにかを元どおりにするのも。壊すのは、あんまり」


「生き方の趣味が合う」


 俺が笑うと、子はきょとんとしてから、ぱっと頬を赤くした。

「あなた、きれい。目の光、やさしい。腕、かっこいい。身長も……」

「褒めの連打、嬉しい。続けて?」


「えっ、えっと……お顔も好き。……いまの忘れて!」


 狼が最後の一匹になった。

 俺は立ち上がり、輪の外へ片足を出す。狼の爪が光を掻き、火花が散る。

 子の視線が俺の背中に貼りつく気配。

 肩越しに手のひらを見せて、指をひとつ折る。合図。

 狼が跳ぶ。

 俺の手は、地面すれすれで止まった。

 風が寝て、草が鳴って、狼は眠った。


「よし」


 輪の中に戻ると、子は手をぱたぱたさせていた。拍手のつもりらしい。

「すごい……やっぱり、強い。ううん、“きれいな力”。」


神律しんりつって呼ばれてる」

「知ってるよ」

 子は胸に手を当てた。そこにも、薄い光が灯っている。「だって、それ、わたしの光から来てるもん」


 息が止まった。

 子は首を傾げる。「あ、名乗ってない。わたし、フィア。光の神さま。いちおう。“幼女神”って呼ばれたこともある。あまり好きじゃないけど」


「アーデン・イツキ。元・勇者。観光中」


「うん。アーデン。いい名前。響きが――帰ってくる感じがする」


「帰ってくる?」

「うん。ずっと前から、あなたの光、遠く遠くから繋がってた。星のない空の、もっと向こう。なる空気。ええと……ちきゅう?」


 俺は目を細めた。

「地球、知ってるの?」


「匂いだけ。あなたの手からする。おいしそう」

 言ってから、フィアは口を両手で塞いだ。「違う。おいしそうは違う。ごめん」


「褒め言葉として受け取っておく」


 軽口はそこで終わった。風がまた変わる。

 骨の鈴を振る音が、丘の向こうから近づいてくる。

 魔王軍の合図。さっきの狼は斥候。本隊が回ってきてる。


「ここ、危ない。フィア、動ける?」

 フィアはこくりと頷く。立ち上がると、すごく軽い。風より軽い。

 歩こうとした瞬間、膝がぐにゃりとなって、俺の袖を掴んだ。


「……ごめん。朝から、ずっと泣いてて。ちょっとふらふら」

「なら、掴んでて。落とさない」

「うん。えっと、手、つないでいい?」

「もちろん」


 指が触れた途端、胸の神律が、ひとつ深く鳴った。

 骨の内側に、春みたいな体温が入ってきて、力が軽くなる。

 フィアの光が、俺の光とすっと重なっていく。

 俺の五百年分の癖が、勝手に喜んだ。


「アーデン、かたい。だけど、あったかい」

「君は柔らかい。光の温度、気持ちいい」


 丘の稜線に、黒い影が並んだ。骨槍、仮面、角笛。

 数は多くない。だが、先導に人型。さっきの仮面のやつとは違う。肩から雷の匂いが微かにする――追ってくる。

 フィアの指が強くなる。震えが少し戻る。


「怖い?」

「ううん。怖いの、今は半分。もう半分は――」

 フィアは俺を見上げて、にこっと笑った。「だいじょうぶ、ってなる。あなた、すごく頼りになる顔してる」


「顔で選ばれるのは、初めてじゃないけど、嬉しいな」


「うん。かっこいい。うっかり結婚してって言いそう。……言ってないけど」

「今のは聞こえなかったことにする。あとで改めて聞く」


 影が降りてくる。

 俺はフィアの手を一度だけ離し、輪の外へ出た。

 敵の足が地面を掴む前、こちらの足が空気を掴む。

 光が一本、二本、三本。

 骨槍が砂になり、仮面の目の穴に朝の色が差す。


 指揮役が手を振り下ろす。

 地面から黒い杭が伸び――伸びきる前に、俺はその根を一つずつ“無かったこと”にした。

 光を杭の記憶に差し込み、形そのものを滑らせる。

 魔律の輪郭が崩れて、土はただの土に戻る。


「報告しな」

 俺は指揮役の肩を軽く叩き、膝を折らせた。「“光の理が戻ってる”って」


 男は無言で跳び退き、影に溶けた。

 追わない。

 丘は静かになった。風だけが残る。

 フィアが輪の中から小走りで出てきて、俺の袖をまた掴む。


「すごい。やっぱり、あなたの神律は透きとおってる。ね、アーデン」

「うん」

「もう泣かない」

 言って、フィアは自分の目尻を指で押さえた。

 押さえた指が、少しだけ金の粉をこぼす。朝日に溶けて消える。


「さっき、門の向こうで聞こえたんだ。“泣くな”って」

「言った覚えはある」

「その声、ここまで来た。だから、わたし、泣くのをやめる場所を探してた。そしたら、あなたが来た」


 胸の中で、何かが静かに並び直る。

 五百年前、弟の頭を撫でながら言えなかった一言。

 昨日、門をくぐる直前にようやく言えた一言。

 それが、ここまで届いた。


「フィア」

「なに?」

「君は、ここで何をしてる」

「隠れてた。魔王が、わたしの光をほしがってる。世界を“塗り替える”ために。だから、祠の影に隠れてた。でも、隠れるの、下手で」

「見つかった、と」

「うん。泣いちゃった。泣くの、嫌い。誰かが泣いてるのも嫌い。だから、もうやめる。……やめたい」


 無理に笑う口元。

 俺は「うん」とだけ言って、フィアの手を握り直した。


「近くに町がある。人が多い方が、隠れるのも楽だ」

「人、わたし……怖がられちゃうかな」

「俺も怖がられる。お揃いだ」


 フィアは少し考えてから、へへ、と小さく笑った。

「お揃い、いいね」


 歩き出す。

 白い塔が近い。尖端に金の糸。昨日より、ずっと輪郭がはっきり見える。

 塔のふもとに道が伸び、道の先に屋根の影。煙。生きてる匂い。


 途中、俺の肩の布が破れているのにフィアが気づいた。

「直していい?」

「助かる」

 指先が触れた瞬間、布は元どおりになった。縫い目まで綺麗。

「裁縫、早いね」

「つくるの、得意って言ったでしょ。……アーデンの髪も、少し整えたい。あ、いまのは冗談」


「整えてもらうの、嫌いじゃないけど?」

「ほんと? じゃああとで。まずは……ごはん」


「腹、減った?」

「うん。きみの手、あったかい匂いするから。……あ、違う、今のも違う。ごはんの話!」

「はいはい。町で何か食べよう」


 丘の後ろで、雷みたいな唸りが一度だけ鳴った。

 誰かがこちらを見ている。

 斥候のさらに上の“目”。

 けれど、いまは追ってこない。距離を測っているだけだ。


 塔の根元で道が分かれる。左が市、右が宿場。

 俺は左を選んだ。人だかりの方が、神さまと元勇者には都合がいい。

 フィアは手を強く握り、俺の歩幅にちょこちょこ合わせる。歩くたび、金の粉が少し弾ける。


「ねえ、アーデン」

「ん?」

「さっきの“泣くな”さ」

「うん」

「わたしも言う。あなたに。――もう、泣かないで」


 歩く足が半歩、軽くなった。

 俺は笑って、真面目に答える。


「了解。君が隣にいる限り、泣かない」


「じゃあ、ずっといる」

 フィアは胸を張って言い切ってから、はっとして頬を押さえた。「……今の、勢いで言った。けど、ほんと」


「勢い、大事」


 市の外れに、人だかり。壊れた荷車。昨日の男が娘を抱いて立っていた。

 俺と目が合うと、男の背中が固くなる。娘が俺の手を見て――フィアの手と絡んでいるのを見て、小さく首を傾げた。

 フィアは俺の後ろからそっと顔を出し、娘に手を振る。

 娘は、少し間を置いて、同じように手を振り返した。


 大丈夫。

 そう思ったとき、上空で影がひとつ、ひゅっと走った。

 雷の匂い。

 遠くの雲の縁に、細い槍の光。

 誰かが笑っている。早口で、落ち着きがない笑い。


「追ってくる」

「うん。来る。――でも、いまはごはん」

 フィアの声が明るい。腹が鳴る音が小さく重なる。

 俺は頷き、彼女の手を握ったまま、屋台の並ぶ通りへ入った。


 金の粉が、昼の光に混じって、きらきらと落ちていく。

 泣き声は、もう、どこにもなかった。

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