表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/15

第一章 ――追放

――歓声に満ちたはずの玉座の間は、今日はよく響く。

石床に落ちる足音、鎧の擦れる音、誰かの舌打ち。目だけが刃だ。


「アーデン・イツキ。貴様を――王殺しの裏切り者と認める」


 王座の前に立つ摂政が、冷たい声で言い切った。

 左右に並ぶ元仲間たち――大剣の男、聖女さま、弓手。どの顔にも疲れと、少しの安堵が混ざっている。俺を見ない。視線が床を這う。


「へえ。俺が王を? それ、もっと頭のいいやり方でやるやつだよ」

 俺は肩を竦めた。「まず、決定的な時間と場所。次に証拠。で、最後に――」


「黙れ!」大剣の男が一歩出る。「王の最後の言葉は『勇者に刺された』だった!」


「その勇者、名乗ったの?」

「……!」


 聖女が震える指で聖印を掲げた。「神託は“黒”。あなたの心に、濁りがある」


「俺の心は毎朝ブラック。砂糖は入れない派だ」

 そう言って笑ったら、誰も笑わなかった。だよね。


 玉座の背後の壁に、巨大な魔法陣が浮かぶ。退魔師たちが円を囲み、白い粉を撒く。

 ――追放の門。二度と戻れない片道の門。罪人、異端者、災厄送り。


「アーデン・イツキ。称号“勇者”、剥奪」

 摂政の号令が落ちる。同時に胸の紋章がじゅ、と焼けるように熱くなった。

 光がひとつ弾け、俺の心臓の奥――神律しんりつが、きしりと鳴る。


 五百年。

 竜の骸の上で飲んだ雨の味、王都を包む鐘の音、あのとき肩を貸した少年の軽さ。

 いま、その全部が遠のく音がした。


「最後に弁明はあるか」摂政。

「弁明?」俺は首を傾げた。「じゃあ三つだけ」


 ひとつ、王は俺が刺してない。

 ふたつ、俺の神律は誰よりも透明だ。

 みっつ、――嫉妬それが一番、人を濁す。


 誰かが小さく息を呑む。聖女の唇が揺れた。「アーデン……」


「見なよ」俺は視線で示す。

 玉座の横、緋の幕の影。摂政の指が震えてる。恐れじゃない。勝ちを確信したときの、あの――緩み。

 あのときも見た。海の向こう、黒い塔の頂で。

 “兄さん、勝ちを確信した顔って、好きじゃない”

 ふっと、幼い声が耳に残った。違う。あれは――昔の弟の声だ。細くて静かで、人の背中に影のように寄り添うやつ。


「衛兵!」摂政が叫ぶ。「膝をつかせろ!」


 槍の石突が床を叩く音。四人がかりで肩を押さえに来る。

 俺は膝をつかなかった。かわりに息を吐いて、手首から手袋を外す。

 布が床に落ちる――からっ、と軽い音。

 彼らの掌が、俺の肩に乗った瞬間、半歩だけ後ろへ歩いた。


 鎧の留め具が、ぱきん、と割れる。

 力は使っていない。俺の身体は、ただの身体。五百年の癖が勝手に受け流しただけだ。

 衛兵たちが揺れて体勢を崩す。彼らは悪くない。命令に従っているだけ。


「暴れる気はないよ」俺は両手を上げる。「俺、紳士だし」


 聖女と目が合う。

 涙で揺れた瞳に、俺が映っていた。

 ――信じないでいい。俺はそう小さく口の形だけで伝えた。

 信じたいならいつでも、あとからでいい。生きていてくれれば。


「早く門へ!」摂政が急かす。

 魔法陣の光が強くなる。白から青へ、青から紫へ。空間が折れていく。

 向こう側に、知らない空の色が見えた。


 ざわめき。

 群衆の中から、石が一つ、飛んでくる。

 俺は目を閉じて、受けた。こめかみに当たって、鈍い音がする。

 痛みより、胸のどこかが静かに冷える。


「裏切り者!」誰かが叫ぶ。「偽物の英雄め!」


 英雄。

 ああ、そうだ。英雄は看板だ。誰のものでもない。掲げたやつが勝ち。

 でも、俺の中にあるものの名前は、ちょっと違う。


 ――神律。

 きれいに笑うときの光、誰かの手を取る温度、守りきったあとに残る無言の安堵。

 それは、いつも俺の背骨にあった。誰に剥がされなくても、霞んだり、折れたりはするけど、きっと消えない。


 衛兵が左右から肩を掴む。

「歩け」

「歩くさ」


 門の前に立つ。

 底の見えない井戸みたいな光。吸い込まれれば終わりだ――そう、誰もが思う。

 でも、終わりは案外、始まりの顔をしている。


「アーデン」聖女が呼んだ。「……あなたは、笑ってるの?」


「うん」俺は頬を指で叩いた。「俺、笑顔が似合うって昔言われたから」


「誰に」

「一人だけ。本当のことを言うと、もう会えないと思ってる」


 聖女の喉が鳴る。

 摂政が苛立った足音で近づき、俺の胸の布を掴む。

「最後の言葉を言え。民草に向けて、悔い改めを――」


「悔いはない」

 俺はその手をやんわり外し、門に片足を入れた。「……それから」


 振り返らずに言う。

「泣くな」


 誰に向けた言葉か、自分でもわからなかった。

 聖女かもしれない。石を投げた誰かかもしれない。

 あるいは――五百年前、弟の頭を撫でながら言えなかった、あの一言。


 光が足首を呑み、膝を、腰を、胸を呑む。

 世界の音が遠のく。

 そのときだ。


 ――ぽつん、ぽつん。

 耳の奥で、水の落ちる音がした。

 泣く子どもの声。小さくて、金色の髪が揺れる気配。

 ありえない。門の向こうに誰かの気配なんて――


 心臓が跳ねる。神律が光った。

 俺は笑って、最後の一歩を踏み出す。


 石床の冷たさが消え、風の匂いが変わる。草の匂い、土の匂い、どこか甘い花の匂い。

 空が近い。空が――知らない色だ。


 落ちる。

 光と闇がねじれて、上下がなくなる。

 白い線が千本、黒い線が万本。世界が編まれていく。


 ――ようこそ、って言われた気がした。


 目を開ける。

 空は深い群青、雲は薄金。遠くで吠える声。人ではない。

 胸の奥で神律が震え、指先が痺れる。ここは、俺の世界じゃない。


 風が頬を撫でる。

 俺は地面に膝をつき、掌で草を掴んだ。湿り気。冷たさ。生きている感触。

 そして、背後で――何かが、笑った。


 牙の音。

 振り返る。

 黒い影が十、いや二十。獣? いや、違う。

 紫の舌、黄色い眼。こちらの“常識”とは別の、敵の匂い。


「歓迎が派手だな」俺は立ち上がった。「……ヴァリスティア」


 口に出した瞬間、名が腹の底に落ち着いた。

 知らないはずなのに、なぜか知っている響き。

 向こう側――門の縁に、まだ小さな光が残っている。

 あの光の向こうに、誰か泣いている子が――


「待ってろ」

 俺は指を握り、開いた。

 神律が走る。光が走る。五百年の癖が、骨と筋に戻ってくる。


 最初の一匹が飛びかかる。

 爪が唸る。

 俺は半歩、出た。

 土が跳ね、草がちぎれ、黒い影が空で止まる。


「――泣かせない」

 小さく呟いて、俺は拳を振るった。


 光が、世界の縁を切り取った。


 影は散り、風は鳴り、遠くの空に、白い塔が見えた。

 その尖端には、金色の糸のような輝き。

 子どもの泣き声は、もう聞こえない。代わりに、胸の神律が静かに歌う。


 俺は息を吐き、笑った。

「よし。――ここからだ」


 ヴァリスティアの風が、初めて俺の名を呼んだ気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ