書いたことが実現する手帳を手に入れたので、婚約者の恋路をこっそりサポートしたいと思います!
これは……恋だ!
私——アリーナ・フローレンスは直感した。
今はカフェでお茶の真っ最中。
目の前に座るのは私の婚約者のアルバート・クラーク様。
黒髪碧眼のイケメンだ。
今も周りの女性達の視線を一身に浴びている。
そんな彼の視線の先を目にした私は、なるほどと頷いた。
誰が誰に恋をしているのかというと、私の婚約者がカフェで隣に座っている女性に恋をした、という状況だ。
アルバート様のこんな顔、初めて見た。
頬はほんのり染まっている。
いわゆる一目惚れってやつかな?
そんなことをカフェラテをくるくるとかき混ぜながら思う。
じっと観察していると、不意に目があった。……が、すぐに逸らされる。
いつもこうだ。
私と彼は親同士が決めた婚約者で、そこに愛はない。情はあるかも知れないけど。
そんなわけなので、私は彼が誰に思いを寄せようと傷ついたりなんかはしなかった。
むしろ……これはチャンスなのでは!?
好機だと考えた。
何故って?
それは私だって好きになった人と結婚したいからだ。
彼は公爵家の嫡男で後継。私は侯爵令嬢。
彼の方が身分が上で、私から婚約を辞めたいなんて言うことは叶わない……だけど、彼からならもしかしたら。
そう思ったからだ。
彼の恋路が上手くいけば、私は婚約解消できるかもしれない。
そもそもこの婚約は最初から釣り合っていないと思っていた。
アルバート様は優秀だ。
公爵家を継ぐだけのことはあって勉学においても魔法においてもトップの成績。
誰もが彼に憧れては熱をあげた。そんな人だ。
一方私はというと、魔法が使えない落ちこぼれと呼ばれる存在だった。
どんなに他のことで成績を上げてもそのことは消えてくれなかった。
……そう、私は何故か魔法が使えない。
使えて当たり前のはずの魔法を扱えない。これは彼の婚約者として致命的なことだった。
“不釣り合い”……何度この言葉をぶつけられたことか。
何度陰口を叩かれたことか。
自分でもわかっている。私は彼に見合わない。
だから、この婚約は解消した方が良いとずっと思っていた。
そんな時に彼が誰かに恋をしたら……?
それはもう、全力でこの恋が上手く行くようにサポートするしかないでしょ!
これからのことに思いを馳せてふふっと笑顔を浮かべた。
やっと彼を解放してあげられる。
……確信していた私は知らなかった。彼の表情の本当の意味を。
*
まずは相手のことを調べなくちゃね。
私は紙とペンを用意して、すらすらと今日見た女性の姿を描いていった。
絵を描くことは私の得意分野の1つだったりする。
有名な賞も頂いたことがあるくらいだから、実力は折り紙付き。
まあ、こんな功績を上げても魔法が使えなかったら何の意味も無いのだけれど。
この世界では魔法が一般的だ。
個人差はあるとは言え、誰でも初級魔法くらいは使える。
不思議なことにそれが私にはできなかった。
魔法を使う為に必要な魔力が無いわけではない。むしろ平均より多いくらいだ。
だけど魔法として扱えないのなら、いくら魔力量が多くても宝の持ち腐れというものだ。
紙にゆるふわな髪の美少女が描かれた所でペンを止める。
淡い桜色の髪。黄色のまるで太陽みたいな瞳は優しく細められていて、首元にはお花型のネックレスが輝いている。
白黒なので色はないが出来上がったのはそんな女性の姿。
やっぱり、かわいい。
初めて見た時からかわいい子がいるなって思ってたんだよ。
まさかアルバート様のハートを射止めるとは思ってなかったけど、この美貌なら納得だ。
「……いいなぁ」
自分の髪先をくるくると指で触りながらポツリと呟く。
私も、これくらいかわいかったら、アルバート様を振り向かせられたのかなぁ。
いつも素っ気ない態度を取られているのだから、私に好意がないことは明白だ。
一時期は照れ隠しなのかもと思った時期もあった。
私だってそう夢見る時代があった。
だけど……
『こんな婚約、最悪だ。』
彼の口から直接漏れた言葉。
親友に愚痴る姿を偶然見てしまったのだ。
それを聞いてしまってからは私の中で期待は消え失せた。
だから、こんな婚約なんて解消してしまった方が良いんだ。
私は引き出しから手帳を取り出して、ぎゅっとそれを握りしめる。
上手く行くかどうかは君にかかってるんだからね。そんな意味を込めて。
「ラナ、この人を探して欲しいの。」
ふぅと心を落ち着かせた後で私は後ろに控えていた侍女に話しかける。
「かしこまりました。ですが、どうしてこの方を?」
ラナの疑問は最もだろう。
いきなり人を探してくれなんて疑念を抱くのも当然だ。
私はニッコリと笑顔を作った。
「今日見かけてかわいかったから、是非お友達になりたいた思ったの。あ、こんなこと恥ずかしいから他の人には内緒よ?」
口止めも忘れない。
ラナはお辞儀をした後、部屋を出ていった。
多分、早速調べに行ってくれたんだろう。
うーんと軽く伸びをする。
早く見つかると良いな。
机の上に飾られているミモザの花をツンツンと突いた。
ふわふわしてかわいいとお父様にお願いして飾らせて貰った花だ。
黄色いその花を見つめるとなんだか元気が貰える気がする。
よーし、頑張るぞ!
しばらく眺めた後、私は気合いを入れ直したのだった。
*
「お嬢様、彼女の素性がわかりました。」
次の日の朝。
顔を洗っていると、ラナが紙を持って部屋に入ってきた。
やった、見つかったんだ!
顔を拭った後、「ありがとう」と言ってラナから書類を受け取った。
ふむふむ、リリアナ・アメル様、ね。
名前までかわいい。
身分は……伯爵家。
うん、大丈夫そうかな。
アルバート様の隣には完璧な令嬢が求められる。
身分的にも釣り合いは取れているし、報告書を読んでいる限り人柄も良さそうだ。
これなら安心して彼を任せられる。
そう判断した私は早速手帳を取り出した。
『アルバート・クラークとリリアナ・アメルが次の夜会会場の庭園で偶然出会う。』
手帳にそう記した私は満足して頷いた。
すると魔力がスゥッと持っていかれる感覚に陥る。
実はこの手帳は特殊なものだったりする。
というのも、書いたことが実現するという優れものだ。
そんな凄いものをどうやって手に入れたのかと言うと、それこそ偶然の出会いだった。
街の古本屋に行った時、この手帳を見つけた。
金色の装飾が施された綺麗な手帳。
店主曰く、特殊な魔法が掛かっていて魔力が適合しないと開くことができないらしい。
面白そうだと思った私はそれを手にし、1ページ目をめくった。
そう、めくれてしまったのだ。
店主は目を真ん丸に見開いて驚いていた。
そして適合者が現れたなら君が持っているべきだと言ってこれを譲ると言われたのだ。
家に帰った私は……手帳を買ったことなどすっかり忘れて寝入ってしまった。
言い訳させてもらうと、この日は朝から動き回って疲れていたのだ。
それで引き出しにしまった手帳は忘れられたまま月日が経った。
ようやく日の目を見たのはそれから1年が経った日のこと。
その日はたまたまその場に紙がなかったので、引き出しを探してあった手帳にメモを書いたのだ。
『1週間後、お父様とお出かけ。本を買って貰う。』
そこまで書いてこれが魔法の手帳だったということを思い出した私は好奇心から続けて
『お父様の気分が良くて隣のアステールまで連れていってくれる。』
と書いた。
なんてね。
アステールと言うのはここから馬車で半日ほどかかる街だ。
この街は国境沿いにあるので商人が行き交う。
つまり珍しい本が手に入る可能性が高い場所なのだ。
まあ、半日もかけて行くのだから泊まりがけになるわけだし、そんなことは起こるはずもない。
ただ願望を書いただけ。そのつもりだった。
「アリーナ、今日はアステールまで行こうか。」
「よろしいのですか!?」
突然、お父様の言い出した言葉に驚きよりも喜びが勝つ。
「あぁ、特に急ぎの仕事もないし、アリーナずっと行きたいって言ってただろう?」
「はい、憧れの街です。お父様、ありがとうございます!」
その時一瞬脳裏に手帳が浮かんだ。
でも、まさかね……とすぐに掻き消した。
だけど目的の本を手に入れてほくほく顔で家に帰るとその手帳の存在を思い出す。
ありえない。ありえないけど……
少しの希望を持った私は、
『明日お兄様が帰ってくる。』
と書いた。
お兄様は隣国に留学中で、中々帰ってこないのだ。
久しぶりに会いたいな。そんな気持ちから書いたものだった。
でも前日だし、今の所何の前触れもない。
だから、起きるはずがないと鷹を括っていた。
「やぁアリーナ、久しぶりだね。また一段とかわいくなったんじゃないか。」
次の日。
お兄様が帰ってきた。
なんでも隣国の王子が兄の国を見たいと我儘を言って急遽来ることになったらしい。
屋敷に寄ったのは通り道だったからで、すぐに出るとの事だったが、私はサァッと血の気が引いた。
すごいよりも怖いが勝ったからだ。
この手帳は恐ろしい。
だって、他人の都合を変えてしまうんだから。
1回ならまだしも2回目となると手帳の効果だと信じるしかなかった。
この手帳に書いたことは実現する。
……お兄様の顔、やつれてた。
きっと無理をしているに違いない。ううん、私が無理をさせてしまったんだ。
そのことに気づいてしまったから。
だからその日から手帳を使うことはなかった。
でも……
アルバート様の為、そして自分の未来の為に少しだけ使うのを許してね。
私は心の中で謝罪をして、ぎゅっと手帳を握りしめた。
出会いの場はセッティングした。
さぁ、後はアルバート様の腕の見せ所よ。
*
夜会当日。
私はアルバート様のエスコートで会場まで来ていた。
今回の夜会は王族主催。
つまりお城で開かれている。
ロマンチックな出会いの場としては相応しいと言えるだろう。
ちなみにリリアナ・アメル様が参加することは確認済み。
あとは……
チラッと婚約者を盗み見た。
正装をしている時の彼は一段と輝いている。
周りにいる女性群なんて釘付けだ。
「アルバート様、少し席を外してもよろしいでしょうか?」
私が居なくなれば完璧だ。
「……好きにすると良い。」
素っ気ない返事に「ありがとうございます。」と返してその場を後にする。
彼の恋が上手くいく為って思っても、やっぱり冷たい態度を取られると傷つくわけで……。
私はしょんぼりと庭園に向かった。
待ち構えて成り行きを見守る為だ。
薔薇の影に隠れて、そっと息を潜める。
お、早速リリアナ様が来た!
ベンチに腰掛けてる。
息抜きに来たのかな?
夜会が始まって1時間が経つし、疲れるよね。わかるわかると心の中で共感していると、アルバート様が向こうから近づいてきているのが目に入った。
おぉ、遂に!
なんか感慨深いなぁなんて思いながら、ごくんと唾を飲み込んだ。
アルバート様に気づいたリリアナ様がお辞儀をする。
「貴方も休憩しに来たのですか?」
アルバート様はリリアナ様に近づいて声をかける。
「はい。お城の庭園は素晴らしいので息抜きにちょうど良いかと思いまして。」
ニコリと微笑む姿は可愛らしい。
これは、ノックアウトされてのでは!?
そう思ってアルバート様を見ると笑顔を浮かべていた。
チクッと何故だか胸が痛む。
あ、そっか。私にはあんな顔してくれないから悔しいんだ。
胸の痛みにそう結論付けていると、
「そこで何をしている?」
不意に後ろから声をかけられた。
その声に聞き覚えのあった私は恐る恐る振り返る。
「王太子、殿下……」
私の後ろで腕を組んで立っていたのは紛れもなくこの国の王太子で……。
私はあわあわと姿勢を正して礼をとった。
「お見苦しい所をお見せしました。お初にお目にかかります。アリーナ・クラークと申します。」
カーテシーをしながら私の心臓はバクバクと音を立てる。
怖くて顔を上げられない。
「あぁ、そんなに畏まらなくても良い。クラーク侯爵の娘だな。私はルーカス・ホワイト。よろしくたのむ。」
人の良さそうな笑顔を浮かべた殿下が月の光を浴びる様子はまるで物語の一場面のように美しかった。
「よろしく、お願いします……」
「それで、そんな所で一体何をしてたんだ?」
ニコッと笑顔を浮かべた殿下には妙な威圧感があった。
どうやら見逃してはくれないみたいだ。
「それは、その……」
こんなことしてる場合じゃないのに。
私は2人の恋路を見守らないと。
チラッとアルバート様の方を見ると、目があった。……気がした。
びっくりして、後ずさる。
私の視線を視線を追った殿下はあぁと納得した様子を見せた。
「婚約者の密会に立ち会うなんてお前も災難だな。」
同情したような目を向けられて、私は居た堪れなくなる。
「私はお邪魔のようだし、もう行く。」
不審者じゃないことを確かめられたからか殿下はあっさりと引き上げた。
アルバート様はリリアナ様に別れを告げて、私に近寄ってきた。
「……君は一体、何を?」
低い声が庭園に響く。
まるで全身が拘束されたように動かなくなった。
それほど怒っている……そう痛感させられるような冷たい声だった。
「薔薇を、見ようかと……」
取ってつけたような釈明にアルバート様ははぁとため息をついた。
「君は……」
何かを言いたげに口を開いた後、ふいっと顔を逸らされた。
「……いや、良い。」
そう言ってアルバート様は去ってしまった。
完全に嫌われた……。
そう思った私は俯いて、ドレスの裾を握った。
誰も居なくなった庭園の静けさがやけに痛かった。
*
あれから数日が経った。
アルバート様とはギクシャクしたまま。
先日、初めて週一のお茶会を欠席すると手紙が届いた。
どうやら私はやってしまったらしい。
今までが嫌われているだとしたら、今は完っ全に嫌われている、と言った所だろうか。
はぁ、とため息が漏れる。
私はただ、アルバート様に幸せになって欲しいだけなんだけどな。
10年と長い間婚約をしているのだ。
情が湧かないわけがない。
しかも相手は天下の公爵令息。
嫌いなはずが無かった。
「お嬢様、大変です!」
感傷に浸っていると、ドアが勢いよく開けられた。
ラナが慌てるなんて珍しい。
どこか他人事のように思いながら、ラナの方へと視線を向けた。
「どうしたの?」
ラナははぁはぁと息を切られていたので、よっぽど急いで来たようだ。
「ま、魔物が……っ」
ようやくのことで口にされたのはそんな言葉だった。
「魔物!?」
私は驚いて椅子から立ち上がった。
魔物とは災害のようなものだ。
動物が変化したと言われているが、その実態は分かっていない。
突然現れて突然街を襲う。そんな存在。
「それで、被害は?」
今お父様は仕事でお城にいる。
領地に被害が出たのだとすれば、それは私が対処しなければならなかった。
「街に被害が……、逃げ遅れた人も多数いるとか。」
「そんなっ!」
魔物は何処から発生するかわからない生き物だ。
まさかこの領地で発生するなんて……。
拳に力が入る。
「私が行くわ。」
「ですが、お嬢様っ……」
「大丈夫、私にはとっておきがあるんだから。」
そう言ってニコッと笑って見せた。
これ以上ラナを不安になんてさせたくない。
そんな気持ちの表れだった。
「……私も、着いていきます。」
「危険よ。ラナはここに残るべきだわ。」
私の言葉にラナはバッと顔を上げた。
「それなら尚更です。だってお嬢様は……」
その言葉の先は分かっていた。
「魔法が使えない」そう言いたいんでしょ?
ラナは言い淀む。
それが私のコンプレックスだと知っているからだ。
「えぇ、私は魔法が使えない。でも、これがあるわ!」
部屋の隅に置いてあった剣を取り出す。
私は魔法以外は全て嗜んだ。
だって、彼に認めて欲しかったから。
相応しい婚約者だって言われたかったから。
「ねぇラナお願い。ここでこの屋敷を守って?ラナになら任せられるから。」
そう言うと困ったように眉を下げた。
「お嬢様はずるいです。」
「うん、知ってる。ね、お願いできる?」
「……わかりました。」
手を取って頼むと、頷いてくれる。
ずるいということは百も承知だった。
ラナは雇われている身。
私のお願いを断れるはずもないのだから。
「じゃあ、行ってくる。」
私はもしもの時のために手帳をポケットに忍ばせた後笑顔で屋敷を後にした。
*
思ったより酷い状態ね。
建物は壊され、あちこちで火の手が上がっている。
ラナの言った通り逃げ遅れてしまった人も居るのだろう。
……悔しい。
私に魔法が有ればこんな魔物達を一瞬でやっつけて領地を守れるのに……。
ううん、今は無いものねだりをしても仕方がない。
魔物をどうにかするのが先だわ。
しばらく走ると最前線で戦っている魔道士の後ろ姿が目に入った。
ちょうど中級魔法を放っている瞬間だった。
「ありがとうございます。私も……」
お礼を言いながら駆け寄って、私は絶句した。
「アルバート、様……」
だってそこにいたのは私の婚約者だったから。
どうしてここに……そんな言葉を押し込んで、魔物へ向かう。
次々と襲いかかってくる魔物を剣で切りながら、私の頭はぐちゃぐちゃだった。
今は集中しないといけないのに。
だけど、視界の端にアルバート様が映るたびにどうしても考えてしまう。
だって、リリアナ様と一緒だから。
リリアナ様は魔力量が多い。
今だって最前で戦ってくれているのだから、感謝こそすれど、恨むなんてとんでもない。
それなのに……
嫌だ。
そう思ってしまった。
どうしてアルバート様と一緒にいるの?
もしかして私とのお茶会を断って2人でデートしてたの?
そんなの、そんなの……ずるい。
そこは私の場所なのに……
そこでようやく自分の気持ちに気がついた。
そっか、私……アルバート様のことが好きなんだ。
どんなに嫌われても、最初に出会った衝撃が忘れられない。
本当は優しいのも知っている。
だって嫌いな相手と婚約を続けてくれるくらいだよ?
お茶会にだって付き合ってくれる。
今だって民の為に戦って……
そんな人が優しくないわけがない。
例え私に冷たくても、私はその優しさを知っているから、だから好きになってしまったんだ。
傷つくのが分かっていたから誤魔化していた。
でも……
やっぱり自分の気持ちに嘘は付きたくない。
魔物がアルバート様に向かう。
私は咄嗟に手帳を取った。
この手帳は魔力で動く。
大きいことを成し遂げる為にはたくさんの魔力がいる。
私は魔力量は多い方だけど、この魔物を全部討伐するとなると、果たして足りるのか。
魔力が尽きたら、最悪死んでしまう。
死への恐怖。それもあった。
でも、1番嫌なのは……何もできなくてアルバート様がいなくなってしまうこと。
だから、私はペンを走らせた。
『今すぐ魔物が全員消えてなくなる』
その瞬間、ごっそりと魔力が持っていかれる。
「どうなってるんだ?」
戦っていた人達の戸惑いの声が聞こえた。
魔物が一斉に消滅してしまったからだ。
私はそれを確認すると、安心したからか体の力が抜ける。
あ、やばい。
これダメなやつかも。
ゴホッと口から血が吹き出した。
だんだん暗くなっていく視界の中で、アルバート様が必死に私の名前を呼んでいる姿が見えた……気がした。
*
「ん……。あれ、私生きてる?」
目が覚めると自室にいた。
ペタペタと自分の顔を触ってみたけど、感覚がちゃんとあった。
「お嬢様……!」
ドアが開いて姿を現したラナは私が目を覚ましたことに気づくと駆け寄ってきた。
良かったと涙を流すラナの頭を安心させるように撫でる。
「……その、ラナ。どうしてアルバート様がいるのかしら。」
私は戸惑いながらラナに声をかける。
ラナの声を聞きつけて、ドタドタッと足音が聞こえたと思ったら、入ってきたのはなんとアルバート様だった。
視線が痛い。
「それは……」
「私から説明しよう。」
ラナを制止させたアルバート様は私に近寄って膝を折った。
「君が無事で、本当に良かった。」
あれ、これはだれかしら?……と首を傾げる。
アルバート様がこんなに心配そうな顔をするなんて……。
驚いてパチクリと瞬きを繰り返す。
「君は魔物が現れて、戦っている最中に倒れたんだ。それは覚えてる?」
「……はい」
椅子に座り直したアルバート様は話を続ける。
私は状況が飲み込めないまま、取り敢えず頷いた。
「そして君が何かをした途端、魔物が消えたんだ。」
そこでアルバート様は私の瞳をまっすぐに見つめる。
「何をしたのか、教えてくれる?」
私は言葉に詰まってしまった。
このことを話してしまったら、もう後には戻れない気がしたからだ。
「……この手帳、これが関係してると私は考えている。魔力を帯びているからね。」
アルバート様は胸ポケットから私の手帳を取り出した。
そこまで分かっているなら、バレるのは時間の問題。
素直に白状するしかないわね。
私は決意を固めて口を開いた。
「その手帳に書いたことは現実になります。」
私の言葉にアルバート様が息を呑んだのが伝わった。
「そう。これは君にしか扱えないみたいだね。」
「私が開こうとしても無理だった」そう言ってアルバート様は手帳を私の手に乗せてくれた。
そして困ったように笑って見せた。
「おかげで君は今聖女だと持て囃されているんだ。」
「えっ……!?」
アルバート様の言葉に私は驚愕の声を上げた。
一体どうして?
その気持ちが顔に出ていたのだろう。
アルバート様はクスッと笑って答えてくれる。
「君の行動で魔物が消滅したのを多くの人が見ていたからね。しかも事が終わると君の魔力は底を尽きていた。その事が決め手かな。」
「それで、聖女だと……」
なんて事だ。
まさかそんなことになるなんて……。
確かに魔物を倒すことは魔法か剣が使えればできる。
でも、一斉に……が付くとそうでもない。
だから、持ち上げられるのも頷ける。んだけど……
まさか聖女と呼ばれてしまうなんて!
聖女とは特別な力を持つ女性に与えられる称号で、その権力は王族にも匹敵する。
そんな凄く名誉のある称号だ。
それが、私に……?
いやいや、正式に決まったわけじゃないんだから。
落ち着け、私。
心を落ち着かせようとぎゅっと手帳を握りしめた。
「これでようやく君に想いを伝えられる。」
そんな私の手にアルバート様は自分の手を重ねた。
なんだろうと思い顔を挙げると、優しい微笑むアルバート様と目があった。
「アリーナ、君を愛してる。今までちゃんと伝えられなくてごめんね。」
「なん……」
そっか、これは夢なんだ。
ありえない事が続いて、疲れた私は楽しい夢を見てるんだわ。
これが現実なはずがないと思った私は、この幸せな空間に身を委ねるのも悪くないかもしれないと思った。
だけど……
「それは、私が聖女かもしれないからですか?」
私の口から漏れたのはそんな可愛げのない言葉だった。
だって今まで冷たかったのにいきなり優しいなるなんて、名誉目当てとしか考えられない。
私は心を鬼にしてキッとアルバート様を睨んだ。
そうでもしないと、泣きそうだったからだ。
「違う……と言っても信じて貰えなさそうだけど、はっきり断言させて欲しい。私が君を愛しているのは君が聖女だからでも侯爵令嬢だからでもない。君が、君だから好きなんだ。」
「……っ」
それは、私がずっと言われたかった言葉。
魔法の使えない私でも、侯爵令嬢として価値のない私でも、誰かに好きだって言ってもらいたかった。
その夢が叶ったはずなのに、私は嬉しいという気持ちとどうしてって思う気持ちが混ざって上手く笑えない。
「なら、なんで今まで冷たい態度を取ってたんですか?」
好きなら、私のことが好きだったなら今日みたいに優しく笑いかけてくれたって不思議じゃないのに。
それがアルバート様が嘘をついていると思わせてならなかった。
「君を傷つけていたこと、本当にごめん。……言い訳にしかならないかもしれないけど、冷たく接することで、君を守っていたつもりだったんだ。」
「……私を、守る?」
アルバート様の言葉にキョトンと首を傾げる。
「うん。最初に出会った日、私は恥ずかしさから上手く言葉を発する事ができなかったんだ。君が好き過ぎるあまりね。一目惚れだったんだ。それを周囲はどう勘違いしたのか、私が君を嫌っていると噂した。私はすぐに弁解しようと思ったんだけど、そこで聞いてしまったんだ。」
アルバート様はそう言って私の方を見た。
「私が君を嫌っているなら自分にもチャンスはある。これで君を虐める手間が省けた……そんな内容だった。」
「……!」
その言葉で理解してしまった。
私は出来損ないと言われた侯爵令嬢。
彼には釣り合い。そう判断した令嬢がどんな行動に出るかなんて、安易に予想ができる。
でも、彼に嫌われていたとしたら?
肝心の婚約者に嫌われている私をわざわざ虐めて婚約者の座から下ろすよりも、彼にアタックした方が早いと思うかもしれない。
つまり、アルバート様は私の為に……?
私はアルバート様を戸惑いがちに見た。
すると、困ったように笑われてしまう。
「今考えると、君を傷つけてしまったことに変わりはないし、1番近くにいる私が冷たいなんて、苦しい思いをさせてしまったんだろうね。……私は君を守るなんて言いながら、本当は君に好きだと伝えて拒絶されるのが怖かっただけなのかもしれない。」
「そんな、ことは……」
「あるよ。君は私を怒ってくれなきゃ。どうして今まで酷かったんだって。そしたら私も、諦める決心がつくかもしれない。」
『私もアルバート様のことが好きです。だから、私を諦めないで下さい。』
そう言ったらきっと仲直りできてハッピーエンドなのかもしれない。
アルバート様が私のことを思って今まで冷たかったのは理解できた。
私もアルバート様のことは好き。
だから、この告白はとても嬉しかった。
でも……
それを飲み込めるかどうかは話が別だ。
理解はできても受け入れるかどうかは違う。
「なら、どうしてリリアナ様と一緒だったんですか?」
つい、いじ返をしたくなってしまった。
彼の冷たい態度に私が傷ついて来たのもまた事実。
「それは、彼女と偶然会って……ううん、こんな時くらい正直にならないとね。」
アルバート様は誤魔化そうとして、辞めた。
どうしよう、やっぱり何かあるのかもしれない。
それで私は不安になってしまった。
そんな私を見てアルバート様はニッコリと笑った。
「大丈夫。君が心配しているようなことはないよ。彼女が着けてたネックレスが君に似合いそうだったから、何処で買ったのか聞いたんだ。そのお礼にお茶をご馳走したって言うのがことの発端かな。」
それって……
「そのネックレスを着けていたのってもしかしてカフェですか?」
私はハッとしてアルバート様に尋ねた。
「うん、やっぱり君も見ていたんだね。そう、あの時着けていたものだ。……本当はサプライズで渡したかったんだけど、はいこれ。私からのプレゼント。」
アルバート様が渡してくれたネックレスには物凄く見覚えがあった。
正確には少しデザインは違うし、ついている宝石もなんだか豪華になっているけれど、間違いなく私がリリアナ様の絵を描いた時に描いたあのネックレスだ。
「ありがとう、ございます」
私はそれを受け取って、思わず笑ってしまった。
そっか、アルバート様があの時見てたのはリリアナ様じゃなくて、ネックレスだったんだ。
そっかぁ。
ふふっと笑うと、アルバート様も嬉しそうに目を細めた。
……って違う!
絆されそうになってるけど、まだ問題は解決してないんだから。
「なら、ならどうして私との婚約が最悪だなんて言ったんですか!だから、私はてっきり嫌われているのとばかり……」
どうだ、これは会心の一撃だろうと、アルバート様を見ると、少し考えるように見せた後であぁっと声を上げた。
「それはきっと(アリーナと形ばかりの)こんな婚約、最悪だ。……じゃないかな?」
「なんですか、それっ!」
私は思わず突っ込んだ。
だって、そんな省略の仕方……
「うん、確かにこれだけ聞いたら君との婚約を嫌がってそうだね。君は、この言葉だけ聞いたの?」
「……はい」
アルバート様の問いにコクンと頷くと、なるほどと納得された。
「そっか、それなら誤解しても仕方ない。前後を聞いてたらそんなことは思わないはずだからね。」
「前後、ですか?」
私の言葉にアルバート様はニッコリと笑った。
「うん、君をどれだけ愛しているかについて語ってたんだ。……聞きたい?」
「け、結構です!」
そんなの、心臓がいくつあっても足りる気がしない。
いやいやアルバート様何故が残念そうにしてますけど、私のこの恋愛耐性の無さも考えて下さい!
ぷくっと頬を膨らませてみたものの、それはすぐに笑顔に変わる。
きっとこれは、絆されるのは時間の問題。
ここまで読んでくださってありがとうございます!
おまけのエピソードもあるので良ければ。↓
【おまけ】
「そう言えば、君はどうして魔法が使えるようになりたいってあの手帳に書かなかったの?」
アルバート様がコップを置きながら問いかける。
「? むしろどうして書くんですか?」
私は質問の意図が分からず、キョトンと首を傾げる。
「君はあれほど魔法を使いたがっていただろう?それを叶える力だってあった。」
そこまで聞いてなるほどと理解した。
私は魔法を使いたい。そして使えるツールも持っている。
なのにそれを活用しなかったから疑問に思ったのだろう。
「だって、そんなのズルじゃないですか。私の努力で使えるようにならないと意味なんてありません。」
「そんなの嬉しくないですし」そう付け加えるとアルバート様は眩しそうに目を細めた。
「……そっか。そんな君だからその能力を授かったのかもね。」
そして小声で何かを呟く。
私が聞き返すと、
「アリーナにますます惚れたって言ったんだよ。」
と言われてしまった。
「なっ、なな……!」
絶対そんなこと言ってなかった!
そう思ったけれど、顔の火照りを冷ましていた私は反撃なんてできないのだった。
……本当、アルバート様には敵う気がしない。