表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

紅のご令嬢

お久しぶりの投稿です。

忙し過ぎて全く書けなくなりました…。


誤字脱字、ご容赦ください。


「スカーレット・ファルブレッド!今夜この場をもって、君との婚約は破棄させてもらう!」


煌びやかなシャンデリア輝く夜会で、舞台俳優のような台詞が響き渡った。辺りが一気にシン、と静まりかえり、複数の視線がホール中央に集中した。


役者はこの国の第二王子であるネルソン・トリストロイ。透明感のあるブロンドヘアに泣きぼくろが色っぽい蜂蜜色の瞳。スっと伸びて形のいい鼻筋と、バランスのとれた唇。スラリとした長身は、王族が式典で身につける紺色のカッチリとした軍服がよく似合う。


貴族令嬢の憧れの的、正に"王子様"である。


対して、長い指が指し示す先には、これまた絵画から抜け出たような美女がいた。


若干つり上がった目尻の深紅の瞳は一級品のルビーを彷彿とさせ、意志の強さを物語っている。白くキメ細やかな肌に、高い鼻とぽってりと艶かしい唇が完璧な形とバランスで配置され、精巧に造られた人形のように整った顔立ちだ。女性特有の丸みを帯びた、しかし絞る所はキチンと絞られた体を黒と紅が組み合わさったエンパイアドレスで包み、同じく黒と紅の薔薇をモチーフにした髪飾りで背中まである艶々と輝く紅い髪を結い上げて…大人びた色気と凛とした雰囲気を兼ね備えている。


突如、名指しで婚約破棄を言い渡されたスカーレット・ファルブレッド公爵令嬢。

宰相ファルブレッド公爵の娘。そして王命によりネルソンとの婚約が定められていた人物である。



「……………………」



ネルソンの対比であるかのように、スカーレットは沈黙している。ただ悠然と、肘まである黒いレースの手袋に包まれたほっそりとしなやかな手で、ドレスに合わせた黒と紅の薔薇が緻密に刺繍された扇子を広げ、その口元を隠しただけだった。


だが、その瞳は見る者が身震いする様な温度の視線を真っ直ぐに…この国の第二王子であるはずの男に放っていた。



「僕はもう出会ってしまったんだ!運命の人に!」



スカーレットの沈黙も冷えきった視線も無視し、ネルソンは王族特有の傲慢さを存分に滲ませた声で高らかに宣言する。



「マリア・テネヴィネッド男爵令嬢!」



名指しされた令嬢の周りにいた人々が距離を置いた事で、佇む姿に観衆の目が一気に注がれた。


柔らかい翠色のドレスに身を包み、艶やかで真っ直ぐに伸びた黒い髪がサラリと揺れる。小柄な体躯と、切りそろえられた前髪と、クリクリと大きな瞳が相まって、相手に幼い印象を与える童顔で華奢な愛らしい令嬢、マリア・テネヴィネッドは、チョコレート色の瞳を零れ落ちんばかりに見開いて固まっていた。



「ああ、僕の愛しいマリア…!

君の気持ちには以前から気づいていたよ!僕らが王立学園の3年生になり、君と隣のクラスになって……いや、きっとそれ以上前から僕達は惹かれあっていたんだ。

君こそが、僕の運命の人だ!

遅くなって本当にすまなかったね。

しかし、ようやくこの日を迎えることが出来た!もう僕らは公然と愛を語らえるんだよ!!」



舞台俳優ばりの台詞を真正面から受けたマリアは、白い肌をみるみる内に赤く染めて俯いてしまう。両手を胸元に引き寄せ、小刻みに震えているその姿はなんともいじらしい。

それは羞恥によるものか、はたまた愛する者による盛大な告白による感激からか…。


しかし、マリアから距離を置く群衆の中から、一人の青年が彼女を庇うようにその前に飛び出した。



「恐れながら王太子殿下!

マリア・テネヴィネッド男爵令嬢は僕の婚約者です!何かの間違いではありませんか?」



夜会に合わせた派手さはあるが、落ち着いた黒色のタキシードに、チョコレート色のチーフと、ブラウンベリルがあしらわれたブローチがさり気なく胸元を飾っている。

本人の控えめで柔らかな性格をそのまま現したような出で立ちで、マルク・スウェイラン伯爵令息は丸い眼鏡の奥の普段は穏やかなつぶらな翠の目を鋭くして、王太子に食ってかかった。


ふくふくとした人の良さそうな顔とフワフワの茶色い巻き毛、見た目を裏切らない人当たりがよく優しい性格の、大型犬を彷彿とさせるような彼が大声を上げることは滅多に無い。物腰の柔らかなマルクの、ハッキリとした怒りを見るのが初めてだったのは、恐らくスカーレットだけではないだろう。

しかし、その足は怒りか緊張か定かでは無いが、震えているようだ。


飛び出してきたマルクを認識した途端、ネルソンの目尻が一気につり上がる。



「間違いだと?!不敬だぞ貴様!!

王立学園の廊下ですれ違った時も、他のご令嬢と中庭で昼食を取っている時も、市井で頻繁に貴様とカフェでお茶をしている時ですら!マリアは常に僕を意識してくれていた!幾度となく目を合わせ、頬を赤らめて、いつも僕に甘い視線で隠しきれない情愛の念を伝えてくれていたんだ!

仮にも婚約者の癖に、そんなマリアの気持ちに気づかなかったのか?」



(ん?)



ネルソンの言葉に違和感を覚えたスカーレットは、扇子の向こうで形のいい眉をひそめた。チラリとマルクの方を見やれば、彼も先の発言に何か思う所があったような素振りが見える。

マリアに至っては耳まで赤くなりながら俯き、自分を背に庇い前に出ているマルクの袖にしがみつきつつも、ネルソンの言葉を否定するように必死に首を振っている。


ネルソンの発言が真実であれば、マリアは密かにネルソンに恋心を抱いていた風にも取れる。そうなると、二人は相思相愛の筈だ。

しかし、それならば当のマリアの反応は余りにも違和感しかない。


最初は演し物程度に面白がっていた周囲も、余りにちぐはぐな事態に何が何だか分からず当惑していると言うのに、ネルソンにはマルクの影で震えるマリアが見えていないのか、相変わらず一人で喋り散らかしている。



「ああ、可愛いマリア。君はいつも僕に助けを求めていたんだね?大方、そこの婚約者殿との意に沿わぬ関係を憂いていたのだろう…。

もしかしたら君の家に何か脅しをかけて、その上で婚約を迫られていたのかい?

もう大丈夫だ、僕らを隔てる障害など、愛の力をもってすれば実に瑣末なものなのだから!」



「なっ……!そのような事実はありません!!

マリアとの婚姻は…確かに、幼少期から何よりも私が強く望んだ事は否定致しません。

ですが、順当に手順を踏み、マリアともテネヴィネッド男爵家とも充分に話し合いをしております!」



「ではなぜ意中でもない男に甘く視線を絡め、瞳を潤ませ、頬を染めるのだ!」



「それは………」



「ふんっ。まあ、貴殿のような容姿で愛らしいマリアを伴侶にするには、脅しでもしないと到底釣り合わんだろうな」



鼻で笑ったネルソンの醜悪な顔にカッとなったマルクが言い返そうと、再び口を開いた時だった。



「マリア様」



凛とした声が響いた。

落ち着いた声音でありながら、よく通るその声に、反射的に皆の視線が声の主の方へ…スカーレットの方へ向き、ネルソンは忌々しそうに振り返って彼女を睨む。



「スカーレット、貴様ごときが僕のマリアの名を気安く呼ぶな。彼女は未来の王妃だ。不敬罪で捕らえるぞ」



「まだ王太子のお立場でありながらもう王のおつもりですか。貴方様こそ、陛下に対して不敬なのではありませんか?」



「なっ!」



「それに、わたくしは、わたくしのお友達に声をかけているだけですわ」



「はっ!友達だと?!よくもまあそんなデタラメを!!」



「事実です。

それと、わたくしのように婚約が破綻している、もしくは殿下と既に婚約している方ならまだしも、マリア・テネヴィネッド男爵令嬢は"現在進行形で"貴方様の婚約者ではありません。気安くファーストネームを呼び、あまつさえ"僕の"など……他家の婚約者であるご令嬢を己の所有物のように呼びつけるような行為と、どちらが非常識ですか?」



しれっと婚約破棄を受け入れる言葉を混ぜつつも、ピシャリと正論を返され言葉に詰まったネルソンを尻目に、スカーレットはマリアから目を逸らさない。


スカーレットに名を呼ばれたマリアも、俯くのをやめ紅潮した顔で真紅の美少女を見つめている。



「スカーレット様…」



「マリア様、貴女様の大切な方の尊厳を踏み躙られているのですよ?怯え、隠れ、声も出さず、子供のようにいやいやと首を振るばかりではいけませんわ。

わたくし同様、貴女も貴族の令嬢ですのよ?守らねばならない、大切なものがある筈です」



「わ、わたし…は……っ」



「大丈夫です、マリア様」



ふわりと、スカーレットは微笑んだ。優しい声音で諭すように、勇気づけるように語りかける。



「大丈夫ですわ」



いつもの鮮烈なまでの美しさの中に、慈愛に満ちた聖母のような柔らかさを滲ませたその微笑みは、その場で目にしたものが、それまで独り舞台で喚いていたネルソンすら息を呑む程美しかった。


スカーレットの微笑みを受け、マリアはマルクを見る。マルクは愛おしげにマリアに視線を返し、安心させるように袖を掴んでいたその手を握ってしっかりと繋いだ。


二人の鼓舞で、マリアは覚悟を決めたように顔を上げ、マルクの隣に並び立つ。



「わ、わたしは……私は、殿下に敬愛以上の気持ちを抱いたことは一度もございません!」



まるで林檎のように、頬どころか顔全体を赤く染めながら、しかし、しっかりとした声で彼女は否定の言葉を口にした。



「私は…お、幼い頃から、極度の緊張状態に陥ると、他の人とは比べものにならない程、頬が紅潮してしまうのです。

いついかなる時も平静を求められる貴族令嬢には…あるまじき体質です。幾ら淑女教育を受け、お医者様に診て頂いてもこの体質を改善する事はできませんでした…。

すぐ赤くなる顔をからかわれることも、これまで何度もありました」



薄らと涙を浮かべながらも、大きな瞳から雫が溢れてしまわないよう、マリアは大きく息を吐く。小さな手を、支える様に握るマルクを見つめ、マリアはその手を握り返す。



「マルク様は、私が唯一目を見て穏やかな気持ちになれるお方です。マルク様は絶対に、私の顔色ではなく、私の心を見てくださると知っているから…。

私はマルク様を……こ、心からお慕いしております!」



突然の告白に、マルクが丸眼鏡の奥の瞳を見開き、ぱちぱちと瞬かせる。



「マルク様は私にとって誰よりも素敵な方です!優しくて誠実で勤勉で、学生の頃から領民の事を考えて少しでも豊かな暮らしをさせたいと、努力を重ねていらっしゃいます。夜更けまで勉学に勤しんでいらっしゃるので、視力も落ちてしまった程です!マルク様はそんな方なんです!それに、マルク様は醜くなんてありません!いつもお日様の匂いがして落ち着きますし、私が作るお菓子を美味しそうに食べてくださるお姿は心から癒されます。ふわふわの栗色の髪は触ると気持ちよくて、ふっくらして可愛い頬はツルツルもっちもちでいつまでも触れていたい程です!それに、それに、丸くて優しくてつぶらな瞳に見つめられるとドキドキして…幼い頃から一緒にいるのに、未だに顔が赤くなってしまいますが、それくらい素敵なんです!!!あと、あと、それと…!」



「ま、マリア、マリア落ち着いて…。

恥ずかしくて僕が死んじゃいそう…」



決死の思いの大告白に勢いづいて、マリアの小さな口からとんでもない惚気の嵐が繰り出していくのを、湯気が出そうなほど顔を茹で上がらせたマルクが止めた。

マリアの手を握っているのと反対の手で眼鏡ごと顔を覆っているが、全く隠せていない。


その言葉に我に返ったマリアは、耳どころか首まで染めながら俯いてしまう。



「あっ、も、申し訳ありません……。はしたない姿を…」



「いや、マリアの気持ちが聞けてとても嬉しい…。

僕も、控えめだけど、誰よりも頑張り屋さんで、ここぞと言う時に全力で応えてくれるマリアが大好きだよ…。

勿論、可愛くてたまらない君の体質もね」



マルクはまだ赤い顔から手を離し、そのままマリアの手を包み込んだ。宝物を見るように林檎のような愛らしい婚約者を見つめる。



「心から愛してるよ、僕の大切なマリア」



「マルク様…………」



ほろり、とマリアのサファイアブルーの瞳から涙が溢れる。シャンデリアの光をキラキラと受けながら、紅潮した頬を伝うそれを、マルクが愛おしさに満ちた手つきで優しく拭いさった。


御伽噺の一幕のようなそのやり取りに、周りが温かい空気に包まれ、誰からともなく拍手が起こる。中心の二人は我に返ったように慌てているが、周囲の温かな視線の中で手を取り合い頬を染めながら見つめ合った。


そうして、蚊帳の外で呆然と立ち尽くす男に、目が覚める様な鮮烈な紅の令嬢が優雅に、冷徹に話しかける。



「さて、どうやら殿下の盛大な勘違いであり横恋慕だったようですが………。王族ともあろう方が随分とみっともないですわね」



「!…き、さま……っ!!」



隠す気もない侮蔑をたっぷり込められた言葉を投げられ、ネルソンはギリッと音が鳴るほど奥歯を噛み締めながらスカーレットを睨みつけた。

しかし、スカーレットは怯むことなく、凛と背筋を伸ばしたままだ。



「そんな事よりもわたくし、殿下のお話の中に気になる点がございましたの。

なぜ殿下はテネヴィネッド男爵令嬢の動向を把握していらっしゃるのですか?」



スカーレットの投げかけた疑問に、数人が何かを察した表情になる。



「昼休みに他のご令嬢と中庭で過ごされていた事はまだ分かりますわ。学園内での事ですもの、たまたま見かけることもありましたでしょう。

……まあ、その過程でわたくしとマリア様が懇意にしていることに気づかないのが意味不明ですが…。

しかし、もっと不可解なのは、先程のお言葉に学園外でのことも含まれていた事ですわ。

スウェイラン伯爵令息とテネヴィネット男爵令嬢は大変仲が良い婚約者同士と言うのは周知の事実ですし、そんなお二人が放課後によく市井にてお店巡りをしている事は友人であれば知っていてもおかしくありません。

しかしながら、沢山の飲食店や雑貨店が軒を連ねている市井の中で、その日、何処の店にお二人がいるかなど、友人であろうと把握していません。


なぜ"どこにいるか分からないはずのマリア様"と"目が合う場所"に友人でもない貴方様が"頻繁に"いらっしゃいますの?」



その指摘に、マリアもマルクもハッとした。

先程の違和感の正体は、それだ。


ネルソンは学園外でも"マリアと視線を交わした"と言った。

領地に新しい事業を引き入れたいと考えていたマルクの視察の意味もあったが、二人とも甘い物が好きで、よく放課後にお気に入りのカフェや新しくできた店を巡り、その日あった事や、どうしたら領地を発展させていけるかなどを話していた。

だが、マリアもマルクも、家の者ならいざ知らず、友人達には「先日はこの店に行った」と事後報告する事はあっても、事前にどこに行くかを逐一話すような事はなかった。


つまりマリアとマルクがその日どこにいるかなんて、学園にいる人間は知らないのだ。


問いかけられたネルソンは、しかし「なんだ、そんな事か」と事も無げに答えた。



「それは当たり前だろう。僕も毎回その場に居たからだ」



一瞬の間が空いた。そして、その言葉を認識した者達にジワジワと困惑が広がる。

鋭い視線のまま、スカーレットは冷静に問い返した。



「毎回その場に?」



「ああ。流石に、騒ぎになっては面倒だから、少し変装はしていたが…彼女が学園からテネヴィネット男爵家の屋敷に帰るまで、僕はいつだってマリアの傍にいた。

執務や生徒会のある程度の仕事はスカーレットに任せていたから、時間があればマリアを警護していたんだ。可愛いマリアに何かあれば一大事だからな。護衛をつけようかとも思ったが、ただでさえ邪魔な男がいるのに、彼らが僕のマリアに惚れたらもっと面倒が増えるじゃないか。だったら僕が手ずから彼女を護る方が合理的だ。僕の方が、護衛達より強いしな」



「その護衛の者達は、貴方様がデネヴィネット男爵令嬢の元に行っている間はどうされたのです?」



「校舎二階に空き教室がある事は知っているだろう?

いつも人目があって息が詰まるから今だけは一人になりたい。学園内にいれば他の警備の者達もいるから安全だと言って、ついでに少し金をやれば、彼らは喜んで部屋の前で待機してくれたよ。僕の身体能力ならあの程度の高さの部屋から抜け出す事なんて容易さ。まあ、例え足が折れようと僕はマリアの元に駆けつけていたけれどね。当然だろう?」



僕達は愛し合っているんだから



当然のように話すその姿は、異常な事を言っている自覚がまるでない。


護衛を金で買収していた事もそうだが、何よりも、第二王子が他人の婚約者である男爵令嬢に横恋慕した挙句、頻繁に付け回していたなんて、それがどれ程おぞましい行為で、どれ程の意味を持ってしまうのか、ネルソンは欠片も理解していないのだ。


スカーレットは軽蔑の視線を、最早会場中から不気味なものを見る眼差しを向けられている中、ネルソンはフラリと視線をマリアに戻し、操られるような仕草で足を踏み出した。


今まで恐怖していたストーカーが目の前にいて、しかもそれが第二王子であったという事実。

ショックの余り、最早顔面蒼白で立っているのもやっとの状態でマリアはマルクにしがみつき、マルクもマリアを強く抱き締めて身を硬くした。


「マリア…、マリア…、僕のマリア…、僕と君は愛し合っていただろう?どうして急にそんな嘘をつくんだい?僕の気持ちを試しているの?そんな事しなくたって、僕は君を、君だけを愛しているよ…?ああ、もしかしてスカーレットの前だからって遠慮しているのかい?慈悲深い君が気にかける価値なんて、あの女にはこれっぽっちもないさ。何時だって生意気で、傲慢で、下品で、口を開けば余計な事しか言わないで…。腹の底から嫌になる女だ。でも、君は違う。マリア、君はそんな女じゃない。美しく、控えめで、穏やかで、優しく、淑やかで……正に…僕の理想の女性だ。一目見た瞬間から僕は君が好きだった。好きで、好きで、好きで……愛してるんだ、 マリア。君と僕は運命で結ばれているんだ。大丈夫さ、これからどんな困難があっても僕が守ってあげる。僕はいつだって君のそばにいるんだから。これまでもそうであったように。これからも変わらずそうなんだよ」


一人ペラペラと喋りながら、一歩、また一歩とネルソンがマリアに近づいていく。歩を進める度に虚ろな目になっていくネルソンのただならぬ雰囲気に、周囲はどんどん距離を取った。


流石の事態に衛兵達がネルソンを距離を取りつつ取り囲む。


「第二王太子殿下!!お下がりください!!」


衛兵が呼びかけるが、ネルソンはまるで気にしていない。彼の視線はマリアにしか向いていなかった。しかし、怯えるマリアをマルクが再び背に庇って護った時、ネルソンの顔は一気に憎しみに染まった。



「そこを退け!!!!」



「退きません!!!!」



狂人のような男に対してマルクは怒鳴り返す。愛しい人を護る強い意志が、生来争い事を苦手とする彼を奮い立たせていた。



「マリアはずっと怯えていたんだ!!貴方が犯人だったなんて……!

マリアを愛していると言うのならば、なぜ彼女を怖がらせるような酷い事ができるのですか!!!!」



「可愛いマリアにこれ以上変な虫が付かないよう護る為だ!お前がいつでも僕のマリアにベッタリひっついて邪魔してたんじゃないか!!!」



「当たり前でしょう!婚約者と一緒にいて何が悪いんですか!!!」



「あああああもう!何が婚約者だ!!身の程知らずのたかが伯爵令息風情が!!!お前さえいなければスカーレットに適当に冤罪を着せて婚約破棄して、もっと前にマリアを僕だけの物にできたのに!!!一番の邪魔者のお前だけはマリアから引きはがせなくてイライラしていたんだ!!!父上も母上も僕がどれだけお前が卑劣漢なのか訴えてもなぜかお前とマリアの婚約解消を了承して下さらないし!!!」


「なっ!?そんな事を…!いくら王家でも、他家の婚約に易々と口を挟めるわけがないでしょう!!

それに、ファルブレット公爵令嬢は貴方を幼少期から支えてくださった大切な婚約者でしょう!なぜそんな真似が出来るのですか!」


「支えてくれた?アイツの存在なんて鬱陶しい以外の何物でもない!自分の優秀さをひけらかして、父上や母上から気に入られているのを傘にきて王族でもない癖に政や僕が父上に進言した政策案にも口を出す!口を開けばもっと勉強しろ鍛錬を積め民の事を考えろと口煩く僕を見下しやがって!!そんなに優秀な自分に酔いしれたいならと生徒会の仕事も公務も押し付けてやったのに顔色一つ変えやしない!!オマケにいつも無愛想で冷めたような視線ばかり!!僕はこの国の第二王子だぞ!!あんな可愛げも面白みもない、見た目ばかりの頭に乗った高飛車な女がこの僕に相応しいわけがない!!僕に相応しいのは愛らしく美しいマリアだけだ!!!マリアさえいれば、僕は完璧な王になれるんだ!!!」


美しい頭髪を掻きむしりながら狂ったように叫ぶネルソンをしっかりと見据えたまま、マルクは怒りの声を上げた。


「僕の大切な人を道具のように言うな!!!

僕は貴方を許さない!!!

マリアを幸せにする権利は誰にも譲らない!!!」


「黙れぇぇぇぇえええええっっっ!!!」


逆上し顔を真っ赤に染めたネルソンが走り出した。マルクの背で見えなくとも異様な空気を察したマリアが「マルク様!!」と悲鳴のような声を上げる。衛兵達が身を固くし、マルクはキッと向かってくる男を見据え……。


「失礼」


そんな彼らの目の前で、ネルソンが宙を舞った。


「は?」

「「「え?」」」


瞬間、硬いタイルに人が叩きつけられる音が響く。投げ飛ばされた勢いのまま、硬質な大理石の床に振り下ろされ、強かに背中を打ち付けて、ネルソンは一瞬強制的に肺から空気を引きずり出され、激しく咳き込んだ。

芋虫の様にのたうち回る男を見下ろしながら、スカーレットは手袋を外し、汚物に触ったような仕草でそれを投げ捨てた。


「だから鍛錬を積め、と申し上げましたのに」


腐っても王族だ。日頃の訓練さえ真面目に受けていれば、反射的に受身は取れているだろうから骨は折れてはいないと思うが……それでも、呼吸困難と痛みに呻き声をあげるネルソンを尻目に、スカーレットは再び優雅に扇子を広げる。


ポカンと口を開けたまま固まるマルク含めたその場の全員の視線と、マルクの背に隠され衝撃的場面が見えず「なに?なんの音ですか?」と困惑するマリアを他所に、涼し気な顔でスカーレットは衛兵達に視線をやった。


王族の突然の蛮行への衝撃と、しかし危害を加えるわけにいかない反射的な思考により遅れを取り、更にはその王族をなんの躊躇もなく重いドレスを纏った華奢な体躯で軽々と投げ飛ばしたご令嬢の行動に度肝を抜かれ、彼らは他の者達同様…呆気にとられたまま動くのを忘れていた。


そんな彼らと対照的に、スカーレットはいつも通り鮮烈な美しさを陰らすこともなく、


「咄嗟に投げてしまいましたが、これ、反逆罪で極刑かしら?」


と小首を傾げてみせた。




第二王子ネルソンによる王立学園卒業パーティでの婚約破棄騒動、マリア・テネヴィネッド男爵令嬢への度重なるストーカー行為、公の場で公爵令嬢と伯爵令息を侮辱し、伯爵家そのものを軽んじる発言、そして何より、マルク・スウェイラン伯爵令息に危害を加えようとした大事件は瞬く間に国中に知らされた。

事態を重く受け止めたのは婚約者を溺愛している事で有名なネルソンの兄、第一王子である。


速やかに事態を収集するべく、第一王子は自ら今回の騒動の被害者であるファルブレット公爵家、スウェイラン伯爵家、テネヴィネット男爵家に赴き真摯に謝罪した。

宰相ファルブレット公爵を味方に付け、普段からネルソンを溺愛し、夜会当日は不在だった父王に詰め寄り、スカーレットとネルソンの婚約を王家有責で破棄、公爵家、伯爵家、男爵家と綿密に話し合ってそれぞれに相応額の慰謝料を支払わせた。


追放すると何をするか分からないため、厳重な監視の元で生涯幽閉されることとなったネルソンは、あの騒動から廃人同然でずっと独り、何かブツブツと壁に向かって話しているそうだ。

彼は二度と太陽の下へは出られないだろう。



「それにしても、第一王子殿下の行動力は凄まじかったわね。あの方まで愛の為なら云々とか抜かした暁には、大好きな婚約者様をこちらに引き入れた上で公爵家で離反してやろうかと思ったけれど、常識があられたみたいで安心したわ」


「はい!私もここまでして頂けるとは思わなかったので、驚きました」


ファルブレッド家の庭園で、スカーレットとマリアはティーカップを傾けた。庭園にはスカーレットのように真っ赤な薔薇が美しく咲き誇っており、時折吹く風に甘やかな香りが乗ってくる。



「スカーレット様はその後大丈夫でしたか?

私のせいで王族に危害を加えるような事になってしまって…」


「心配してくれてありがとう。見ての通り、なんのお咎めも無かったわ。

極刑か追放か…どんなに軽くても貴族牢行きか、謹慎位はあると思ったのだけど…」


とは言いつつも、スカーレットもマリアも何となく理由は察していた。


表向きの理由としては「王族としての籍はあるが、ネルソンはあくまで罪人。よってスカーレットの行動は王家への反逆には該当しない」というものだ。


が、ただでさえ王家には今、あの夜会に参加していた貴族達から「第二王子が何かをしでかす前に対処出来たのではないか」と批判の声が挙がっている。ネルソンの「たかが伯爵風情」という発言についても、元から王族がその様な認識でいて、それが露呈しただけなのではないか?と、スウェイラン伯爵家を初めとした伯爵以下の爵位の各家から、それはそれは厳しい目が向けられているようだ。

その上で「理不尽に婚約破棄されたショックの中で、被害者を体を張って護った勇敢な公爵令嬢」を処罰でもしようものなら王家の信頼にどれ程の傷が付くか。


第一王子は王位継承を早め、サッサと隠居するよう王妃と一緒に父王をせっついているらしい。


「いずれファルブレッド家を継ぐものとして護身術を叩き込まれていたのが、こんな所で役に立つとは思わなかったわ。なんでも学んでおくものね」


「でも、本当に良かったです。

スカーレット様にもマルク様にも怪我が無くて……」


「あら、私も流石に自分が怪我をしそうなら誰かに指示を飛ばすだけに務めますよ?

マリア様とスウェイラン伯爵令息の結婚式に呼ばれた時、あんな気持ちの悪い男につけられた傷のせいで参列出来ないなんて事になったら嫌ですもの」



スカーレットは眩しいものを見るように目を細め、マリアに優しく微笑みかけた。いつもキリッとした空気が、優しく解けるような穏やかな表情である。



「家柄同士の利益の為の婚姻が多い中、お二人のようにお互いを想いあえる関係はとても羨ましいわ。

わたくしはお二人のようにはいかないでしょうけれど、跡継ぎ問題もあるし、せめてアレよりはマシな相手が見つかるといいわね。

優秀な子を養子として迎える手もあるけれど、血を絶やす事はやはり避けたい所だし」


「スカーレット様ほどの素敵な方なら引く手数多だと思いますが…」


「さあ?

いくらわたくしが才色兼備で完璧であろうとも、公爵家の女当主としての地位があろうとも、殿方を投げ飛ばせる淑女に心を向けられる方が、果たしてこの国にどのくらいいるのかしらね?」


スカーレットは他人事のようにそう言って、話題はマルクとマリアの結婚式の日取りについてに移っていった。






騒ぎを起こしたとはいえ、怪我人も出ていない(なんなら唯一負傷したのはネルソンである)にも関わらず、元王族への厳しい処罰に驚いた国民は少なくなかった。しかし、その本当の理由を知っている者は、王城の中でももっと少数だ。


近隣諸国の中でも特に強国である帝国の第三皇子が、当時身分を隠し王立学園に通っていたこと。


その第三皇子はスカーレット・ファルブレッド公爵令嬢と同じクラスに在籍していたこと。


お忍びであのパーティに参加し、その一部始終を見ていたこと。


その後、第三皇子が密かに王城を訪問し、何かしらの密約が交わされたこと…。


これらの事実が関係している事は、この直後にスカーレットに第三皇子が猛アタックを開始した時も、数年後、帝国にスカーレットが輿入れした後も、公表されることはなかった。


色んな補足

・作中余り触れられませんでしたが、ネルソンがマリアを好きになったきっかけは教室移動の際に落し物を拾って貰った事でした。ネルソンがマリアと直接話したのは後にも先にもその一度きりです。


・第一王子とネルソンは母が違います。

ネルソンは王妃の子ではなく、父王が溺愛していた側妃の子でした。ネルソンを産んで数年後に流行病で亡くなっています。死の直前まで息子に王になる事を強要し続けた側妃は、黒い髪とチョコレート色の瞳だったそうです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ