3. 少女の話
「ごちそうさまでした!」
最初に食べたパン以外にも、木の実のパンやフルーツのパンなど、いろいろな種類があった。
私はいったい何個のパンを食べたんだろう。ちょっと食べすぎたかも。
「はい、お茶をどうぞ」
ぱんぱんになったおなかをさする私の前に、少女がお茶の入ったマグカップを置いた。
少女も自分のカップを持ち、私の正面に座る。
「あんなにおいしそうに食べてくれる人、あなたが初めてかも! 見ているわたしも嬉しくなっちゃった! パンも喜んでもらえたし、おうちにお客さんが来てくれたのもすっごく久しぶりだから、今日はとっても楽しい!」
ニコニコしながらカップを口に付ける少女。
私はマグカップを手に取ると、ふーふーと息をかけながら少女に尋ねた。
「久しぶりって、どのくらい?」
「うーん、どのくらいだろう? 昔、村に住んでた子供たちが遊びに来てたから――それくらい?」
「村に住んでた子供たち……?」
お茶に口をつけずに、マグカップを置く。
あの森の中の村、廃村になってから数十年は経ってると思う。目の前にいるのは少女。やっぱり、この子は人間じゃないよね……。
だけど、たぶん悪い子じゃない。なんだか、そんな気がする。パンも美味しかったし。
――私は思い切って、昨晩の〝あのこと〟を聞いた。
「昨日の夜に会ったときに、あなた、自分のことを幽霊って言ってたよね? 本当に幽霊なの?」
少女はカップをテーブルに置くと、しばらくの間、空を見つめる。そして、
「……よくわかんない。村の人たちはわたしのことを『幽霊』って言ってたから、わたしって幽霊なんだって思ってた」
村の人たちが幽霊って呼んでいたから? それが理由で?
考えていた割には、ちょっと他人事のような、そこまでこだわりが無いような、なんともあっけらかんとした答えが返ってきた。
けど、村の子供たちとは交流はしてたんだよね。さっき『遊びに来てた』って言ってたし。
大人はこの子のことを幽霊って呼んでたけど、子供たちは気にせず遊びに来てたってこと?
やっぱりよくわかんないな。そんなときは――
私はステッキに耳打ちした。
「ねえ、どう思う? 村の人から幽霊って言われてたから、自分のことを幽霊だと思い込んでるみたいだけど」
「そうだな。畑に来たときに感じたんだが、この娘は幽霊ではなく《精霊》の類かもしれないな」
「精霊!?」
「そうだ。あの畑が《自分たちを守らせるために》生み出した精霊かもしれないな」
「小麦畑が!? 精霊を生み出した!?」
ステッキの言葉に思わず声が大きくなる。その声に、少女がビクッとなった。
「そこに誰かいるの? さっきからちょっと不思議な感じがしてるんだけど……」
ステッキの存在に気づいた!? やっぱり、何かしらの力があるってこと?
……もう隠してても仕方ないか。
「ごめんね、黙ってて。実はお友達を連れていて――」
初めてステッキを『お友達』なんて紹介しちゃったよ。
「そういうわけだ、よろしくな」
ステッキがテーブルの上に飛び乗り、らしくもなく「よろしく」と少女に挨拶をした。
「よろしくね!」
ステッキが喋ったことに驚く様子もなく、元気よく挨拶を返す少女。ニコニコと笑顔を向けている。
「幾つか質問させてくれ。――お前、いつからここに住んでいるんだ?」
少女が人差し指を顎に当てて、上目づかいで考える。
「うーん、いつからだろう……わかんない。けど、ずっと昔から」
「そうか。――お前の使命はなんだ?」
「使命? お仕事のこと? わたしのお仕事は《畑のお世話》をすることだよ」
少女の答えに、ステッキが乙の字に曲がって考え込む。
そして――
「やはり畑の精霊のようだな」
ステッキの考えはこう。
村人が開拓して、小麦畑を作った。畑は徐々に大きくなり、やがて広大なものとなった。広大な小麦畑が持つ壮大な生命力が、精霊を生み出した。
なるほどなるほど……壮大すぎて想像がつかないや。だけど、なんとなく納得はできる気がする。
森を抜けて最初に目に飛び込んできた広大な小麦畑の光景。あれは精霊が生まれてもおかしくないよ、うん。
「けど、そんなにすごい小麦畑があるのに、なんで廃村になったの?」
「おそらくだが、商売にならなくなったからだろう。今は魔法で作物を大量生産できるからな」
前に言ってたやつだ。王都では作物を安定して大量生産してるって。
小麦も魔法で大量生産している。だから、安い小麦が出回るようになって、この畑の小麦が売れなくなっちゃったんだ。
小麦を売っても生活できなくなった住人たちは、村を放棄してどこか他の場所に移り住んだってことか。
『誰もいなくなった畑を、この子はずっとひとりで守ってたんだ……』
なぜだか急に胸が苦しくなる。そんな私の顔を、少女が不思議そうな表情で覗き込んできた。
「だいじょうぶ?」
「う、うん。大丈夫。あなた、名前は? 私はまほろっていうの」
「わたしの名前? 名前……名前……なんだっけ?」
困り笑顔の少女。人差し指をこめかみに当てて、頭を傾げた。
この子、昔は名前があったのかな。それともずっと昔から名前がないのか…………そうだっ!
「あなたさえよければなんだけど、私が名前をつけてもいいかな? あなたの名前」
「えっ!? 私に名前をつけてくれるの!? うれしい!」
少女が両手をぱちんと合わせて、ぴょこんと跳ねた。
喜んでるってことは、名前をつけてもいいってことだよね? よしっ、最高の名前を考えよう!
目をつむり、熟考する……。
畑……。
麦……小麦……。
小麦粉……フラウア……。
「……フラウ。あなたの名前は《フラウ》。どうかな?」
「フラウ!? かわいい名前!」
さっきまでの困り笑顔が一転、小麦畑を照らしていた太陽のような満面の笑みになる。
「フラウ! 私はフラウ!」
椅子から飛び降りたフラウが、ぴょんぴょんと跳ねながら名前を繰り返し叫ぶ。
そんなに喜んでもらえると、なんだかちょっと照れくさいな。けど気に入ってもらえてよかった!
それからも、名前を連呼しながらテーブルの周りを跳ねまわるフラウ。
――が、突然ぴたりと動きを止めた。
「忘れてたっ! 畑のお世話の続きをしないとっ!」
そっか、フラウ、農作業の途中だったんだ。そういえば、バケツで水を運んでたっけ。
私が来たせいで、作業を中断させちゃったんだ。なんだか悪いことしちゃったな。
「邪魔してごめんね。そろそろ帰るね」
テーブルの上のステッキを手に取り、椅子から立ち上がる。
その様子を見ていたフラウが、シュンと下を向いた。窓から差し込む日差しが、ゆっくりと陰っていく。
「うん……」
さっきまで元気いっぱいだったフラウの声が、急に小さくなった。
突然、胸がギュッと痛くなる。
『そうか。このまま帰ったら、フラウはまたひとりぼっちになるのか』
私はあわてて言葉を付け足した。
「必ずまた来るよ!」
フラウの顔がぱっと上がる。さっきまで曇りかけてた瞳に、ぱっと光が戻る。
「うん! きっとだよ! やくそく!」
フラウが両手をこちらに差し出した。小さな指が一本だけピンと立つ。――指きり、ってこと?
私も立てた小指を、フラウの小指にそっと絡める。
「ゆびきった!」
フラウが楽しそうに歌った。
私はちょっとだけ笑顔で、けど、まじめにうなずいた。
「うん。約束するよ」
◇
フラウが、玄関まで見送ってくれた。
「気をつけてね」
フラウが顔をほころばせる。
「じゃ、またね、フラウ!」
フラウの笑顔を背に、扉を開ける。昼の光が眩しくて、思わず目を細めた。
麦のあいだを、風が通り抜けていく。少し歩いたところで、振り返る。
見ると、フラウが家の前で手を振っていた。
私は、両手を頭の上で大きく振り返した。




