隠された三日間の真実
リリィは正直、今の状況が怖ろしい。
今までも怖い思いを沢山してきたリリィだが、今回はそれよりも怖ろしさを感じている。
『怖い』と『怖ろしい』の間には、どこか不気味な隔たりがあり。
夏のこの暑い時期に、それを掻き消す程の寒気をリリィは感じていた。
地下室があるから、という理由ではない。
地下室なぞ、特に珍しいものでもないだろう。
実際、その恐ろしさは何となくなのである。
本当に何となく。
それなのに、どうしても寒気がおさまらない。
だからこそ怖ろしいのである。
しかし、ここで引き下がる訳にはいかない。
ここに来た意味が無くなってしまう。
何が起こってもいい。どうせ死ぬのだから。
覚悟を決め、リリィは扉を見やる。
金具の取っ手。それを引っ張れば、地下だろう。
リリィはランプを床に置き、取っ手を掴む。
かなりキツく閉ざされたその扉を、力を込め、引く。
ギシギシと木の鳴る音が、静穏な部屋に木霊する。
が、心臓の動悸のせいで、リリィの耳にそれは届かない。
「……はぁ。はぁ」
呼吸が荒い。
扉を開きながら、呼吸が辛くなる。
苦しい。とても苦しい。
それでもリリィは止まれない。止められない。
時間をかけ。やがて、その地下への扉は開かれた。
更に重い空気が、扉の奥からは漂ってくる。
リリィはランプで地下を照らす。
木の梯子が見える、降りた先にもう一つ扉が見える。
リリィは、理解した。そして、迷いなく梯子の元へ。
片手にランプを持ち、扉は閉め、その梯子を降りる。
──怖ろしい。怖ろしい。怖ろしい。
思うが、リリィは進む。
ランプに寄ってくる害虫を気にする余裕も無い。
ただ、その梯子を降りる。今はそれしか念頭にない。
同じような扉まで辿り着き、取っ手に手をかける。
本能のまま、それを開く。
刹那──冷気。
扉の向こう側から流れ込んだそれが、リリィの体を触った。
──寒い。
勘違いではない。
向こう側が、確かに寒い。
不気味さを覚えながらも、リリィは扉を完全に開く。
ランプで照らすと、また同じ様な風景だった。
木の梯子があり、床に扉が付いている。
同じ様なというより、完全に同じだ。
違うのは温度のみ。
この冷気はどこからきているのか、何も分からない。
進む。
辿り着いた扉をまた、引く。
と、今度は隙間から白い光が漏れ出し、リリィは目を細めた。
何かこの先に、部屋でもあるのだろうか。
そう思案したリリィは、ランプを一旦その場に置いた。
ここからは、この先にある光を頼りに進もう、と──。
「……」
リリィは荒れた心に平穏を取り戻すため、静かに深呼吸をした。
落ち着いた心地にはなったが、心臓の動悸は静まるどころか逆に早まった。
それに気付く暇も無く、リリィは扉を開く。
だが、今までのよりもかなり重く感じた。
けれどそれは、単にリリィの手の力が無くなっているだけで──。
両手の力で開いた。
向こう側から、白い光が、更に眩しく差し込んでくる。
同時に、光に照らされた冷気が、くっきり映る。
それほどまでに、この先の部屋は寒いのだ。
見る限り、扉の先は部屋になっているようである。
短い梯子を降り、石で出来た床に着く。
眩しさに目を細めながら、リリィは首を回した。
「…………」
部屋の隅を見る。と、そこは極普通の書斎であった。
本棚があり、机があり、さして広くなく、部屋は全てを石で囲われている。
明らかに最初からあった地下室ではない。デーヴィドに作られた部屋だろう。
上の部屋に比べ、汚くもなければむしろ清潔にされている。
先までいた鬱陶しい程の害虫は不自然なくらいにいない。
光の出処は、ガラス瓶に詰められた光魔法の塊。
かなりの光量を放っている。直近で使用された魔法だろう。
「……」
極普通と言いはしたが、実際は少しもそんなことは無かった。
確かに部屋の隅だけ見れば普通の書斎だ。
視線を部屋の真ん中に写すと、その面影は跡形も無く消え失せた。
そこには逆五芒星が巨大に描かれていたのだ。そして。
逆五芒星の上にあるのは、縦長で金属製の──箱。
次いで、上の部屋よりもキツい腐臭──否。
リリィにとっては、この匂いは慣れすぎた匂いだ。
漂う腐臭の正体は──血の匂いだ。
──何で。何で、血の匂いなんかが。
匂いの元は明らかで、その金属製の箱だった。
意識した途端に、匂いが急に強くなるように感じた。
鼻に入り込んだ匂いは、胃より奥まで届くほどに強烈で。
「うっ……」
吐き気が込み上げたリリィは、逃げるように隅の書斎へと重い足を運ぶ。
椅子に着き、頭を抱えながら荒い呼吸を整える。吐き気を発散させる。
数秒を経て、リリィの吐き気は奥の方に引っ込んでくれた。
「……はぁ」
無意識に吐き出される白い溜息。
息の流れる先を何と無しに目で追うと、机に積まれてる何冊かの本が飛び込んだ。
──こんなところで、何読んでるんだろう。
思考したリリィは、積まれた本を拾い上げ、題を見る。
『悪魔召喚』
たった四文字。
たった四文字なのに、酷く存在感のある言葉。
リリィは一瞬、いや、数秒、考えることができなくなった。
──なぜ……。
中を捲る。
悪魔の召喚方法が、淡々と綴られていた。
また吐きそうになり、直ぐにその本を閉じた。
深呼吸をした後に、リリィは他の本を手にとる。
次は『降霊術』と書かれた本だった。
中を見ることもできずに、次の本を取る。
今度も『悪魔召喚』についての本。
全てを見た。
どれもこれも同じような物だった。
「……何、これ」
降霊術ならまだマシだ。それを生業として生きる人間もいる。
しかし、悪魔召喚とは。それは。
この世に存在してはいけない禁忌。
言葉を発すだけでも重罪な、人としての禁忌。
──まさか。いや、そんなこと。
リリィはどうしても認めたく無かった。
──でも。
逆五芒星。
縦長の鉄の箱。
冷気漂う、石の部屋。
そして、血の匂い。
──そんな。有り得ない。
だが、それらの線は点となってしまう。
──じゃあ、あの箱の中身は?
リリィは、気付く。
──こんな秘密が、この家に。
頭が混乱する。
何周もしてきたのに、いつもこの家にいたのに。
なぜ、こんな重要なことに気付くことができなかったのだろうか。
──何か、無いのか。
リリィは事実から背きたかった。
ミリアの父親が、こんな人物だと信じたく無かった。
事実を否定する何かが欲しかった。
もう証拠は揃っていて、答えは出ているというのに。
机の上を漁る。だが、アレ以外は特に無い。
次いで、机の薄い引き出しを引っ張り、中で手を暴れさせ。
そこから一つの、さほど分厚さの無い冊子を発見し、取り出す。
少なくともそれは、本では無い。
──これは、日記?
パラパラとそれをめくる。
これは確かに、日記だった。
恐らくデーヴィドのものだ。
リリィは生唾を飲み込む。
──ここに、真実が載っているとしたら。
──先のことを否定してくることが載ってくれているとしたら。
縋る様な思いで。
震える手で。
一ページ目を捲る。




