森の中で
私は走った。逃げた。
リリィという、私の心を乱す存在から。
後ろから、別にリリィは追ってきていないけれど。
それでも私は走り続けた。
止まったら、余計なことを考えそうで怖かったから。
気付いたら、街の門を抜けていた。
門番の人に声をかけられたのに、それすらも無視した。
朝。私が街に帰るために通った、舗装された土の道。
朝。私が中身の無い魔法を放った草原。
朝。ベリーを採集した森の中。
駆け抜けて。
ずっと走り続けて。
けど、自分の体が限界を訴えかけて、私は遂に足を止めた。
下は土だというのに、迷わずそこにへたり込み。近くの木にもたれかかる。
「……はぁはぁ」
荒すぎる息。
この心臓の動悸は、先のことが継続しているのか。
疲れが由来するものなのか分からない。
けれど──。
「何、やってんの。私……」
リリィのことよりも、疲れが頭を支配し始めて。
私はようやく、少しだけ冷静になれた。
「……はぁ。やっちゃったな……」
本当にやってしまった。
私、本当に変なやつ。
ここに来るまで何人か街の人とすれ違ったけど、絶対おかしく思われたよね。
というか、どこだここ。
朝、ベリーを採集したとこの近くっていうのは分かるけど……。
土地勘はあるつもりだが、ここまで暗いと、どうも正確には分からない。
目が慣れてくるのを待つしか無いかな。幸い、月光は明るい。
「……はぁ」
呼吸も落ち着いてきたところで、再度深々とした溜息を吐く。
「戻りたくないな……」
と言っても、絶対戻らないといけないんだけど。
私はリリィのところから逃げてしまったわけで。
あの場面でそういう行動を取るというのは、確実に意味が出る。
あー。本当にどうしよう。
一時の感情で、こんなことをするべきではなかったのかもしれない。
でも。あの場面で、逃げずにずっといたらって思うと……。
こうしたのは正解なのかもしれないと思えてしまう。
そう思い返すと……また。さっきみたいに身体が火照っていく。
まぁ、一人だから。
どんなにまた顔が赤くなっても。
動悸が早鐘の如く鳴っていても。
それを見られることは、決してない。
それなら目を逸らさずに、このことに向き合ってみるのもアリかもしれないけど。
多分、結局。出る答えは、もう決まっている。
だって。もう、あれは……。好きってことじゃん。
好きってことなんだろうけど。さ。
色々と、その結論に行き着く過程の中でおかしなところが散々ある。
だから、私の頭がそれを否定しているのであって。
一番の理由は、私がそうなるのが早いから。
一日で人に好意を抱くだなんて。しかも同い歳の女の子に。
今まで人に恋愛的な感情を持ったことが無い私が。
こんなに一瞬で、好きになるって。
それは、本当におかしなことで。
だから。認めたく無いんだ。
「…………」
……どうしようか。
目は若干慣れてきたから、帰れなくも無さそうではあるが。
リリィにどんな顔を見せればいいのやら……。
だって、向こうは。私の身体の変化に全部気づいているからさ。
絶対、意識がリリィに向いているってバレてるわけで。
あ。でも。
あーいう。なんか凄いドキドキする様なことをしてきたってことは。
多分、好きな人の心を惹きたいからっていう想いがあってのことで。
私は、まんまとそのリリィに策にハマってしまった、と。
そういう解釈もできるとするなら、むしろリリィは喜んでくれていそうだけれども。
だって私は、リリィの好きな人なのだから。
ここで顔を合わせにいって、嫌がられるということはまず有り得ないと思う。
私が、勝手に嫌がって。それで、こんな思考をぐるぐると回して。
結局、ここまでのこと全部、私の身勝手で進んでいること、なのかな。
……どうせ、帰らないといけないのなら。帰ろうか。
……けどな。やっぱり嫌だな。
偶の身勝手くらい。別に、いっか。
もう少し、こうしていよう。
しかし、ずっとこうして地べたにへたり込んでいるのも、汚い感じがある。
恐らくもう。私のワンピースは土まみれ。
このまま座ったままでも、洗濯することには変わりないとは思う。が。
「…………」
こんな暗いところにいるのも怖いので、ちょっと開けた場所に移動しようかな。
今日の朝、魔法を放った場所にでも。
そう決めて、私は「よいしょっと」と、その場をゆっくりと立ち上がった。
お尻に触れてみると、圧倒的に土だった。きたねー。
……しょうがない、とりあえず歩こう──って。
「……あれ」
視界は開けてきたとは言ったが。
いやもう。ここどこ? 本当にどこ?
……まぁ、歩かないことには始まらないか、と。
とりあえず、私はその場を動く。
テキトーに動いても良くないとは思うけど、この森も大した広さではない。
多分、もう少し歩けば舗装された道に出ると思う。
というか、私、結構奥まで走ってきていたんだな。
明日には筋肉痛になっていそうで、ちょっと不安。
だけど、今はリリィとのこれからの方に不安があるので、それはさして気にならなかった。
歩く。
地面に落ちた小枝を踏む度に、それが割れる音が森に響く。
ちょっとだけ、それが耳にうるさかった。
歩いてから数分が経過した。
そろそろ道に出てもいいんじゃないか。
と、そう思った時、私はあるものを見つけた。
「あ……これ」
見つけたものとは。
この辺りにベリーの採集に来たとき、お祈りを捧げた小さな女神像だった。
身元不明の女神像。本当に、誰がこんなところに作ったのかも分からない。
添えてあげたリンゴはもう無くなっていた。けど、気にすることでもない。
これで助かった。大方の道は分かりそうだ。
ホッと胸を撫で下ろす気持ちになりながら、あたりをグルグルと見回した。
「えーっと。ここにこれがあるってことは、私が帰るべき方向は──。……?」
と、そんな風に見回していると、私の視界に違和感が飛び込んできた。
────光?
女神像の少し奥。
木々に隠れた向こう側から、少量の輝きが映った。
なんだろう?
好奇心に突き動かされて迷わずにそこに向かってみた。
ガサガサと、草木を掻き分けながら。
辿り着いたその場所は、ポツンとした大きくも小さくもない池だった。
月明かりに水面が照らされ、鏡となって森を照らしていたらしい。
その光景は、なんというか。とても神秘的だ。
……こんな場所に池があるなんて、知らなかった。
あの女神像も見たことなかったし、これも割と最近作られたものなのかな。
……せっかく綺麗だし、心の整理がつくまでここにいようかな。
そう思い、服が汚れる事を忘れて、またその場に座ろうとした。
その時だった。
──ガサガサ。
どこかで、草木の揺れる音がした。
後ろからではない。少なくとも、前の方からだ。
それに、この音は動物が動くような。そんな音だ。
リリィがこんなところまで迎えに来たとか? かな?
……それはないか。私の場所なんて分かるわけないだろうし。
何かの野生動物だろう。
そう思い、その音に耳を傾けていると。
そのガサガサという音は、どんどん音量を上げていった。
気配がこちらに近づいてきているのが分かる。
やがてそれは姿を現した。
リスだった。
だが、普通のリスよりも何倍も大きい。
可愛らしい顔。しかし、剥き出しの牙がその可愛さを掻き消していた。
そいつの毛皮は、ところどころ。赤黒い。
──やばい。
私の本能がそれを察した。
これはヤバい。
先までのリリィについての葛藤が全て吹っ飛ぶくらいにはヤバい。
こいつは、魔物だ。しかし、余りにも季節外れだ。
だが、今は起きている現実に直面しないと。
さて……と。
私は、クルリと踵を返し、
「さよならリスさん!」
その場を勢いよく駆け出した。
向かう場所は、街の方角。
……体力的に、これ大丈夫?




