我ガ使命ハ何処ヤ.4
「歴代の華姫は皆、奥の宮入りを決めて祭事の後は城に留まっているが、何も通例ではない。黄梅嬢はまた旅を続けるのだろう?」
「そう……ですね、願わくば。今回の華姫の御役目が不安だったのは、その事もあります」
「ははは! それも仕方ない」
あっけらかんに笑うと、流れるような動作で次の茶を入れていた。
「歴代の姫たちはね、もう町に出る事は無いからって、この時間に家族と祭りを楽しんでいるんだ。けれど折角だ。町の賑わいや旨いものを味わって来て貰えると嬉しいな」
「橙晴様はどんなものを見に行くんですか?」
「うーん……私はいつもこの後、奥の宮にて祭事の儀式に取り掛かる兄上に変わって書類仕事を引き受けているから、祭りの事はよく解らないのだけどね。聞いた話だと、屋台や甘味が多くて楽しいそうだよ」
「そう、ですか……」
勧めておいて解らないなんて申し訳ない。くすくすと笑った橙晴は、そんなもんだと気にした様子すらない。
「いつもここで華姫様たちと話されているのですか?」
「うーん、そうだね。恥ずかしい話になるが、私自身はほとんどこの敷地から出た事がないから興味深くてね。数度、あまりにも鬱屈して町に遊びに出た事はあるものの、ただ私以上に公務に忙しくされている兄上に申し訳なくて、あまり町のことも知らないんだ」
橙晴が部屋の戸の方へ目を向けたのは、きっと無意識だろう。城の中枢――――奥の宮へと続く方を見ているのだろうと黄梅も察した。
不意に、何度か見せた困った表情と目が合う。
「会話に飢えててつい、長話してしまうんだ。すまない」
「いえ、私も橙晴様とこうしてお話する事が出来、知る事が出来て嬉しく思います」
「そう言ってもらえると、とても有難い」
さて、と。橙晴は場を改めるように軽く膝を叩いた。軽く腰を上げたのは、彼なりに話を切り上げる為だろう。
「日暮れ後にこの部屋を私が訪れる。それまでは町に出るなり自由にしていてくれて構わないが、日暮れに間に合うように戻って来てくれ。その後は奥の宮に向かい、兄上に黄梅嬢を託すことになるから、そのつもりでいて欲しい」
「はい、ありがとうございます。その……つかぬ事をお伺いいたしますが、過去に華姫が逃げ出された事など無かったのですか……?」
あまりにも意外だったのだろうか。初めて目を丸くした橙晴は、直後ふはっと噴き出していた。それをどうにか堪えようとしていたが、くくと喉の奥を鳴らしてしまっていた。
「いや、済まない。それもそうだね。有り難い事に、今まで姫が逃げ出した話は聞いた事無かったよ。だから考えた事もなかった。そういえばずっと、不安だって言っていたね」
不安だから怖いか? 黄梅の前に戻って膝をついた橙晴は、困ったように眉を落としていた。
黄梅はあっと声を漏らしたが、聞いてしまった言葉は戻せない。その……と視線を彷徨わせて、目を伏せる。
やがて、決心した様子で橙晴を見返した。
「橙晴様」
「うん」
「私には旅の目的があります。そしてその終着点は、この地に留まる事ではないのです」
「ああ。華姫として残って貰えたら、時折こうして言葉を交わして外の話を聞かせて貰えたら、それはそれで嬉しいけどもね。私の名に懸けて、黄梅嬢が旅を続けられるように計らうよ」
「ありがとう、ございます」
黄梅の中で、心を決めたのだろう。まっすぐに見返してきた灰茶の瞳に、橙晴は微笑んだ。
その時だった。
「橙晴、ここにいたか」
不意に城の奥へと続く戸が開けられて、黄梅はびくりと身体を強張らせた。
何が起きたのか理解しているのだろう。ゆるりと振り返った橙晴はただ苦笑した。
「兄上、女人の部屋を訪れるにしては、随分と無粋ではありませんか」
「……どうしてもこの時を逃す訳にいかなかったんだ。許せ」
「おや、お酒を嗜まれました?」
その場ですんすんと、わざとらしく鼻を鳴らした橙晴に、少しばかり大人びて見える同じ顔は、嫌そうに眉間に皺を刻んでいた。
「儀式の一環だ。巳上主に求められれば、それに応えるのは皇子として当然だろう」
「左様で」
からからと笑う弟とは裏腹に、第一皇子は橙晴の様子に悠長だと溜め息をこぼしていた。
つと悩ましげに眉間を揉んだ兄の姿に、橙晴は再三苦笑した。
「兄上、折角ですからお茶を入れましょうか」
「要らん」
「なら、儀式とはいえ、酒の類は控えたほうがよろしいのでは」
「……はっ、足りないくらいだ」
「おや? 本日は多弁ですね。兄上は随分と酒精に強くいらっしゃるようで」
「からかうな。そんな事はいい」
間に合ったか。ぽつりとこぼした言葉に、橙晴はただ首を傾げた。
「………………いや」
ふっと、何か思い立った様子で顔を上げた兄は、そのまま忙しなくふらりと戸の外に戻った。
「橙晴、次の段取りに入る。油を売ってないで手を貸しなさい」
こちらに背を向けたまま告げた横柄な物言いに、弟は肩をすくめながら茶器を端へと寄せた。ちらりと黄梅を伺って、共感を誘うように肩を竦める。翠玲の態度を気にしないで欲しいとでも言いたいのだろう。
「はいはい、仰せのままに。綠楊は如何いたしますか。私が抱えていってよろしいですか」
「後で誰か手配する」
「やれやれ、承知致しました」
そんな言われ方も慣れたものだと、橙晴の態度が告げていた。
きっと彼らはこのまま黄梅の元を去るだろう。お礼だけでも言うべきか、言わざるべきか。
「あの、橙晴様……」
「――――黄梅嬢、兄妹ともども騒がしくて済まないね」
この瞬間を迷ってしまった黄梅を遮るように、橙晴は立ち上がった。
「話が出来てとても有意義な時間だった。茶器はそのままでいい、片付けさせるから」
「あ…………はい」
また不安そうにしていた黄梅の様子に、振り返った橙晴は申し訳無さそうに笑った。
「では後ほど。祭り、どうぞ楽しんで」
残された少女は、戸惑ったまま頷くことしか出来なかった。




