決闘?
「……ニア、君の師匠として最初の教え」
と、少年と向き合いながら、腕を自然に下げた何時ものフォームでファリスはそう告げる。
「ししょー?」
「聖剣の力の一つ、神聖魔法の使い方と、加護の与え方」
「それ、いるんですか?」
なんて首を傾げるネズミ勇者。手にした聖剣の柄を優しく撫でてはいるが、半信半疑で己の師を見上げる。
「要るよ。私は良くても、彼が本気を出せない」
「え、そうですか?」
「此処は君と彼の故郷。私が避けたら故郷の村に傷が付くとなれば、使える魔法は限定されてしまう。
それじゃあ、彼が大変だろう?」
「あ!」
はたと気がついたように耳をピン!と立てて少女はこくこくと頷くと、その小さな手で聖剣の柄を逆手に握る。
「……えっと、それで?」
そうして、師へと期待と困惑の視線を向けた。
「大きく息を吸って。そう、胸に聖剣の纏っている空気を入れ込むような……」
「う、うーん……」
勇者ニアは顔を赤くし、目を白黒させる。その背に青い光が少しだけ見えては消えていく。
「む、難しくて……」
「大丈夫。そのうち無意識に出来るようになるよ」
力んだせいで少し目尻に浮かんだ少女の涙を人差し指で拭って、ファリスは少女勇者と目線を合わせて微笑む。
「今回は私がやるよ。
といっても、素の私も神聖魔法なんて使えないからね。こう唱えてくれるかな?
『清浄なる青き楽園を護る力を。天使ティルナノーグの祈りが、貴方にも在らんことを』」
「清浄なる青きらくえんを……えぇっと」
「護る力を」
「そ、そうでした!まもるちからを!天使ティルナノーグのいのりが……いのりが……
ししょーにもあって欲しいです!」
「よく出来たね。ちょっと違うけど上出来だよ」
少女らしい……のかはファリスには判断が付かない。
それでも一ヶ月前まで7年間付き合ってきた慣れ親しんだ感覚に、その髪をふわりと緩く逆立たせて。
「『群青なる楽園を』」
胸元で、ファリスは天使を示すマークを切る。
その背に群青色をした翼が一枚だけ現れ、周囲に青い光が広がった。
「……これで良し。神聖魔法の力が、周囲のものを破損から護ってくれるよ」
言いつつ、ファリスは背の翼を消し去った。
「消しちゃうんですか、ししょー?」
「この翼は聖剣の加護の証。身体能力とか治癒力なんかも上がってしまうからね。私だけこんなズルを使ったら、彼が可哀想だろう?」
「なら、同じ土俵に立てば!ニア!加護を!」
と、猫耳の少年魔術師が叫び
「……えっ?」
ちょっと意外そうに、少女勇者はそれに間の抜けた返事を返す。
「ニア、早く!」
ファリスの見立てでは、この猫耳少年リガルが幼馴染のフェロニアを意識しているのは間違いない。だが、どことなくすれ違いを感じる。
後で聞いてみようかと後の行動を決め、ファリスは弟子勇者から目線を離し、立ち上がった。
「リガル少年。あまり、使い慣れていない未知の力を大事な場面で使おうとするものではないよ。
慣れていないと思わぬ怪我をするからね」
ファリスは一度目を閉じ、一呼吸して開く。
「じゃあ、始めようか」
「呑み込め!『フレイムウェーブ』ッ!」
宣言から暫くして先制したのは少年の魔法。
昨日折れていたものの予備である先端に魔法制御を補助する霊素珠を嵌め込んだ両手杖を大上段から振り下ろし、全身で魔法を放つ。
ファリスはそれを待っていた。
彼我の実力差は、息巻く少年にとってはとても残酷だが歴然である。少年が魔法を使う前に決着するだろう。
だが、それではいけない。だからファリスは魔法が完成するのを待った。
そして……
「朧雅剣・夢走影波」
波となって迫り来る炎を闘気で切り裂いて産まれた隙間をすり抜けて、トンと軽くファリスは少年の首筋に左手の手刀を触れさせる。
「ごろごろにゃん、と」
そのまま手刀を崩し、三本の指で黒髪黒猫耳の少年の喉を撫でた。
「ふしゃーっ!」
喉を撫でられる事は、猫系統の人類にとっては何にも耐え難い屈辱である。だからこそ、喉を撫でても良いとするのはそれだけ大事な相手だという告白なのだ。というのは猫……ではなく虎人のディランの発言である。
それを思い出し、わざとファリスは少年の喉を撫でた。屈辱を味合わせて負けを悟らせるために。
喉を撫でられるくすぐったさに、たまらず少年リガルは杖を取り落とし
「しゃぁぁぁぁぁにゃぁっ!」
けれども、猫耳少年は諦めない。
その腰に下げたオリハルコンの剣を自由な左手で引き抜いて、ファリスへと片手で斬りかかる。
ファリスはその剣を……はい、と左手の指三本で挟んで止めた。
「うぎっ!」
「有り難う、返してくれるんだな」
「んにゃ!訳がぁぁぁっ!」
剣を闘気を纏う指で挟んだまま、ファリスは手首を捻る。少年の手が柄から離れ、一ヶ月前のようにファリスの手に剣は収まった。
「すまないね。もう私には必要なくなったと思っていたけれど。
この先も生きていくならば、殿下から貰ったこの剣、置いていくわけにはまだいかなくてね」
静かに、剣聖は背後に周り、少年のくゆらせる尻尾を握った。
「終わりで良いかい?」
「うにゃぁぁぁぁぁっ!」
ぶんぶんと少年は爪の長い両手を乱雑に振り回し、尻尾を掴む野蛮な輩を追い払おうとする。
「おっと」
その行動に諦めてないならとあっさりと尻尾を手離し、ファリスは距離を取った。
「ニア、危険だからちょっと預かってて」
そして、猫少年がじゃれついてくるのをあしらう姿を、ちょっと困惑気味にさっきまでは無かったお洒落な帽子をまた被って眺める弟子にオリハルコンの剣を手渡して。
改めてファリスは少年に対峙する。
「今度こそぉぉっ!『ブリザード・ウェェブ』ッ!」
その間に杖を拾い上げた少年が放つのは、前の炎ではなく氷の波。
「……へぇ。炎霊だけじゃなく、熱霊両方に語りかけられるのか」
少年の魔法の才覚に、感心してファリスは呟き。
「でもね
普通に返せる」
一拍腰の前で溜めて、眼前に迫る冷気の嵐へとファリスは青い闘気の剣を振るった。
「朧雅剣・逆滝応泡」
刹那、実体の無い剣聖の剣先から吹き荒ぶ一陣の闘気の風。それに煽られた氷魔法は180度方向を変え、その一撃を放ったはずの少年へ向けて当初の威力を損なうことなく殺到する。
「なぁっ!」
驚愕に固まる少年を見て、今一度の夢走影波。
「はい、お仕舞い」
ファリスは自分で打ち返した魔法を掻き分けてその前に出て魔法を両断、氷の波を吹き散らした。
「これ以上やる?それとも……認める?
私は、君が認めるまで付き合うけれど」
無言で、猫耳の少年はその耳を伏せた。
「あ、あんな……あんな生ゴミが……こ、こんなはず……」
ぷるぷると震える腕。
悔しいのだろう。辛いのだろう。認めたくなんて無いんだろう。
けれども、力の差はどうしようもない。それが分かっているから、少年リガルはただ、震えた。
たった一人の幼馴染を。保護者同士がパーティを組んでいて、この村で唯二の年の近い子供で。だからこそ、どうだろうと最終的に結婚する事は最初から決まってると信じていたフェロニアを。
そんな未来の妻(確定)を突然現れて自分の前から奪い去ろうとする侵略者に対しての自分の無力さに、ただ、涙して。
「ちくしょぉぉぉぉぉっ!」
怒りと悲しみでぐちゃぐちゃになりながら、リガルは家へと駆け込んだ。
そんな少年を見送って、ファリスはというと……
「そんなに泣くことかな?」
と、一人呟いていた。
「ししょー?」
「いや、何というか……彼、泣きすぎじゃないかって思ってね
まるでこれでは、私が愛し合う二人を引き裂く悪い権力者かと思ってしまうよ」
別にそんな気は無いのにね、とファリスは笑う。
「ニア。君と彼とは……将来を誓い合った仲、とかじゃないのかい?
私はそれを引き裂く気は無いし、心配なら普通に君に着いてくれば良いと思ってたんだけど」
ファリスの目からは、そう見えた。
お互い一つ屋根の下で暮らしてきた幼い男女。種族は違えど年はほぼ同じで、男の方は露骨に少女を意識しているようにも見える。
そして、聖剣を握った少女の言葉からして、その気持ちは両方向共に同じであると他人の目からは見えるだろうりで。
だかしかし、少年が居なくなると帽子を取ったネズミ少女は、それを聞いて困ったような表情を浮かべた。
「ししょーからは、そう見えました?」
「違うの?」
「リガル君、よく耳を噛むんです。
あとは、臭いぞドブネズミとか言ってきたり……」
端から見ればそれは好意の裏返し。つい先日会ったファリスですら分かる、好きな子ほど苛めたい子供心と、スミンテウス種に対する鈴猫種の本能が合わさった愛情表現。
猫はネズミをつい苛めたくなるもの。それは、人類でもおなじ事。
珍しくもないし何なら俺も兄貴が鍛えられた弾力と旨味が詰まった霜降りより旨そうな生きた赤身肉に見えることがあるとは虎人である勇者ディランの談だ。
亜人は種の元となる生物の本能をある程度持っているのは周知の事実だ。
だがしかし、実際にされている本人にとっては、それは微笑ましいことではなく。
「ニア、ちょっとにがて……」
「じゃあ、連れていくのは無しかな」
猫耳少年には酷な話になるが、ファリスにとって優先すべきは弟子入りを志願してきた勇者の方である。彼女の心が休まらないならば、可哀想だが連れていくわけにはいかない。
と、少女と少年の家の二階の窓が開いた。
「そうだ!ニアが勇者っていうなら、この村に居なきゃ駄目だ!」
そこから身を乗りだした少年は、我が意を得たりとばかりに叫ぶ。
「それはどうして?」
「あの四天王が来た辺りにダンジョンが生じてる筈だ!この辺りの冒険者は兄ちゃん達だけだし、せっかくの勇者をいきなり連れてか」
「そこなら今日の朝、ダンジョンコアをギルドに提出したよ。安心してくれ、彼等はもう来ない」
バタン、と窓が閉まった。