剣聖、弟子を取る
「私を、きたえてくださいっ!」
その一言が、剣聖ファリスと……後に天使ティル・ナ・ノーグの再来と呼ばれる事になる少女、勇者フェロニアの出会いであった。
「良いよ」
あっさりと、ファリスはその言葉を了承する。
そして膝を屈め、自分の背丈の6割ほどしかない少女に目線を合わせ。
「本当に、君がディランみたいな勇者を……どんなに苦しくても目指したいっていうなら、ね」
「はいっ!」
そう答える帽子の少女の瞳には、聖剣に選ばれることを夢見た幼い日のファリスのように憧れだけが輝いていて。
そうじゃないんだけどな……と苦笑して、ファリスは少女の頭を優しく撫でて諭す。
「魔王はもう居ない。魔物はまだまだ居るし、魔王の産み出した四天王と呼ばれる侵攻の司令塔だって、確か1体はまだ倒せていない。
それでも、勇者は居たら嬉しいのは間違いないけれど、もう決して必須の存在じゃない。勇者ディランが……聖剣の勇者って存在を、不可欠な人類の救世主から100年前みたいな名誉称号のようなものに戻してくれた」
「ひゃ、ひゃいっ」
「だから君は勇者でも、望むなら立派な勇者になんてならなくても良いんだ。戦わなくたって良い。
まだまだ危険な魔王軍残党は居るけれど、そんなもの勇者にとり残された私達が何とかするから。
それでも君は、本当に、立派な勇者なんて苦しくて辛いかもしれないものになりたい?」
「しょうじき、わかんないです」
少しして少女が呟いたのは、そんな言葉だった。
「分からないなら、止めた方が良いよ。君には、聖剣の名ばかり勇者として平和に生きることだって出来るんだから。
昔の勇者みたいに一生その群青の聖剣を抜かなくても、君は生きていける」
「でもっ!私……ニアはっ!
ニア、なりたいっ!だいじな人、まもれる勇者に!」
その瞳は真剣で。ぎゅっと聖剣の柄を握り締めて、大人ぶった仮面と、その大きく丸い耳を隠す帽子を外して生来の幼さを剥き出しに少女は喉の限りに叫ぶ。
「私じゃなくても、他の英雄でも。例えば私の姉弟子でもその気持ちがあればきっと受け入れてくれる
私は……かなり厳しい方だよ?それでも、私に教えて欲しい?」
くりくりとした大きな少女の眼を、ファリスは覗き込む。
「私の中の立派な勇者の基準は……私を置いて1人勝手に、自分の命と引き換えに文字通り『世界を救った』勇者だから。
きっと、他の誰かの方が優しいと思うよ」
勇者である彼の足手まといにならないように。エルフの秘薬でもって一晩で体感1000年にも及ぶ精神修業を行った遠い記憶を思い出しながら、ファリスはそう呟く。
「だいじょぶ、ですっ!」
小さく、少女は頷いた。
「剣聖さまが、いいんですっ!
私を、だいじな人を、何度も護ってくれたえーゆーさまだから」
「何度も?」
「海に出たおとーさんを、海獣からまもってくれて」
その言葉に、ああとファリスは納得がいったと頷いた。
「あの、漁船の人達か」
「はい、剣聖さまが居なかったら、おとーさん達は死んじゃって……お肉もお魚もなくなって、みんな……」
「あの時、ルネ殿下も一緒だったから私一人の話じゃないけれどもね、それは。
けれど、分かった。私で良ければ、君が立派な勇者になれるように、導けるだけ導くよ、ニア」
「はいっ!剣聖さま!」
「あー、ちょっとむず痒いからさ、師匠って呼んでくれない?」
「わかりました、ししょー!」
「ししょー、ここです」
と、少女勇者ニアに案内されてファリスが訪れたのは、少女の家。
立派な勇者になるというのであれば、この村にずっと居る訳にはいかない。
旅立ち、聖剣をもって護るべき世界を巡り、そして……その果てに、もう一度世界を護ることを誓う。勇者ディランはかつて似たようなことをしていたし、それはファリスも同意見だった。
だから、まだ幼さのある娘を連れ出す許可を貰うために、ファリスはニアの親の元を訪れたのだった。
ついでに、伸びている少年も、保護者である兄が同じ冒険者パーティを組んでいた縁から同じ家で寝泊まりしていると聞いて、託しに来たというのもある。
ファリスが扉を叩く前に、勢い良く扉が中から開いた。
飛び出してくるのは、手入れがあまりされていない古い皮鎧を身に付けた男。その頭には、少女に付いていれば可愛らしいが大の大人の男の頭にあってもあまり可愛くはない、齧られたように一部が欠けたネズ耳。
「おとーさん!」
「ニア!魔物は何処だ!」
どうやら、引退していたという彼等も、魔物が鐘の効力の中に無理矢理侵入してきたということで、数年ぶりに昔の装備を引っ張り出し、戦う気であったようだ。
「おとーさん!もうだいじょぶなの」
「何いっ!?」
と、男の視線が、少年を抱えたファリスへと向いた。
「てめぇ、あの生きた生ゴミ野郎!」
どうやら、一ヶ月噴水の下で聖剣を眺める以外何一つしてこなかった間に、村の住人からは結構散々な渾名を付けられていたようだ。
生きた生ゴミの語感に、ファリスは苦笑し、少年もそういえばそんな名前でもっと生ゴミにしてやるよ!とゴミをぶちまけてきたなと思い出す。
「生ゴミ!何をしに来やがった
俺達はこの村を護らなきゃなんねぇんだよ!」
「もう片付けた」
ファリスの一言に、男の眼がつり上がる。
「馬鹿を言うんじゃねぇ。鐘の効力を破る魔物をもう倒すなんて、英雄でもなきゃ無理だ。お前みたいな息してるだけで何もないやつ、に……」
纏う空気の違いに気付いたのだろう。男の語気が弱まっていく。
「その、髪……」
ファリスの髪は生来明るいオレンジだ。だが、最近は……泥の雨の中を走り、風呂に入る気力も起きず……泥色をしていた。
「その、空気……気配……」
暫くは、生きる気力すらなくて、気配もないようなものだったろう。今は違う
「剣、聖?」
「どうも、かつては剣聖と呼ばれた、現名生きる生たゴミです」
男は卒倒した。