特訓してお姫様を喜ばせるしかないんですが?
05
とっぷりと日は暮れ、外はフクロウの鳴き声が聞こえてきそうな夜の闇に包まれた。
夕食は、これぞお城のディナーと言うべきか非常に豪華で、王族が普段食べるような食事を作るコックさんが作っただけあってすごく美味しかった。
みんなは和気藹々と食事を楽しみ、豪華な食事に舌鼓を打っていたが、俺の気分は1人だけ深く沈んでいる。
夕食を終えて一人一人に用意された部屋に戻ってからも気分は一向に晴れず、気分転換でもしようと部屋を出て城の中を見て回っているが、それも対して効果が得られない。
「はぁ……」
思わずため息がこぼれる。
結局、練兵場でお姫様に事の次第を説明するしかなかった。
責められれば良かった。
怒ってくれれば良かった。
そうすれば、俺の気分はこんなにも落ち込んでいない。
いったいどれだけ落胆させてしまうのかと不安に思いながら告白したが、お姫様は役立たずになってしまった俺にも優しかったのだ。
気にすることはないと、召喚した英雄についてこれから知っていけば良いと慰めてくれた。
責めてくれれば、怒ってくれれば、俺は申し訳ないことをしたと反省しこれから頑張ろうと思えただろう。
だが、お姫様に慰められてしまった。
俺の思い過ごしだろうが、まるでお前には最初から期待などしていなかったと言われているようで、どうにも気落ちしてしまう。
アビリティは使えば使うほどに強くなるので、新しい英雄もすぐに召喚できるようになると言われたが、今の俺が役立たずであることは覆しようのない事実なのだ。
そのことを指摘されないと言うことは指摘する価値もないのかと思ってしまう。
それでも、腐っているわけにはいかないから努力はした。
なんとか板垣さんや武蔵のことを知ろうとしたが、この世界にはインターネットも地球の歴史書も存在しない。
唯一情報を得る手段であるクラスメイトへの聞き込みは、人によって言っていることに食い違いがあったり、うろ覚えだったりで詳しい情報を得ることは出来なかった。
こうなれば、召喚を繰り返して新しい英雄を召喚できるようになるしかない。
そう決意を固めたところで、この世界についての勉強をするということになりアビリティの練習は終わりとなってしまった。
出鼻をくじかれてしまった感じだ。
なんとか気を取り直してこの世界について学ぼうとしたが、話は半分も頭に入らなかった。
それでも、この世界には魔物がいて、それらを討伐するために物語で定番の冒険者なんて仕事があることや通貨のこと、簡単な魔物の種類や危険度の分類など最低限の知識はなんとか覚えられたと思う。
何よりも衝撃だったのは、アビリティを繰り返し使うことで強化されると言われたが、実際には魔物と戦う必要があるということだ。
アビリティは戦闘系と生活系に大別され、ただ使うだけで能力が強化されるのは生活系のみなのだ。
俺の英雄召喚は厳密に言えば特殊系という例外に属するのだが、基本的には戦闘系と同じらしい。
だから、俺は魔物と戦わなくてはならない。
しかし、あの板垣さんと武蔵でどうやれって魔物と戦えと言うのだろうか?
戦闘能力皆無のあの2人では、最弱の魔物であるゴブリンやコボルト相手でも1人や2人で挑んでは勝ち目などない。
1人や2人?
何か引っかかったが、それが何かはわからない。
何かアイディアが浮かびそうな引っかかりの正体をなんとか解明しようと思考を巡らせる。
考えながらふと見上げた先には窓の向こうで赤い月が夜空に輝いている。
「…………月が綺麗だな」
ここが地球ではない世界だと嫌でも思い知らされる月は、それでも地球で見た月のように綺麗だ。
何か思いつきそうだったが、それが何だったのかはわからない。
やはり、板垣さんと武蔵では戦うこともできないし、アビリティを強化することもできない俺は役立たずだ。
せっかく有用なアビリティを手に入れてお姫様の役に立てると思ったのに残念――っぅ。
「あ……ぐぅ……」
頭が割れそうだ。
なんなんだよこれは……キツすぎる……
今までよりも一際酷い頭痛に襲われ、思わず膝をつく。
すぐに痛みが引くことはなく、脳天から斧を何度も振り下ろされているような痛みを感じ、さらには上から何かが纏わり付いているかのように身体が重く感じられる。
このままでは耐えられそうにない。
もしかしたらヤバい病気じゃないのか?
しかし、この世界には日本のように電話一本で救急車を呼ぶことなどできはしない。
そもそも、この世界に病院はあるのか?
病気とかはあるだろうから医者はいるだろうけど、ゲームのように教会に行くのか?
それとも城だから医務室みたいなものがあるのか?
病気や怪我の時にどうするのかという説明も受けていないので、どうすればいいのかわからない。
せめて部屋に戻って横になろうとなんとか壁に縋って立ち上がろうとしたところで、全体重をかけて手をついた壁がクルリと回転した。
「は?」
我ながら間抜けな声が出たものだ。
しかし、本当にそんな言葉が思わず出てしまうほどに驚きだった。
全体重を壁に預けようとしていたので、壁が回転してしまうと体重を支えるものは空気だけ――つまり、何も俺の身体を支えるものはなくなってしまった。
壁の向こうは滑り台というか、スロープのようになっていて、俺の身体はごろごろと転がり落ちていく。
頭は完全にパニックだ。
グルグルと世界が回り、今自分がどんな状況に置かれているのかもわからない。
ようやく落ち着けたのは、坂が終わって身体を平坦な場所に投げ出されてからだった。
「いつつ……」
先ほどの頭痛と倦怠感は、多少残ってはいるもののかなりマシにはなっている。
その代わり、転がり落ちる間にぶつけたせいで体中が痛い。
しかしまぁ、先ほどの頭痛よりはよっぽどマシだ。
両手も両足もぶつけた痛みは感じるものの、動けなくなるほどの怪我を負ってはいない。
「どこだ? ここ……」
立ち上がって服についた埃を払いながらそう呟く。
窓もなく、電気も篝火もない場所だが、壁のあちこちに仄かに光る苔のようなものが生えているおかげで、薄暗いもののなんとか周りの状況は確認できる。
しかし、光は弱いので周囲を見回してみても1メートルほど先しか見渡せないため、ここがどこだか見当もつかない。
「お城だし、王族が逃げる隠し通路とかそんなやつか?」
さすがの俺でも、お城には緊急時に王族が逃げ出すための隠し通路が存在することぐらいは知っている。
俺は偶然そこに迷い込んでしまったのだろう。
転がり落ちた坂はけっこう急で登るのは難しそうだ。
隠し通路は左右両方にも延びているので、歩いていればそのうちどこか出口に辿り着くだろう。
そう考えて歩き出す。
当ても何もなく右へ曲がり、左へ曲がり薄暗い隠し通路を彷徨い歩くが、一向に出口へ辿り着ける様子はない。
「けっこう広いな……出口はどこだよ……」
右へ左へ風の吹くまま気の向くままに歩き続けるが、やはり出口は見つからない。
それでもしばらく歩き続けていると、もしかしたら俺はここから出られずに、誰かに見つけてもらえることもなく孤独に死んでしまうんじゃないか、などという不安が頭をもたげる。
立ち止まってしまえばなおさらその怖い未来が現実になりそうで、俺はひたすら歩き続けた。
何度目かもわからないほどの分かれ道を右に曲がったところで、ついに今までとは違う場所に辿り着くことができた。
曲がった先では、壁の一部から光が差し込んでいる。
それはつまり、その壁には明かりのある場所に続く隠し通路の出入り口があるということだ。
「おぉ、やった!」
歓喜の声を上げ、スキップしそうな勢いで壁の方へ近づいていくとなにやら話し声が聞こえてきた。
思わず足を止めてその声に耳を傾ける。
「それで? 使えそうなのは他にいないの?」
お姫様だ。
よかった。
彼女なら、部屋に入ることや隠し通路に入ってしまったことも、理由を話せば怒ったりせずに許してくれるだろう。
まだ会ったこともない王様の部屋とかだったら困ったことになってたので、助かった。
「そうですね……大半は兵卒としてしか役に立たないでしょう。何人かは有用なアビリティを確認できましたが、一番期待できたアレが使い物にならなくなってしまったので……」
「ホントよ! せっかく英雄召喚なんて便利な駒田と思ったのに! これだから馬鹿は使えないのよ!」
お姫……様?
聞こえてきた会話に壁を押し開けようとした手が止まる。
「戦えないアビリティでも使い道はあるけど、戦いのためのアビリティが戦いで使えなくなったら何の役にも立たないじゃない! ねぇ? あの役立たずにはどんな使い道があるの?」
「どうにもなりませんね。育てれば枠は増えるでしょうが、問題はアレの能力が召喚系だということです。むしろ好都合なのではないですか?」
「そうね。下手に育てて、またあんなことになったら困るわ」
英雄召喚ってのは俺のことだよな?
あぁ……やっぱりお姫様は困ってたのか。
そりゃそうだよな。
俺は本当に役立たずになってしまったんだ。
慰めてくれたけど、お姫様だって人間だから本心ぐらいあるだろう。
いくら心優しいお姫様だって、俺みたいな役立たずには憤りを覚えて当然だ。
「処分いたしますか? 理由はいくらでもつけられます」
「そうねぇ……いえ、それは辞めておきましょう。アレの対策にはそれなりの駒が必要よ。だから厳重に管理しなさい。特別な訓練とでも称して隔離しておきましょう」
「かしこまりました」
お姫様は俺の処遇で悩んでいるんだな。
特別訓練だなんてわざわざお姫様の手を煩わせるわけにはいかない。
幸いにも、ここは脱出するための隠し通路なんだから外へと通じているはずだ。
自分で訓練して、お姫様が喜んでくれる俺になろう。
「ぐ…………うぅ……」
また頭痛がする。
だけど、俺はやるんだ。
お姫様たちに気づかれないよう、光が漏れている壁とは反対の壁を支えにしてなんとか歩く。
目指すのは外だ。
俺はまたここに戻ってくる。
お姫様が喜んでくれる俺になるんだ。
お姫様を喜ばせるんだ。
痛みに耐えて歩くために必死でその気持ちを反芻する。
考える度に頭が痛くなるが、それでも足を止めることはない。
薄暗い隠し通路を頭痛に耐えながら歩き続け、俺はとうとう外に辿り着いた。