光陰矢の如しなんですが?
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今日も今日とて練兵場で朝を迎えた。
原因がはっきりした気がするが、それを深く追求はしない。
というか、したくない。
微妙に悟った気分でギルドに向かえば初心者講習6日目である。
座学を始める前に宣言されたのは、明日はギルドが管理する森に行き、実際にゴブリンを討伐する実戦講習を行うということだった。
やるとは聞いていたが、まさか最終日に行うとは思っていなかったので少しばかり驚きだ。
初心者講習を一緒に受けて5日が過ぎ、年齢が比較的近いこともあってそれなりに仲良くなったリングとフィアに最終日は頑張ろうと声をかけると不思議そうな顔をされてしまった。
なぜなのか最初はわからなかったが、話を続けるとどうやら俺は根本的に勘違いをしていたらしい。
この世界の1週間は7日ではなく10日だったのだ。
ぜんぜん明日は最終日じゃないんだから、そりゃ不思議そうな顔もされるよ。
最終日はまだ先だ。
そんなやり取りの後に座学が始まった。
内容は明日行く森についてだ。
餌を求めて迷い込みでもしない限り街中にイノシシや熊が現れないのと同じように魔物の生活圏は基本的に森や山の中だ。
この国、この世界でも有名なところで言うと死の山、ソークシースル大樹海、トーソフカノ大森林などがある。
これらは完全に人間ではなく魔物が支配する領域であり、内部や周辺に人間の生活圏は存在しない。
通り抜けるのですら命掛けだ。
この国だとソークシースル大樹海が東側の国境となり、大樹海を挟むことから隣国でありながら東側の国とはほとんど交流がないらしい。
そんな人間では簡単に生き残れもしない場所はこの世界でも数えるほどしか存在しないが、魔物が生息する森や山であれば至るところに点在する。
今回の実戦講習で向かう森は、本来は王家の直轄領に分類される場所にあるがギルドがこの国から管理を任されている場所で、ゴブリン以外の魔物は存在しない。
なんでゴブリン以外存在しないのかと不思議に思ったが、よくよく考えてみれば魔物も生き物なのだ。
物語では魔素などから生まれるなんてこともありえるが、少なくともこの世界では普通の生き物の一種なので生殖活動によって増えていく。
他の魔物が別の森から移り住むこともあるだろうが、定期的にギルドが調査というか管理しているのだからゴブリン以外はすぐに討伐されてしまうのだろう。
このようなギルドが管理する森は1つや2つではなく様々なところにあり、初心者向け以外の講習でも利用されるし講習では使用しなくとも管理を任されている場所もあるそうだ。
全員がそうではないものの兵士は戦争や治安維持などに特化させて、魔物の対処はギルドに丸投げする貴族は少なくないらしい。
もしかしたら王様が強力な魔物が現れた際には武蔵の協力を求めたのはこれが関係しているのかもしれないな。
座学を終えれば毎度毎度の実技である。
講習が始まってから今日まで何度も驚いていたから驚き疲れてしまったが、驚くべきことにリングの記録も上回った。
皆は驚いているが、俺はあまり驚いていない。
なにせ、せっかく自分の脳が良い働きをしたおかげで忘れていることを絶対に思い出したくないが、それでも理由ははっきりしているのだ。
あまりにも劇的な成績アップにデスフラー教官に最初は手を抜いていたのかと言われたが、断じてそんなことはない。
実際、初日には体力がなさすぎて長距離走の後に地面に倒れてぜーぜー息を切らしていた姿を見ていただけに俺の言葉は素直に受け入れられたようだ。
しかし、ならばどうしてこうも急激に記録が伸びるのかとしきりに首をひねっていた。
城に戻ると完全に諦めておとなしく練兵場へ向かうと武蔵が微笑んでいた気がする。
初心者講習7日目。
今日は驚くべきことに自室のベッドで目覚めた。
起きた時にこれは夢じゃないかと頬をつねったほどの驚きだ。
さすがの武蔵も今日は初めてまともにゴブリンと戦うと聞いて、体を休められるように開放してくれたのだろう。
そんなわけで、今日は座学もなしに遠足――ではなく、王都近くにある森での実戦講習である。
移動は徒歩だが、今回は遅いと言って担ぎ上げて走り出すような人間がいないのが救いだ。
1時間ほど歩いて着いた森は、初めて受けたゴブリン討伐の依頼で武蔵に担ぎ上げられて運ばれてきた森だった。
ここはギルド管理で初心者講習用の森だったんだな。
そういえば、依頼ではゴブリン以外の魔物を見かけたら報告するように言われていた気がする。
たぶん、俺と武蔵は登録したばかりの10級冒険者だったので、報告を求められたがこれがもっと上の冒険者だったら即座に処分してほしいと言われていたのだろう。
まぁとりあえず、以前依頼を受けたように間引きもそれなりに行われているので、この森は完全にとは言えないものの限りなく安全に近い。
ゴブリンやその上位種程度ならば問題なく対処できる6級冒険者が引率だと考えれば、安全マージンはかなり広めに取られていると言える。
さらにご丁寧なことに俺たち初心者講習の受講者がいきなりゴブリンと戦わされるということもなく、まずはお手本も兼ねてデスフラー教官がゴブリンとの戦い方を実演して見せてくれるおまけ付きだ。
ゴブリンと戦った経験はあるものの、あの時は板垣さんの物量による圧殺だったので経験があるとは言い切れない。
訓練はしたけれど、本当に俺はゴブリンを倒すことができるのだろうかと思っていたが、お手本を見たら拍子抜けしてしまった。
あれ? こんなに弱いの? と、そんな感じである。
よほど油断するか、複数に囲まれるか、それともなければ不意打ちでもされない限り負けるどころか、怪我の1つもするとは思えない。
時たま変わりものはいるものの、ゴブリンの多くは似たような動きをする。
その攻撃パターンを事前に知っていることを差し引いてもゴブリンの攻撃、そのことごとくが手にとるように理解できてしまう。
動きは全体的に遅く、単調だ。
初動を見逃さなければ、少しの苦もなく攻撃を防ぐなり避けるなりできるだろう。
俺は予想を遥かに下回るゴブリンの強さにホッと胸をなでおろすが、どうやらリングとフィアは違うらしい。
どうしたのかと心配していたら、意外とゴブリンの動きが読めなくて勝てるか不安になったようだ。
彼女たちの言葉に内心で驚いてしまったが、俺やデンさんは剣を武器にしているので今回デスフラー教官が相手にしたゴブリンの攻撃パターンを自分に置き換えて予測できたのが大きいのかもしれない。
リングは短剣も使うがあくまでもメインの武器は弓だし、フィアなんかは魔法が攻撃手段だ。
剣を使う相手の攻撃を自身の知識から予測できないのだろう。
まぁ、ゴブリンが持っているのは剣じゃなくて太めの木の棒だけど……
などと思っていたら、デスフラー教官が戦ったゴブリンはただのゴブリンではなくゴブリンウォリアーだったらしい。
ウォリアーってことは、ノーマルの2つ上だな。
危険度は一つ星ではあるものの一つ星の中では最上位に位置する強さらしい。
もしも討伐依頼だったなら、最低受注ランクは8級なんだとか……
あれぇ?
ギルドが管理していて、安全なはずなのにそんな危険度の魔物が出るのか?
まぁ、同じゴブリンの進化形なので、ありえない話ではないだろうが、つい先日俺たちが間引きの依頼を受けたように10級や9級でも間引きに参加する森にファイターを飛び越えてウォリアーが出るってのは異常事態じゃないのか?
ウォリアーなら、2日3日で進化してしまうこともありえないとは言い切れないとデスフラー教官に説得されたが、どうにも納得しきれない。
どうにも嫌な予感がするのだ。
そんな俺の不安など関係なしに時は過ぎる。
改めて通常のゴブリンを相手にお手本を見せてもらい、正午を回った頃には全員がゴブリンの討伐を終えて王都への帰路についた。
率直に言って、ゴブリンは雑魚だった。
ウォリアーですら弱そうだったのに、それよりもはるかに下の強さなんだから当然といえば当然だろう。
あまりにもあっさりと倒したものだからデスフラー教官だけでなく皆が目を丸くしていた。
なんというか、体が軽すぎて違和感を覚えるぐらいよく動ける。
これがベッドで寝た効果なのだろうか? などと冗談を思い浮かべるぐらい、あっさり倒せたのだ。
俺以外の3人も俺ほどあっさりとは倒せなかったが、苦戦する様子なく倒すことはできた。
リングとフィアもウォリアーの強さに緊張していたが、普通のゴブリンの動きを見てからは緊張が解けてギルドで訓練していたときと同じように動けていたので、ゴブリン相手なら楽勝だ。
初心者講習を受ける人間の中には初回の実戦講習ではゴブリンを倒せない者も少数ながら存在するし、勝てたとしてもギリギリな者も多い。
ここまで全員が危なげなく勝利できるのは稀だとデスフラー教官は笑っていた。
無事にゴブリンの討伐を終えたことで非常にリラックスした雰囲気で王都に戻ると通常の依頼と同じくギルドで討伐報告をし、証拠の魔石とゴブリンの左耳を提出する。
これで今日の講習は終了となった。
明日は今日の反省がメインとなり、実際にゴブリンと戦ったことで自分に何が足りないのか、どんな訓練に力を入れるべきかを考えることになるらしい。
正直なところ、俺たちは皆楽勝だったので反省もクソもないんじゃないかと考えていたら、それが顔に出てしまったらしい。
デスフラー教官は本来ならそうするが、俺たちには必要ないだろうから反省会ではなく明日も普通に訓練するだけになるそうだ。
とはいえ、今日はリングやフィアたち初めての実戦を経験した人間もいるので、明日の講習は午前中に実技の訓練をして終了になる。
今回の面子は安心して休みにできるからラッキーだとデスフラー教官は笑っていた。
元々反省会を行う場合でも8日目の講習は午前のみの予定で、9日目と10日目は泊まりで森に入る。
初回の実戦講習でゴブリンに勝てなかったり、苦戦した人間がいるとこの泊まりでの講習の際にどうやって被害が出ないよう講習を終えられるのか計画するのが大変になるので、今回は楽ができるらしい。
ギルドで皆と別れ、城に戻ったら待ち構えていた武蔵に今日の感想を聞かれた。
正直に思ったことを話したら武蔵はニッコリと笑みを浮かべる。
案の定、その後の記憶はなくなった。