一方その頃なんですが? とある貴族編
下書き版にはない完全書き下ろしです。
11
時は葉太たち土湖鹿野高校1年4組の面々が召喚された日の夜である。
葉太がゴブリンを相手に戦っている頃、とある国の貴族邸の一室をある男が訪れていた。
この男、ただの男ではない。
俗に言う裏の世界に生きる男であり、とある貴族の密偵を務める男だ。
明かりを落とし、月明かりすら入らぬ暗い部屋の中で貴族はその男に問いかけた。
「それで? 首尾はどうなのだ?」
「万事滞りなく……」
頭を下げ、片手を地面につけながら跪く男は自らの仕える貴族の顔を知らない。
非常に珍しいアビリティではあるが、他者の記憶を絵として見ることが出来るアビリティ所持者がいるのだから、裏に生きる人間として当然の対策だ。
こうしておけば万が一にも男が捕まった際、依頼者の顔を見ていなければアビリティによる裏技のような方法で黒幕に辿り着くことは出来なくなる。
男は、顔を見せない貴族を不誠実だとは思わない。
むしろ自らの生業を考えれば、容易に顔を見せるような人間のほうがよほどに信頼できぬと言うものだ。
信用ではなく信頼である。
簡単に顔を見せる相手は人間的に信用できるだろう。
互いの顔を知らねばならぬと考えるのだから、誠実で、真面目、思いやりに溢れる人間といった評価が出来る。
だが、こと男の業界においてそのような人間は仕事を依頼してこない。
なにせ裏の世界なのだ。
誠実で真面目な思いやりに溢れる人間が触れるような世界ではない。
そうであるならば、誠実な人間ではないが簡単に顔を見せてくる相手とはどのような人間なのか。
それはつまり、この業界のことを何も知らない馬鹿であり、信頼してしまえばいつか相手の大きなミスに自らが巻き込まれる危険があるような相手ということだ。
こと仕事の上で信頼する相手は慎重に選ばねば自らの首を絞めてしまう。
そういう意味でこの貴族は十分に合格であった。
金払いも良く、下手に自分たちのやり方に口出しをしてこない。
男は仕事にミスをせず、貴族は仕事の対価に十分な報酬を必ず支払う。
互いが互いに不要な干渉しないが、お互いに行動にはミスがないと信頼する――ドライなギブアンドテイクの関係が成立している。
「姫は城を出たのだな?」
「っは。三席殿の手引きで城を出たのを確認しました」
ギブアンドテイクの関係とて、上下が存在しないわけではない。
少なくとも貴族が男を雇っている限り男は貴族の配下である。
男は恭しく調べるように命じられていたことを報告していった。
「気づいている者は?」
「我ら以外にはいないものと……」
「ふむ……年々手口が巧妙になっているようだな」
「まったくもってその通りで……」
「あのお転婆姫には困らされる……」
貴族はふぅとため息をこぼし、呆れたような口調で続けた。
「また陛下は荒れるだろうな。三席はどのような罰を受けることやら……」
「辺境の視察名目での左遷では?」
男の記憶では、以前同様のことをした近衛に下された罰はそれだったはずだ。
伯爵家の三男坊で、文武に優れ将来を渇望された人間だったが、半年以上経っても王都に戻ってきていない。
王の不興を買ったのだから、王都に戻って出世しても部隊長がせいぜいだろう。
彼は出世コースから完全に外れてしまったと言える。
「相手が悪い。三席の実力を考えれば王都には留めるであろうよ。忌々しいことだがな」
「三席殿が相手でも仕事に失敗するつもりはありませんが?」
いくら相手が王国最強と呼ばれる十二騎士に名を連ねているとは言え、それはあくまでも表の世界の話だ。
戦場で「やぁやぁ我こそは……」などと口上を挙げて、正々堂々と戦う騎士様の中で強いだけ。
男は相手を過小評価しないが、それでも暗殺や不意を打つことで討ち取ることも不可能ではないと考えている。
「だが、失敗する可能性はあろう。万が一にも失敗するわけにはいかん」
「父上!」
「何事だ! この部屋には入るなと言っただろう!」
これからどうするのか、と話が進むところで突然乱暴に扉が開かれた。
男は乱入者の声に聞き覚えがある。
これまでにも何度か同じように部屋に乱入してきた男だ。
その度に貴族は乱入者に注意をしているが、まったく反省することなく同じことを繰り返している。
この男には学習能力がないのだろう。
男は乱入者をそう評価しており、少なくとも今仕えている貴族の下を離れるとしても、この乱入者からの仕事だけは絶対に受けないと心に決めている。
何せ、乱入してきた男は、信頼できない馬鹿なのだ。
「申し訳ありません。ですが、朗報です。少しでも早くお伝えしようと思いましてね」
「…………なんだ?」
貴族は苛立ちを隠そうともせずに――かと言って、朗報とやらがあるのであれば聞き逃すわけにはいかないと乱入してきた男に先を促した。
得意げな笑みを浮かべているのだろう。
俯いている上に背後にいる乱入者の表情が、男には声だけでも容易に想像出来た。
それほど乱入者の声は弾んでいる。
「姫がまた城を抜け出す計画を立てているそうです。私の優秀な影がそう報告してきました」
「…………」
「…………」
いったいいつの話をしているのか。
貴族も呆れた顔を浮かべていることだろう。
男も黒い布で覆われた口が半開きになって呆然としてしまったほどだ。
姫が城から脱走する計画を立てていたのは1週間も前の話だ。
今夜になってそれは実行され、今は既に城を抜け出した後の話である。
まさか、城から抜け出した先で次の計画を立てる等という馬鹿な話はあるまい。
馬鹿な乱入者の依頼を受けるような人間だ。
裏の世界に生きるとは言え、自分とは比べものにならない三流もいいところの人間だったのだろう。
男は内心で、馬鹿な依頼者の仕事を受けることになった同業の人間と三流の仕事に翻弄され鮮度の落ちた情報に踊らされる依頼者の双方を哀れんだ。
「もういい。下がれ」
「ですが父上!」
「下がれと言っている!」
強く言われ、ぶつくさと口の中で言いながら乱入者が部屋から消えると貴族は大きくため息をこぼした。
あれが息子――それも嫡男であるのだから困ったものだ。
これならばどうにかアレを廃嫡して次男を繰り上げた方が良いのではないかと貴族の内心は複雑だ。
今立てている計画もすべては御家のため、不出来な嫡男の代になっても御家を栄えさせるためだというのに、嫡男の前でポロリとこぼしてしまった言葉に何を勘違いしたのか嫡男が妙なやる気を出してしまった。
このままでは嫡男のせいで計画が潰れる――下手をすれば家が取りつぶされる危険すらある。
貴族の立てている計画はそれほどまでに危険な、ハイリスクハイリターンな計画なのだ。
「いかがなさいますか?」
「今はまだ時ではない。もうしばし時を待とう」
後になって、貴族はこの時の自分の選択が間違いだったと悟った。
この時どうすべきだったのか。
後になっても貴族には正解がわからなかった。