56.交流試合と賭け
月曜日の朝。未だ生徒たちが来る前の学園の廊下に、リッドの姿があった。
リッドは、一体どこに向かっているのか?
そして、そこに何が待っているのか───────。
颯爽と廊下を歩く足音が、静かな朝の学園に響き渡る。
歩くたびにキャメル色の髪が靡き、窓ガラスから差し込む朝日が反射してキラキラと輝いていた。
やがて、ある部屋の前まで来ると、立ち止まりドアを軽くノックする。
「………入りなさい」
部屋の奥から聞こえてくる声に従い、ドアを開けて中に入ると、目の前に現れたのは全方位を本棚に囲まれた不思議な光景であった。
「リッド・アダマス=キンバーライト、参上いたしました」
その部屋の丁度中央に置かれている、高価な木で作られた立派な机に、この学園の校長である"賢者"クライメットが両肘をついて座している。
その両隣には、教頭であるエルツと立派な口髭を生やした男が、座っている校長を挟むようにして立っているのだった。
口髭を生やした男は、明らかに高級そうな白い燕尾服を着ており、その所々に金の装飾が施されている。
さらに、両肩には彼の髭と髪の色と同じワインレッドのマントが付いていて、その後ろにはどこかの家の家紋だろうか、金色の刺繍で炎と馬の紋章が描かれていた。
「リッドよ、こんな朝早くに呼び立てて申し訳なかったのぉ」
「いえ、早起きは慣れておりますので。それで、今日呼ばれたのはどのような要件なのでしょうか?」
「………それを話すには、もう一人が来てからじゃ」
「もう一人?」
「校長。怠慢なあやつのことです、まだ寝ておるやもしれませんぞ」
「我々だけで話を進めても宜しいのでは?」
教頭と口髭の男が、もう一人の人物を待たずして本題に入ろうと校長に話していたその時である。
校長室のドアをノックする音が、部屋の外から聞こえてきたのだった。
「………入りなさい」
扉が開くと、普段よりさらに気怠そうな顔をしたレイヴンが、いつも着ているトレードマークの黒いコートを右肩に下げながら、校長室の中へと入ってきたのだ。
「うーす…………ふぁああ〜〜〜」
「何じゃそのだらしない挨拶は!その上、欠伸までしよってからに………!!」
「まったく、品位のかけらもありまんな」
やる気のない挨拶と欠伸が気に入らなかったのか、エルツと口髭の男はレイヴンに対して多少なりとも嫌悪感を抱いていたのは言うまでもなかった。
「レイヴン先生!」
「…………ん?あぁ、キンバーライト家の"次男坊"か。どうやら、役者は揃ってるみたいだな」
「さて、全員来たところで始めようとするかのぉ」
校長は椅子からゆっくり立ち上がると、その灰色の眼でリッドとレイヴンを見つめるのだった。
「二人をここに呼んだのは、この前の騒動についてじゃ」
「騒動?そんなことあったかな〜?」
「惚けるでないわ!貴様の生徒が一組のヒーティス・ハイスヴァルムに手をあげたのを、忘れたとは言わさんぞ!」
「教頭の言う通りだ。我がクラスの生徒であり、さらにこの"スコルド・ハイスヴァルム"の甥でもあるヒーティスに、あんな怪我をさせるなど、言語道断!」
「二人とも、おまちください!」
惚けているレイヴンに激しい糾弾を浴びせるエルツとスコルドを制止すべく、思わず声をあげたリッド。
そんな彼の凛然たる声により、二回り以上も年上である筈の二人の教師が、不覚にも怯んでしまっていたのだった。
「確かに、七組の生徒がヒーティスに手をあげてしまったのは事実ですが、それは彼の言動にも問題があったのではないでしょうか」
「その後、あのハイスヴァルムのバカむす………失礼、御曹司をぶっ飛ばした生徒から話を聞いたが、ホウキを使っているのを馬鹿にされたんだとよ」
「それに、彼は度々他人を軽蔑しているような言動が見られました。本来、模範となるべき貴族として有るまじき行為です!」
「ぐぬぬぬぬ…………」
リッドによる熱弁に対し、エルツは余程悔しかったのか、思わず唸るような声が漏れている。
しかし、スコルドの方はそんな悔しがるような様子は見られず、何食わぬ顔でリッドを見つめていた。
「………確かに、ヒーティスが貴族としての自覚が足りなかったのは事実。これは、叔父である私の失態やも知れませんな」
「ほぅ、"炎馬の駆り手"と名高い"スコルド・ハイスヴァルム"殿にしちゃ随分と潔いじゃないか」
「レイヴン先生!せっかく穏便に収まりそうなのに、スコルド先生を挑発しないでください!」
「へーへー、悪かったよー」
「…………して、キンバーライト君。其方は、この騒動を解決するためにはどうすればいいと思う?」
「そうですね………まずは、両者の話し合いが必要でしょう。それから徐々に溝を埋めて行って………」
「それでは時間がかかりすぎる。それに、話し合いが上手くいかなければ、さらに溝が深まる可能性もある」
「ふむ、ハイスヴァルム卿の話も一理あるのぉ」
校長のその言葉を聞いた瞬間、微かではあるがスコルドの口元はニヤリと不適な笑みを浮かべるのであった。
「そこで提案なのですが、私が受け持つクラスである一組と、レイヴン殿の七組で"交流試合"を行うと言うのは如何だろうか?」
「…………"交流試合"?」
「ほぅ…………」
「なるほど………ブライト前国王の言葉にも、"談ずるより競うが早し"、などと言うのもありますからな」
「ちょ、ちょっと待ってください!ここは穏便に話し合いで解決すべきではありませんか?」
「…………校長は、どう思われますかな?」
静かに話を聞いていた校長に、意見を求めるスコルド。
まるで、"賢者"クライメットと心理戦を交わすように見つめるスコルドの目には、何者にも揺らぐことのない決意が感じられたのだった。
「よかろう。その"交流試合"、ワシが許可しよう」
「そんな…………校長まで」
「御二方も、それで良いかな?」
「異論はありませぬ」
「俺の方も別に問題ないぜ」
「では、"交流試合"の詳細は後ほど使い魔によって連絡する。以上、解散じゃ!」
教頭の掛け声により、校長室を後にするスコルドとリッド。
しかし、リッドの方は"交流試合"のことは全然納得しきれていないのか、部屋を出る時でさえも浮かない表情のままであった。
「ん?レイヴン先生、話は終わった筈じゃぞ?さっさと出てゆかんか」
リッドとスコルドが校長室を出て行った後もなぜかレイヴンだけは、その場を動こうとはしなかったのだった。
「なぁに。俺からもアンタたちに、ちょっと話があってな」
「ほぅ…………それで、話と言うのは?」
その時、ついさっきまで気怠そうにしており、その上欠伸までしていたレイヴンの顔は、まるで悪巧みをしているかのような不気味な笑みを浮かべているのであった。
「さっきの"交流試合"で、ちょっとした賭けをしないか?」




