30.鳴き声と足音
見事、凶暴化したオオカミたちを撃退したファイたちであったが、突然どこからともなく聞こえてきた恐ろしい鳴き声に戸惑うのであった。果たして、ファイたちはこの鳴き声の主から逃れられるのかーーーーー。
ヴォオオオオオオオオッーーーーーーー!!!!!
つい今し方、凶暴化したオオカミの群れを撃退して静寂を取り戻した森に、突如、この世の生物のものとは思えぬほどの恐ろしい鳴き声が響き渡った。
その鳴き声を聞いた者は、あまりの恐ろしさにより、まるで大地が震えるような感覚に陥ってしまうのであった。
それは、人間や獣などの例外はなく、この森に住む普段大人しい小動物たちも、一目散に森の奥へと逃げてしまうほどであり、無論ファイたちにもこの鳴き声がどんな得体の知れない生物の発したものなのかは、皆目検討も付かず、それが余計に恐怖心が増してしまっていた。
だが、恐怖はそれで終わりではなかった。今度は、一歩一歩踏み出す毎に地面を砕いているんじゃないかと思うほどの大きな足音が、先ほど鳴き声が聞こえてきた方向から聞こえてきたのだ。しかも、その足音は段々と大きくなってきており、確実にこちらに向かってきていた。
「………一体、何なんださっきの鳴き声は?」
「わかりません。しかも、どうやら近づいてきているようですね」
「ど、ど、どうするの………?」
「…………………」
先ほど、レイヴンの力を借りずに、オオカミの集団を撃退して、若干ではあるが自信に満ちていたファイたち4人の生徒たち。しかし、今はもうその自信はなく、顔にはこの鳴き声と足音についての対応をどうすればいいかがわからず、混乱気味の表情が伺えた。
「お前たち、絶対に俺から離れるなよ。町長の娘さん、アンタもだ」
「は、はい………!」
おそらく、こうした実戦経験はないであろう町長の娘であるアレーナも、今聞こえてきた恐ろしい鳴き声が危険であることを察知したのか、レイヴンの腕しがみついてきたのだ。
「…………ちょっと、くっつき過ぎ…………」
それを見てなぜか頬を膨らませて不機嫌な様子のクランが、レイヴンの腕にしがみついているアレーナに向かって注意した。
「でも、そのレイヴンさんが俺から離れるなって言ったんですよ?」
「うーん、こんな状況じゃなきゃ至福の………じゃなく、流石にこれじゃ戦えないから、ちょっと離れてくれると助かるんだが」
「あら、それは失礼しました」
そう言うと、アレーナはあっさり腕から離れ、近過ぎない絶妙な距離を維持していた。
少々残念そうに項垂れているレイヴンを他所に、先ほどから段々と近づいてきていた足音が直ぐそこまで迫ってきており、いよいよ鳴き声と足音を発している主の正体が顕になると思うと、その場に緊張が走った。
バキッ!!!
不意に、目の前の林から何か乾いたものが折れた音が聞こえてきた次の瞬間、すぐ側に無残にも強引にへし折られた木が、遥か上空から降ってきたのだ。その木は大木ほどの太さではないが、決して細くはなく人間がこんな木を折ろうとすると、相当な労力が要るだろう物であった。
さらに、木が飛んできたと思われる林の中を恐る恐る覗き込むと、薄暗いその林の奥で不気味に赤く発光する二つの目がファイたちを睨み付けていた。
「ヒィッ………!!」
それを見た瞬間、思わずウィンの口から悲鳴が漏れた。
その僅かに漏れたウィンの悲鳴を合図に、得体しれない“怪物“は薄暗い林の中を再度前進し始め、大きな足音を鳴らしながらこちらに近づいてきた。
そして、ファイたちの前に現れた“怪物“の姿に、その場にいた誰もが驚愕した。
なぜなら、首と動体は巨大かつ強靭な体と鋭い爪を持つ獅子なのだが頭には逞しい山羊の角が2本付いてており、背中に大きな蝙蝠の羽を生やしていていた。さらにその"怪物"の尻からはまるで尻尾のように1匹の蛇が伸びており、クネクネと動きながらこちらに向かって威嚇をしているのであった。
「なっ!?………“|合成獣《キマイラ》“だと!?」
「………“合成獣“?」
「様々な動物たちを混ぜて作られた“怪物“………それが“合成獣“だ」
「でも、なぜそんなヤツがこんな所に………?」
「そいつは、こいつを作った奴に聞くしかねぇな。………いつまでも隠れてないで、そろそろ出てきたらどうだ?」
「………え?」
レイヴンが、先ほどこの“合成獣“が出てきた林に向かって呼びかけると、中からドス黒い紫色のローブに身を包み、頭にはフードまで被った怪しい人物が姿を表したのだった。
「………ほぅ。気配を消していたはずなんですが、よく私に気づきましたね」
丁寧にその話す声は誠実そうな男性のもので、年はレイヴンよりも若そうに感じた。よく見ると、日の光に反射した眼鏡のレンズが、フードの隙間から不気味に光っていた。
「気配を消そうが俺には関係ない。何せ、“見える“んでね」
「フフ、面白いですね。この“合成獣“についても、多少なりと知っているよですし………アナタ、只者ではありませんね?」
「なぁに、通りすがりの“ただの教師“さ。お前さんこそ、この森に散歩しに来ている観光客じゃないんだろう?」
「えぇ、観光客ではありませんね。私はここで“大いなる実験“をしている科学者で、名を"ブルート・シェーヴル"と申します」
男はそう名乗ると、礼儀正しく右手を胸の前に添え、左手を横方向へ水平に差し出していた。
「“大いなる実験“?………なるほどな。この“月の雫“を使って、森の獣たちの凶暴化させていたのはお前さんだったって訳か」
そう言うと、レイヴンは鞄から先端に注射器の針が付いている瓶を取り出した。
ブルートと名乗った男は、その取り出された瓶を見た時に一瞬だけ驚いたように見えた。
「………どこで、その瓶を?」
「さっき、そこの茂みでな。コレ、お前さんのなんだろう?」
「………あぁ、瓶が一つ足りないと思っていましたが、やはり落としていましたか。私とした事がとんだ失態ですね」
指で器用に眼鏡のズレを直しながら、自らのミスを後悔しつつも、なぜか怪しげな笑みを浮かべるブルートであった。
「てすが、こうして戻ってきたのですから良しとしましょう。………さぁ、その瓶を渡してもらえると助かるのですが」
「嫌だ、と言ったら?」
「………どうせ、この森での"実験"についての事実を知られた以上は生かして返すわけにはいきませんからね」
そう言いながら、ブルートが指を鳴らすと同じ色のローブを着た数人の男たちが後方の林からゆっくりと出てきた。しかも、その男たちの手には骸骨の飾りが付いた大鎌が握られており、明らかにその鎌でそこら辺の雑草を切るという感じではなかった。
「その瓶は、あとでゆっくり回収させてもらいますよ。動かなくなったアナタの手から、ね。…………やれ!」
ブルートの指示により、後方に控えていたドス黒い紫色のローブの男たちが、こちらに向かって一斉に走ってきた。
しかも、その走る速さは常人離れしており、まるで野生の獣が乗り移ったかのようであった。
「お前ら、ここを動くなよ」
大鎌を持った男たちが迫ってくる中、レイヴンは至って冷静な口調でファイたちにそう言い残すと、その男たちに負けぬスピードで駆け出していた。
そうして、双方の距離がほぼ0になった瞬間、幾つもの斬撃音が森に響き渡り、いつの間にかレイヴンが男たちを通り過ぎ、少し離れた場所に剣を振り下ろした体勢で立っていた。
しかも、いつの間にかその手には今まで何度か目にしている黒い光を纏っている剣が握られていたのであった。
男たちも、同じように大鎌を振り切った状態で立っていたのだが、一人が突然倒れると次々に他の男たちも倒れ始め、襲いかかってきていた全員がレイヴンの手により瞬く間に返り討ちにされたのだった。
「なにぃ………?アイツらを、一瞬で?アナタ、本当に一体何者なんですか?」
仲間がやられたことで、ブルートが明らかに動揺していた。その証拠に、唇を噛み締めている様子が、フードで隠れていない口元に表れていた。
その問いを聞いたレイヴンが、不敵な笑みを浮かべてこう言い放ったのであった。
「だから、さっき言っただろ?………俺は、通りすがりの"ただの教師"だってな!」




