第九十一話 強敵、服部半蔵現るの巻
東部地方、ジークホーン公国…
遥か遠くからでもその威容が窺える魔城オダワラは元より、圧巻なのは支城となる中小規模の城郭の数だ。
簡素なものから本格的なものまで、無数に建てられた城は王都へ向けて睨みを利かせ存在だけで防衛線を構築している。
例え大軍勢を以てしてもこの支城群を突破するには消耗を強いられる、その先に待つのがあの魔城オダワラ…
「おいおい兄さん、今はオダワラじゃなくてエド城だろう?」
「えっ、そうなんスか…?」
行商人に扮して東部地方へとやってきた俺は買い物客の言葉に少々意表を突かれる。
どうやらホウジョウに成り代わってジークホーン公国の実権を握ったトクガワは城の名前さえ変えてしまったようだ。
ともあれ《皇帝の剣》の軍勢に先んじてサナダ忍軍が潜入しているのには理由がある。
『十六神将と神兵で構成された軍、そして魔城オダワラを中心とする支城群…これら二つを相手取っては到底勝てぬ』
ユキムラちゃんは言った。
『だが城は無限には建てられぬ、いくら強固な守りを敷こうと必ずやどこかに抜け道があるはずじゃ…それを探せ!』
こうして俺たちサナダ忍軍は防衛線の裏を突ける進軍ルートを探して嗅ぎ回っているという訳だ。
だが進軍ルートを探すと言っても石を投げればその辺の城砦に当たりそうなこの地方…雲を掴むような話に近い。
地元の土地勘に詳しい者を一人二人捕まえられれば割と話早かったりするのだが…
「支城の正確な数は分からない…軍内部の情報も謎に包まれている…一体どういうこっちゃこりゃあ…」
街を出て、街道を歩きながら俺はメモ帳を見つつ頭を抱える。
徹底した情報統制が行われているのだろうか、情報の核心になかなか辿り着けない。
諜報活動ではだいたいは傭兵や農兵といった軍に関わってきた者たちから有益な情報を得ることが多い。
だがこの地方にはそういった者が一切存在しない…街で会う人は皆軍とは無縁の一般民衆ばかりなのだ。
「東部がジークホーン公国に統一されて臨時兵力が要らないほど平和になったってことか…?」
いや、そんなはずはない…現に今のジークホーンが王都とやり合う気があるのは明白。
これは推測だが一般民衆と軍に関わる将兵が明確に分離されているのではないだろうか…
そうすることで軍内部の情報は外に向けてほとんど漏れず、また民衆に叛乱などを起こさせる力も与えない。
言わば徹底的管理社会の一端…―――
「…いる」
突然、隣を歩いていたサイゾーがいつになく緊迫した声を上げる。
その原因は俺にもすぐに分かった…気付けば二、三十ほどの殺気に俺たちは取り囲まれている。
だが不思議なことに人の気配が一切ない。殺気はすれど耳をすましても呼気や心音は一切聞こえてこないのだ。
その代わりに街道の十数歩先に黒装束の男が一人、腕組みして立っているのみ…
ここまで接近されていながら俺もサイゾーもその気配を察知することはできなかった。
「あきらかにただものじゃない…」
「それは見れば分かる…絶対ヤバい…」
小声で短く言葉を交わし、俺とサイゾーは背中合わせで臨戦態勢に入る。
ここまであからさまに殺気を放たれてはいつもの話術での誤魔化しは不要だ。俺たちの正体はバレている。
おそらくはトクガワの忍…それもかなりの手練れである。
その男はぼそぼそと独り呟いた。
「甲賀流…否、正規の流派ではあるまい…独流、真田の忍か…」
何…?
言っていることの半分以上は分からなかったが、“真田の忍”…そう呼ばれたのは理解できた。
つまりこの目の前の忍は“転生者”、俺たちが使う忍術のルーツとなる世界の忍だ…!
「サスケ!」
「―――くっ!」
動揺の隙すら与えて貰えない。
腕組み立ち姿から殆どノーモーションで斬りかかってきたその忍の一太刀を俺はかろうじて仕込み杖で受ける。
高い金属音を立てて火花散り、鍔競り合う俺と忍の背後から即座にサイゾーが苦無を抜いて襲い掛かった。
だが忍は振り向くことなく後ろ蹴りを繰り出すとサイゾーの腹部を的確に打ち据える。視認すら難しい鋭い蹴りだ。
サイゾーの小さな身体が宙を舞い、その後地に転がって咽こんだ。
「ぐはっ!ゲホッ…!」
「他愛なし…異世界の忍、この程度か…」
随分とナメ腐ってくれる…!
だがその判断は命取りと教えてやらざるを得まい。こっちは忍術でヨルトミアの覇業に貢献してきたサナダ忍軍だ。
俺は鍔競りからバックステップで後方に大きく跳ぶと袖下から出した手裏剣を投擲する。
忍は軽く鼻を鳴らして其れを切り払うと…刃と手裏剣が接触した瞬間、目を潰す閃光と耳を劈く高音が炸裂した。
「む…!」
秘器・吃驚手裏剣…俺の奥の手だ。
簡易な衝撃で着火爆裂するピカリア草粉末を空洞に詰めており、至近距離で受けた相手は視覚聴覚が一時的に封じられる。
いくら“転生者”の忍だろうが五感中二感を潰された状態では俺たちの正確な位置を把握できまい。
俺と復帰したサイゾーは忍を挟み込むようにポジショニングし、前後から跳んで斬りかかった。
しかし…―――
「なっ…!」
「消えたっ…!?」
突如、挟み撃ちを仕掛ける筈の相手である忍の姿が忽然と消える。
俺とサイゾーはお互い激突しかけてたたらを踏み、間抜けにも忍の姿を探して周囲をきょろきょろと見回す。
この白兵戦においてその一瞬は致命的な隙となった。
「上ッ…!?」
「遅い!」
足音、土煙、それらを一切立てずに俺たちの頭上へと跳躍したと気付いたのは一瞬後…
上空で一回転して繰り出される目にも見えない速度の蹴りが俺の脇腹へと突き刺さった。
アバラを貫通して肺に突き刺さる鋭い衝撃が全身に痺れと化して伝播していくのを感じながら、俺は地に転がって激しく咳き込んだ。
吹っ飛ばされる傍目で掌底を胸部に受けて同じく地に転がるサイゾーを見る。サイゾーの身体能力を以てしてもまるで子供扱いだ。
二感を潰されていながらこの動きだとは到底信じられない…俺の前に忍が再び腕組みして仁王立つ。
「ぬるい…」
「…ア、アンタ…何者ッスか…!」
俺の問いに、僅かに思案した後…その忍は答えた。
「―――俺の名は服部半蔵…徳川十六神将が一人…伊賀組同心を率いる忍頭よ」
服部半蔵…その名を聞いた俺の心臓が高く跳ねる。
あれはダイルマとの戦いの時点へ遡る…一般兵だった俺はユキムラちゃんに授業を受けながらその名を聞いたことがあった。
異世界の忍を語るならばまず一番に出てくるその名…言わば伝説的存在。それが“転生者”として眼前に存在するのだ。
だとすれば勝てない…!俺の忍術知識はユキムラちゃんの著したうろ覚え万川集海によるものしかない。
真の忍術に精通したこの相手には…―――
「俺の名を知っているか?…ならば冥途の土産には丁度よかろう…誇ってあの世へ逝くがいい」
「サ、サスケ…!」
先ほどのダメージによってまともに身動きが取れない俺の前に半蔵が立ち、どこから取り出したか槍をすらりと構える。
同じく地に転がっているサイゾーもまた重大なダメージを受けているようだ。俺の名を呼ぶ悲痛な声が聞こえる。
ああクソ…万事休すか…!すまないユキムラちゃん…どこまでもついていくと誓ったばかりなのにこんな所で命を落とすとは…
観念した俺はやがて突き下ろされる槍に備えて目を伏せ…―――
「―――風魔!」
「ケェェーーーッ!!」
聞き覚えのない声と、鋭い雄叫び。
目を開けると同時に見えたのは咄嗟に跳び下がる半蔵。俺を始末せんと手にした槍で、現れた謎の男の鉄爪の一撃を防いでいた。
半蔵はその男に対し僅かに目を見開いた後、忌々しげに呟く。
「やはり生きていたか…!」
「風魔は死なん!光あるところに影あり!北条あるところに風魔あり!」
「小賢しい…!ここで会ったが百年目…今こそこの世から消し去ってくれる!」
半蔵の気合の一声と共に半蔵の影が本体から分かれていくつもに分裂し、三十ほどの半蔵の分け身と化した。
この魔法じみた超常現象…半蔵の神権だ。俺たちが先に感じ取った複数の殺気はこの半蔵の分身によるものだったのだ。
そしてこの風魔と名乗る男はそれを使うに値する存在…一体何者だというのか…
「そこのお前!動けるか!?」
「あ、ああ…なんとか…」
俺を助け起こしたのもまた謎の少女だった。
燃えるような赤髪をさらりと流した理知的な切れ目。衣服は粗末だがどこか品格を感じ取れる。
俺の返事を聞くと彼女はにっと笑って踵を返した。
「よし!じゃあそこのお嬢ちゃんを連れてついて来な!」
「し、しかしあの風魔って人が危ないんじゃ…」
「アイツなら大丈夫だ!バケモン相手にはバケモンをぶつけるもんさ!」
彼女が指す方向を見れば、風魔は半蔵の分身軍団を大型肉食獣のような非人間的動きで蹴散らしながら激しい攻撃の応酬を繰り広げている。
あそこに加勢すれば逆に足手まといとなるか…察した俺は未だに身動きが取れないサイゾーの身体を抱え上げた。
それを確認した女は街道から外れた道へと駆け出す。俺たちはその後に続いてけもの道に分け入っていく。
九死に一生を掬われた…今はついていく他ないだろう。だが…―――
「た、助かりました…貴女がたは一体…」
俺の問いに少女は困ったように僅かに頭を掻き、軽く笑って言った。
「まあ…シンクロウとでも名乗っとくわ!詳しい話はまた後でな!」
【続く】




