第八十二話 最終局面、集いし三軍師の巻
「どうぞ一服」
「…いただきます…」
リーデ様から差し出された黒茶碗を手に取り、カンベエは茶を飲んだ。
ここカルタハ公国…リキュー屋敷の庭に建てられた小さな茶室の中に緊迫感のある静寂が漂っている。
点前座に座るのはリーデ様、客座に座るのはカンベエの後、ユキムラちゃん、ハンベエ、俺、そして黒衣の謎の少女。
しばらくの間の後、カンベエは静かに黒茶碗を置く。
「…異世界の方ながら…見事な御点前で…」
「ふふ…それなら良かったわ、リキューに習った甲斐があるというものよ」
二人の言葉に、張り詰めていた緊迫の空気が和らぐ。
あの救出劇から三日ほど後、回復したカンベエは身なりを整えてこうして改めて茶席に招かれた。
一体何故茶席なのかというと…実は俺たちにもよくわかっていない。そもそも俺としては何が起こっているのかもさっぱりだ。
いつの間にかリーデ様は南部地方で今流行っているという異世界の文化、“茶の湯”を習得しておられたのだ。
その原因は十中八九、俺の隣で静かに微笑んでいる黒衣の少女…カルタハ公国の“転生茶聖”リキューの仕業だろう。
マゴイチやケインと共にカルタハ公国へ帰還してきた彼女は、俺たちの知らない間にリーデ様の茶の湯の師匠となっていた。
ユキムラちゃんは若干憮然としながら呟く。
「驚きましたぞ…まさかリキュー殿が召喚されておられて、リーデ様が茶の湯を習っておられるなど…わしには一言も…」
「しばらく私たちは別行動していたもの、披露する機会がなかったのだから仕方ないじゃない」
「茶の湯に興味があったのでしたらわしでも教えられまする!そりゃあリキュー殿には敵いませぬが…」
どうやらリーデ様が知らない内にリキューに弟子入りしたことにスネているようだ。思わずその場に居合わせた全員が苦笑する。
だがそこは流石リーデ様、くすりと笑って切り返してくる。
「私も驚いたわ、まさか私の許可なく敵方に囚われていたカンベエを味方に引き入れていたなんてね」
「うぐっ…そ、それは今後のために…」
「言い訳無用、ユキムラのやることに今更反対はしないけど…内緒にされると少し腹が立ったわ」
相変わらず恐ろしい方だ。気を抜けば鋭い言葉の刃がズバズバと飛んでくる。
一切言い返せないユキムラちゃんはバツが悪そうに身をすくませ、隣のハンベエを恨めしそうに見た。
元はと言えば俺たちがカンベエを救出している間にハンベエがリーデ様を説き伏せてくれている約束だったのだ。
だがその約束は破られたにも拘わらずハンベエは知らぬ顔…すました表情で茶を飲んでいる。
「そういうわけで今回はお相子よ、次からはお互いに隠し事は無し…それで手打ちにしましょう」
「はい…肝に銘じておきます…」
やっぱりこの方には敵わない…へそを曲げていたユキムラちゃんもすっかり大人しくなってしまった。
キリの良いところで仕切り直すようにハンベエが咳払い、二人の間に割って入る。
「まぁ、痴話喧嘩はそこまでにしておくとして…」
「ち、痴話喧嘩ではござらんっ!」
「そうなのですか?―――ともあれ、これからの話をするとしましょう…ここではなく、評定の間にて」
緩んでいた空気が再び引き締まる。
俺たちの諜報活動、そしてカンベエからの申告により敵方の情報は十分に揃った。
後は戦端を開いてセキテ城へと侵攻、ボルチ=ソーンクレイルとその参謀ミツヒデを打ち破り南部地方を平定するのみ。
ミツヒデの背後にいる“真の主”とやらの正体は未だに掴めないが、まずは目前の敵である海賊連合の撃破だ。
リーデ様は再びカンベエへと一瞥を向けた。
「これから貴女の元主君や仲間たちと戦うことになるわけだけど、力を貸してくれるということでいいのよね?」
「…無論…あのような辱めを受けた以上…もはや海賊連合に返す義理はござらん…」
問いかけにカンベエは深く頷き、真っすぐにリーデ様を見返した。
その暗い瞳の奥にはリベンジの意志が燃え盛っている…どうやら相当根に持っているようだ。
「…我が軍略を以て…リーデ=ヒム=ヨルトミア、貴女様を勝利に導いて御覧に入れよう…」
敵に回した時は脅威だったが味方であるならばこれほど心強いことはない。
リーデ様は満足げに頷いたものの…何故かその言葉に少しムッとしたのはユキムラちゃんとハンベエだ。
「カンベエ殿、貴公は病み上がりでござろう…後はわしに任せて休んでおいてくれても構わんぞ」
「そうですね…ミツヒデには貴方の手管も知られているでしょうし、ここは謙虚になされていては?」
「…必要ない…政略では後れを取ったが戦で負けるつもりはない…貴殿らこそ下がっておられよ…」
「そうはいかん!ヨルトミアの軍師はわしじゃぞ!こればかりは譲るつもりはない!」
見るに堪えない言い合いが始まってしまった。
非常に賢い三人なのだがその性格はどこか子供っぽくもある。リーデ様は呆れたように軽く息を吐いた。
「…大丈夫なのかしら、こんな風で」
「ええ、随分と賑やかになりました」
静かに笑って返すのは今まで沈黙を保っていたリキューだ。
激しく言い争う三人を眺めながら、俺やリーデ様を置いてきぼりで一人納得したようにふむと頷く。
「赤、白、黒…実に調和の取れた三色に存じます」
◇
「…セキテ城はここより南東…海沿いに建てられた平城にござる…」
所変わってカルタハ城内、会議室。
カンベエがそう切り出して壁に張り出された南部地方図を指すと集まった各将の視線が集中した。
「…元は本拠レクリフ城と各前線拠点を繋ぐ中継基地であったが…レクリフ城が落ちた今…ここが本拠となっている…」
まずはここまでのおさらいだ。
全身包帯だらけの痛々しい姿で軍議に参加しているマゴイチがふんぞり返ってふんすと鼻を鳴らす。
「骨が折れたでホンマ、ちゃんと評価したってやリーデ様」
「ええ、文字通り折れてるみたいね…第二軍を貴女に任せて正解だったわ、マゴイチ」
俺たちがカオーフ平原で戦っている間にイルトナ海軍はレクリフ城の攻略に成功。
なんでも鉄甲船で敵の城自体に突撃をかけたのだとか…ある意味ユキムラちゃん以上に無茶苦茶するやつだ。
ちなみに元イルトナ公…ケインはその衝撃でむち打ちを発症し今はカルタハ病院のベッドの上。つくづく可哀想になってくる。
「…このセキテ城を落とせば海賊たちは港を失う…そうなれば南部連合海軍でも容易く制圧できよう…」
海賊と言えど港を失えば航海における補給地点を失う。
となると当然弾薬や兵糧が不足し、いくら屈強な海賊兵たちと言えど戦を続けることはできなくなる。
そこに残された選択肢は降伏か他の地方へ逃れるか…即ち南部地方平定である。
「セキテ城の防備における特徴は?」
「…海を背にした南面は言うまでもなく…北西と北東に傾斜のきつい丘陸が二箇所…」
「天然の土塁というわけか…そこに布陣されると厄介じゃな」
ハンベエの問いにカンベエが答え、ユキムラちゃんが唸る。
つまり北から攻め込むにはその天然の要害を突破しなくてはならない。
戦において高所を取ることは絶対の有利だ。弓や鉄砲で一方的に撃ち下ろせるのは勿論、拓けた視界で敵の発見も早い。
移動距離的にその地点に先に布陣できるのは間違いなく海賊連合側、敵地に攻め入る以上当然だが此方の圧倒的不利だ。
「面倒くせえな…無視して強行突破で直接城に攻め込んじまえばいいんじゃねえか?」
「…愚かな…敵に首を差し出しにでも行くつもりか…」
「な、何ぃ!?」
「ヴェマ殿…よくお考え下さい、強行突破で二つの丘陸の合間を通ると我が軍の形はどうなりますか?」
ハンベエの諭すような言葉に俺たちはその光景を想像する。
二箇所の障害物の合間を通る…それは即ち必然的に軍が縦長に伸びてしまうということだ。
長蛇の陣は大軍において最も避けたい陣形の一つ、総大将であるリーデ様の身が危険にさらされる確率も格段に上がる。
軽率な発言に気付いたヴェマは思わず閉口し、縮こまってしまった。
「ようはその二つの丘陸を制圧してから敵城に攻め込まねばならないということだな」
「厄介だけど地道に行くしかないねえ…これは長期戦になりそうかな」
言ってみれば城を三つ同時に落とすようなものだ。ロミリア様とリカチはその厄介さを再確認し思わず顔をしかめた。
そこで何かを思いついたかのようにユキムラちゃんがパチリと指を鳴らした。思わず皆の視線が集中する。
ユキムラちゃんは前のめりにカンベエへと問いかける。
「そういえばカンベエ殿、あの島津殿と毛利某殿はミツヒデに心から従っておるのか?」
「…イエヒサ殿とテルモト様か…、…いや…私の知る限りではないな……どちらもああ見えて我が強い性格だ…」
「ふむふむ…なるほどのう…」
にぃぃっとユキムラちゃんが悪魔めいた笑みを浮かべる。じろりとカンベエが陰気な視線を向けた。
「…調略する気か?…ミツヒデも警戒している…次は二人が投獄されることになるだけだ…」
「いやいや!そんな下手な手は打たん!しかしながら光明が見えた…北面の二丘陸の攻略、これはわしに任せておかれよ!」
ざわっ…
自信満々に言い放ったユキムラちゃんに各将がざわめく中、リーデ様だけは泰然と笑みを浮かべて問い返す。
「良い手が思い浮かんだのね、ユキムラ?」
「ええ、ちょっとした賭けになりますがのう!」
「任せるわ、次はどんな面白い策を思いついたのか…楽しみにしています」
この二人にもはやそれ以上の言葉は不要。
他の皆も分かっているのかその策に言及することはなかった。ユキムラちゃんはここまでで絶大な信頼を築き上げている。
今回も必ずなんとかして…なんとかならなくても難関を突破してくれることだろう。
…ただ、問題はもう一つある。
「北面の二丘陸はユキムラ殿に任せるとして…問題はその“神兵”とやらの方ですよね…」
ぽつりとラキ様が呟いた。
そう、神兵…あのゴーレム軍団だ。あれこそがミツヒデの自信の源となっている戦力だろう。
とても剣術が通用するような相手ではなく、堅牢な鋼鉄装甲の前には鉄砲すら通じない。剛腕による攻撃も脅威だ。
それが群れ成して前進するだけでぶつかった前衛部隊は総崩れになるだろう…対策しなければ戦の形にすらなりはしない。
「ヴォーリ殿ほどの方でも敵わなかったのですか…?」
「…情けないことに、その通りだ…まったく歯が立たなかったと思ってくれていい…」
トウカの問いにヴォーリは疵面を顰め、首を横に振る。
ヴォーリの実力は《皇帝の剣》側の将兵も先の戦いで思い知らされたばかり、その彼がお手上げだったのだ。
果たして人が倒せる相手なのだろうか…その名の通り、神の力を借りなければいけないのでは…
「まぁ、神兵はどうとでもなるでしょう」
「…うむ…然程脅威ではあるまい…」
一同唖然。
何事も無しに一蹴したのはハンベエとカンベエ、両兵衛だ。
「ちょ、ちょっと待ってください!剣も通じない、鉄砲も通じない相手なんですよ!?」
「ですが、それだけです…彼らには戦において最も重要な能力が欠落している」
ラキ様が信じられないと言った風に食い下がるもハンベエは片手で制し、白く細い指を一本立てて悪戯っぽく笑う。
カンベエも黙したまま頷いて同意した。この二人には既にあの恐ろしい神兵の攻略法が見えているのだ。
これが異世界の軍師たちか…その知略の前には人知を超えた強敵が最早赤子の如く。
「ともかく…これで勝ち筋は見えたということね」
コホンと咳払いしてリーデ様が締める。
ユキムラちゃん、ハンベエ、カンベエ…赤白黒の三軍師は三者三様に頷いて肯定の意を示した。
一拍置いてそれを確認したリーデ様は不敵に笑う。
「では決まりよ、明日より《皇帝の剣》は海賊連合領に侵攻を開始…最終目標は敵本拠、セキテ城」
かつん。
鞘に納められたままの剣先が大理石の床を高く鳴らし、各将は表情を引き締める。
「海賊たちとの戦いも次で終わらせるわ、これが最終決戦よ」
【続く】




