第八十一話 救出!軍師カンベエの巻
今からでも私たちの側につかないか…
ミツヒデはそう言って此方へとにこりと笑いかける。
戯れ言だ。ユキムラちゃんは軽く鼻で笑い、追い払うように手を振った。
「寝言は寝て言…―――」
「確かにリーデ=ヒム=ヨルトミアは大器…このまま行けばやがて本当に天下を取ってしまうだろうね」
ミツヒデはその先を言わせない。畳みかけるように言葉を被せてくる。
ユキムラちゃんは僅かに面食らって押し黙る。それが分かっていながら何故勧誘などと無駄なことを…
「だが同時に君は既に理解してもいるはずだ…だからこそ君たちの軍は脆いと」
「何だと…?」
「君たちの全てはヨルトミア公の器の上に成り立っている…もしその器が突如失われたとしたらどうなるか」
ユキムラちゃんは言葉に詰まった。ショックを受けたのは俺も同じだ。
今のヨルトミア…否、《皇帝の剣》は中心にリーデ様ありきで回っている。他の誰が抜けようともリーデ様だけは抜かしてはならない。
もしそんな組織構造でリーデ様が何らかの理由で亡くなった場合…考えたこともなかったが、一体どう動くのかまるで想像もつかない。
機能不全に陥るどころか、あるいは内紛すらも起こりうる可能性だってあるのだ…
「君は知っている筈だよユキムラ殿、たった一人のカリスマで動く権力の不安定さ…そしてその死の後に起こる戦乱を…」
「っ…!」
かつり…ミツヒデのブーツの音が暗く静かな土牢に響き渡る。
前世絡みで思い当たるフシがあるのか、ユキムラちゃんとカンベエは彼女の台詞に完全に言葉を失くす。
松明の炎に照らされながらミツヒデは救いの手を差し伸べるように再び一歩前に出てきた。
「だが安心したまえ、我が真の主はそうはならない…必ずや二百年続く権力基盤を築き上げてくださる」
「ミツヒデ殿の真の主…それは一体…」
「今は言えない…が、君のよく知る人物であるとだけは言っておこう…十分、信用に足る御方だよ」
ここで言う彼女の真の主…それはボルチではないことは俺にも理解できる。
おそらくは海賊連合ではない何か、さらなる上位存在がミツヒデの上には居るのだ…そしてその者も天下を狙っている。
神兵…ゴーレムが突如として海賊連合戦力に加わったのもおそらくその者の差し金だ。だとすればタイミング的に納得がいく。
奇妙な静寂の中に松明が燃え盛る音が響く中、ミツヒデは今一度問いかけてくる。
「どうかな…天下泰平のために力を貸してくれないか、ユキムラ殿?」
「―――…そう、じゃな」
物陰に隠れていたユキムラちゃんも前に出る。ミツヒデとの身長差はほぼ同じ…視線が真っすぐにかち合った。
果たしてユキムラちゃんの選択は…―――
「悪いが、真っ平御免じゃ」
ユキムラちゃんの顔にいつもの底意地の悪い笑みが浮かべられ、べろっと舌を出してみせた。
気圧されたように後ずさるミツヒデはその次の瞬間、土牢全体に走る大きな衝撃に態勢を崩す。
俺たちを包囲していた海賊兵たちが動揺する中、土牢のさらに奥…岩壁が轟音を立てて崩れ去り、もうもうと土煙が上がった。
「こ、これは…!」
「ユキムラ様、脱出経路お待たせいたしました!…どうやらギリギリだったようですね」
奥にぽっかりと空いた穴からモチヅキ、そして別行動していたサナダ忍軍がひょこりと顔を覗かせる。
事前にユキムラちゃんがモチヅキに命じていたのはこれだ。爆弾による発破掘削、第二の脱出経路の確保である。
万が一の時のために要塞外の古井戸…土牢と近い位置にある其れの底を今この地点に繋げるよう指示していたのだ。
「でかしたモチヅキ!さあ皆の衆、とっととずらかるぞ!」
「了解ッス!カンベエ殿、しっかり捕まっててください!」
「…うむ…」
俺たちは出入り口とは反対側、モチヅキが掘った穴に駆け込んでいく。
慌てて海賊兵たちも後を追って鉄砲を構えたが、すかさずジューゾーが先頭の一人を狙撃すれば彼らは出端を挫かれ踏鞴を踏んだ。
続いてサイゾーたちが手裏剣を次々と投擲。闇の中を正確に襲い来る刃に海賊兵たちは怯み、追撃を中止し物陰に退避せざるを得ない。
穴に飛び込む前、ユキムラちゃんは今一度ミツヒデと視線を交錯させる…ミツヒデは初めて苦い表情を浮かべていた。
「…何故だユキムラ殿、彼女についていても真の天下泰平は望めないのだぞ」
「百も承知じゃ!だがミツヒデ殿、お主は何か勘違いしとるぞ!」
砕けた岩盤に足をかけながら、ユキムラちゃんは不敵に笑う。
「わしの野心は天下泰平でも何でもない!惚れた主君に天下を取って貰いたい…ただそれだけよ!」
単純明快…それがユキムラちゃんの答えだ。
それを聞いたミツヒデの表情はどうだったか、カンベエを抱えて脱出する俺に確かめる隙は無かった。
◇
「あらぁ…残念…ユキムラさんは此方につきませんでしたかあ…」
「ああ、見事にフラれてしまったよ」
土牢にぽっかりと空いた大穴を見送るミツヒデの隣、闇から溶け出すようにフード姿が浮かび上がる。カシンだ。
勧誘は失敗…軽く肩をすくめるミツヒデに対し、カシンは小首を傾げる仕草をしてみせる。
「私が追いましょうかあ…?まだ間に合いますがぁ…」
「いや、いい…カンベエは奪われてしまったが元々惜しいものでもない」
「敵に回ると厄介なのではぁ…?」
「…確かにね…だが問題ないさ、神兵が配備された以上相手にならないよ」
神兵により戦力を大幅に増強した今の海賊連合は以前とは比べ物にならない。
あの頑強な鉄人形を破壊するのは人の手では非常に困難だ。例え鉄砲の一斉射撃を受けたとしてもびくともしないだろう。
如何なる策を練ってきたところで兵士の基本性能が違えばそれはもはや戦ではない、ただの制圧作業だ。
「油断は禁物なのではぁ…?特にあのユキムラさん…野放しにしていては危険ですぅ…」
余裕を見せるミツヒデへカシンは食い下がる…この者が意見を強く持つのは珍しい。
しかしミツヒデは頭を振り、涼やかな表情の中に鋭い眼光を覗かせる。
「野放しにする気はないさ、次の戦で完膚なきまでに討ち滅ぼすつもりでいる」
「ふむ…再び勧誘する気はないとぉ…?」
「ああ、今の問答で分かった…真田幸村、あいつは生かしておけば必ずや天下泰平の仇となる」
そう…彼女の戦いは戦乱に苦しむ民や天下に蔓延る悪を討つための正義の行いではない。
ただ己が理想とする主君に尽くしているだけ、その結果がどうなろうと知りもしようとしない利己主義。
“あの男”と同じタイプの人間だ…仮に天下を手中にしたとしてもそれでは未来永劫の平穏は望めない。
「理想世界における不穏分子はすべて排除する…それがこの明智光秀…改め、南光坊天海の役目だ」
◇
狭く長い闇の中をひた走り、やがて俺たちは闇の先に一筋の光を見た。
脱出経路にした古井戸だ。ちょうど真上にある月明かりが底まで差し込んでいるのだ。
救いの光のようなその地点に到達した俺たちは上から降ろされている縄を上り、ようやく外の空気を吸う。
「意外と諦めが良かったな、割と決死の覚悟キメてたんだが…」
「まだここはてきち…ゆだんするなジューゾー」
やがて殿のジューゾーとサイゾーも無傷で引き上げてきた。
井戸の底を確かめても追っ手はいない…どうやら意外にもミツヒデたちは諦めてくれたようだ。
「ユキムラちゃんがにべもなくフッたから今頃ショック受けてるんじゃないスか?」
「おっと、それは悪いことをしたのう…わしも罪な女じゃ!わはははっ!」
「…くだらん…追う価値がないと判断しただけのことであろう…」
「冗談でござるよ、カンベエ殿…」
そんな会話をしているとバラバラとまばらに足音が聞こえてくる。
俺たちは一瞬追っ手を警戒するも、サイゾーに目配せするとゆっくりと首を横に振った。
敵の匂いではない…だとすると…―――
「カ、カンベエ様ッ!!」
「…ヴォーリ…お前たち…」
地下からの爆発音、それで古井戸を脱出経路にしたと悟って撤退してきたカンベエ隊の面々だ。
先頭のヴォーリは厳つい疵面をぐしゃりと歪ませ、俺の背から降りたカンベエに駆け寄ってその手を取る。
そして嗚咽を押し殺すようにして声を絞り出した。
「御無事で何より…!」
「…心配をかけた…そして救出の手配、大儀であった…」
「いえッ!我らだけでは救い出すこと能わず…勝手に敵へと下ったこと、申し訳ありませんでした…!」
「…うむ…」
そこでカンベエは改めて俺たちへと向き直る。
長い幽閉で憔悴しきり衣服もボロボロだったが、月明かりに照らされるその立ち姿はどこか幻想的で浮世離れしていた。
俺たちを見回した後、カンベエは頭を下げる。
「…敵でありながら私を救い出してくれたこと…礼を言う…」
先の戦いではさんざん煮え湯を飲まされたが、こう改めて頭を下げられると意外と義理堅い人物であることがわかる。
その礼には俺たちだけでなくユキムラちゃんですら恐縮しちょっと居心地が悪くなってしまう。
しばらくの間の後に頭を上げたカンベエの瞳には無感情ながら熱い闘志の炎が宿っていた。
「…そして…裏切られた以上、私はこのまま黙っているつもりはない…どうか《皇帝の剣》旗下へ加えて貰えまいか…」
願ってもない申し出である。
元々俺たちはそのために危険を冒してまでガティ要塞に乗り込んだのだから…
「勿論!カンベエ殿が加わってくだされば百人力でござる!共にあのミツヒデを打ち倒しましょうぞ!」
ユキムラちゃんは前に出、がっちりとカンベエと握手を交わした。
こうして《皇帝の剣》には新たに“転生者”カンベエ、そしてその配下のヴォーリたちが加わることとなった。
目的を果たし、意気揚々と帰還しようとする俺たちの背にふとカンベエの一言がかけられる。
「…ああ…ひとつだけ、断っておきたいことがある…」
訝しげに振り向いたユキムラちゃんに、カンベエは陰気な視線を向けて言葉を続ける。
「…貴殿らに力は貸すが、負けを認めたわけではない…軍略勝負は別の形でつけさせて貰う…」
見かけに寄らず、物凄く負けず嫌いなようだ…
【続く】




