第八十話 潜入、ガティ要塞の巻
ガティ要塞は元はサルガ公国が所有していた大監獄である。
かつて捕らえられた海賊や犯罪者はこの脱出困難な建造物に閉じ込められ過重労働に服役していた。
だが海賊連合が南部地方の支配権を拡げる際にこのガティ大監獄も制圧、囚人たちも兵士として解き放たれる。
それ以来、監獄ではなく堅牢な前線拠点の一つとして機能し続けているのだ。
「だが当然監獄としての機能も損なわれていない…カンベエ様が囚われているのはこの最奥、土牢だ」
ガティ要塞付近の森の中の野営地、ランタンの灯の下でヴォーリが建築図を指し示す。
それを覗き込むのは俺たちサナダ忍軍とユキムラちゃん、そして離反を決意したカンベエ隊の屈強な海賊兵たちだ。
土牢と聞いてユキムラちゃんは思いきり顔をしかめた…なんとも厄介なところに囚われているものだ。
「土牢か…仮にカンベエ殿の下に辿り着けたとしても出入り口を塞がれればわしらも囚われてしまうな」
「囮の別動隊が必要ッスね…警備の目を引き付けておかないと…」
「それは我々に任せてくれ、潜入できない分存分に暴れさせて貰おう…カンベエ様の救出は頼んだぞ」
「そりゃ頼もしい、アンタらが陽動してくれるなら百人力ッスよ」
作戦会議の結果、ヴォーリたちが騒ぎを起こしている隙にサナダ忍軍がカンベエ救出に土牢へ潜入することとなった。
そうと決まれば善は急げ…敵に動きを悟られる前にコトを起こす必要がある。俺たちはそれぞれ身支度を始めた。
そんな中、ふと仕舞う前の建築図にもう一度目を遣ったユキムラちゃんがヴォーリに問いかける。
「ヴォーリ殿、この図面では要塞の外に小さな縦穴があるようじゃが…」
「む…そこには現在は使われていない古井戸がありますな、それが何か…?」
「いや、位置的に土牢と近いと思うてな…モチヅキ、少し頼みがある」
「はいはい、私が呼ばれたということは爆弾の用事ですね」
サナダ忍軍モチヅキ…丸メガネをくいっと押し上げながら前に出、ユキムラちゃんから指令を受ける。
そして俺たちは準備完了し各々整列、戦とはまた違った緊張感が野営地を包み込んだ。
コホンと咳払いしてユキムラちゃんが俺たちの顔を見回し、締める。
「では…これよりカンベエ殿救出作戦を開始する!各々、ぬかりなく!」
…
しばらくして、ガティ要塞の一角から激しい火の手が上がった。
呑気に晩酌していた海賊兵たちが慌ただしく走り回り、突如として現れた侵入者に向けて敵意を剥き出しに襲い掛かる。
だがしかし相手は鍛え上げられた屈強なカンベエ隊…ヴォーリを筆頭に凄まじい強さで警備隊を圧倒していく。
そこに感じるのは主君を奪われた激しい怒りだ。凄まじい迫力に味方ながら思わず身震いしてしまう。
「ひえ~っ、無茶苦茶強い…ひょっとして潜入するまでもなく要塞ごと奪取できたんじゃ…」
「たわけ、いくら強くてもここは敵領の只中…すぐに他の砦から増援が来るぞ、さっさとカンベエ殿をお助けしてトンズラじゃ」
「そうでした、ではなるべく急ぎましょう」
「せんどうする…こっちだ…」
まるで山猫のように夜目が利くサイゾーを先頭に俺たちは警備に気付かれることなく要塞内へ侵入。
バタバタと走り回る海賊兵たちを物陰に隠れてやり過ごしつつ、地下への階段に到達。僅かな灯りを手に下っていく。
一度地下に入れば地上の喧騒はどこへやら。暗闇と静寂が俺たちを包み込み、自分たちの足音と僅かな水音が聞こえるだけである。
こんな所に長時間囚われていれば間違いなく気が狂う…俺たちは最悪の結末を脳裏に過らせながらも最奥に到達した。
「いたぞ」
サイゾーが静かに呟くと、俺たちは牢の奥に蹲る小さな人影を見る。
灯りを向ければその人影は僅かに頭を上げ、ウェーブがかかった黒髪の奥から幽鬼のような視線を俺たちに向ける。
カンベエだ…肉体的には衰弱しているようだが五体満足、だが問題は精神面…果たして大丈夫なのだろうか…
ユキムラちゃんが牢に近寄って声を潜めながら語り掛けた。
「助けに来ましたぞ、カンベエ殿」
「…頼んだ覚えはない…」
どうやら心配するだけ無駄だったようだ。
その声は掠れていたが闇の中にぼうっと燃える紅い瞳の意思は未だに力強い。驚くべき精神力である。
「カンベエ殿には頼まれずともヴォーリ殿に頼まれましてな、まことに勝手ながら救出させて頂きますぞ」
「…あやつめ…余計なことを…」
「無理にとは申しませぬが…」
「いや…」
カンベエは軽く息を吐いた。意地を張っても事態が好転しないのは明白だ。
そして小さく俯くように頭を下げる。
「…頼む…」
「それがいい、人間素直が一番でござる…―――サイゾー、やれ」
「しょうち」
一閃。
サイゾーが小刀を閃かせると木製の格子がからからと音を立てて散らばり落ちた。
カンベエは立ち上がろうとするが、闇の中で長く蹲っていたせいかよろめいて倒れかける。
これではまともに歩けまい…俺はその身を支えて抱え上げた。その体重は羽のように軽い。
「…すまぬ…」
「いえいえ、貴女に何かあったらヴォーリ殿に申し訳が立たないッスから」
俺がそう返答するとカンベエは少し意外そうに目を丸くした。
まぁ、確かに我ながら甘ちゃんに過ぎるとは思うけれども…
「…先の戦で殺されかけたと言うのに気にせんのだな…お主は…」
「それ以上に共感があるんでね、あの人の忠義には」
「…忠義か…」
「ええ、先の戦での敵に恥も外聞も捨てて救出を頼めるのは相応の忠義がないとできませんよ」
それを聞くとカンベエは目を伏せてそうか…とだけ呟いた。相変わらず無感情だがその声色はどこか穏やかだ。
おそらくカンベエとヴォーリの関係はユキムラちゃんと俺に近い…なんとなく其れは感じていた。
ともあれ、後は脱出するのみ。俺たちは土牢の道を引き返し…―――
「待て!追っ手がいる!」
同行していたジューゾーが鋭く叫び、咄嗟に前に出て鉄砲を放った。
土牢の中に銃声が響き渡り、その一瞬後に闇の先から呻く声と倒れる音。次いで反撃の銃声が多数響き渡る。
俺たちは即座に物陰に身を隠し、一瞬遅れて闇の中を奔る火線をやり過ごした。銃弾は岩壁に当たって甲高い音を立てていく。
どうやら上手く敵を欺いたつもりが尾行されていたようだ…細心の注意を払っていたのに敵もやり手である。
やがて追っ手たちは射撃を止めその手に持った松明に火を灯す。暗い土牢の廊下を複数の炎が照らしだした。
闇の中に浮かび上がるのは鉄砲装備の海賊兵たち、そしてその先頭に立つ黒髪の少女…
少女はこんな状況にも関わらず涼やかに笑っている。
「…ミツヒデか…」
俺の傍で物陰に伏せているカンベエが呻くように呟く。
成る程、あれが“転生者”ミツヒデ…彼女は鉄砲兵たちの一歩前に出ると大仰に芝居がかった仕草で俺たちに語りかける。
「《皇帝の剣》諸君、そして“転生軍師”ユキムラ殿…ガティ要塞にようこそ、歓迎しよう」
そのお道化た言い回しにユキムラちゃんは小さく舌打ちする。そして対抗するように声を張り上げた。
「歓迎はありがたいが、わしらも急いでおるのでな!茶は出して頂かんで結構!土産だけ貰うていく!」
「それはなんとも釣れないことだ…私は君に会えるのを楽しみにしていたというのに」
「時と場合を弁えられた方がよろしかろう!上の怒り狂った荒武者たちを放っておけば海賊どもだけでは止められんぞ!」
そうだ…陽動のヴォーリたちはまだ暴れ回っているに違いない。
練度と士気の低い海賊たちでは彼らは止められない…俺たちにかかずらわっていれば要塞の被害が拡大し続けるはずだ。
しかしミツヒデはその脅しにもくっくっと肩を震わせて笑い、懐から掌サイズの水晶玉を取り出す。
「心配御無用…我々には新たな戦力が加わったのでね、少し面白いものをご覧いただこうか」
言うや否や水晶玉が淡く光り始め、一体如何なる魔術か…闇の中に映像を浮かび上がらせた。
◇
「ひ、ひぃっ!テメエは虎殺しのヴォーリ!一体何故ここに!?」
「貴様ら海賊連合に三行半叩きつけに来たのよ!覚悟ッ!」
ヴォーリが大刀を振るうと敵兵の首が飛び、その圧倒的な強さに海賊兵たちは蜘蛛の子を散らすように撤退。
そこへカンベエ隊の兵たちが火をつけて回りガティ要塞の火災は徐々にその規模を増していく。
まるで手の付けられない暴れっぷりはたった十数名でこのまま要塞ごと落としてしまいかねない勢いであった。
その時である。
「む…」
ズシン…ズシン…
一定間隔で複数の地響きがヴォーリたちへと伝わってきた。その振動は次第に強くなっていく。
やがてその地響きの主たちは建物の影からぬうっと姿を現し…発光する頭部をカンベエ隊の方に向ける。
「な、なんだ…こいつらは…?」
まるでフルプレートアーマーを纏った騎士のような姿の鉄人形が複数体…身の丈は3mほどか。
機械的な駆動音と大地を踏みしめる足音を響かせながら、頭部に宿った一つ目のような赤光で侵入者たちを睥睨する。
あからさまに生き物ではないため殺気は感じない…しかしどのような意図を持っているかは明確に察することができた。
鉄人形たちはそれぞれ赤熱する大型の片刃斧を手に、地響きを立てながらカンベエ隊へと襲い掛かる。
「ぬおっ!?」
間一髪。
咄嗟に間合いを取って超重量武器の一撃を避けたヴォーリは、抉り取られ高熱でシュウシュウと煙を立てる地面を一瞥する。
あの攻撃をまともに受けては仮に防いだとしてもそのまま叩き潰されてしまう…こいつらは剣術でどうこうなる相手ではない。
そう判断したヴォーリの指示は早かった。
「全員退避っ!!」
幸い鉄人形たちの動きは遅いため追いつかれることはない。が、優勢だったカンベエ隊は一転…撤退を余儀なくされる。
あれは一体何だというのだ…自分たちが海賊連合に居た頃はあんなもの見たことがない。
やがて鉄人形兵たちはその数をどんどん増していき、ヴォーリは救出組が未だ脱出してこないことに焦りを覚え始めた。
◇
「な、何なんスかありゃあ…」
「“神兵”…ゴーレム、と言えば君たちにとっては馴染み深いかな」
映し出された映像に、呆然と呟いた俺に対しミツヒデはご丁寧に解説してくれた。
ゴーレム…聞いたことがある。かつて魔術がこの大陸を席巻していた時代に扱われていた魔動人形。
頑強で剛力、死を恐れず戦うゴーレム軍団は人間の兵士で構成された軍団より遥かに高い戦力を誇っていたと言われている。
しかしその製造・使役法はタイクーンの魔術弾圧政策によって失われた筈、それを何故“転生者”であるミツヒデが…
「…やはりそういうことか…ようやく合点がいった…」
「ふむ…?さすがに鋭いなカンベエ殿…いや、少しヒントを与えすぎたか…」
俺たちが混乱する最中、カンベエだけは納得がいったようにぼそりと呟き、ミツヒデは少し意外そうに眉を上げる。
一体どういうことなのか…気にはなるが今はそれどころではない。脱出経路確保に頼りの地上部隊が撤退を余儀なくされているのだ。
そして出入り口には海賊兵が並び立ち、此方へ鉄砲を向けている。ジューゾーの一射目は不意を打てたが今の連中には隙がまるでない。
この土牢の廊下は袋小路、脱出するには正面突破しなければならない…この少人数で鉄砲兵相手にはちと厳しいか…
そんな俺の葛藤を見抜いたか、ミツヒデはくすりと笑って話を続ける。
「そう警戒する必要はない…歓迎しようと言ったのは嘘偽りじゃないんだ、部下に撃たせる気はないよ」
さっき思いっきり撃ちかけてきた癖に何をヌケヌケと…いや、先に撃ったのはこっちのジューゾーだけど。
妙に友好的な態度にユキムラちゃんは鼻を鳴らし、敢えて高圧的に言葉を投げかけた。
「随分と回りくどい語り口じゃな、わしらに用があるなら率直に言って頂きたい」
「ふむ、不快だったかな?こういう喋りなのは前世からの性分でね…どうか大目に見てくれ」
「信長公の癇に障るのも頷ける話じゃな」
「…上様の話はしないでくれるかな」
ユキムラちゃんの毒舌にペースを乱されつつも彼女は気を取り直すようにコホンと咳払い。
暗闇の向こう、松明に照らされながら此方へ手を差し伸べるような仕草を取った。
「どうだろう…今からでも私たちの側につかないか、ユキムラ殿?」
【続く】




