第七十四話 ユキムラちゃん、坂落とし危機一髪の巻
「見えたぞ!もう始まってやがる!」
返り討ちにし服従させた山賊たちに案内させ、カオーフ平原が見える峠に第三軍が到着したところでヴェマが声を上げる。
眼下では北に位置する《皇帝の剣》と南に位置する海賊連合軍が激しい戦闘を繰り広げていた。
遠目から見る限り形勢的には北側有利。先頭の騎兵…十中八九、ロミリア様が道を切り開き海賊軍を押しまくっている。
追い立てられる海賊たちが退く先はこのサウェスト山の麓だ。即ち奇襲をかけるには絶好の位置になる。
「よぉし、行こうぜユキムラ!リカチ!坂落としだ!」
「ああ!なんとか間に合ってよかったよ!」
ヴェマが張り切って斧槍を掲げ、リカチと兵たちも気勢を揚げる。
坂落とし…山上から下りの勢いのままに突撃を仕掛ける万国共通の強襲戦法である。
戦においては常に高所を取った者が有利とされている。その有利を最も活かすのが坂落としと言えるだろう。
…が、ここにきて何故かユキムラちゃんは難色を示した。
「おかしい…あまりにも理想的な展開すぎる…」
「はぁ!?それのどこがおかしいんだよ?」
「わからん…わからんが、なんとなくこう…このまま仕掛けるのはまずい気がする…」
ヴェマとリカチは顔を見合わせ、ほぼ同時に首を傾げる。
それはそうだろう、俺たちはユキムラちゃんの策に従い越える必要もない山を苦労してここまで越えてきたのだ。
ここで仕掛けなくては今までの苦労が全て無駄になる…それはユキムラちゃんも重々承知の筈だ。
“気がする”で反故にしてしまっては当然兵士たちの士気にも大きく関わってくるだろう。
「…どうすんだよユキムラ、奇襲中止すんのか?」
「いや、奇襲はする!するにはするが…万が一の時のために保険をかけておきたい!」
ああ…なんかイヤな予感がしてきた。
ユキムラちゃんの言にリカチが疑問符を浮かべる。
「保険…?部隊を分けられるほど第三軍は規模大きくないよ?」
「うむ、故に部隊は分けず…―――サスケぇ!ちっと頼みがあるんじゃが!」
ほら来た!
またロクでもないことをやらされる予感をひしひしと感じながらもサナダ忍軍である俺に拒否権はない。
ちょいちょいと手招きするユキムラちゃんに近づくと、驚きの策が言い渡された。
◇
「よっしゃあ!気を取り直して坂落としだ!いくぜえーッ!!」
ヴェマ殿が声を張り上げて号令し、第三軍全隊が下り坂を駆けだした。
高所からの慣性に乗って突撃を仕掛ける目標は麓に布陣した海賊連合軍最後方の本陣。
此方に背を向けたままの隙だらけな様相…歩兵部隊とはいえこの勢いのままに突撃すれば一気に壊滅することが可能だろう。
だが…だがしかし、わしは嫌な予感を拭いきれない。あくまで予感がするだけだ、特に理由はない。
(ええい、ままよ!もしもの時はサスケよ、頼んだぞ…!)
どちらにしろ走り出してしまった以上止まれはしない。坂落としの長所にして最大の弱点だ。
やがて第三軍は敵本陣背後の間際に到達…兵士たちがそれぞれ武器を抜き放つ。
このまま一気に押し潰す…さすればこの策は成功だ!
「…やはり来たか…」
だが無常。
聞こえるはずのないその声が聞こえた気がした。
「なっ、何ィーーッ!?」
目の前の光景にヴェマ殿が焦って思わず叫ぶ。
なんと標的の敵本陣は第三軍が届くその直前で急に移動を開始、麓からわずかに離れた位置へ布陣し直したのだ。
それだけではない!山頂からはまったく分からなかったが、麓はあろうことか湿原地帯…あちこちに沼地が点在する悪地形である。
勢いのまま突っ込んだ第三軍は派手に泥飛沫を散らしながら沼地に足を取られ、坂落としの勢いは完全に死した。
「うがぁっ!ぺっぺっ!泥が口に入っちまった!」
「い、言っとる場合かヴェマ殿!嫌な予感的中じゃ!」
「畜生ッ!麓がこんな風になってるなんて聞いてねえぞっ!」
ぞわり…背筋に悪寒が奔る。ヴェマ殿もほぼ同時にだろう。
泥に悪戦苦闘するわしらに対し、敵本陣から無数の銃口が向いているのに気付いたのだ。
走馬灯じみて一瞬の間が鈍化する。これはまずい…!
「たっ、竹束ぁッ!!」
「撃ていッ!!チェストォォォ!!」
わしの防御命令が早いか、敵の射撃命令が早いか…
機動力を封じられた第三軍に対し無慈悲にも鉛玉の嵐が襲い掛かる!
◇
「おおっ、耐えちょる耐えちょる!はっはっはー!まるで泥亀じゃあ!」
マモン湿地帯に突っ込んだ敵奇襲部隊…それに向かい撃ちかけていたイエヒサは朗らかに笑う。
ギリギリ竹束の防御が間に合ってなんとか踏み止まってはいるものの、泥地に足を取られている以上それも時間の問題だ。
何せ敵部隊は山越えのために装備を極限まで軽量化している…防がれようと撃ち続ければ耐久性に限界が来るのはそう先の話でもない。
最初はこの悪地形に騎兵…カッツェナルガ隊を陥れる作戦だったが急遽変更、こうして奇襲部隊を捕まえられた。
それもこれも全ては直前でテルモトが敵の策を看破したお陰である。
「…見事な読みでした、テルモト様…」
「い、いえ!そのぅ、敵に真田がいるならもしかしたら狙ってるかなと思いまして…当たって良かったです!」
どうやら対真田に関しては自分よりもテルモトの方が上を行っていたようだ…軽く目を伏せカンベエは思いを馳せる。
友人である小早川隆景の忘れ形見…優柔不断で臆病なところはあるがその軍才は確かに受け継がれている。
前世ではその才が開花する間もなく乱世が終結してしまったが、こうしてこの異世界で巡り合えたのはこれも何かの縁。
いずれ海賊連合が天下を取る時のためにも自分が隆景に代わり大成させてみせよう…そう考えていた。
「…しかし、真田ですか…私は前世では然程親しくはありませんでしたが…なかなかどうして油断なりませんな…」
続けてカンベエはふむ…と軽く唸り、泥まみれで銃火の嵐に必死に耐え抜いているユキムラを見遣る。
真田…あの徳川を相手取り、二度に渡り寡兵で勝利したという話は聞いていたがどちらも徳川方の自滅に近い。
それも父親、真田昌幸の話だ。その息子である幸村はそれに従って戦っていただけに過ぎない。
故に名を聞いてもハンベエほど警戒する相手ではないと想定していたが…どうやらその評価は大間違いだったようだ。
あの者の策は理詰めで展開される自分やハンベエの策とは違い、巧みに敵の深層心理をついて裏をかくまさに父から受け継いだ表裏比興の策。
侮っていれば即座に足元を掬われる…徳川もこうして真田に一杯も二杯も食わされたのだろう。
「…生かしておいては禍となるか…イエヒサ殿、念入りに息の根を止めてくれ…」
「おう、クロカンどん!撃て撃ていッ!!」
もはや奴らは虫の息、退くにも進むにも泥と制圧射撃で一切ままならない状況だ。
奇襲失敗が知れ渡れば敵軍本隊にも間違いなく影響が出る。陽動であった例の騎兵も消極的な立ち回りをせざるを得なくなるだろう。
そこからは此方の番…新たな策を練り直す暇も与えずに存分に知り尽くした地の利を活かす策で一気に巻き返す。
「んむ…?」
「…どうした、イエヒサ殿…」
「―――…ないか聞けんか、クロカンどん?」
「…私には何も…いや…―――」
不意に山の方角へと目をやったイエヒサに続き、カンベエは目を見張る。
ドドドド…と遠くから響く足音、そして無数の松明の灯…もうもうと土煙が上がっているのも視認できた。
まさか湿地帯に絡め取られたのは陽動、さらにもう一隊潜んでいたというのか…!?
だがその一群がさらに近づけば、その正体がそんな生易しいものではないと知る。思わず目を見開いてカンベエは呻く。
「火牛だと…!?」
一体どこから現れたのか…尾に松明をくくりつけられた怒れる暴れ牛たちが此方へと向けて真っすぐに突き進んでくるではないか。
兵たちは呆気に取られ、それが一体何なのか追いつかない思考で必死に理解しようとする…だが戦場においてその一瞬の隙は命取りだ。
「いかん、全軍散開…!」
「散開じゃあ!!散開ぃーーーッ!!」
カンベエとイエヒサが慌てて号令を出すも暴れ牛たちにとっては一切お構いなし。
野太い咆哮を上げながら本隊へと群れ成して突っ込み、その勢いのまま兵を跳ね飛ばし滅茶苦茶に踏み荒らし始める。
さらに尾の松明が陣へと燃え移り瞬く間に辺りは火の海と化した。それでも火牛たちは止まらず暴走し続ける。
その重量、その速度の前には人の抵抗など薄紙一枚にも等しい…!
◇
「な、なんとか間に合ったか…!」
「あ、あぶなかった…!」
別行動で荷運び用のヤックを火牛に仕立て上げ、敵本陣へと向けて放った俺とサイゾーは額に浮かんだ汗を拭った。
実際ギリギリのタイミングだった…あと少し遅ければ湿地に囚われた第三軍は蜂の巣にされていただろう。
もし急遽保険の火牛の計を用意せずに攻め込んでいたらどうなっていたことか…考えるだけでゾッとする。
「…とにかくこれで窮地は脱した、行こうサイゾーちゃん」
「ああ、はんげきかいしだ」
制圧射撃していた鉄砲隊を蹴散らし、さらに敵の本陣を崩すことができた。
第三軍の奇襲は成功とは言えないが失敗でもなくなったと言えるだろう。これであのハンベエに嫌味を言われずに済む。
しかし短い時間とはいえ銃火の嵐に巻き込まれたユキムラちゃんたちは大丈夫だろうか…
「く、くくくくっ!見たか、これが“転生軍師”ユキムラちゃんよ!転んでもタダでは起きんわっ!」
どうやら全然大丈夫なようだ…
あからさまな強がりを言いながら足を取られていた沼地を脱出、その膝はガクガクと震えていた。
「ったくよォ、こんな策に付き合わされてちゃ命がいくつあっても足りんぜ…」
「ホント…今回ばかりはさすがに寿命が三年くらい縮んだよ…」
ヴェマとリカチもぼやきながら脱出、兵士たちもその後に続き第三軍はなんとか陣形を整える。
気を取り直して…目指すは火牛に突っ込まれて混乱状態に陥った敵本陣。この機に乗じて総大将を討ち、戦を終わらせる!
「よぅし、もうひと踏ん張りじゃ皆の衆!ここまでやったんじゃからこの戦、絶対に勝つぞ!」
お、応!!
九死に一生を得て疲弊するなり安堵するなりしていた第三軍は半ば無理矢理に士気を上げ、敵陣めがけて突き進んでいく。
だが南無三…このカオーフ平原の戦い、そう簡単には決着しないのであった。
【続く】