第七十二話 秘密兵器、その名は鉄甲船の巻
ユキムラたち第三軍が山越えルートへの支度をする中、時はしばらく遡る。
リーデとマゴイチの二人はハンベエに呼ばれイルトナの最南端…ジーアの町へと訪れていた。
「にしてもハンベエのやつ…一体何を企んどるんや」
「そうね…私と貴女、珍しい組み合わせだわ」
二人は怪訝そうに顔を見合わせる。
領国代表として会議の場を共にすることはあってもこうして二人きりになるのは初めてのことだ。
今でこそ仲は良好なもののかつては戦場で命を狙い合った関係…護衛なしという条件にラキが難色を示したのは言うまでもない。
だがハンベエに南部攻略のために必要なことと言われれば断り切れない。不可解ながら二人はこうして訪れたというわけである。
示された場所へと向かうと漆黒の頭巾と道服を身に纏った少女がそこでは待ち受けていた。
「お二方、ようこそいらっしゃいました」
リーデはその物静かながらも隠れた威圧感に只者ではないことを察し、マゴイチはその特異なファッションで瞬時に悟った。
「アンタまさか」
「御推察の通り、“転生茶聖”リキューと申します…以後お見知りおきを」
リキュー…前世での名を千宗易、または千利休。
言わずと知れた侘茶の完成者であり、戦国期に名を轟かせた大商人の一人。
武力こそは持たないもののその影響力は凄まじく、秀吉を始め多くの将を魅了してきた大人物である。
「南部の“転生茶聖”…聞いたことはあるわね」
「光栄でございます…私はカルタハ公国にて召喚されました、今は南部連合の相談役を務めさせて頂いております」
南部勢力で“転生者”を召し抱えているのは海賊連合だけではない。それは王都経由の情報で既に知っていたことだ。
“転生茶聖”リキュー…当時貧しかったカルタハ公国に召喚された彼女は類稀なる商才と独特のセンスによって南部地方全域に文化改革を巻き起こす。
異世界から持ち込まれたエキゾチックな“茶の湯”文化は貴族や騎士、商人たちの間に空前のブームを巻き起こし、茶碗ひとつ茶釜ひとつに莫大な価値を持たせるに至った。
それによりカルタハは“茶の湯”発祥の地として巨万の富を得、武力ではなく財力によって一切の血を流すことなく南部諸国の筆頭へと成り上がる。
カルタハ公国、そして南部連合にとって彼女は武勇を持たずとも地方一統を成し遂げた救国の英雄なのである。
そのリキューが一体何故ここに…彼女は淀みない動作で訝しがる二人をとある場所へと促した。
招かれるまま二人が向かった先は小さな小屋…入り口は身を屈めなければ入れないほどの小ぢんまりした庵である。
庭先では既に到着していたハンベエが待ち受けていた。
「来ましたね、二人とも」
「なんやハンベエ、リキューをウチらに会わせたかったんかい」
「いえ、リキュー殿と縁を結んでおくことも大事ですが本題は別にあります…まずは中へ…」
いまいち呑み込めないリーデとマゴイチは言われるままに小屋…“待庵”へと入室する。
マゴイチにとっては馴染み深い、リーデにとっては見たこともない内装の部屋…
そこに座るもう一人の客に、二人は思わず素っ頓狂な声を上げる。
「イルトナ公!?」「旦那はん!?」
静かに正座する糸目の男は言葉なく深々と頭を下げた。
かつてイルトナ公国を統治、五つ国戦役後に姿を消したケイン=ニル=イルトナその人であった…
まさか今になって再び現れるとは…複雑な感情がリーデの胸中を渦巻く。
それを見越してか、リキューは静かに点前座へと座った。
「まずはお座りください、一服お点ていたしましょう」
静寂…
リキューが茶を点てる音だけが狭い茶室の中に響き、やがて黒い茶碗が目前へと置かれる。
作法のまったく分からないリーデであったがハンベエの短く的確なアドバイスを受けつつ茶碗を手に取り、一口。
その茶の独特の苦みに顔をしかめつつ…気を取り直すようにしてケインへと鋭く言葉を飛ばす。
「よくもまぁ今更ノコノコと私の前に顔を出せたわね、イルトナ公…いえ、“元”イルトナ公」
ぴりり…狭い茶室に緊迫の空気が満ちる。
かつてヨルトミアを幾度となく危機に陥れた不倶戴天の仇敵…戦後も姿をくらまし行方不明となっていた。
怒りや憎しみは年月が風化させたがその過去が消えることはない。国主としては到底許すわけにはいかない男だ。
彼もまた茶碗を回して口をつけ、自らの国を奪ったかつての仇敵に言葉を返す。
「私としても再び貴女の前に現れることになるとは思っておりませんでした…」
戦後、行方をくらましたケインは南部地方へと落ち延び私財を元手にカルタハ公国にて商いを始めた。
その際にリキューと出会い“茶の湯”文化に深く感動、彼女に弟子入りしたのだという。
元々貴族というよりは商人に近かった彼はカルタハでも見事成功を収め南部有数の豪商、そして茶人へと華麗なる転身を遂げた。
ちなみに南部に鉄砲が流通しているのは彼の仕業である。マゴイチは海賊たちの装備の整いぶりにようやく合点がいった。
そんな彼が何故今になってこうして姿を見せたのか…しずしずと言葉を発したのはリキューだ。
「ヨルトミア公、貴女はこれより海賊連合と相対する聞き及んでおります…」
「ええ、私の国を脅かす者は誰一人として許しておかないわ、あの者たちは必ずや討ち滅ぼします」
苛烈な発言にケインは思わず閉口、しかしリキューは動じることなく話を続ける。
「その勇ましさに感服いたします…同様に海賊に困らされている南部連合も快く貴女に力を貸すことでしょう」
「頼りにしていますわ、海戦に不慣れな《皇帝の剣》だけでは少々心許ないと思っておりましたので…」
「ええ、存分に頼られてください…ですが、その代わりと言っては何ですが…」
「……?」
そこでリキューは姿勢を正し、深々と頭を下げる。ケインもその後に続いた。
「此度の共闘を以て我が弟子、ケイン=ニル=イルトナをお許しくださいませ…」
成る程…リーデは二人の魂胆を察する。
《皇帝の剣》が海賊連合に勝利すれば南部連合はそのまま皇帝陛下に恭順を誓い庇護下に入るだろう。
その際、カルタハでヨルトミア公…現タイクーンに因縁のある元イルトナ公を庇っていたとなると一悶着起きると案じていたのだ。
当然だろう…言ってみればダイルマとの戦いで裏切り先代ヨルトミア公を死に追いやった原因、言わば父の仇。
常識で考えていくら年月が経とうとも、人の子であるならば決して許すことはできない存在だ。
だがカルタハ公国は彼を御用商人として重要なポストに置いている。リキューにとっても愛弟子の一人に違いあるまい。
おいそれと追い出すわけにはいかない…しかし今後の情勢的に爆弾を手元に置いておきたくはない…
そのため、こうして相談役のリキューを介し許しを請いに来た…そういうわけだろう。
(さて…どうしようかしらね…)
リーデの中では父の仇などはとうにどうでもいいことだ。
多少は親子の情はあるが今後の形勢を天秤にかけて傾くほど重い物ではない。
だがここで安易に許すと言ってしまうのも癪だ。何せケインはかつて己を脅迫し婚姻を強制してきた男。
敗北後に従順な姿勢を見せなかったともあれば腹に据えかねる感情があるのもまた確か。
沈黙の最中、ちょいちょいとハンベエが脇腹を突いてきた。
(…何、ハンベエ?)
(リーデ様、ここは彼らの負い目を利用しましょう…例えば―――)
ごにょごにょと耳元でハンベエの策が伝えられリーデは一度頷いた。
そして頭を下げたままの二人に向き直り、悠然とした笑みを浮かべる。
「いいわ、許します」
二人が安堵する空気が伝わってきた。リキューは頭を上げてしずかに微笑む。
「寛大な処置、感謝いたします」
「ただし、無償でとはいかないわ…ケイン殿、共闘にあたり貴方には頼みたいことがあります」
続く言葉にケインの口の端がわずかに引きつる。ある程度の痛手は覚悟の上だ。
「…承知しました、それで過去の罪が許されるというのならなんなりと…」
「潔くて結構…ハンベエ、説明を」
そこで畳みかけるように一歩前に出たのはハンベエ、軽く咳払いして説明を始める。
「今ボクたちは海賊連合と渡り合える海戦力を増強中です、その協力をケイン殿にはお願いしたい」
「ふむ…一体何をすればよろしいかな…?」
ハンベエは懐から一枚の紙を取り出して拡げた。
描かれていたのは事細かに注釈されている大型船の立面図…ハンベエはそれを示し、話を続ける。
「ケイン殿にお願いしたいこと…それは“鉄甲船”の建造です」
「何やてぇ!?」
その名を聞いて今までやり取りを静観していたマゴイチが驚愕した。
“鉄甲船”…かつて戦国の世において信長が建造を命じ第二次木津川合戦において無類の強さを誇った大型船。
木造船で毛利・雑賀水軍に敗れ去った後に造り上げ、見事その防御性能でリベンジを果たした鋼鉄の戦艦だ。
「これより我らが攻めるは海賊たちの海上要塞…城には城を以て対抗するのが上策かと思われます」
「た、確かにあの鉄甲船がウチらにもあれば敵がいくら多かろうが物の数やあらへん…」
「そうなの、マゴイチ…?」
「ああ、ウチは敵側やったからよう知っとる…こいつは動く海上要塞や」
木津川合戦で織田水軍と実際に戦ったマゴイチはその脅威を身をもって知っている。
鋼鉄の装甲を持つその船は鉄砲や焙烙火矢の攻撃を一切受け付けず、まさに水上の城が如き印象を受けたものだ。
海戦は陸戦と違って伏兵や地形利用といった搦め手による戦力差の誤魔化しが一切通用しない。
船長の読みと船員の練度、そして単純な戦力差と天運こそが勝敗を分ける要素となる。
つまりは考え得る最高戦力を用意して挑む…それがハンベエの考えだった。
「へえ…鉄が水に浮くなんて面白いわね」
「厳密に言えば鉄板装甲で覆った木造船ですがね、しかしこの世界の合金技術なら前世より良いものができそうです」
「せやな、クロノ鋼なら軽いし錆にも強い…鉄で作るよりは遥かにええもんが作れるはずや」
「あのぅ…少しよろしいでしょうか…」
三人が盛り上がる中、おずおずとケインは手を上げた。
彼女たちの求めることは分かった…分かったがそこにはあまりにも大きな問題がある。
「予算の方は如何ほどお考えで…?」
「そうですね、最低でも六隻は欲しいので…―――…このくらい」
「ぬがっ!?」
ハンベエが渡した二枚目の紙に書かれた数字を見、思わずケインは仰け反り倒れる。
気安く要求されるにはとんでもない額だ、今まで貯め込んできた財産が軽く吹き飛ぶレベルである。
ほうほうの体で起き上がり、ケインは引きつった笑みを浮かべた。
「い、いや…これはちょっと…私にも生活がありますので…」
「あら、別に拒否してもいいのだけど…貴方、首を晒すとしたらイルトナで良いかしら?」
「あ、悪魔ですか…!?」
リーデは軽く笑って言う。どうやら拒否権はないらしい。
かつて逃げたツケが肥大化して返ってきた…ケインは助けを求めるようにリキューを見遣る。
弟子のあまりに哀れな視線にリキューは静かに頷き、三人を呼び止めた。
「…ヨルトミア公…ひとつ申し上げとうございます」
「…何かしら、リキュー?」
これだけは譲れない。リーデと視線を交わしたリキューはすっと息を吸って、言った。
「お造りになられる鉄甲船の外装…その一切を黒く塗られるのがよろしいかと」
斯くして、イルトナ港にて鉄甲船六隻の建造が始まった。
その船団長は雑賀水軍を率いたマゴイチ、その配下にイルトナ傭兵ギルド各将。
すっからかんになって燃え尽きたケインを尻目に、南部海戦の準備は着実に進んでいくのだった。
【続く】




