第六十七話 ナルファス、奮戦す!の巻
ナルファス=ガオノー、ヨルトミア公国唯一の大臣にしてリーデ不在の本拠を守る忠臣。
彼は代々騎士の家系であるガオノー家の長男として生を受けるも生来身体が弱く、父は後継者に弟のサルファスを選んだ。
しかしそれであって彼は腐ることなく猛勉強。騎士にはなれずとも文官としての頭角をめきめきと現していく。
全ては主君に対する忠誠、そしてガオノー家に生まれたという責任感の賜物…頭が固い所はあったがその努力は誰もが認めていた。
彼の存在に風前の灯であったヨルトミアが救われたことは一度や二度ではない…
「しかしまさか…この私が戦場に立つことになるとは…」
住民が避難し防衛線が敷かれたヨルトミア城下大通り、今まで一度も身に纏ったことがない新品の鎧を纏ったナルファスは呟く。
兵は周辺集落から大急ぎで募った義勇兵たちと、城の守りについていた兵たち、さらに文官やメイドといった非戦闘員。
それら全員集めても百人足らず、老人や女性までいる…戦力差は南の山から攻め寄せてくる敵部隊とはまるで比較にならない。
緊張のあまり吐きそうになるナルファス…そんな時、その背を豪快に義勇兵の一人が叩いた。
「ナルファス様はどーんと構えててくだせえや!何があっても俺らが守りますんで!」
「そうそう!海賊なんざダイルマの時と比べりゃなんてこたぁねえ!」
ダイルマ戦から再び農夫へと戻り、そしてまたこうして集ってくれた義勇兵たちは皆頼もしい。
あの戦い以降正規軍には加わらなかったものの、彼らもまた有事の際にと自警団として腕を磨き続けていたのだ。
戦場における経験は彼らの方が先輩だ。ナルファスは気分がいくらか楽になる。
だが、自分のように戦闘経験のない者たちもこの戦線には居る…彼は非戦闘員の方を見遣った。
「お前たち…くれぐれも無理をしてはいけませんよ」
「ご心配なく、リーデ様の留守を守るのがヨルトミアメイド隊の務め…お城には蟻一匹通しはしません!」
メイドのリーダーが力強く返答し、平メイドたちも頷いた。
彼女らも戦闘訓練は受けているが実際に戦場に立つのは初めてのはず…しかしその忠誠心からの士気は非常に高い。
いつもはモップやはたきを手にしている細腕も、今日ここで手にしているのは鉄砲と細剣だ。
もしかして怖がっているのは自分だけだろうか…ナルファスの気分は再び少しだけ陰る。
そんなやり取りをしていられるのも僅かな時間のみ。やがて、野太い雄叫びと地を鳴らすような足音が聞こえてくる。
「きっ、来ました!ナルファス様!」
「山の中でも海賊旗ですか、トンチキどもめ…各員!戦闘用意!」
バリケードの裏、たった百人足らずの守城部隊が鉄砲を構える。
対するは大勢の海賊連合。こちらの部隊の兵数を見、正面から叩き潰すべく大通りを真っすぐ突っ込んでくる。
ハンベエの読み通りだ…先ほどまで不安だったナルファスだがいざ敵と直面してみると意外と恐怖はない。
むしろ冷えていく心に不思議な感覚を覚えながら、彼は軍配で敵軍との距離を計測し始めた。
やがて両軍の距離は縮まっていく。700m……500m……300m……
「…そこだ!」
そしてバリケードから100m地点…海賊連合がそこに踏み込んだ瞬間、地面が大きく陥没した。
古式ゆかしい防衛機構、落とし穴である。
「放ちなさい!!」
轟音。
転落、あるいは穴目前で踏みとどまった海賊連合相手に鉛玉の雨が襲い掛かる!
◇
「ちいいっ!味な真似をやってくれるじゃねえかあ!」
ガイコは苛立たし気に舌打ちした。
鉄砲100丁足らずとはいえ落とし穴にハメられ一斉射撃を受ければ先鋒組の被害は甚大だ。
出端は挫かれたが海賊軍はすぐに復帰。大通りに面した建造物を破壊し材木を盾に前進を再開する。
一方で防衛線は容易く崩壊した。ろくに白兵戦をすることもなく大通りをそのまま真っすぐ北へと後退していく。
その様子にネイカはいやらしい笑みを浮かべた。
「見たかよぉガイコ!連中、女子供まで動員してきてたぜぇ!」
「へっ、涙ぐましい努力だねえ!その分お楽しみが増えるってもんだぜ!」
「おおよ!野郎ども、小細工はいらねえ!正面からぶっ潰してやれぇ!」
応!!
逃げる防衛部隊を追って海賊たちは前進…大通りのその先にあるのは攻撃目標のヨルトミア城だ。
それ以降も防衛部隊は何度か鉄砲を射かけてきたが、距離を詰めれば即座に後退…次第に城へと追い詰められていく。
どんな小細工をしてこようが戦力差は圧倒的だ。海賊連合はまさしく破竹の勢いで突き進んでいく。
だがガイコ隊、ネイカ隊に遅れて一部隊…ヴォーリ隊の中、陰気な少女は訝しげに呟いた。
「…作為的な何かを感じる…」
ヴォーリはハッとして少女に向き直った。この御方の戦場での勘は疑うべくもない。
「我々は誘い込まれている…そういうことでしょうか?」
「…うむ…ああも簡単に退くのは後がない兵たちの戦い方ではない…」
「ガイコ隊、ネイカ隊に制止をかけましょう」
急ぎ伝令を飛ばすが二部隊から返ってきた答えは否だった。
当然だ、破竹の勢いで突き進んでいるのに何か嫌な予感がするというだけで止まれるわけがない。
少女は恨みがましい目で統制の利かない荒くれ者たちの背を睨みつけながら、静かに呟いた。
「…バカどもが…ヴォーリ、回り込んで無理にでも止めるぞ…」
「はっ!―――…皆、全速前進!二部隊を止めるのだ!」
やがて最後のバリケードを突破した海賊連合の三部隊は、町並みから少し離れたヨルトミア城目前へと到達した。
なだらかな勾配の丘陵が陸上の島を作り、東から流れてくる二本の川がその外周を取り囲むように流れて背後のヨーデ湖に繋がっている。
丘陵地ながらの交通の不便はあるが、それを解消すべく大通りからその城門へは白い石橋…ドルトン橋が長く長く伸びていた。
そしてその中央の丘に鎮座する美しい城…それがヨルトミア城である。
敵地にも拘わらずヴォーリはその風光明媚さに思わずため息が漏れ、少女は緻密に計算された攻めにくい構造に心中感嘆する。
「何と美しい城なのだろう…」
「…言っている場合か、ヴォーリ…あれを攻め落とすのはなかなかに骨だぞ…」
「はっ、申し訳ありません…ですがその、城門が開いているように見えますが…」
「…何だと…?」
美しい石橋の先の城門…その様子を見、少女は思わず目を丸くする。
なんと逃げ込んだ兵たちが籠城している筈なのにその城門は大きく開け放たれ、城壁上では灯りが赤々と焚かれているではないか…!
「…空城計か…!」
兵法三十六計、空城計…
本来固く閉ざすべきである城門を敢えて開け放ち、敵を誘い込む攻撃的守城戦法のひとつである。
この計が使われたことで分かったことが二つある…敵が此方の行動を読んでいること、そして“三十六計”を知っていることだ。
即ち敵には“転生者”…しかも兵法に深く通じた者がいる。迂闊に攻め入るのは絶対にまずい…!
「ヴォーリ…なんとしても前の二部隊を止めろ…!」
「む…無理です!ガイコ隊、ネイカ隊、共に橋を渡り始めました!最早追いつけませぬ!」
「くっ…なんということだ…!知ってはいたが頭が悪すぎる…!」
思えば、鉄砲を撃ちかけながら即撤退する防衛線は誘いだったか。
あれで弱敵と侮ったガイコ隊、ネイカ隊はまったく警戒することなくここまで突き進んできた。
そしてあろうことか馬鹿正直に橋を渡り、橋上で陣が真っすぐに伸び切ってしまっている…見るも無残な陣形である。
その時だ!
「おおっ!?」
「こ…これは…!」
ドウッ!!
凄まじい轟音、そして激しい振動が少女とヴォーリを襲った。
◇
「お見事、ナルファス様…初陣にしては素晴らしい御手前です」
ハンベエは濁流を吐き出し続ける決壊した堤防の傍ら、拓けた山上であっという間に様変わりしていくヨルトミア城の光景を眺めていた。
ドヨルド川の堰を切って噴き出した怒涛の水流は城の周囲を流れる川を大量に増水させ穏やかだった城周辺の丘陵に激流を生む。
その激流の勢いは石で出来ているドルトン橋すら吹き飛ばし、そのままヨーデ湖へと流れ込んで一瞬にして水かさを増していく。
当然その橋上で渋滞していた海賊たちも脱出する術はない。一瞬にして湖の藻屑とその身を化したようだ。
これがハンベエの策…敵を逃げ場のない橋上に誘い込み、水計で押し流す“水虎の計”である。
「そして、やはり見事な城です…一体どなたが築城なさったのやら」
ヨーデ湖が大量増水したことで丘陵地は完全に水没し、ヨルトミア城は今や湖の孤島に立つ城へと変貌を遂げた。
言わば浮き城である…唯一の通行手段であった橋も今しがた吹き飛んでいった。全て築城した者の想定したヨルトミア城の防衛構造だろう。
もはや直接攻めることは不可能だ。舟を造れば大人数兵士を送り込むことが可能だが、水上の移動中は鉄砲の良い的になってしまう。
今のヨルトミア城を攻め落とす手段は一つしかない。大軍勢で城の周りを囲い、兵糧が尽きるのを待つ…ただそれだけだ。
つまりは少数精鋭で山を越えて攻め入ってきた強襲部隊には到底無理な話なのである。
これが“水虎の計”のあらまし…地形利用した攻防一体の二段構えの策なのだ。
「さて、これで城は守られました…しかし完全にという訳にはいきませんでしたか」
全部隊を丘陵地に引き込んで水没させられれば良かったが、そこは敵も一筋縄ではいかない。
壊滅的打撃を与えたものの一部隊が咄嗟に危機を察して橋を渡る前に踏みとどまっていた。前二部隊と違い高く統制が取れた隊だ。
そうでなくては困る…もし向こうの“転生者”が思った通りの者ならば、こんな小細工に引っかかるようでは困るのだ。
「では、ボクももうひと働きするとしましょう」
ハンベエは予め集めていた手勢を取りまとめ、自らもまたヨルトミア城へと向かう。
相変わらず涼やかな空気を纏ってはいるものの…その心はいつになく弾んでいるようだった。
【続く】




