第六十六話 絶体絶命のヨルトミアの巻
セーグクィン大陸における各地方同士の関わりはとても薄い。
それは何故か、王都を中心点として×の字に広がる山脈が東西南北を分断しているからだ。
天険の山々を越えて他の地方へと赴くことは現実的ではなく基本的には海路か王都周辺を経由する道を往く。
それ故に皇帝が権威を失ったとしても大陸全土の要所となる王都が重んじられており、王都にのみ各地方の情報が入ってくるというわけである。
「ヨルトミアはこのサウェスト山脈の直北、山を越えればすぐにでも攻め入れる位置取りです」
ハンベエはナルファスの前で大陸図を広げ、指で線を引いた。
ヨルトミアが西部諸国に包囲網を敷かれても戦ってこれたのは南側に山の守りを得ていたことにも起因する。
あの時はサウェスト山脈のお陰で一方を攻めている時に南面から突かれるということもなく各個撃破に成功した。
成る程、まさかその山を越えて軍が攻め入ってくるなどとは誰も夢にも思うまい。
つまり…相当非現実的な仮定である。
「そんなことが可能なのですか…あの山を越えて攻めてくるなどと…」
「能います、入念な調査と十全な準備さえあれば…例として“はんにばるのあるぷす越え”をお話ししましょうか?」
「…いや結構、到底信じられない話ですが…だからこそ効果的という訳ですね」
以前のナルファスならば一笑に付してハンベエを追い返していただろう。
だがユキムラと出会い、リーデが天下へと勇躍してからナルファスはその思考を改めた。
ありえないということはありえない…“転生者”は常にこちらの常識の裏を突き、信じられないような事を成す。
それに対応するためには此方も柔軟にならなくてはならない、そうでなくては生き残れない。
ハンベエは少し意外そうに口元へ扇子をやった。もっと頭の固い人物かと思っていたようだ。
「続けてください、ハンベエ殿」
「…ええ、先も申し上げた通りイルトナ港の武装船団は囮…ヨルトミアの守りを剥がすためのものです」
地図の上に碁石が置かれる。
イルトナ海上に黒が七つ、港で相対する白が五つ。そしてヨルトミアから出発した白石が二つそこに加わった。
それがサルファス隊とシア隊だ。ヨルトミアに残っているのは僅かな番兵と文官、使用人たちのみ。
「そこへ山を越えてきた本命部隊が攻め入り、ヨルトミアを襲撃…そして制圧」
サウェスト山脈に置かれた三つの黒石…それが北へとスライド、ヨルトミア領の中心に置かれる。
イルトナに陣取った白軍は海路で攻める七石とヨルトミアに陣取った三石に挟まれる形となってしまった。
「いかに西部連合が精強の軍とは言え挟撃を受けては保ちません…さらに港を完全に抑えられれば増援も送り込まれてきます」
白石が一つずつ地図上から取り除かれ、それに対応するようにして海上に黒石が増える。
それらはやがて上陸し、西部の地はすぐに黒石で埋め尽くされてしまった。
こうなってはいくら《皇帝の剣》が急いで帰還したとしても間に合わない…
「おそらくはこれが敵が描いた戦略の全貌…逆啄木鳥戦法…いえ、騒ぎ立てて裏を突く“からすの計”とでも名付けましょうか」
ナルファスは額に手を当てて俯き、呻くようにしてハンベエに言葉を返す。
「敵がそうしてくるという根拠は…」
「ボクならばそうします、《皇帝の剣》が北部で足止めを喰らっている現状は絶好の機会ですから」
つまり根拠はない…根拠はないが敵に同じ“転生者”がいるならばそう考える可能性は高い。
それで十分だ、何よりハンベエの説には筋が通っている。この線ならば突然イルトナが攻められた理由にも合点がいく。
しかし知りえたところで今のヨルトミアには敵の奇襲に対する対策がない。
サルファス隊かシア隊を呼び戻すか…いや、それでは海路から攻めてくる敵軍に力負けするだろう。
王都に援軍を要請しても到底間に合いはしまい…北部にいる《皇帝の剣》なら更にだ。
結局、いずれ来たる残酷な未来を知っただけに過ぎないのではないか…
「万事休す…というわけですか…」
「そこでです、僭越ながら策を用意いたしました」
その言葉にナルファスは飛び起きるように顔を上げた。
ハンベエの透き通った碧い瞳と視線がぶつかる。その目はまるですべてを見透かすかのようだった。
「ここはどなたが建てたかは知りませんが非常に優れた城ですね…扱い方は長い歴史の中で失われたようですが」
そう言ってハンベエはくるりと部屋の中を見渡す仕草を見せた。
資料を読む限り、このヨルトミア城の歴史はかなり古くタイクーン登場以前に遡る。
代々ヨルトミア家が受け継いできた城なのだが風光明媚な風景を彩る半面、周辺の地形的に若干利便性には難があった。
ハンベエはそれをして優れた城と評価している…一体どういうことなのか…
「ボクの策とヨルトミア城、この二つを以て奇襲部隊を迎撃いたします」
ナルファスにはこの少女が何者なのか分からない、ただ“転生者”であるということくらいしか知らない。
しかし今は何者であろうと頼るしかない。本当に敵の襲撃が迫っているのならば藁にも縋らねばならない状況なのだ。
…だが最後に、一つだけ確かめなければいけないことがある。
「…ハンベエ殿、何故今になって突然ヨルトミアに力をお貸しいただけるのですか?」
「そうですね、付近一帯を海賊が統治するようになればボクの平穏な暮らしが脅かされるというのがひとつ」
そして、ハンベエは口元へ扇子をやってくすりと笑った。
「もうひとつは、ようやく待ち人が現れたから…ということにしておきましょうか」
◇
サウェスト山脈山中…
猟師もあまり寄り付かない山の奥深くにその軍は野営していた。
兵たちの風貌は皆荒くれており、ともすれば山賊とも見間違えるほどの人相の悪さを漂わせている。
だが彼らは山賊ではない…海賊だ。なんと海賊が山間行軍を行い敵本拠の背後に忍び寄っているのだ。
稲妻状に頭髪を剃り上げた男…ガイコが本営テントに入り、報告する。
「親父からの報告だ、ヨルトミア軍がイルトナに出立したようだぜ」
モヒカンの男…ネイカがヒュウと口笛を吹いた。すべては策通りだ。
「つまり今のヨルトミアは丸裸って訳か!いいねェ、そそるねェ!」
「おうよ、ロクに守れるやつもいやしねえ!金品奪い放題、住民殺し放題!」
「おまけに女も犯し放題!ヒッヒヒヒ!」
ゴホンと咳払いが響く。
ガイコとネイカが目を向ける先に立つのは壮年の真面目そうな男だ。名をヴォーリという。
さらにその隣…ウェーブのかかった黒髪の少女が座っている。その目の下には隈が色濃いが疲労しているというわけではない。
二人は軽く肩をすくめる。海賊連合でもこいつらの部隊の空気は異質だ。
「悪いねヴォーリさんよ、デリカシーに欠けたかい?」
「…いや…しかし統率を欠く真似は控えて頂きたい、あくまで我らの目的はヨルトミアの制圧」
「わぁーってるって!仕事しなきゃ俺たちも親父に叱られちまうからよぉ…」
ネイカは次いで隣の黒い少女に目を向ける。
長い行軍で女日照りの彼らだったが陰気な空気を纏ったこの少女に手を出す気配はない。
何よりこの少女は得体が知れない。普段は寡黙な癖に喋れば何もかもを見透かしたようなことを言う。
“転生者”だとは聞いていたが、中には悪魔でも入っているのではないかと海賊たちは密かに噂している。
「で、どうなんだ…アンタの立てた作戦だろ?上手く行きそうなのか?」
「…ここまでは前提条件を揃えただけ…戦の帰結は現時点ではまだ読めん…」
黒衣の少女はにこりともせずに各報告書を眺めながらそう言葉を返した。
その返答にガイコとネイカは顔を見合わせ、互いに鼻で笑う。
もはやあの城に残っているのは僅かな城兵と非戦闘員のみ…城下町の住民たちが抵抗してきたところでたかが知れている。
戦わずにしても勝ったようなものだがこの“軍師殿”にとってはそうではないらしい…
気勢を削がれた彼らは作戦会議もそこそこにテントから立ち去った。酒を入れて気分を盛り上げるつもりのようだ。
「この状況でヨルトミアに打つ手立てがあると…そうお考えですか?」
テントに残されたヴォーリは少女に問いかける。
その視線には畏怖と同時に尊敬、そして強い忠誠心がこめられていた。
「…いや、現時点でその要素はない…、その要素はないが…」
少女はようやく報告書から顔を上げる。
そして陰気な視線でテントの入り口…さらにその先、ヨルトミアの方へ目を向けた。
「…なんだか懐かしい者がいる…ような、気が…する…」
【続く】




