第六十五話 西部地方、動乱再びの巻
時は少し遡る。
ユキムラたちが北部地方で剣神たちと激しい戦いを繰り広げていた頃。
リーデたちは天下を相手に大暴れしているが平定された西部地方は平和そのもの…
イルトナ“惣国”商工組合長マゴイチは今日もせわしなく働いていた。
各国との連携強化に領民からの嘆願解決、気を抜けば私服を肥やそうとする商人たちへの牽制。
そしてユキムラからは鉄砲の増産と大筒の研究開発をさんざんにせっつかれている。
「人を便利に使いよってからに…一揆でも起こしたろかなホンマ…」
ぶつぶつと独り言で愚痴を垂れ流しながらマゴイチは書類を手際よく片付けていく。
前世、雑賀衆は傭兵集団としての面が有名ではあったが紀伊国一帯を支配する地侍集団でもあった。
その長として領国経営してきたマゴイチの経験が今こうして活きている訳である。
尤も前世とは国の規模や政務の作法、あるいは文化なども違うため順風満帆ともいかないわけであるが…
「あー…ムシャクシャするわ、久々にひと暴れしたい気分や…」
「ギルド長ぉー、ギルド長ぉー」
そう呟くとほぼ同時、気の抜けた声と共に執務室の扉が開かれた。
入ってきたのは傭兵ギルド鉄砲兵長イズマ…かつてはオダ帝国の鉄砲頭を務めていた射撃の名手だ。
マゴイチは書類から目を上げ、だらしない風体のその男にジト目を向ける。
「見ての通り仕事中や、後にせえイズマ」
イズマはがりがりとバンダナに覆われた後頭部を掻いて報告を続ける。
「へぇ、すいません…でも海賊が港に現れやがりましてね…結構でかい規模なんで一応報告しとこうかと」
「海賊ぅ?」
マゴイチは小馬鹿にしたように鼻を鳴らす。
海に面したイルトナでは海賊が頻繁に出没する。その規模はピンキリで大きいものだと十隻ほどの船団を保有する。
だが大陸一の鉄砲保有率を誇るイルトナにとっては木造船の海賊など例えどんな規模だろうと赤子同然。
現に近海では海運を護る傭兵ギルドの奮闘により既にいくつもの海賊団を解散せしめている。
そいつらが今更攻めてきたところで相手になるはずもない…本来マゴイチが出る幕でもないのだが…
「ま、ええわ…ちょうど暴れたかったとこやしウチが直々に壊滅させたるわ」
そして数刻後。
マゴイチとイズマは厳戒態勢の港にやって来ていた。
沖ではおよそ七十隻ほどの武装船団がイルトナ側の傭兵船団と一触即発の緊迫感を漂わせながら睨み合っている…
その規模は海賊どころかまるで海軍、マゴイチは横に立つイズマを怒鳴りつけた。
「アホイズマぁ!アレのどこが海賊や!どう見てもどっかの国の海軍やないか!」
「ええっ!?だってホラ、海賊旗掲げてますよ?海賊でしょ!」
「んなアホな…―――…ホンマや…」
マゴイチは単眼鏡を覗き込み、その武装船団の先頭…その帆にドクロのマークを見る。
全世界共通、敵を威嚇するための海賊旗だ。まともな海軍であるならばあんなものはつけはしない。
だとしたらイズマの言う通り敵は海賊であるわけだが…
「ったく、どこのどいつや…鉤爪バロックか、赤髭ディードか…」
どちらもイルトナ近海を根城にする手強い海賊…しかしあれほどの船団を所持してはいなかったはずだ。
単眼鏡でマゴイチは船団をつぶさに観察、最奥の大型船に視線が向いた時…“其れ”を見つけた。
思わず口があんぐりと開き、咥えていたイカゲソがぽとりと落ちる。
「い、一文字三つ星…!」
旗艦と思しきその大型船に掲げられていたのは一の字に丸三つの紋章…
マゴイチはその紋章に覚えがあった…そして乗っている者の素性もそれだけでだいたい悟る。
「―――…イズマ、急いで各国に援軍要請を出せ」
「へ…?」
「早ようせえッ!!あの軍にはイルトナだけでは勝てへん!!西部地方の全戦力集結や!!」
「りょ、了解しましたあっ!!」
ギルド長の只ならぬ様相にイズマは緊急事態を察し、即座に各国へ伝令を飛ばすべく本部へ駆け戻る。
マゴイチは止め処なく流れ落ちる冷や汗を感じながら単眼鏡で武装船団を探る。
あれは“転生者”の船だ、それも並の“転生者”ではない。
一文字三つ星は安芸毛利家の家紋…即ち、この海賊旗を掲げた軍団は毛利水軍。
それを率いる者といえば…―――
「も、毛利元就…!召喚されとったんか…!?」
“謀神”毛利元就…
弱小国人の身からその類稀なる軍略と策謀の才によって中国全域を支配下に置いた戦国最高峰の智将。
もし生まれる時代がもう少し遅ければ秀吉の天下統一はありえなかっただろうとも言われている。
そんなレジェンド中のレジェンドがまさか海軍を率いてこのイルトナに…!?
動揺と混乱がマゴイチの脳内を駆け巡る中、沖から轟音が鳴り響く。
「うおおおっ!?」
着水した複数の質量が波を起こし、船上の傭兵たちは思わずつんのめった。
「ギッ、ギルド長!撃ってきました!」
「あ、あいつらも大筒持っとるんか!?」
「戦う気のようです…ど、どうしましょう…!」
敵船団は大砲装備、もはやこの世界には火薬と鉄砲が流通しつつあるのか…
だが攻撃を受けたことでマゴイチの肚は決まる。毛利が何だ、このイルトナはウチが育ててきた庭や!
元就だろうが何だろうが好き勝手させてたまるかい!
「こっちも砲撃用意!雑賀筒の性能を奴さんらに教えたれ!」
「了解!」
そして船団同士の激しい砲撃戦が始まった。
なんとしても援軍が来るまで持ちこたえ、連中に上陸させてはならない。
何せ敵は毛利元就…一度懐に入れてしまえばその時は既に策謀の術中だ…!
◇
一方、ヨルトミアでは…―――
「サルファス様!準備整いましてございます!」
「うむ!」
マゴイチの救援要請…それを受けた騎士団長サルファス=ガオノーは即座に出撃命令を下す。
イルトナは盟国であると同時に海路における西部地方の玄関口。決して奪われるわけにはいかない。
リーデからの文書により敵勢力の目途はついている…おそらく正体は南部地方の海賊連合。
《皇帝の剣》が北部に攻め入った隙を突いて手薄になった西部を狙ってきたというわけだろう。
「しかし王都ではなくこちらを狙ってくるとはな…甘く見られているのか、余程の自信があるのか」
「マゴイチ様からの書文では敵には恐ろしい“転生者”がいるということです…」
「おお、司教殿!」
サルファスの隣に並び立ったのはリシテン司教シア=カージュス。
しばらくは布教活動に専念していたが敵が攻めてきたとあって久しく鎧を身に纏っている。
「悪い予感が致します…急ぎましょう」
「ああ!―――全軍、これからイルトナの救援に向かう!出陣だ!」
応!!
士気も高くヨルトミア騎士団とリシテン聖戦士団は出撃。
その練度はリーデたちが出立した後も高め続けてきた。海戦ならばいざ知らず陸戦で引けを取ることはないだろう。
ヨルトミア城の窓からそれを眺めていたナルファス=ガオノーは軽く息を吐き、執務に戻る。
弟たちは優秀だ…何も心配することはない。自分はいつも通り帰りを待ちながら政務を行うまで…
「何も心配することはない…はずなのですが、何か妙な胸騒ぎがするのですよねぇ…」
イルトナ海上に現れた軍勢は確かに大規模だ。大規模だが正面から西部連合軍を叩き潰せるほどの兵力ではない。
正面切って戦争を仕掛けてきたのは余程練度に自信があるのか、それとも此方の力を見誤っているのか。
どちらにせよ不可解な攻め手だ。何事もなく撃退できればそれでいいのだが…
なんだか釈然としない感情を抱えていた時、コンコンと控えめに執務室の扉が叩かれた。
「何用ですか?」
「あの…ナルファス様、お客様がいらっしゃっているのですが…」
どこか歯切れ悪くメイドが伝える。
客…?ナルファスは首を傾げる。今日は誰の来訪も予定していなかったはずだが…
ひとまず会ってみようと応接間に向かうと、そこではどこか浮世離れした銀髪の少女が茶を飲んでいた。
誰だ…ナルファスが問いかける前に少女は口を開く。
「どうやら間に合わなかったようですね…」
「何…?」
「しかしヨルトミアの戦力抜きでは正面から押し切られる可能性が高い…呼び戻す訳にもいきませんか…」
ふむ…と少女は軽く思案する素振りを見せた。一人で喋って一人で納得したのだ。
物狂いか?と一瞬疑う。だがこの空気…ナルファスには覚えがあった。
そう、この感じはユキムラと初めて会った時の…
「貴女は一体…」
「ああ…これは失礼しましたナルファス=ガオノー様、ボクはノミル山のハンベエと申します」
ノミル山…確かあそこには仙人だか何だか得体の知れぬ者が住んで近隣の民たちに慕われていたはず。
そしてユキムラからも報告があった。上洛直前にヨルトミア軍にスカウトできないかと何度か訊ねていた者…
その名が確か…―――
「ハンベエ…確か“はぐれ転生者”の…」
「はぐれ……まぁ、知っておられるなら話が早いですね」
ハンベエは真っすぐにナルファスを見、話を続けた。
「率直に言いましょう、この国に危機が迫っています」
何…?
突拍子もない発言にナルファスは首を傾げた。攻められているのはイルトナの筈…
いまいち呑み込めない様子に、ハンベエは噛み砕くようにしてもう一度言った。
「イルトナを攻めている軍は撒き餌…敵の狙いは騎士女公の本拠、このヨルトミア城です」
【続く】