第四十七話 リーデ様、決闘の巻
大臣連は揺れていた。
皇帝陛下の突然の大陸平定宣言に続き、異議を唱えたコルノエ大臣の突然の失踪。
それもこれもすべてヨルトミア公の謁見後に起こった異変…犯人は捜すまでもない。
とんでもない女を王都の懐に入れてしまったことに大臣連は遅まきながら気付いたのだ。
「ミナツ!この責、一体どう取るつもりだ!」
大臣の一人が半ば八つ当たりのようにヨルトミア公の謁見を推挙したミナツを叱りつける。
対してミナツは鉄面皮を保ったまま軽く眼鏡を押し上げる。
「厳正な審査の後、人格、実績共に陛下謁見の条件を満たしていたため推挙したまでです」
「何が厳正な審査だ!実績はともかくあのような女狐を王都に招き入れたのは大失態だぞ!」
賛同した大臣たちが口々にミナツを非難する。
だがミナツはひどく冷たい目で大臣連を見回し、軽く小首を傾げてみせた。
「皆さま…ヨルトミア公が女狐と、陛下がそうおっしゃられたのでしょうか?」
「うぐ…!」
「もし保身のために言っておられるのならば、それは陛下の御意志よりも自身の立場が大切…そういうことですね」
会議場が一気に静まり返る。
この文官は自分たちに対する配慮などない。下手に保身に走れば即座に皇帝陛下へと密告するだろう。
そして今の陛下に、もしくはヨルトミア公に楯突けばおそらくコルノエと同じ目に合う。
そうなってしまってはこれまで自分たちが築き上げてきたものがすべて台無しになってしまう。
誰もが口を噤んでしまう中、一人の老いた大臣が立ち上がった。
「…もうよい、私があの女を見極めよう」
「シンリヴァー卿…」
シンリヴァー・ガイスレリック…
その体躯は枯れ木のように痩せ細りながらも堂々たる佇まいだ。
それもそのはず、この老人はかつての王都七騎士の一人。現役を引退し政務を学んで大臣となった。
政務の実権こそはコルノエに握られていたが、彼の存在は王都の誰もが無視できない所にある。
コルノエが大臣連を自分の派閥で染めて掌握できなかったのも全てはこの老人が目を光らせていたからこそ。
もし彼がいなかったとすれば王都の腐敗はもっと早くに致命的な域まで進行していたことだろう。
「陛下は今や皇帝としての器を備えられた…それは喜ばしいことである」
シンリヴァーがじろりと大臣連を睥睨すると、幾人かが目を背けた。
保身のためにそれを素直に喜べぬ者もいるということだ…彼は軽く目を伏せて溜息を吐く。
「だがもし、あの女がコルノエと同じく私利私欲のために陛下を操ろうとしているのならば…」
シンリヴァーはカッと目を見開き、腰に差した長剣を抜き放った。
それだけで大臣たちは震え上がる。大臣でありながら帯剣している者などこの老人くらいだ。
「私が獅子身中に潜まんとする虫を斬り捨ててくれるわ!」
◇
「ど、どうしてこんなことに…」
翌朝、王城の中庭…
それぞれ軽装に身を包み、刃を潰した細剣を握るリーデとシンリヴァーにラキは頭を抱える。
二者の決闘を遠巻きに見守るのは大臣連とミナツ、王都七騎士、そして皇帝。
リーデの傍にはセコンドとしてユキムラがついている。
「今更言っても仕方ないでしょう、むしろ腹の探り合いよりこっちの方が話が早くて助かるわね」
「左様、王都の大臣どもは随分と血の気が多いようですな」
シンリヴァーが皇帝の御前でリーデに決闘を挑んできたのはつい先ほど。
皇帝を惑わしコルノエを追放したのは全てヨルトミアの仕業と直球で糾弾してきた。
まさかの発言に激怒した皇帝はすぐにシンリヴァーを処刑しようとしたのだが、それをリーデが制止。
そして、問うた。だとすればなんとする…と。
結果がこの決闘である…騎士女公の真意は剣によって確かめたい、シンリヴァーはそう言ったのだ。
リーデはその提案を呑んだ。大陸平定に王都のバックアップを受けるには大臣連の協力も不可欠。
色々と根回しするよりも遥かに分かりやすい話になったからだ。
「ユキムラ、勝算は?」
「十分にありまする、シンリヴァー卿は剣の腕はあるようですが御高齢でござる故」
「結構…それで、どう戦えばいい?」
「死角は左半面、おそらく足を悪くしておられる…歩く時の重心が僅かにズレておりました、そこで…―――」
ぼそぼそと数言の助言があった。
リーデは軽く頷くとユキムラと離れ、仁王立ちするシンリヴァーの前へと進み出る。
「どうぞお手柔らかにお願いしますわ」
優雅に一礼。
シンリヴァーはそれをじろりと睨み下ろす。
「何か企んでいるようだが無駄なこと、一度剣を交えればそこには誤魔化しは利かん」
「ええ、重々承知しております…私のことを存分に理解して頂ければ幸いです」
両者は剣を構える。緊迫した空気が場を支配する。
皇帝は初めて感じる決闘の空気に息を呑みながらも堂々たる態度を保った。
そして軽く手を上げ、高く通る声で命じた。
「始めよ!」
両者が弾かれたように動く。
先に仕掛けたのはリーデだ。ユキムラの助言通り左に回り、細剣で鋭く突きを繰り出す。
最近左膝に不調を抱えるシンリヴァーは小さく舌打ちしながら突きを弾き、返す剣で斬りつけた。
だがその時には既にリーデの身は射程外。小鹿のように軽やかに跳ねて距離を離す。
そしてまた左に回り込みながらの突き…鮮やかなヒット&アウェイ戦法だ。
「おお…!」
「さすがは騎士女公、指揮だけでなく剣技もお見事…!」
皇帝と王都七騎士が感嘆の声を上げる。
その評にユキムラとラキの鼻が僅かに高くなる。リーデは統治や戦術だけでなく剣技も磨いてきたのだ。
さすがに本物の騎士に敵うほどではないが、老いた大臣相手では相手にすら…―――
「小賢しいっ!」
「くっ…!」
老いても王都七騎士、距離を離すリーデに対しシンリヴァーは同時に踏み込んで打ち込んだ。
リーデは一太刀を剣で受ける。一度守りに回れば今度はシンリヴァーの番だ。
老いを感じさせない激しい連続攻撃で打ち込み、じりじりとリーデを追い詰めていく。
両者の顔の前で刃が交わって火花を散らし、ぎりぎりと鍔競り合う。
「コルノエを追放してくれたことは感謝する…ヤツは王都の癌、しかし私の力では手が出せなんだ」
鍔競りながら、シンリヴァーは呟く。
「陛下を成長させてくれたこともだ…たった数日で見違えるようになった、貴公が変えてくれたのだろう」
二者の視線が交錯する。
感謝すると言いながらシンリヴァーの表情は厳めしいままだ。
「だが貴公は危険だ、“変えてしまいすぎる”…その原動力は一体何なのだ?」
「…っ!」
押し切られかけたところ、かろうじてリーデは剣を捌いた。後方へ跳び、再び距離を離す。
老いて尚凄まじい剛力…手が痺れかけてきた。おそらく今度は捌き切れないだろう…
シンリヴァーはゆっくりと剣を構え直し、言葉を続ける。
「もしその原動力がコルノエと同じ私利私欲であるならば…私は王都の未来のため、貴様を斬る…!」
リーデは乱れた呼吸を整えるべく深く息を吐いた。
そしてシンリヴァーの目を見据えながら、言葉を返す。
「私利私欲、それの一体何がいけないというの?」
「貴様…!」
睨み返されるがリーデは怯まない。むしろ呆れたように肩をすくめる。
「すべては欲よ、大義も慈悲も、すべては“そうしたい”と願う人の欲…綺麗も汚いもそこにはない」
リーデは剣を構えた。
この世界の剣技ではない異形の型…ユキムラが僅かに目を細める。
「私は私の欲のままにタイクーンの名に権威を取り戻し、天下を…未来を手に入れる…ただそれだけ」
もはや問答無用。
激昂したシンリヴァーは刃を潰した剣で撲殺せしめんとリーデへと激しく打ちかかった。
だがそれはリーデの思惑通りだ。怒りによって強撃するならば必ずその一撃は大振りになる。
即ち、カウンターを狙う絶好の好機…鋭い一突きが剣を振り上げたシンリヴァーの胸元を強襲する。
しかし…―――
「貴公の考えはわかった」
激昂は演技だ。
突然怒気を収めたシンリヴァーは冷静にカウンター突きを躱す。
まさかの動きにリーデは踏鞴を踏み、結果として大きな隙を晒すことになってしまう。
一方でシンリヴァーは剣を振り上げたままだ。
「しかしその考えは力が伴わねば王都を、貴公に関わるすべての者を不幸にする!貴公にその力があるか!」
シンリヴァーの剣が振り下ろされる。リーデは剣での防御が間に合わない姿勢だ。
勝負あったか…皇帝は思わず目を瞑る。彼女が打ちのめされる所は見たくない。
しかし、次に目を開いた時に映った光景は想像していたものとはまったく違っていた。
「力ならあるわ、だってタイクーンですもの」
すらりと伸びた後ろ回し蹴り…
其れがシンリヴァーの長髭を蓄えた顎に突き刺さっていた。
スカートを穿いて使うにしてはあまりに行儀の悪い足技…それ故に予想だにしていなかっただろう。
観戦していた大臣連と王都七騎士から困惑の声が上がり、ユキムラとラキは思わず顔を背ける。
的確に顎を打ち据えられ、脳を揺らされたシンリヴァーは不覚にもダウン…尻餅をついた。
「ご理解頂けたかしら、シンリヴァー卿?」
リーデが不敵に笑い、眼前に剣を突きつける。
呆然としていたシンリヴァーは一瞬の間の後、思わずくはっと吹き出した。
決闘にしてはあまりにも不格好な決着…田舎の山猿剣法と笑われるような技である。
成る程…願いを、欲を叶えるためならば形振り構わない。それがヨルトミア公というわけか。
だがその形振り構わなさが力となり、西部を一統し、こうして王都を突き動かすまでに至った…
「勝負あり!」
皇帝が宣言し、リーデは剣を収める。
そして尻餅をついたままのシンリヴァーへと手を差し伸べた。
彼は観念したように笑い、手を借りて立ち上がる…大臣連と王都七騎士、両方から拍手が上がる。
ヨルトミア公…大した人物のようだ。目的は私利私欲だがあのコルノエとはスケールが違う。
彼女なら本当に天下を取ってしまうかもしれない…シンリヴァーはそう実感した。
「…まったく、ミナツはとんでもない者を王都に招き入れてくれたものよ!」
「光栄です、これからもっととんでもないことをしてみせますわ」
そう言って二者は顔を見合わせ、笑った。
この決闘の後…王都の実権は名実共に皇帝へと移行。大臣連は従来の役割通り補佐に当たることとなる…
【続く】




