第四十五話 リーデ様、皇帝陛下を篭絡するの巻
皇帝…セーグクィン六世は眠れぬ夜を過ごしていた。
ヨルトミア公の謁見が決まった時、大臣連はタイクーンの名を与え王都の守りとすることに決定した。
皇帝自身もまたその決定に異論はなかった。どうせ反対したところで自分の意見が聞き入れられるはずがないからだ。
ヨルトミア公も…栄誉あるタイクーンの後継と認められればそれで満足すると思っていた。
だが、彼女は違った…
『陛下は、大陸の覇王たるタイクーンの権威が貶められたままで…本当によろしいのですか?』
もはや大陸全土に支配力を持ったタイクーンの権威は無きに等しい。
しかしそれでも、タイクーンという名を血族の誰もが欲して何十年も争ってきたものだ。
だがヨルトミア公は違った…ただの名だけの存在と化したタイクーンに何の価値も見出していなかった。
そしてその是非を問いかけてきたのだ。大臣連ではなく、他の誰もないこの皇帝に。
(余は、どうすればいいのだ…)
このままでいい…などと思っているわけでは決してない。
だがどうしようもないのだ。先帝である父は早くに亡くなり、後を追うようにして母も病でこの世を去った。
その後はまるで仕組まれていたかのように大臣連が台頭し幼い自分に代わり政務の全権を握っている。
騎士たちもまるで王城から追い出されるようにして王都への門の警護に回された。
自分は…この城でひとりぼっちなのだ…―――
「…陛下、夜分に失礼します」
「―――何用だ?」
ベッドの上で一人膝を抱えている折、控えめに戸が叩かれた。
返事をするとゆっくりとドアが開かれて桃色の髪を持つ一人のメイドが寝室に現れる。
見たことのないメイドだ、新人だろうか…そんなことを考えているとそのメイドと視線が交錯した。
その燃えるような色の瞳は脳裏に焼き付いていた。
「ヨッ、ヨルトミア公っ!?」
「おっと…お静かに、城の者に気付かれてしまいます」
メイドの姿をしたリーデ=ヒム=ヨルトミアは人差し指を口元に立て、悪戯っぽく笑う。
思わず後ずさってしまったが、害意がないことを見て取ると皇帝は警戒を解いて思わず苦笑した。
「ヨルトミアは失われた魔術を使うという物語だったが…本当のようだな」
「ふふ…これは魔術ではなく忍術ですわ」
忍術…聞き覚えのない言葉だった。
ともかく、どうやって皇帝の居住区画に入り込んだのかは知らないが予想外の来客だ。
衛兵に見つかれば例え一地方の大公と言えど首を刎ねられるだろう。
「…一体、余に何用なのだ?危険であろう?」
「謁見での私の問い…陛下は何か申されようとして大臣に遮られました、あの続きが聞きとうございます」
たかがそれだけのためにか…?
思わず冗談だろうと笑おうとするが、見返した彼女の目は真剣だった。
皇帝の小さな心臓が早鐘のように高鳴る…心の中の葛藤を何もかも見透かされているようだ。
「陛下は、大陸の覇王たるタイクーンの権威が貶められたままで…本当によろしいのですか?」
もう一度、あの問いが繰り返された。
闇の中に煌々と燃える瞳が輝く…まるで悪魔のようだ、皇帝はそう感じた。
そして気付けば…意味がない物として心の中に封じ込めていたものが露にされていた。
乾く喉から声を絞り出すようにして、答える。
「良いわけが、なかろう…!」
感情の堤が決壊する。
「タイクーンはこの大陸を平定した…長きに渡る先の戦乱に終止符を打った偉大な覇王、余たちの祖先だ…」
その偉業は幼き日より父母に聞かされてきた。その後継たれと育てられてきた。
「余も今の世で民たちが苦しんでいることは把握している…無法者たちに王国の地が踏み荒らされていることも…」
だがその栄光は今や地に落ち、反乱軍や海賊によって領土を蹂躙されている。
「見過ごせるわけがなかろう…本当はタイクーン第一子の血を引く皇帝が乱世を平定しなくてはならない…」
皇帝はタイクーンではない…しかし本来は皇帝こそがタイクーンなのだ。
「そしてタイクーンの栄光ここにありと、皆が笑って暮らせる世はここにあると証明せねばならんのだ…」
だが、今の自分は理想とするタイクーンの末裔からは程遠い。
ぎりり…小さな拳が血が滲むほど強く握りしめられた。
まだ幼い皇帝だ。しかしその皇帝としての自覚は年不相応に強い。
「だができない…!所詮、大臣連に担がれるお飾りの皇帝である余には…!」
ふわり。
握りしめられた小さな拳に、白く美しい手が添えられた。
俯いていた皇帝はハッと顔を上げる…柔らかな微笑を浮かべたヨルトミア公の顔がそこにあった。
「陛下、思い違いをなさらないでくださいませ、陛下は皇帝…この王都で最も上に立つ者です」
「し、しかし実権は大臣連が…」
「そんなもの、陛下のお声ひとつでどうとでもなります…陛下の御言葉は全てに優先されるのですから」
いとも容易く言ってのける。
理屈は分かる…だがそれは力があるからこそ言えることだ。
たった一人、誰も味方のいない王城で自分の意見を言ったところで聞く者などいない…
「余には…余自身を皇帝たらしめる力がない…」
ぽつりと呟いた言葉に、彼女はくすりと笑った。
「力ならここにありますわ…私が、ヨルトミアが皇帝陛下の剣となりましょう」
顔を近づけ、耳元で囁くように宣言する。
先ほど悪魔だと思った貌は導きの天使の其れに変わり、じわりと心の疵を塞いでいく。
「陛下は皇帝として我々を存分に使い、陛下の理想とする世を作ってくださいませ」
いくら西部を平定したとはいえ、たかが一領主の言葉…
口にした目標はあまりにも大きい…タイクーン以来の大陸平定を成し遂げようというのだ。
だがそこには決して無謀という言葉では片づけられない確固たる自信と、絶対に成し遂げようという意志があった。
できるかも知れない…ヨルトミアの力と、そして王都の騎士の力があれば…―――
「―――…その代わり」
希望の光が胸に差した瞬間、その声が響く。
「理想を叶えた暁にはその天下を私にください、陛下」
彼女は天使かと思えば悪魔にもなる。
皇帝の剣となり、乱世を平定する力となってくれる。
だがその後は初代タイクーン同様すべての支配権を渡すように言ってのけたのだ。
そうなれば皇帝と言えども立場は同列…否、彼女の方が上となるだろう。
まさに天を恐れぬ者しか言えない言葉だ。
「………」
ふざけるな!そう言ってこの部屋から追放することは容易いだろう。
だがそうした場合何も変わらない…今までと同じお飾りの皇帝のまま、戦乱の世に目を背けながら生きていくだけだ。
例え最終的には彼女にすべてを委ねることになったとしても、その誘いはひどく魅力的なものに思えた。
迷いの時間は果てしなく長いようにも、刹那の一瞬だったようにも感じる。
―――…やがて、皇帝はヨルトミア公のその手を取った。
「契約だ…余の力となってくれ、リーデ=ヒム=ヨルトミア」
彼女はにっこりと微笑み、力強く頷く。
「ええ、今この時を以て私は陛下の剣…乱世を一太刀の下に斬り捨てて御覧に入れましょう」
その微笑みは頼もしいようにも、末恐ろしいようにも感じた。
天下は広いものだ、同じタイクーンの血族でもここまで差が生まれるとは…皇帝はしみじみと思う。
おそらく初代タイクーンに近いのは…―――
「そなたのその欲の強さ、まるで初代タイクーンのようだな」
「陛下のその挺身ぶり、まるで初代タイクーンのようですわね」
ほぼ同時に言って、ほぼ同時に目を瞬かせた。
両者の評はどちらとも間違っていない…初代タイクーンは究極の二面性を持つ者と後世に伝わっている。
その男は誰よりも強欲にして傲慢、それでいて天下惣無事のために全てを捧げられる人物だったという。
どちらが欠けてもいけない…二人合わせてようやく初代と同列だ。
二者は顔を見合わせ、どちらともなく声を上げて笑った。
◇
「ああ…クソ…やっちまった…やっちまったよオイ…」
衛兵の格好をした俺は頭を抱え、赤絨毯の廊下に座り込んだ。
リーデ様の怖いもの知らずは最早留まるところを知らない。ついに皇帝陛下の寝室に突入するとこまできてしまった。
こんな公爵は前代未聞だろう。世間様に知られたらとんだ大スキャンダルになること間違いなし。
―――まぁ、そうさせない為に付近一帯にプスリ草の煙を焚いて衛兵やメイドたちを眠らせているわけだが…
「はぁ…俺、とんでもねえ国に仕えちまったなあ…」
「さっきからぶつぶつうるさいぞ…サスケ」
隣のちびっこメイド姿のサイゾーが腰に手を当ててふんすと鼻を鳴らす。
俺たちに与えられたのはもしもの時にリーデ様を連れてここを脱出する役なのだが、その仕事はなさそうだ。
皇帝陛下の部屋からは喧騒の音も悲鳴も聞こえない。多分きっとメイビィー問題なし。
「リーデさま、20…こうていへいか、13くらい…7つならぎりぎりだな…」
サイゾーが指折り何かを数えているが問題ないったら問題ない!
部屋の中で起こっていることを考えないようにしつつ俺は胡坐をかいて瞑想することにした。
マジ勘弁してくださいよリーデ様…ラキ様とかイオータ様とか貴女のファンが悲しみます…女ばっかだな…
色々気が気でない俺を差し置いて王都の夜はゆっくりと更けていくのだった…
【続く】