第三十九話 ハンベエ、ユキムラちゃんに問うの巻
半兵衛と呼ばれた少女に通された小屋の中…
小ぢんまりとしているがさっぱりとした草庵は本や書で埋め尽くされていた。
その本はこの世界に元あったものから、少女が書いたと思しきものまで様々だ。
俺が所在なげにきょろきょろと周りを見渡していると、ユキムラちゃんが脇腹を小突いてきた。
あまり失礼な仕草はするな…そういうことだろう。
それを見てくすりと少女は笑い、俺たちの前に薬草茶の入った器を出す。
「お噂はかねがね聞いておりますよ、“転生軍師”ユキムラ様」
「貴公を前に軍師を名乗るには些かお恥ずかしい限りですが…」
ユキムラちゃんは会った時から謙遜しっぱなしだ。
そしてこの目の前の少女…ハンベエもどうやら軍師らしい。おそらくユキムラちゃんよりも格上の…
しかし軍師というにはどうにも浮世離れしている感が否めないし、戦が得意そうにも見えない。
どこからどう見ても病弱そうなただの小娘だ。
ハンベエは泰然とした笑顔のまま続けた。
「いいえ、西部統一は立派なものです…ボクの手助けなど今更必要ないくらいに」
「そこをなんとか!どうかお願いいたす!」
ユキムラちゃんは深く頭を下げた。俺もその後を次いで頭を下げる。
さらに二の句を告げさせず畳みかける。
「これよりの戦いはさらに激しいものとなる!わしの軍略では到底足りぬ!」
そこでユキムラちゃんは頭を上げた。
眼前に座るハンベエの手を取る。
「ヨルトミアが天下を取るためには、太閤殿下の天下取りを支えた貴公の軍略が必要なのです!」
沈黙…
ハンベエは手を取られたまま、その蒼く深い瞳でユキムラちゃんを見据える。
そして、全てを見透かしたかのように言った。
「…ヨルトミアに天下を取らせてどうするというのです?」
根本的な問いが突き刺さった。
あまりにも真っすぐなその問いにユキムラちゃんは返す言葉を失う。
ハンベエは囁くような声量で、だがしっかりと響く声で問い詰める。
「天下を目指す…それは結構、ですが何のために天下を目指すのですか?」
「戦乱に苦しむ民を救うため…この世の悪逆非道を駆逐するため…どれも違いますね」
「貴方はただ“そうしなければいけない”という戦国の狂奔から今も逃れられていないだけ」
「おそらく天下を取った後のことなど考えてもいないのでしょう…」
「無理もありません、貴方はおそらく戦いの中にしか身を置いてこなかった人間なのですから」
「ですがあまりにも無責任…それでは振り回される臣民にとってはいい迷惑です」
一言一言が鋭い刃と化してユキムラちゃんの心を抉っていく気がした。
そういえば何度話していてもユキムラちゃんが語るのは天下を取る過程まで…いつもその先がない。
それをユキムラちゃん自身が分かっているからこそ、効いた。
ハンベエはにこりと笑ってトドメの一撃を見舞う。
「大志無き天下取りに付き合うことはできません、どうぞお引き取りください」
静寂…重い重い静寂。
ユキムラちゃんは言葉なく、小さく頭を下げるとフラフラと立ち上がった。
俺は慌ててその後を追う。ここまで打ちのめされた姿を見たのは初めてだ。
その背に軽い調子のハンベエの声がかかる。
「力にはなれませんが人生相談にはいつでも乗りますよ、またいらしてください」
このサディストめが…!
俺は軽く睨みつけた上で頭を下げると、そのボロ小屋を後にした。
◇
その夜、ユキムラちゃんは荒れた。
「どうせわしはぁ!戦の世しか知らぬ無骨者じゃあ!」
サナダ屋敷の座敷部屋、アルコール度数の高い安酒をかっくらってくだを巻く。
そこにはいつもの頼れる軍師としての姿はなかった…部下たちには到底見せられない。
俺は身銭を切ってセイカイたちに外で宴会して来いと人払いする。連中は喜んで出て行った。
「戦って領土をでかくする!その延長に天下取りがあるだけなんじゃ…!」
「ユキムラちゃん…どうかその辺で…」
俺が取り上げようとした酒瓶をユキムラちゃんは無理矢理奪い取り、ごっごっと喉に流し込む。
ハンベエの言葉責めは予想以上に効いたらしい。こんな荒れ方はかつて見たことがない。
ぶへぁ…とユキムラちゃんは酒臭い息を吐きかけてきた。
「わしは太閤殿下や内府のようにはなれん!壊すことはできても作ることはできん!」
がっしと胸倉が掴まれる。
俺とユキムラちゃんではかなり体格差があるため恐ろしさはなかったが…色々危険な態勢だ。
「そんな者が天下を目指してどうするというんじゃ!なあ、サスケよぉ!」
「お、落ち着いて!ユキムラちゃん落ち着いて!」
がくがくと揺さぶられる。
おのれハンベエ…ある意味マゴイチやノブナガと戦った時以上のピンチだ。
馬乗りになられながらなんとか宥めすかすものの、このままでは本当にまずい。
まずいの意味は二通り。一つは急性アルコール中毒、もう一つは俺の男としての尊厳。
揺さぶられながら状況の打開策を探っていたところ…座敷部屋の襖がスッと音を立てて開かれた。
誰かが帰ってきたか…誰でもいい、この状況をなんとか…―――
「あら?取り込み中だったかしら…貴方たち、そんな仲だったのね」
響いたのはこの屋敷では本来聞こえるはずもない声。
思わず来客の方に振り向くとそこには本来居るはずもない姿。
「「リ、リーデ様ぁっ!?」」
そこにいたのは騎士女大公、リーデ=ヒム=ヨルトミア…突然の襲撃だった。
【続く】