第三十七話 新たなる幕開けの巻
タイクーンは大陸平定を成し遂げた最も偉大な王であり、最も欲深き者だった。
その血は脈々と受け継がれ、血族はその心の内に身を焼く程の強い欲を宿している。
それに従って生きるからこそ長きに渡る戦乱は未だ終焉を見ず、世は悪鬼羅刹蔓延る修羅の巷と化している。
おそらく“この子”も、そうなのだろう…
“この子”の欲は同年代の子たちの誰よりも強い…時を経て再びタイクーンの血が発露したとしか思えない。
今はまだいい…だがいずれ身に余る大望を抱けば“この子”は必ずや欲の炎に内側から滅ぼされるだろう。
だとすれば我々が親としてしてやれることは只一つ…その欲の炎を徹底して封じ込めるまで。
恨まれるやも知れぬ、自我を殺してしまうことになるやも知れぬ。
だが願わくば“この子”は幸せな人生を歩まんことを…
「―――しかしそうはならなかった…悪魔が封じ込められた炎を暴いてしまったのだから…」
ヨルトミア城の暗い書庫の中、リーデは一冊の日誌を閉じる。
整理中に偶然見つかった先代ヨルトミア公…父の日誌だった。
そこにはあの厳格な仮面に隠された自分への愛がありありと綴られていた。
てっきり父も母も国のお飾りとして自分を扱っているだけだと思っていた。だがそうではなかったのだ。
例え人形姫と呼ばれようと欲の炎が娘を滅ぼしてしまわないよう、彼らなりに守ろうとしていたのだ。
くすりと、リーデは軽く笑う。まったく余計なお世話だ。
「ごめんなさいお父様、お母様…それでも私は自分の気持ちを偽れそうにないの」
ダイルマと戦った時、あの時はただただ自由な明日が欲しかった。
ヨルトミアを自分のものとした時、あの時はもっと広い世界が欲しくなった。
そして今、大陸西部を一統した後に求めるのはタイクーンの座…即ち天下だ。
野心は決して尽きることはない…一つ手に入れるとまた一つ、また一つと欲しいものが増えていく。
我ながらまったく以て度し難い強欲…祖先、タイクーンもきっとこうだったのだろう。
「さようなら、先代ヨルトミア公…例えどんな末路を迎えようとも私は私の道を往くわ」
リーデは日誌を本棚に戻すと踵を返し、暗い書庫を後にする。
扉を開くと眩い日光が降り注いだ。思わず片手を翳してその強い光を遮る。
時期は草木芽吹く春、長い冬が明けてヨルトミアの蒼天には日輪が燦然と輝いていた。
◇
「―――…やはり、ダメなようですね…異界へのパスが繋がりません」
「ううむ、そうか…残念じゃが仕方あるまい」
ヨルトミア大公国、リシテン教会…
わしはシア殿と共にとある魔術の実験を行っていた。
それは“転生者”召喚…一度は成功したがわしを召喚した以降は何度やっても成功しないのだという。
シア殿は物憂げに溜息を吐いて頭を振った。
「やはりフォッテ公に聞いた通り…“転生者”召喚は一つの国につき一度だけなのでしょうか」
「それもおかしな話じゃがのう…」
考えれば考えるほどその仕組みには違和感を感じる…
魔術にはそれほど詳しいわけではないが何となく分かってきたことがある。
それは例えどんな魔術であっても自然界の絶対の法則には逆らえないということだ。
例えばこの場に火を起こすなら…体内に蓄積された魔力を放出、術式で熱に変換し、空気中の微小な塵を燃やす。
それは突き詰めて言えば本来火打石や火薬で行うようなことを別の手段で行っているに過ぎない。
故に“転生者”召喚も複雑怪奇な術式を経由するものの一定の法則には逆らえないはずなのだ。
だが「“転生者”召喚は一つの国につき一度だけ」…この前提はひどく曖昧に思える。
ではもし仮にシア殿がここで独立宣言し、シア殿を国主としてこの教会内を一つの国とした場合、成功するのか…
そういう話である。
「その地の龍脈等の潜在えねるぎぃを消費して召喚している…などということはないか?」
「だとすれば旧ダイルマや旧ノーノーラで失敗した理由に説明がつきません…」
そういえばあの二つの国は“転生者”召喚することもなく滅んだ国だったか…
龍脈から力を使っているのならばその地での召喚実験は成功したはずだ。
考えれば考えるほど訳が分からなくなる。お手上げだ…―――
「―――…私はこのままリシテン教を信奉していていいのでしょうか…」
行き詰る中、思わず耳を疑うような発言がシア殿から聞こえてくる。
ここまで熱心に信奉しておいて今更何を言っているのか…
だがシア殿は曇った表情で言葉を続けた。
「呪術教団のカシンは言っていました…今の戦乱の世はゲームなのだと…リシテン様がそう定められたのだと…」
呪術教団カシン…
イルトナやフォッテに取り入りマゴイチ、ノブナガをこの世に召喚させた首謀者。
呪術教団はリシテン教と大本は同じ。女神リシテンを信奉しているのだという…
その者が放った言葉がどうやらシア殿の心を惑わせているようだった。
「もし、リシテン様がそのような方であるならば…私は…―――」
「…神仏の姿は一つにあらず、人によって見え方は変わるもの也」
わしの言葉にシア殿は目を丸くする。
ここはひとつ年の功で導いて差し上げるとしよう…今は少女の姿だが…
「誰が何と言おうとシア殿には今まで信じてきたリシテンの像がある…であれば、それが女神リシテンでござろう」
「し、しかし…もしかすると我々を駒同然にしか思っていない御方なのやも…」
「そうではないかも知れない…神仏に口無し、自分の都合のいいように解釈すればいいのじゃ」
宗教とは気の持ちようひとつ。
教義も信心も結局は己の内にあるもので、他者によって左右されるべきものではない。
敬虔な聖職者であるシア殿には少し難しい柔軟性かも知れないがいずれこの考えが役に立つ日が来るだろう。
毒気の抜かれたような顔をするシア殿にわしは笑いかけ、脱線しかかった話を戻すとしよう。
「ともあれ、一国一召喚の法則に従うならオリコーとハーミッテで二名は召喚できる…慎重に使わねばのう」
「あー……」
その言葉に、シア殿がバツの悪そうな顔をしたのをわしは見逃さなかった。
あー…ってなんじゃ、あー…って、もしやとは思うが…
おずおずとシア殿が言葉を続ける。
「そのう…シミョール様の強い希望でですね…既にオリコーで“転生者”召喚を行いまして………残り一回です」
な…
「なんじゃとぉぉぉぉ!?」
【続く】