第三十五話 真田幸村と織田信長、決着の巻
炎の中、赤と黒が激しく打ち合っている。
真田幸村と織田信長、本来時代も格も違う二つの存在…だがこのあべこべの異世界ではその存在は対等だ。
炎を裂いて襲い来る十文字槍を信長は軽くいなし、その懐に飛び込んで鎧の肩当にへし切り長谷部の白刃を押し当てる。
ぞりり…ただそれだけで鎧が裂け始めた。おそろしい切れ味だ。妖刀と言っても過言ではない。
幸村は冷静に信長の胴を狙って前蹴りを繰り出しながら後方に跳躍。空中で姿勢制御しながら左手で馬上筒を発射する。
信長は前蹴りに僅かによろめきながらも踏ん張り、迫る鉛玉に軽くへし切りを振るうと鉛玉は両断されて地に落ちた。
信長はその貌に裂けるような笑みを浮かべる…
(これが“真の転生者”…ありえん強さだ…)
幸村は打ちかかりながら思案する。
信長相手は一筋縄ではいかないと思ってはいたが“再転生”中の己に匹敵する…否、それ以上の戦闘能力だ。
今はまだ拮抗してはいるものの、どうにかして均衡を崩し討ち取らねばならない…
何せこちらの制限時間は間際まで迫っている…このままでは最悪の展開で小娘の姿に戻ってしまうだろう。
そうなる前に致命の一撃を入れなければ…―――
「この儂を前に考え事…甘く見られたものよ」
「っ!!」
雑念が過った一瞬の隙を突かれた。
振るった十文字槍が強く弾かれて懐が大きく開く。そこに信長は左手を翳した。
すると左掌から黒い靄が噴き出し、まるで大蛇と化して幸村の胴体に巻き付いていく。
靄の大蛇は物質化しギリギリと幸村の肉体を締め上げる。肋骨が軋み、肺が圧迫されるダメージに思わず呼気が乱れた。
“転生者”としての後付け能力…肉体強化だけでなくよもやこんな妖術まで持っているとは…
「ぐっ!があっ…!」
「儂は信長、第六天魔王…この異世界でも天下を喰らってみせる!貴様はその礎となれい!」
めきめきと肉体の内側から嫌な音が聞こえ始める。
このままではまずい…意識を失いかける幸村が何とか気を奮い立たせ打開策を模索するその時、木陰に火花が瞬いた。
「信長ァ!こいつで往生せいやあ!!」
マゴイチだ。
大型鉄砲、士筒…小娘の身で扱うには巨大に過ぎるそれを木の幹を支えにして構え、ぶっ放した。
通常鉄砲よりも遥かに多い火薬量と弾丸重量の一撃は例え“転生者”であろうとまともに受ければタダでは済まない。
信長は舌打ちして幸村を投げ捨て、己の前に何層もの黒い靄の壁を形成した。
靄の壁に絡め取られた鉛玉はシュウシュウと音と煙を立てながら減速し…ぽとりと地に落ちる。
マゴイチの目が見開かれた、その時には既に信長は肉薄している。
「なんやて…!?」
「二度も儂を撃とうてか!雑賀孫市!」
一閃。
盾にした士筒が切り裂かれ、反動でマゴイチの体躯がコロコロと転がる。
信長はそれを追ってさらにへし切りを振り上げる。マゴイチはいよいよ二度目の死を覚悟した。
だが…―――
「させん…!」
「マゴイチさん、下がって!」
サナダ忍軍、サスケとサイゾー。
左右から二人がかりでなんとかへし切りの唐竹割りを受け止めマゴイチを庇う。
態勢を立て直したマゴイチはすまん!と軽く礼を言って離脱した。九死に一生だ。
しかし次の瞬間、へし切りを受けている二本の剣はぞりぞりと音を立てて白刃の前に裂け始める。
その様子はまるで刃が刃を喰らっているかのようだとサスケは錯覚した。
「オイオイ…武器まで化け物かよ!」
「あぶない…!」
折れかける剣を捨てて二人はほぼ同時に後方跳躍、懐から取り出した手裏剣を連投する。
信長は手裏剣の雨霰を前に既に使いこなし始めた黒い靄を展開…手裏剣は速度を失ってぱらぱらと地に落ちた。
まるで何もかもが規格外だ…今までの戦いの常識がまるで通用しない。これが“真の転生者”…
「あやしげなじゅつを…ずるいぞ…!」
「クソッ、魔王なら俺らじゃなくて勇者とやりあってくれませんかね…!」
迫る信長を前に、サスケとサイゾーはじりじりと後退する。
信長は二人の雑兵に対し無言、悠然と距離を詰めながら…突然、バランスを崩し踏鞴を踏んだ。
二人は不可解に思わず目を丸くする。それは信長も同じようだった…小さく唸り、己の手を眺める。
サスケは悟った。幸村との戦いに次いでマゴイチの士筒での狙撃、そして今の二人がかりでの戦い…
一見は判別しづらいが確実に、顕現したばかりで己の限界を見極められていない信長の消耗を誘っている。
だとすれば…―――
「サイゾーちゃん!」
「りょうかい…!」
二人は左右前方から信長を挟み込むようにして疾走、阿吽の呼吸で同時に鎖分銅を投擲する。
黒い靄によって投擲した分銅は速度を失うが、二人はそれを追い越す形で駆け身体に纏わりつく黒い靄を突き抜けた。
予想外の行動に目を見開いた信長の両脇、そこをさらに駆け抜けて後方に回った二人は分銅についた鎖を引く。
前方から力が加えられて靄を突き抜けた二本の鎖分銅…それは信長の両腕へと雁字搦めに巻き付いてその動きを封じた。
「おのれ、小癪な…!」
信長は剛力で鎖を引くが全力で縛りつける忍二人の拘束を解くことができない。
何とか振りほどこうと苦戦している最中、信長は炎を背にした人影に気付き顔を上げる。
そこにいたのは満身創痍の赤武者…離脱したマゴイチに手助けされ復帰した幸村だ。
最早立っているのもやっと、その上先よりも背丈が縮んでいるが赤く燃える瞳から闘志は一切失われていない。
幸村はゆっくりと十文字槍を構える。
「信長公、覚悟…!」
幸村が駆けた。
手にした十文字の刃は真っすぐに信長の心の臓を狙って突き出され…―――
「侮るなあああああっ!!」
咆哮。
最後の力で両腕を縛る鎖を引き千切りながら信長はへし切りを手にする。
そして突き出される十文字槍よりも早く幸村の首を飛ばさんと振るい…―――
ザンッ…
激しく燃え上がる本陣に訪れた、僅かな沈黙。
先に崩れ落ちたのは幸村だった。
制限時間を経てその姿は完全に小娘の其れへと戻り、精魂尽き果てて地にへたり込む。
信長は笑った。
その胸には深々と十文字槍が突き刺さり、振るったへし切りは幸村の背丈がさらに縮んだことで空を切っている。
ごぽりと血の塊を吐きながら、やがて信長は問う。
「…おい、貴様の名は…?」
「…真田源次郎信繁、人呼んで真田幸村」
二者は視線を交錯させる。
「ククク…クカカカ…全っ然知らん…誰だそいつは…」
信長は肩を揺らして笑った。
「…御免、信濃の田舎武者にござる故」
ユキムラは少々憮然として答える。
しばらく笑い、力尽きた信長はよろめいて仰向けに倒れた。両の手を大きく広げ、異世界の空気を吸う。
「所詮この世は夢幻か…」
遠くで鬨の声が聞こえる。
どうやらオダ帝国は負けたようだ…それを感じながら、信長の意識は深い闇の中に落ちていった。
◇
強くなりたかった。
父や兄のように…そして詩曲で持て囃されるヨルトミアの騎士女公のように強くなりたかった。
その願いは呪術教団に歪めて受け取られ、私の肉体は“転生者”の魂の受け皿とされた。
私ではない誰かが動かす私の中で、それでも強くなれるのならばと私は納得していた…つもりだった。
しかし戦いを見ているうちに…どうして私は私自身で戦うことができなかったのかと惨めな想いが増すばかり…
そしてオダ帝国は激戦の末敗れた。だが“転生者”の魂からはどこか爽やかな想いを感じる。
きっと最後まで力を尽くして戦ったからだろう…全てをやりきった末の敗北ならば悔いを残すことはない。
嗚呼、だというのに私は…―――
「おい、起きぬか木偶の坊」
「あ痛っ!」
悔恨の炎に焼かれそうになる中、私の頭を叩く者がいた。
誰だ無礼者と文句を言ってやろうと振り向くと、その目の前にいたのは厳つい髭面の男。
私の体を乗っ取った信長だ…その迫力の前に私は思わず仰け反ってしまう。
信長は軽く溜息を吐き、どっかと座り込んだ。
「負けたぞ、あの真田にしてやられたわ」
「はぁ…存じております…」
「もう少しだったんだがな…ちぃとばかし準備期間が足りんかったわ、許せ」
「はぁ…」
こう実際に話してみるとあの魔王のような雰囲気はまるでない。どこか気さくな雰囲気すら感じさせた。
気のない返事をする私をじろりと睨み、信長は話を続ける。
「で、儂はあの世に還るわけだが…木偶の坊、お前に一つ主命を与える」
主命…?
仮にもフォッテ公国の君主である私に何様のつもりだろう…
しかしその鋭い眼光を向けられると思わず口をつぐんでしまう。君主としてのレベルが違う。
「儂を倒した真田の…ヨルトミアの力となって天下取りの手伝いをせよ」
意外すぎる言葉だった。
「ヨルトミアの…?何故…?」
「そんなもん儂を倒したからに決まっておろう!片田舎の小娘たちに倒された魔王と語り継がれたら化けて出るぞ!」
「ひいっ!そ、そうですよね!」
恫喝してきた信長は次いでびしりと私の方を指す。
「それにだ、貴様強くなりたいのならば他人に体を明け渡すな!強い者を間近で見て、どうして強いのか学んでこい!」
―――…もしかして気を遣ってくれたのだろうか…
それを問う間もなく信長はよっこらせと立ち上がり、私に背を向けて歩き出した。
歩いていく先には光の筋がある…その先に一際輝く強い光…そこへと信長は向かっていくのだろう。
「儂は行くぞ!次は大いくさの直前じゃなくて、もっとマシな段階で召喚しろ!」
「待っ…!」
「じゃあな、ラクシア!せいぜい頑張ってこい!」
最後に私の名前を呼び、信長は光の向こうへと去っていった。
それと同時に私の意識は次第に重力を感じていく。遠ざかっていた喧騒が間近で聞こえるようになり、思考がクリアになっていく。
私の肉体を依代にした信長は槍で貫かれた筈だが、どういうことか不思議と痛みはない。傷もないようだ。
どうやら器を同じとしていても“転生者”と私で命が二つあったということか…
薄く目を開けると、ヨルトミアの兵たちが私の顔を覗き込んでいた。
その中の一人、確かサスケと呼ばれていた男がおずおずと訊ねてくる。
「えぇと…ノブナガ様?」
「―――…いえ、違います…」
私は起き上がり、答える。
「私はラクシア…ラクシア=ギィ=フォッテです」
◇
“転生魔王”ノブナガ打倒…その依り代となっていたフォッテ公捕縛。
その一報とほぼ同時にオダ帝国軍…もといイルトナ・フォッテ連合軍の将兵は軒並み降伏した。
各将軍は悪酔いした翌日のような神妙な面持ちでヨルトミアに付き従う。サルファス様は敢えて彼らに縄を打つことはなかった。
唯一、ノブナガの側近として従っていたイルトナ公…ケインだけはいつの間にか戦場から姿を消していた。
彼に関しては後日、本格的な捜索隊が編成されることになる。
そして…―――
「やあ!やったじゃないかユキムラさん!魔王を倒すなんて!」
「ふふ…サナダの赤備えか…カッツェナルガ隊にライバル出現だな!」
本陣に帰還した俺たち啄木鳥隊をリカチやロミリア様たちが盛大に迎え入れてくれる。
普段日の当たらない仕事をしている俺たちは手厚い歓迎に若干照れながら、人込みをかき分けて進んでいく。
「へへへっ、でも一番手柄はヴェマ隊だぜ、ヴェマ隊!何せ敵の術を看破したんだからなっ!」
「あはは…そうですね…わかってます、わかってます」
ヴェマはしつこく己の手柄を誇示していた。何度も聞かされたであろうラキ様は苦笑している。
一方でシア様はどことなく元気がないように見えたが…此方を見ると笑いかけてくれた。少し気になるが大丈夫だろう。
そして本陣の最奥、リーデ様の御前に到達するとユキムラちゃんは深々と跪いた。俺たちもその後に続く。
リーデ様は悠然と微笑し、厳かに言った。
「啄木鳥戦法に魔王討伐の任…大儀でしたユキムラ」
「ありがたき幸せに存じまする」
そして二人は顔を上げ、にへっと笑いあう。
どちらも戦勝の喜びを隠しきれていない。
「これにて大陸西部は一統!リーデ様、おめでとうございまする!」
「ええ、ええ!一時はどうなるかと思ったけれどこれでヨルトミアがこの地方の覇者…最っ高の気分ね!」
リーデ様もユキムラちゃんもいつになくはしゃいでいる。
もはや大陸西部にヨルトミアを脅かす存在はいなくなったのだ。
「くくくっ!それはそうでしょうとも!言わば天下の四分の一を手にしたも同然!」
ユキムラちゃんは大袈裟に言うも、それに対するリーデ様の言葉は既に次を見据えたものだった。
「あら…四分の一じゃ止まらないわ、この地の情勢が落ち着けばすぐに王都へ進出するつもりよ」
黄金王都エドルディア…
その都市は大陸中央…タイクーン第一子の血族がタイクーンを名乗らずに『皇帝』として今も治め続けている。
タイクーンの後継者となるということはその皇帝陛下に謁見し、遺言にある“最強の子”と認められるということ。
即ち大陸全土に散らばるタイクーンの血族たちに我こそが最強と武威を示すことに他ならない。
その言葉の意味を改めて実感した各将は表情を引き締める。これからはさらに過酷な戦いが待っているだろう。
「…でも、今のところは帰って休むことだけを考えましょうか…さあ、ヨルトミアに凱旋よ!」
凱旋だ…―――!
リーデ様の命に各将は兵を取り纏め、胸を張ってヨルトミアへの帰還を開始する。
俺とユキムラちゃんはどちらともなく顔を見合わせ、お互いニッと笑うと拳を軽くぶつけ合わせた。
これがヨルトミアの西部統一を決定づけたと後世に語られるカイル平原の戦いである。
ちなみにノブナガが魔王を名乗っていたためリーデ様の名声がますます凄いことになるのだが、それはまた別の話。
【続く】