第三十四話 オダ帝国軍の罅の巻
地響き…土煙…山が動くような光景。
リーデは静かに我慢比べの勝利を確信する。オダ帝国軍の大軍勢が本陣の炎に追われるようにして前進を開始したのだ。
ユキムラの策が成った…だとすればいよいよ此方も行動を開始できる。リーデは腰に差した細剣を抜き号令を飛ばす。
侵掠すること火の如く…
「虫が洞から這い出たわ…包囲殲滅を開始なさい!」
「了解!全軍前進!」
サルファスが応え、連合軍の鶴翼の陣はそのまま火の鳥と化して羽ばたいた。
平原まで兵を進めたオダ帝国軍を包み込むようにして前進。3000丁の鉄砲が火を噴き鉛の雨…否、鉛の波が連合軍を襲う。
しかし正面切って放たれたそれらは聖戦士たちの展開した魔術《聖盾》、さらに山の如き竹束で受け止められた。
仮に陣地内であれば例え一度防がれようと敵の機動力を封じてそのまま圧倒的な火力で押し切ることができただろう。
だが、敵の機動力が損なわれていない平地戦であったならば…
「―――…動くこと雷霆の如し!」
硝煙けぶる戦場を引き裂くようにして右翼から一筋の稲妻が奔った…ロミリア率いるカッツェナルガの騎兵隊だ。
装填の一瞬の隙を突いて鉄砲隊の懐に飛び込んだ死神騎兵は縦横無尽に駆け抜け、たった数百騎で三千の鉄砲兵を蹂躙。
オダ帝国軍鉄砲隊を率いる兵団長、イズマから悲鳴じみた声が上がる。
「オイオイオイオイ!噂以上に無茶苦茶じゃねえか!」
「下がれイズマ!ヤツの相手はこのガローザが承った!」
鉄砲隊を庇うように飛び出たのはオダ帝国軍騎兵団長のガローザ将軍、眼前で閃いたロミリアの一太刀を切り払った。
今まで一振りで数多くの将の首を刈り取ってきたその剣が受け止められたことにロミリアは驚き、次いで嬉しそうに笑う。
久方ぶりの強者との手合わせだ…血液が沸騰する感覚を覚える…
「鉄砲の相手は退屈だ!やはり戦はこうでなくてはな、ガローザ将軍!」
「狂犬めが!これ以上やらせはせんぞ、カッツェナルガ!」
二軍の騎兵は互いにすれ違い、転回、突撃、そして交錯して激しく剣戟を交わす。
援護射撃しようにも乱戦状態に持ち込まれてはガローザ隊を誤射する可能性が高い。ここは任せて下がる他ない。
イズマは被害甚大な鉄砲隊を率いて後退するがそれを追うようにして射程外から大弓によって放たれた矢の雨が降り注ぐ。
矢の主はリカチ率いるヨルトミア猟兵隊だ。イズマは苛立たしく毒づく。
「畜ッ生!徹底的にメタって来やがって!」
「さすがにこれだけ相手してりゃ戦い方もわかるってね!弓射継続、鉄砲隊に足を止めさせるんじゃないよ!」
………
啄木鳥戦法の首尾は上々…―――
3000丁の鉄砲封じは成功した。数の利を活かした包囲攻撃にも成功している。
だがオダ帝国軍は手強い、ここから押し込むにはあと一手が欲しい…リーデは眼前の戦場を睥睨しながら思案する。
そんな時だ、ヴェマが本陣へと転がるようにして駆け込んできた。
「リーデ様っ!」
「あらヴェマ、ゴローグ将軍は討ち取れたの?」
「オッサンとは痛み分けだ!向こうも一度退いた!そんなことより急いで司教さんに伝令を飛ばしてくれ!」
シアに…?
脈絡のない言動にリーデは軽く小首を傾げる。シア隊は最前線を受け持つサルファス隊の後方支援に回っているが…
ヴェマは興奮に褐色の頬を上気させ、目を輝かせて言葉を続ける。
「頼むぜ!司教さんなら戦の流れを一気に引き寄せられるかも知れねえッ!」
リーデは直感する。
おそらくヴェマはオダ帝国軍の致命的な弱点を嗅ぎつけた。どうやら最高のタイミングで天運が回ってきたようだ…
「シア司教に命令を出します…詳しく説明しなさい、ヴェマ」
◇
カイル平原を一望できる北西の丘上…
戦場が一望できるそこにフードを目深に被った者の姿があった。
「ふむぅ…旗色が悪いようですなぁ…」
呪術教団カシンは物憂げにつぶやく。その表情はフードの奥底に隠れて見えない。
野戦築城を自ら放棄したオダ帝国軍は案の定平地で連合軍に押されて劣勢に陥っている。
正直、カシンは戦の勝敗にあまり興味はない。例えどの国がこの地方を制しようとも知ったことではない。
だが“真の転生者”と化したノブナガ…彼に関しては別だ。おそらくこの世界で初の完全な転生召喚術成功ケースとなる。
そんな珍しいサンプルに戦で討死などされては困るというもの…
「では一つ…力をお貸ししましょうかぁ…」
カシンは黒手袋に包まれたその両の手を掲げると親指と人差し指で三角形を模るように合わせた。
するとその先に紫光の線で引かれた魔法陣が中空に浮かび上がる。たったそれだけで膨大な魔力が大気を震わせている…
カシンは両手で作った三角をまるで照準器のように敵本陣…リーデ=ヒム=ヨルトミアの方へと向けた。
「《滅光》」
「《魔法反射》!!」
ドシュッ…
魔法陣から放たれた紫の光弾は敵総大将のリーデを狙撃する筈だったのだが…
カシンは突然目の前に出現した鏡面障壁を見、次に己の胸にぽっかりと空いた穴を見下ろし、最後に招かれざる来訪者をの方見る。
本当にギリギリのタイミングだったのか、肩で息をしているその来訪者はリシテン教司教、シア=カージュス。そしてその供回りの者。
本来戦場にいるはずの存在、それが何故ここに…
「おやおやおやぁ…どうしてこの場所がぁ…?」
「オダ帝国軍全体に施された大規模な認識操作の術…その魔力の残滓を辿ったまでです…!」
「むぅ…隠蔽したつもりだったのですがねぇ…迂闊―――でした―――かぁ…―――」
どさり…
フードに包まれたカシンの肉体が力を失って地に崩れ落ちる。
その瞬間、オダ帝国軍の将兵を包み込んでいた透明な魔力の靄が霧散していく。術者が倒されたことで認識操作の術が解けたのだ…
突如としてオダ帝国などという謎の国に従って戦ってきたことに気付いた将兵は激しく動揺する。
全軍を一斉に襲ったその混乱は戦場においては致命的な隙となった。連合軍は機を逃さず一斉に押し込みにかかる。
「あらぁ…これはよくない…よくないですねぇ…」
「じゅ、呪術教団っ!貴方がたは一体何を企んでいるのですか!?」
地に斃れたカシンは呑気に呟く。
至近距離から狙撃魔力弾を反射して身に受ければ致命傷の筈…シアは慄きながらも問いかける。
呪術教団…遥か昔にリシテン教の闇の側面としてこの世から抹消された存在。本来この世に存在していてはならない存在だ。
“転生者”を召喚して国家間の戦争に加担しているのは今のリシテン教も同じ…だがこの者はやり方があまりにも無作為すぎる。
まるで混乱をもたらすことが目的だとでも言わんばかりに…
カシンはフードを軽く揺らす。顔はまったく見えないが笑っているのをシアは感じ取った。
「貴女と同類ですよぉ…女神リシテン様に遣わされた進行役…停滞する乱世を動かす役でございますぅ…」
は…?
そのカシンの言葉は意味不明なものだった。ものだったのだが…シアの心に楔を打つ。
進行役…ゲーム…一体何を言っているのだ…自分は自分の意志で“転生者”召喚を行いユキムラをこの地に呼び寄せた。
女神リシテンを信奉してはいるもののそこに神の意思が介入した記憶はない…
「それじゃあ…また会いましょうねぇ…私はカシン…以後お見知りおきを…」
「…っ、待ちなさい!」
風が吹くとそこにカシンの姿はなく、唯一そこに残ったローブだけがかさかさと音を鳴らした。
致命傷だったはずだ…そして転移魔術を使った気配もない…白昼夢の如き不気味さにシアは身を震わせる。
それに心に打たれた楔がじくじくと不穏をもたらす。リシテン教には私の知らない何かがあるのだろうか…
「司教様、あの者は…」
「…もうここにはいないようです、戦場に戻りましょう」
供の聖戦士の声にシアは我に返り、軽く頭を振って引き返しを指示する。
戦の形勢はすでに決まり始めている。あとはゴウゴウと火が上がり続ける敵本陣…そこがどうなっているかだ。
ユキムラは果たして無事だろうか…シアは女神リシテンに軽く祈ろうとして、やめた。
【続く】




