第三十三話 燃えろ!真田の赤備えの巻
「だらああああっ!!」
ヨルトミア軍本陣後方…
ヴェマは先陣を切って斧槍を振るい、押し寄せる敵伏兵の攻撃を弾き返す。
フォッテ兵…もといオダ帝国兵はこれまでの相手と違いやけに練度が高く感じる。証拠に屈強なヴェマ隊の兵たちも苦戦している。
そして士気も高い。否…士気が高いというよりも何か恐ろしい物に駆り立てられるような余裕のなさだ。
(まだなのかよユキムラ…!啄木鳥戦法は…!)
啄木鳥戦法が発動し、本陣含めた前線部隊が総力戦の形に持ち込めば今は守りに徹しているヴェマ隊も自由に動けるようになる。
そうすれば本来の軽装歩兵部隊の機動力を活かして眼前の伏兵部隊とも互角以上に戦える。
だがもし、このまま睨み合いが続き防戦一方を強いられたならばいずれは…―――
「ヴェマ=トーゴ、覚悟っ!」
「ちっ!うざってぇなっ!」
ヴェマは頭上で斧槍を旋風のように回し、斬りかかってきたオダ帝国兵の剣を巻き上げて弾き飛ばす。
そして遠心力を保ったまま斧刃を叩きつければ敵兵の胴は両断されて崩れ落ちた。
その一連の技を見ていたオダ帝国将軍ゴローグ=バッシィは顎髭を撫でて思わず感嘆の声を漏らした。
「見事な技よ!我が名はゴローグ=バッシィ、次は某と手合わせ願おうか!」
「オレはヨルトミアの騎士ヴェマ=トーゴ!オッサン、命が要らねえならかかってきな!」
すぐさまヴェマの斧槍とゴローグの大剣で激しい打ち合いが始まった。
ゴローグの振るう大剣は巨大ながらも隙がなく、その上で一撃一撃が受けた武器を軋ませるほどに重い。
ヴェマはしなやかな身のこなしで致命打を躱しながら鋭い突きを繰り出す。ゴローグは巨体に見合わぬ素早さで躱し大剣を振るう。
両部隊の将は互いに決め手に欠けた状態で打ち合いながら、隙を探り合った。
「かつてはダイルマに身を置きながら今はヨルトミアの騎士か!尻の軽い女騎士よ!」
「うるっせぇなっ!フォッテからとっととオダ帝国に乗り換えたテメエに言われたかねえっ!」
甲高い音が響き、互いに後方へ跳び下がって武器を構え直す。
売り言葉に買い言葉、しかしゴローグはその内容に訝し気に表情を顰めた。
「混乱を誘っておるのか?某は先代、先々代から三十年以上オダ帝国に仕えておるわ!」
「ああ…?テメエこそ何言ってやがる、オダ帝国はこないだ建国したばっかだろ…」
「戯れ言を抜かすな!」
ゴローグはそう吐き捨てて会話を打ち切る。だがその心中はざわめき立ったままだ。
オダ帝国に仕えて三十年以上…これは間違ってない筈だ。仕える国を替えた覚えは一度たりともない。
しかし…自分が仕えていたのは本当にノブナガ様だったか?あの覇王然とした御方に幼少のみぎりから仕えていたか?
思い出そうとすると靄がかかったように記憶が曖昧になる…ゴローグは頭を振った。
「ええい!失せろ雑念よ!某はオダ帝国の騎士、ゴローグ=バッシィ!」
ヴェマはその様子を見、軽く思案する。
フォッテの名を出すとゴローグは急に動きに精彩を欠き始めた…言っていることも支離滅裂だ。
(こいつは…もしかすると何かのまじないにかけられているのか…?)
否、目の前の将だけでなくオダ帝国に従う多くの将兵が惑わされているのだとしたら…
ひょっとすると勝機に繋がる一手が見つかったかもしれない。ヴェマは軽く下唇を舐めた。
◇
「動かぬか…」
オダ帝国軍本陣最奥…ノブナガは小さく呟く。
有り余る鉄砲に十分な兵力、野戦築城に足る人材、騎馬を中心とした敵軍団…
この要素が揃っているならば長篠の戦いを再現するのが最も効率的な勝ち方とノブナガは踏んでいた。
領域を広げ、後ろに回り込ませた伏兵で追い立てる…本来ならば大軍であろうとそれにより殲滅できる。
しかし敵軍は動かない。本陣に伏兵が迫ろうと一部隊が奮戦し鶴翼の陣を崩そうとしない。
何かを待っている…だとすれば考えられる敵の策はただ一つ…―――
「本陣付近の槍兵隊、密集し後方へ向け槍衾を組め」
「は…?」
「二度は言わぬ…後方へ槍衾を展開せよ」
思わず聞き返した側近のケインは静かな威圧感を前に慌てて後方への槍衾展開を指揮した。
帝国軍後方南の森を突き抜け、燃えるように赤い騎兵隊が突如として現れたのはその次の瞬間である。
読み通り…ノブナガは思わず口の端を歪めた。
「やはり来たな…」
見える、先頭を奔る赤い女武者…あれが“転生者”か。後に続く兵たちも皆赤を纏っている。
異世界で見る赤備え…武田か徳川か、どちらにせよ今のノブナガの敵ではない。
少し遅れて先頭に並びかける小娘の姿…直感するにあれが孫市だろう。
槍衾を視認したマゴイチは焦ったように先頭の武者へと叫ぶ。
「どっ、どないするんや真田ァ!完全に読まれとるやないか!」
「構わん!このまま突撃する!」
愚かな…
赤備えは最高速度のまま無謀にも本陣へと突っ込んでくる。
オダ帝国の槍兵に破れかぶれの突撃は通用しない。短期間だが槍兵の練度は鉄砲兵以上に徹底して練り上げてきた。
例えどんなに優れた騎兵と言えどこの一部の隙も無い槍衾に正面から突っ込めば瞬時に五体を串刺され息絶えるだろう。
だが…―――
「ここだ!全員構え!」
その赤備えは突っ込む寸前…槍衾の寸前で急停止し、一斉に腰に差した得物を抜き放つ。
余裕を保っていたノブナガの目が驚愕に見開かれた。
「騎兵が鉄砲だと…―――!?」
「放てぇっ!!」
轟音。
“馬上筒”による一斉射撃を至近距離で受けた槍兵隊は総崩れとなりその防御力を喪失する。
赤い武者はにやりと笑い、高く声を上げる。
「これぞ奥の手、真田が誇る騎馬鉄砲隊!信長公、未知の戦術をとくと御覧あれ!」
隣のマゴイチがはんっと鼻を鳴らした。
「伊達のパクリやんか」
「パクリではない!大坂の陣では真田も使ってた!ギリ同時!」
赤備えは壊乱した槍衾に突撃を仕掛け難なく蹴散らす。
慌てて竹束を持った歩兵隊がカバーに入るが槍衾を形成できていない鈍足歩兵など騎兵の前には餌も同然。
多段の横陣に構えた本陣防衛部隊を赤備えは勢いのまま次々とぶち抜いていく。
“馬上筒”…あんな鉄砲は見たことがない。つまり本能寺の後の世に開発、もしくは導入されたか…
馬が駆け、鉄砲が火を噴く…機動力と火力を持ち合させたノブナガの生きていた時代では有り得なかった戦術だ。
「サイゾー…いちばんのり…!」
「サスケ、二番乗り!さぁて、景気よくいくぜっ!」
小柄な少女と冴えない男を先頭についに本陣に突撃した騎兵たちは手にした焙烙玉を次々と投擲。
ありったけの火薬を惜しげもなく使った火計…瞬時にしてオダ帝国軍の本陣は火の海と化した。
ゴウゴウと燃え上がる炎、ノブナガは怒気に髪を逆立てながら前方の敵を見据える。
真田…確か信濃の片田舎の土豪。必ずやこのくだらぬ一発芸の代償を支払わせて…―――
「ノ…ノブナガ様ッ!!」
「むう…!?」
ケインの焦った声に戦場を見渡すと、帝国軍各部隊が命令を待たずして前進を始めてしまっている。
後方から響いた鉄砲の轟音、そして焙烙玉の炸裂音、派手に燃え上がる本陣…それらにより兵たちが恐慌状態に陥ったのだ。
鉄砲を知れば知るほどその脅威は兵たちに伝わりやすい。背後を取られたとあれば無理もない話だ。
各将兵は鉄砲隊に無防備に背を晒し続ける恐怖に耐えきれず、次々と陣地を捨ててカイル平原中央まで兵を進めていく。
こうなってはもはや野戦築城は意味を成さない…正面切っての総力戦となるだろう。
「何故だ…何故こうなる…」
ノブナガは誰にともなく問いかけるが答えは分かり切っている。
オダ帝国軍はかつての織田軍ではない。己の天下取りを支えた優秀な将たちにはその能力は遠く呼ばない。
さらに認識操作などという外法を使って紛らわせたところで砂上に楼閣を築くが如く…
将兵たちがノブナガという男を理解するには時が不足していた。
(長篠を再現したつもりが…結局儂が居るのは本能寺だったという訳か…)
横顔を煌々と照らす赤にノブナガの心を末期の記憶が過る。
化けの皮を剥がしてみるとあの時と同じ、たった一人での戦いだ。一人で戦に勝てるはずもない。
そんなことは分かり切っていた…分かり切っていたはずだ。だというのに…―――
「“転生魔王”ノブナガ殿…我慢比べは此方の勝ちだ…さて、如何なされる?」
炎を割り、十文字槍を手に真田がゆっくりと歩み寄ってくる。
周囲では炎の中で両軍による激しい白兵戦が展開されている…本陣だというのに酷い有様だ。
ノブナガはくっくっと笑い、眼前に手を翳した。黒い靄が渦を巻き、そこに一本の刀が出現する。
さらに黒い靄はラクシアの肉体を渦を巻きながら包み込んでいく。
「是非に及ばず…一戦あるのみ」
靄が晴れた時、そこに立っているのは黒鎧を身を纏った一人の壮年の男…織田弾正忠信長。
宙に浮く刀…“へし切り長谷部”を手に取った信長はすらりと抜き放ち、眼前の敵を見据えた。
やがて二者はどちらともなく肉薄し、激しい打ち合いを開始する。
【続く】




