第二話 ユキムラちゃん、姫様を誑かすの巻
ダイルマ公国…
大陸西部に位置する七つ国の一つであり、連合の中では最も栄えた大国である。
タイクーン十二番目の息子であるダイルマ公が興した国で豊富な鉱資源とそれを活かす技術も持っている。
ただし北部や南部に比較すれば国力的には遠く及ばないため、大陸西部は連合化という形で別地方からの侵略に備えていた。
だが…それはツェーゼン=ダオン=ダイルマが領主に就任するまでの話だ。
ツェーゼンはダイルマの実権を握るや否や即座に軍事力の強化を推し進め、連合会議で糾弾する間も与えず隣接する三国に攻め入った。
オリコ―、フォッテの二国は戦う間もなく降伏、最後まで抵抗したノーノーラは領主一族皆殺しの末領民はすべて奴隷の身分に落とされたのだという。
かくしてダイルマは連合関係を一方的に解消、大陸西部統一に乗り出したという訳である。
そしてそんな毒牙は俺たちの国、ヨルトミアにも既にかけられている…
「ダイルマ公からは…姫様を差し出せばヨルトミアの降伏を認め、正式に属国化すると…」
重苦しい空気に包まれた会議室…一人の青年が苦々しくそう報告した。
カールした前髪が右目を隠しているのが特徴、名をナルファス=ガオーノ…現時点でのこの国唯一の大臣だ。
若いながらも大臣をやっているのは理由がある。前大臣ギリカと上世代の文官はほとんど近隣国のイルトナに引き抜かれてしまったのだ。
このイルトナという国が先の戦の大敗の原因でもあるのだが…
「降伏などありえん!父上の意志を無下にする気か、兄上っ!!」
一方、食ってかかる青年は首から上はナルファスによく似ている。首から下は筋骨隆々だ。
ストレートの前髪が左目を隠しているのが特徴、名をサルファス=ガオーノ…先の戦いでの数少ない生き残りの騎士である。
御覧の通りこの二人は兄弟、ヨルトミアに古くから仕えるガオーノ家としてこんな末期になっても律儀に国の中枢を担い続けている。
ファッションは似ているが性格は正反対のその兄弟は兵士の間でもちょっとした名物だ。
「し、仕方ないでしょう!ヨルトミアが生き残るにはこれしか…これしかないのです!」
「仮に生き残ったとして与えられるのが牛馬の如き生ならば戦って死んだ方がマシだがな」
目を閉じて腕組みし、柱に背を預けている長身の女騎士…ロミリア=カッツェナルガはそう言って軽く息を吐いた。
長く伸ばした蜂蜜色の明るい髪とサファイアのように碧い目、黙っていれば気品のある立ち振る舞い。
本来鎧よりもドレスを着るべきだろう麗しい見た目だがその正体はこの国では最も強い騎士中の騎士、カッツェナルガ家の現当主だ。
彼女もまた先の戦いでの生き残りであり、その戦いで父と兄を失っている。
「お黙りなさい!そもそもアナタたちが先の戦いで負けなければこんなことにならなかったのですよ!」
「…それを言われると耳が痛いところではあるが」
「そ、それは言ってはならんことだぞ兄上っ!!」
痛いところを突かれたロミリア様は軽く頬を掻き、サルファス様は再びナルファス様に食ってかかる。
先の戦い…ダイルマの服従勧告にヨルトミアは残る連合の二国…イルトナ、ハーミッテと同盟軍を組んで抗戦の意を示した。
だが開戦間際になって突如としてイルトナがダイルマ側に離反、圧倒的な兵力差のついたヨルトミア・ハーミッテ軍は一方的に蹂躙された。
俺は城の守りについていたため参加はしていなかったのだが、その時の戦場はまるで阿鼻叫喚の地獄のような有様だったのだという。
この若い二人は先領主の判断でヨルトミアの未来を担うため先に逃がされて今この場に居る。
騎士として守るべき主君を見捨てておめおめ生き残った心境…一般兵士の俺でもそれは想像に容易い。
「だいたいねぇ!アナタがた文句ばっかり言うくせに代替案を…」
「おやめくださいナルファス殿!姫様の御前ですよ!」
「うぐ…」
ここぞとばかりにまくしたてるナルファス様にぴしゃりと言い放ったのは栗色の髪を肩口で丁寧に切り揃えた女騎士。
名をラキ=ゲナッシュ…ガオーノ兄弟やロミリア様も若いがこっちはさらに若い。むしろ幼いと言っても過言ではないレベルだ。
ラキ様は姫様の側近として幼い頃から教育された騎士だが、例の如くゲナッシュ家の現当主である。
理由はもうおわかりだろう。何もかもダイルマとイルトナが悪い。
「ラキ殿、ラキ殿はどうお考えですか?姫様の側近としての意見は!」
「私は…姫様が今後も不自由なく暮らせるのであれば何も文句はありません」
「では決まりですね!早速ダイルマに降伏の書文を…」
「待てい兄上っ!俺たちはまだ納得しておらんぞっ!!」
「そうだな、このままでは我々だけでも決起して戦を仕掛けさせて貰うことになる」
「アッ、アナタがたという人は…!」
喧々囂々。会議は何一つ決まらないまま平行線を辿る。
そんな様子を王座から見る姫様の表情は…まるで氷細工のように固く、美しい。いつもとまったく同じように。
先領主とその奥方様が外界と隔離しながら徹底的に厳しく育て上げた一人娘。それがリーデ=ヒム=ヨルトミア様だ。
口数少なく笑わない姫様、一部の不敬な輩はお飾りという意味も込めて彼女を人形姫とあだ名している。
ただ、そうであっても姫様は美しい…幼いながらも整った顔立ちに、桃色の髪と白い肌、燃えるような赤い瞳の視線は色合いとは裏腹にひどく冷たい。
一部の兵士の間ではその冷たさがたまらないとかねてから話題になっており、かく言う俺も…
「んー…あー…オホンオホン、会議中失礼であるがよろしいか?」
「ちょっ!ユキムラちゃん!?」
隣に立っていたはずなのにいつの間にかいねえ!
ユキムラちゃんは既に会議の輪の中に入ろうと進み出ていた。
会議室に入ったはいいものの口を挟めず成り行きを見守っていた俺たちだったが、ここで空気の読めない咳払いが全員の視線を一気に引き集めたのだ。
名前を憶えているかもわからない一般兵と、どう見ても浮浪者にしか見えない子供…そんな連中が会議の席にいる。
こんな時、一番最初に動くのはやはり直情型のサルファス様。
「貴様っ!会議中に何事であるか!名を名乗れいっ!!」
「し、失礼しましたッ!俺は一般兵のトビーとこっちは“転生者”ユキムラちゃんで…」
「“転生者”?司教殿が色々と企んでいたあれか…」
次いで興味を示したのはロミリア様。
前のやり取りで分かる通り、この方はかなりの戦好きだ。戦闘狂と言ってもいい。貴族令嬢でありながら騎士をやっている理由がそれだ。
不意に発された彼女の殺気に中てられチビりそうになる俺を尻目にユキムラちゃんは平然と椅子に腰かけて行儀悪く茶を啜る。
よく見ると茶はロミリア様に出されて口をつけられていなかったものだ。一体いつの間に…
同じタイミングでそれに気付いたのか、彼女もまた軽く眉を上げたが…それに言及することはなかった。
「それで…その“転生者”様が一体何の御用件で?」
そう問いかけるナルファス様の目はあまりにも冷えている。
これも当然だ。この国の行く末を案じている時にこんな変な子供を相手している暇はない。
徹底的なリアリストであるナルファス様にとっては“転生者”であろうが同じこと、会議を阻害するただの異物。
さっさと追い払いたいという意思を知ってか知らずかユキムラちゃんはがりがりと頭を掻いて答えた。
「いや、なに…会議と言えど喋っているのは貴殿らばかりで姫様のご意見を伺っておらぬと思うての…」
「姫様の…?何を言っておられるのやら…」
「当然でござろう、国の一大事とあらばそりゃあ国主殿には鶴の一声を上げて頂かねば!」
皆の視線がユキムラちゃんから姫様の方へと移動する。
姫様は突然の視線に一瞬たじろいだがすぐにいつもの人形の顔を取り戻した。
そして、鈴の鳴るような声でお決まりの台詞。
「国と民のためならばいかなる扱いでも…」
「あー違う違う、そうではござらん」
ダメ出しが入った。
固まる一同の眼前を不遜にぺたぺたと歩き、ユキムラちゃんは姫様の御前へと進み出る。
本来それを咎めるはずのラキ様ですらその異様な空気に呑まれて微動だにできなかった。かく言う俺もだ。
姫様と相対したユキムラちゃんはにぃぃと頬が裂けるような笑みを浮かべて、言った。
「自刃するにせよ敵に抱かれるにせよ…これが最後の機会でありましょう?腹の内を明かしておかねば些か勿体ない!」
「っ…」
まるで悪魔のささやきだ。
頑なだった姫様の心をどこの馬の骨とも知らない子供がこじ開けようとしている。
だが誰もがそれを止めない…いや、止めることができない。
ユキムラちゃんの発する異様な威圧感の前に、そして知ろうともしなかった姫様の内心に、釘付けにされている。
小さな悪魔を前にわずかに震える姫様は軽く一息吐いて、目を閉じ…ぶちまけた。
「退屈」
誰もが思いもよらない衝撃の二言。
退屈?恐怖を口にするでも、ツェーゼンの妻となることへの拒絶を口にするでもなく、退屈と言ったのか?
一同が意味を反芻する前に堤防が決壊した川の如く姫様の心は打ち明けられていく。
「正直なところ、私にとっては国も民もどうでもよいのです…所詮私は人形、国のお飾り…」
涼やかな声でずしりと響く重い言葉。
姫様は冷たい仮面の下で俺たちを愛してくれていると思っていた。それが当然とばかりに誰もが思っていた。
だが違うのだ…それもそうだろう、姫様にとって国とは隔離された城の外の世界でしかないのだから。
「母が病で死に、そして父も戦で死んだ…ようやく私は自分の意思を持てると思ったけれど、次はツェーゼンの下で人形をやれという」
姫様は父の死に悲しむでもなく、国の亡びを憂いているわけでもない…
だがそれを咎められる者はいない。いるはずもない。誰もがただのお飾りとしか思っていなかったのだ。
そして彼女にとってこの国はただの枷でしかなかったのだ。
「それが私の役目と言うのならば人形を続けましょう…ただ―――」
そこで姫様は立ち上がり、大きく手を広げて…言い放った。
笑顔はなかったが…どこか清々しく。
「ああ…この国はとっても退屈、とっとと消えてしまえばいいのに」
静寂が場を支配する。
誰もが姫様の心を聞き、言葉を失ったのだ。今の今まで抑圧されていたその心に。
そんな中、ラキ様がへたりと崩れ落ちた。
それはそうだろう、幼き日から一番近くにいたのに姫様のそんな内心に気付くことができなかったのだから。
傍目から見ても分かる絶望の表情に心底同情しつつ…一方で、ユキムラちゃんは笑っていた。
そう、笑っていたのだ。
「くッひひひ…これはまた随分と…―――…いや、申し訳ない…しかし姫様、自棄になるには少々早うござらんか?」
ユキムラちゃんは大仰に手ぶりを加えくるりと回ってお道化て見せた。
さながら姫様だけでなく、この場にいる全員へと呼びかけるように。
「ダイルマとやらを討ち、正式に領主となられればよろしい!さすれば姫様は自由!ヨルトミアは名実共に姫様の国となりましょうや!」
何を…言っているんだろう。
先の戦いの通り兵力差は歴然、いやむしろ多くの騎士や兵士が戦死した今はさらに状況が悪い。
それを知って尚、勝つと…ユキムラちゃんは言ってのけたのだ。
呆気にとられる皆の前、姫様だけがその言葉に問いを返す。
今まで見たことのない…悪魔に魅入られたような笑みを浮かべて…
「あなたには…それができると言うの、“転生者”?」
小さな悪魔は大袈裟に跪き、にやりと笑って答えた。
「無論、そのためにここに馳せ参じましたが故」
【続く】