第二十二話 ユキムラちゃんの失策の巻
数日後…ヨルトミア軍はイルトナへの侵攻を開始した。
規模的に言えばオリコー軍をそのまま吸収しさらに大きくなったわけだがやはり兵としての練度はオリコー側が劣る。
しかし士気はオリコー兵もどことなく高い。その理由は明白だ。
ちらりと後方を振り返れば久々に鎧を身に纏ったリーデ様の御姿がそこにはある、騎士女公再びの出陣だ。
サイゾーが訝しげに小首を傾げた。
「リーデさまも…たたかうのか…?」
「いや、サイゾーちゃんみたいに前線では戦わないよ、後ろで指揮を出すのがリーデ様の役目」
「ふぅん…まあ、それがいい…リーデさまはどうみてもよわい…」
「失礼なこと言うねキミ…」
「くっくっ…そう言えどなかなかサマにはなってきたじゃろう?嘘から出た真…もとい策から出た真じゃな」
サイゾーとそんな会話をしていると後ろで馬に乗っているユキムラちゃんが小さく笑う。
実際リーデ様は指揮能力が高く、それに何より兵士たちの心を操るのに長けている。
それは天性のカリスマもあるがこの一年ユキムラちゃんを教師役に異世界の兵法を悉く取り込んだのが大きい。
もはや人形姫と呼ばれた頃の儚く非人間的な面影はない。乱世を生きる一人の女傑だ。
天国の先領主様と奥方様が今のリーデ様を見てどう思うかはわからないが…
「くんくん…」
「む…どうした、サイゾー?」
「におう…こっちか…」
唐突にサイゾーが行軍を外れがさりと草むらに飛び込んだ。
草むらからは悲鳴が上がり、しばらく乱闘の音…だがそれはすぐに大人しくなる。
俺とユキムラちゃんがそちらに向かうとサイゾーが一人の女性兵士を組み伏せ関節を捻り上げていた。
「ヨルトミアでもオリコーでもない…おまえ、なにものだ…」
「ひっ、ひぃぃ…!」
サイゾーの五感は獣のように鋭い。
まるで軍用犬のように音や匂い、気配で察知して敵の居場所を探り当てる。
おそらくこの女性兵士はイルトナの手の者か…
「偵察…ッスかね」
「いや、それにしては距離が近すぎる…それに鍛えられとる体つきでもないのう」
「なにがもくてきだ…いえ…」
取り囲まれた女性兵士は恐怖で掠れた声で返答する。
「わ、私はハーミッテの兵です…!わ、我が姫、イオータ様からヨルトミア公に渡してほしいものがあると…こ、これを…!」
取り出されたのは高価そうな布と、それに包まれた“何か”。
俺とユキムラちゃんは顔を見合わせた。イオータ様といえばリーデ様に心酔している姫として知られている。
危険性はなさそうだが一体何なのかは皆目見当がつかず…ひとまずリーデ様へと届けることにした。
話を聞いたリーデ様はふむと頷いて包みを開くと、怪訝そうな顔をする。
「鉄…いえ、鉛の玉かしら…イオは一体何故このようなものを…」
コロンと出てきたのは小さな鉛の玉。何の価値もなさそうな鉛を固めただけのものだ。
一体何故危険を冒してまでこのようなものを…その場に居合わせた全員が不可解な贈り物に首をひねる。
ただ一人を除いては…―――
「ば…ば…馬鹿なあっ!!何故“それ”がこの世界にある!?」
ユキムラちゃんだ。
顔色は血の気を失いガタガタと震えているのが遠目からでもわかった。まるで恐ろしいものを見たかのように後ずさる。
「―――既に開発されておった?いや、そもそもこの世界には火薬すらなかったではないか…だがあれは間違いなく…しかし…」
その動揺は激しい。この反応、明らかにただ事ではない。
たった一粒の小さな鉛の玉に後ずさり、早口で独り言を呟きながら頭を抱える。
頼りの軍師の突然の狼狽に周りの人間はかける言葉すらも失ってしまった。
しかし…
「ユキムラ」
凛としたリーデ様の声が響く。
ハッと我に返ったユキムラちゃんは顔を上げ、見据えるリーデ様と視線を交錯させる。
「“これ”が貴女の想定外の代物だったということはわかりました、ならばこれから我々が取るべき行動を教えなさい」
その言葉、その表情に一切の曇りなし。
ユキムラちゃんの狼狽を目にしてもリーデ様は一切氷の仮面を崩さない。
内心ではリーデ様も何がなんだか分かっていないだろう。なにせこんなユキムラちゃんは未だかつて見たことがない。
だがリーデ様が冷静さを失えばいよいよ収拾がつかなくなる…それだけは絶対に阻止しなければならない事態だ。
総大将は常に一歩引いた目で見る…ユキムラちゃんの授業で教わっていたことだった。
「戦いでは一分一秒が生死を分かつのでしょう?貴女が動揺しているその時間で兵を殺すわけにはまいりません」
これもユキムラちゃんの受け売りだ。
かつて自分が教えたことにユキムラちゃんは冷静さを取り戻し、軽く深呼吸する。
そして己の無様を晒したことか、それとも戦況のまずさか…苦い顔でリーデ様に返答した。
「…全軍撤退!今は“これ”に対抗する術をほとんどの者が知らん!このまま戦えば甚大な被害が出まする!」
全軍撤退。
その命が下されるや否や俺は疾風となって先鋒隊へ追いつかんと駆ける。
作戦では一番最初にイカール平原に布陣するのはロミリア様だ。彼女を失う訳にはいかない…
あんなユキムラちゃんは初めて見た…それほどまでにあの鉛の玉は恐ろしいものだったのだ。
いつか見た悪夢を思い出す…―――
「頼む…!間に合ってくれ…!」
初めてリシテンの女神様に祈った瞬間だった。
◇
揃いも揃えたり“鉄砲”500丁。
呪術教団だかなんだかよくわからん連中にマゴイチが異世界召喚されて一年と少し、ようやくここまで辿り着いた。
魔術のあるこの世界で優位性を保てるかどうか些か不安ではあったがその悩みは杞憂に終わった。
コイツは魔術よりも威力が高く、射程が長く、何よりも“速い”。
あの戦国の世を塗り替えたようにコイツはこの世界でも間違いなく最強の武器だ。
(そしてウチが居るイルトナ以外ではまだ火薬すら生まれとらん…圧倒的優位や…)
こうなってくると欲がムクムクと鎌首をもたげてくる。
鉄砲の有無の前には多少の兵数差など何の不利にもならない。歩兵はその価値を失い戦線は崩壊する。
この戦に勝ち鉄砲をさらに増産、イルトナを世界初の鉄砲普及国に育て上げれば大陸西部どころか天下まで見えてくる。
信長や秀吉の気持ちが存分に理解できた…いざ目前にすると天下の二文字は黄金よりも眩く輝く。
欲しい…雑賀が異世界で天下を取った未来が。八咫烏紋が黄金王都に掲げられる未来が。
「ふへへへ…アカン、涎出てもうたわ」
「頭領、ヨルトミア軍…来ました」
幻想に浸っていると報告が上がってくる。
マゴイチは弛緩しきった顔を引き締め直すと目を細めて前方を見やる。
洗練された騎兵と歩兵の混成部隊…あの雷紋の旗は噂に名高いカッツェナルガ騎馬隊か…
派手に旗揚げするにはちょうどいい相手だ。マゴイチは舌なめずりする。
「よっしゃ!ほな稽古通りにいくでぇ!焦るなや、存分に引き付けてから面制圧や!」
采配をぱしりと振るえば育成した兵たちが一斉に鉄砲を構えて火蓋を切った。
敵軍は攻撃ではなく布陣の動き、当然ではあるがこちらの射程を把握していない。
確実に先手を取れる…あの美しい女騎士が捉えられる距離に来るまであと僅か…
三…
二…
一…
「放ていっ!!」
采配が振るわれると同時にイルトナ兵たちが一斉に引き金を引く。
イカール平原に蒼天を劈くような轟音が響き渡った…
【続く】