第十八話 リーデ様、宣戦布告!の巻
「…すみません、今なんと?」
「クソ喰らえと申し上げたのです、イルトナ公」
思わず聞き返したケインに再度の耳を疑う台詞が投げられる。
ケインは眉間を押さえる素振りを見せながら軽く溜息を吐くと苦笑と共に諭すように問いかける。
「ヨルトミア公、今の状況を理解しておられますか?もはや貴女個人の問題では…―――」
「ええ、ヨルトミア自体の問題ですわ、例えどう脅されようともイルトナとの併合など以ての外」
リーデ=ヒム=ヨルトミアに一切の迷い無し。
最後まで言わせずにぴしゃりと言い返されケインは思わずたじろいだ。
ここで対抗すればヨルトミアは四つの国全てを敵に回すことになる。この女、正気か…?
「逆に問います…仮に私がその条件を呑まなかった場合、貴方がたはヨルトミアと戦う覚悟がおありなのですね?」
リーデは氷の視線で四国の君主の顔を次々に見据えていく。
そう問いかける威圧感は自分たちより遥かに強く、未だ二十にも満たない娘が出すような其れではない…
気が付けば談合して四人で圧力をかけるつもりがいつのまにやら圧力をかけられる側に回ってしまっていた。
威圧感に言葉を返せずに黙り込む三人の君主に対し、ケインは焦りを覚え始める…
こうなってはもはや机上だけでは解決できまい。
「連合の決定を覆すようならば仕方がない…我々は新たなる脅威としてヨルトミアを排除しなくてはなりません」
そして目配せする。合図を受け取ったオリコー公が頷いた。
「まったく遺憾ですな!よもやヨルトミアがダイルマと同じような道を歩み始めるとは!」
「お、大人しく連合の決定に従っておけばよいものを…」
「…情けない、これがヨルトミアの現当主か…」
オリコー、フォッテ、ハーミッテと各君主が堰を切ったように口々にヨルトミアを糾弾していく。
その罵声の中心にいるリーデは…クスクスと笑っていた。心底嬉しそうに。
ぞくり…背筋に氷を流し込まれたような潜在的恐怖。不気味なその態度に糾弾していた君主らは再び押し黙った。
「―――ああ、その言葉が聞きたかった…貴方がたが敵対宣言をしてくれると言うのであれば容赦する必要はありませんわ」
何…?
君主たちはまたもや耳を疑ってリーデを凝視する。
リーデは向けられる視線を物ともせず優美に立ち上がって歩き、会議室の窓を開く…
初夏の爽やかな風が吹き込んだ。
「待っ…!」
一瞬遅れてその意図に気付いたケインが慌てて捕らえようと兵を呼ぶが時すでに遅し…―――
リーデは華麗に窓の桟に立ち、振り返ってにこりと笑うと一言。
「ごきげんよう皆さま、次は断頭台の上でお会いしましょう」
そして、跳んだ。
◇
有事の際は窓から脱出…そういう打ち合わせだった。
そういう打ち合わせだったのだが何の前触れもなくリーデ様が窓から身を投げればさすがに心臓が縮み上がる。
コンマ1秒の状況判断後、俺も慌てて城の屋上から跳んだ。
「危っ…ねぇぇーーーーっ!!」
落ちる最中、壁を蹴って加速しながら自由落下するリーデ様に追いつくとなるべく優しくその細い御身を抱える。
やがて屋上尖塔部分に巻き付けたフックロープが次第に俺たちの落下速度を減衰させ無惨な落下死を防いだ。
間一髪…思わず大きく大きく息を吐く。
「リーデ様、跳ぶ前はせめて合図してください…!」
「あらごめんなさい、忘れていたわ…でもナイスキャッチよ」
腰に巻き付けたフックロープを切り離すと城内の喧騒が聞こえてくる。
どうやら跳んだからと言って見逃して貰えるわけではなさそうだ。優雅に帰国というわけにはいかないか…
俺は横抱きでリーデ様を抱えたまま立ち上がる。その身体はまさしく羽のように軽い。
「失礼…このまま馬車の方に向かいます、今しばらくの御辛抱を」
「ええ、よしなに」
返事を聞くが早いか俺は馬車へと向けて駆ける。少し手荒いがご了承願いたい。
ラキ様に合図されたその時からこうなることを見越して既に撤退準備は整っている。
後ろからはバラバラと追っ手の足音…当然だ、他四国全てに宣戦布告した以上ここでリーデ様を捕らえるのが一番話が早い。
馬車までの逃走経路をひた走る中、腕組みして仁王立ちしているサイゾーとすれ違う。
「足止めよろしくサイゾーちゃん!一分でいい!」
「わかった…まかせろ…」
すれ違いざまに言葉を交わせばサイゾーは身軽に跳んで追っ手の兵士団の中へと身を躍らせた。
振り返りはしないが耳で感じ取る限り追ってくる足音が打撃音、転倒音、破砕音、悲鳴、うめき声などの物騒な音へと次々変わっていく。
並大抵の兵士では束になってもサイゾーには敵わないだろう…半ば同情しながら目標ポイントに到達、馬車へと乗り込んだ。
そしてなるべく無礼の無いよう丁寧にリーデ様を下ろすと、リーデ様はぽんぽんとドレスの埃を払う。
「ありがとうサスケ、鮮やかな手際です」
「はっ!お褒めに預かり恐悦至極!」
「ふふ…それにしても貴方、肩幅結構広いのね…軽くときめいてしまったわ」
「あ、あんまりからかわんでくださいよ…」
この方は冗談か本気か判別がつかないのが恐ろしいところだ。
一礼して馬車の外に出ると護衛兵隊が追っ手を蹴散らしながら合流。馬車の護衛についた。
しんがりを務めるラキ様の馬には後ろにサイゾーの姿。無事に全員ぶちのめしてきたようだ。
「リーデ様は既に馬車の中ッス、出発しましょう」
「お見事!さすがはサナダ忍軍ですね!サイゾーちゃんも!」
「ふむ…」
ラキ様に褒められて自慢げにサイゾーが胸を張る。こうしているとただの子供なのにその実態は恐ろしいまでの戦闘能力だ。
全員揃ったことを確認すると馬車が走り出し、ヨルトミア一行はケウト脱出を開始する。
国境まで到達すればさすがにそれ以上追っては来ないだろう…それまでは警戒態勢だ。
「ああ…思えば短い平穏だったな…」
独りごちる。
たった一年、長いようで短い平穏だった。
これからは再び戦の日々だろう…俺は自らの両頬をパンパンと張ると気合を入れ直した。
この日、大陸西部の歴史は再び動き始めたのである…―――
◇
一方…
撤退していくヨルトミア一行の後姿を遠目に眺めながらケインは溜息を吐く。
その隣、迷彩柄の衣に鉢金を巻いた一人の少女が立った。年の頃は十三、四ほどか。
少女は金色の瞳をにやりと歪ませて肩を落としたケインの腰付近を軽く小突いた。
「あーあ、見事にフラれてもうたなあ、旦那はん」
「仕方ありません…まさかあそこまで馬鹿な女だったとは思いもしませんでした…」
可能ならばヨルトミアの戦力はそっくりそのまま取り込みたかったところだがそれも叶わなくなった。
騎士女公の名声を失うのも手痛い、いずれ屈服させるにせよ名声は失われる…どれだけ準備しても物事は上手く行かないものだ。
気落ちするケインを見、隣の少女は長い筒のような物をくるくると回して担ぎ直しながら、言う。
「命じてくれれば今すぐにでも追って仕留めてくるで?見逃してええんか?」
少女にしてはあまりにも物騒な台詞。
ケインは軽く思案し、ゆっくりと首を横に振った。ここで奥の手を晒すのは得策ではない。
「いえ、あなたの存在は決戦の時まで隠しておきたい…深追いする必要はありませんよ」
「ふぅん…ま、旦那はんがええならええけどな…」
少女はつまらなさそうに鼻を鳴らす。ケインはそれを見て軽く苦笑した。
この少女は見た目とは裏腹に恐ろしい存在だ…しかしだからこそ、ヨルトミア相手にも最大の切り札となる。
何せ“転生者”に勝つためには“転生者”をぶつけるしかないのだから…
「どうか頼みますよ、“転生者”様…イルトナが覇権を握るためには貴女の協力が必要不可欠です」
「せやからその呼び名は違うゆーとるやろ!―――…ええか!ウチはな…」
ウンザリと否定した少女は少し溜めた後、びしっと親指で自らを指しながら名乗る。
その衣装に刻印されるのは異形の紋章…三本足の烏。
「ウチは“転生撃手”マゴイチちゃん!覚えときや!」
【続く】