第十三話 暴君、墜つの巻
熱い、熱い、熱い…
全身の血が炎に変わって駆け巡っているように“俺”の五体が熱を持ち、前進する推進力となる。
吐く息は陽炎を生んで揺らめき、蹴った地は焔が弾けてくすぶる。
これが“転生者”としての本来の力…というには些か己でも制御できていないように思えるが…
「道を空けろぉ!!」
今はこの暴走状態ですら心地よい。
懐かしの十文字槍を振るうごとに血しぶき舞い上がり、首が跳ねる。
恐れをなした敵兵が揃って退き下がり聖者が海を割るかの如く敵陣が深く裂けていく。
何度生まれ変わろうとこの感覚だけは忘れ得ない。骨肉に染みつくほどの戦の感覚。
「ユキムラ様に続けえっ!!」
兵の誰かが叫び、俺が裂いた敵陣に殺到する。
この身体から噴き上がる狂おしいまでの熱は兵たちに伝わり、我らは一個の火の玉と化して突き抜けた。
嗚呼、懐かしい…すべてはあの時の再現だ。あの大坂での戦いの…
(そう、俺はあの時の悔恨を果たすべく…今度は勝つためにこの世界へとやってきたのだ…)
崩れ去る陣形、討たれていく仲間たち、燃え落ちる城。
死して身体が朽ち魂のみとなっても黄泉の狭間で何度あの光景を夢見たことか…
あと一歩だった…あと一歩が内府に届かず俺たちは敗北した。そしてあの乱世は終わりを告げたのだ。
今度は逃さない…息を吸い込めば肺に炎が満ち、灼熱が全身を巡る。両の瞳が赤光を宿す。
「ひっ…!」
眼前を見ればツェーゼンは最早逃げ腰だ。当然だろう…このような得体の知れぬものが突如眼前に現れたのだから。
あの目だ…俺に心底恐怖しているあの目…あの時もここまでは俺は到達した。
今度こそ逃がしはしない…最後の防衛線一段を貫き、敵大将の首級目掛けて突撃する。
「ツェーゼン=ダオン=ダイルマ、覚悟っ!!」
だが…―――
がくん、と真っすぐに構えたはずの槍の穂先がブレた。
同時に身体中の熱がシュウシュウと湯気を立てて発散され不意に力が抜けていくのを感じる。
気付けば俺の手足は既に縮み始め、子供の其れへと戻らんとしていた。石の魔力を使い果たしてしまったのだ。
あまりにも早すぎる時間制限…歯を食いしばりながらツェーゼンへ槍を届かせんと跳ぶ。
(ま、まだだ…!刹那でもいい…あと一瞬持ってくれ…!)
そんな願いも通じず、無慈悲にも“わし”は子供の姿へと戻ってしまう。
またか…またあと一歩届かないのか…―――失意が心を黒く塗り潰してゆく、あの時とまったく同じように…
しかし、そこからがあの時とは違っていた。
「だあああああっ!!」
力を失い失速していくわしの傍、ひとつの影が駆け抜けた。
ラキ殿だ、剣を低く構えながら裂けた敵陣中を疾走し一直線にツェーゼンへと肉薄する。
ツェーゼンの闇雲に振るった剣がラキ殿の顔半分…左目を斬り裂いたがそれでも止まらず、その剣を騎馬へと突き立てた。
馬が苦痛の嘶きを上げて立ち上がり鞍上のツェーゼンを振り落とす。
転げ落ちたツェーゼンはもがきながらも剣を手に取って立ち上がり、ラキ殿に憤怒の形相で襲い掛かった。
「このっ…クソどもがああああっ!!」
「クソはてめえだっ!!ツェーゼン!!」
割って入るのは…サスケだ。
いつこの戦場に到着したのか、抜剣しながらツェーゼンを背後から強襲。
不意を打たれたツェーゼンはその一太刀を躱すことができず不完全な姿勢で振り向きながら剣の腹で一太刀を受ける。
衝撃を殺しきることができない…ツェーゼンの長身がぐらりとよろめいた。
サスケはがむしゃらにそのまま肩から鋭い体当たりを仕掛け、態勢を崩したツェーゼンに追い打ちをかける形で再び転倒させる。
思いもよらぬ攻撃に受け身を取り損ねたツェーゼンは叩きつけられた衝撃で肺の空気が全て押し出され思わずその剣を手放した。
そのまま全体重をかけて地に押さえ込んだサスケは剣をその首に押し当てる。
これで、詰みだ。
戦場が静まり返った…
押さえ込まれ、息を荒げるツェーゼンの前に姫様が歩み出る。
そしてすらりと優美に剣を抜き、その眼前に突き付けて、言った。
「ヨルトミアの勝ちね、ダイルマ公」
「ハァッ…ハァッ…!な、なにが望みだ…!望みのものはなんでもくれてやる…俺を生かせ…!」
刃を首に押し付けられながら、ツェーゼンは姫様を睨み上げた。
両軍の兵たちは固唾を飲んでその光景を見守っている…誰であろうと割って入れない空気がそこにはあった。
ツェーゼンの言葉に姫様は肩をすくめて見せる。
「私が欲しいのは明日…ただそれだけ…でもそのためには貴方の存在が邪魔ですわね」
ツェーゼンはかっと目を見開く。己の運命を悟ったのだ。
そして血走った眼で問いかける。敗国の領主としての務めを果たすように…
「貴様は明日を得て何をする気だ!この乱世で…何を成す気でいる!!」
その問いかけに姫様はしばらく思案し…薄く笑って見せた。
背筋が凍り付くような氷の仮面と、その内に燃えるような炎の熱情を閉じ込めた…そんな笑顔だった。
「そうね、明日が手に入れば何でも良いのだけど…その先はタイクーンの座でも狙ってみようかしら」
唖然…それがその場の全員の反応だった。
軽い口調に対してはあまりにも巨大すぎる野望だ。だが姫様には有無を言わせない何かがある。
この人ならば本当になってしまうのではないかという何かが…
ツェーゼンはしばらく目を見開いていたが…やがて笑い出す。乾いた笑いだ。
「はは…はははははっ!!なれるわけがねえだろイカレ女がっ!!勝てるわけがねえだろ他の列強国に!!王都の守護騎士たちに!!」
姫様が目で合図し、サスケが頷く。
そしてその剣が大きく振りかぶられた。
「地獄で待ってるぜヨルトミア!!てめえは俺と同類だ!!いつか強すぎる欲がその身を…―――」
ザンッ…
ツェーゼンの頭が地に転がり、沈黙する。
姫様は無造作にそれを拾い上げて高く掲げ…凛とした声で高らかに宣言した。
「聞きなさいヨルトミアの兵よ!そしてダイルマの兵よ!ツェーゼン=ダオン=ダイルマは今ここに討ち取りました!」
歓声。
総大将を失ったダイルマ兵は散り散りに撤退を開始し、あるいは武器を捨てて投降の意を示す。
静かな湖に小石を投げ込むが如く…その報はすぐに戦場中へと伝播していった。
わしはラキ殿の左目の止血処置を手早く行いながら肩の力を抜き、深く深く息を吐く…
今度こそ勝ったのだ…―――
「ラキ!?ラキは大丈夫なの!?」
そこに姫様が珍しく取り乱して駆け寄ってくる。
今までも内心は動揺していたに違いない。あれほどまでに堂々とした姿を見せておきながら大したお人だ…
ラキ殿はゆっくりと起き上がってそんな姫様に弱々しく笑って返答する。
「だ、大丈夫です…えへへ…姫様の望み、叶えられましたね…」
「馬鹿…!」
そうして二人は抱き合い、涙を流す。
左目の傷はそれなりに深かったが命に別状はないだろう…後は今後の治療次第。
魔術があるこの世界ならば視力も失わず傷も消すことができるかもしれない。
よっこらせと立ち上がるとサスケが駆け寄ってきた。返り血と感極まった涙でグズグズのひどい顔だ。
「ユキムラちゃん…!俺、俺…!」
その姿が妙に愛おしくなり、わしはがっしと抱いてやる。
大人の姿であればご褒美だったろうが残念ながらわしの姿はもうすっかり元の子供のものだ。
「ようやったぞサスケ!分断工作に敵大将討ち取り!まさしく一番手柄、天晴じゃ!」
緊張の糸が切れたのか、そこでサスケはへたり込んでしばらく声にならない声を上げていた。
砦防衛組は無事だろうか…足止めに奔ったロミィ殿は…
気になることは数多あったがその時は…その時だけはわしは目を閉じ、勝利の余韻に浸っていたのだった…
【続く】