第十話 決戦、開始するの巻
そして運命の朝が訪れた…
ラノヒ砦城壁上から見下ろす砦防衛総指揮官サルファスはその光景にごくりと唾を飲み込む。
東から続いてくる街道を埋め尽くす兵、兵、兵…これら全てが敵兵なのだ。
この小さな砦があの数を前にどれだけ耐えられるのか…一瞬で揉み潰される光景が頭をよぎる。
サルファスは無意識に震える己の体に自嘲する。情けない、これでは兄を笑えんではないか…
そんな折、後ろからぽんと肩を叩かれた。
「よぉ、ビビッてんのかい大将?」
ヴェマだ。彼女は普段通り不敵な笑みを浮かべ、横に並び立って敵の行軍を睥睨する。
一瞬弱気になりかけたサルファスの心に意地と闘志が戻ってくる。
「ふん!これは武者震いよ!あの程度の敵、物の数にも入らんわ!」
「いいね!それじゃあとっととおっ始めようじゃねえか!」
言うや否や、敵兵の最前列が砦前に到達し激しい攻防が始まった。
二人は軽く拳をぶつけると駆け出し、それぞれの作戦通りの持ち場につく。
サルファスは兵士たちの顔を睨みつけ檄を飛ばした。
「我らの役目は砦の絶対死守!ここが落とされればヨルトミアに明日はなし!食らいついてでも守り抜くのだ!」
オオッ!!と砦を揺るがす返答の声は力強い。
改築ラノヒ砦…ユキムラ命名、『サナダマル弐式』の防衛能力は非常に高い。
城壁増築のために石材を転用すべく元々あった各城壁は低くなってしまったがその代わりに深い空堀が外周から幾重にも掘られている。
その堀は突撃してくる敵兵たちの勢いを削ぎ、かつ城壁の低さを誤魔化して常に上手から迎撃できる仕組みだ。
勢いを殺しきれず深堀に転落する者、あるいは転落するまいと踏みとどまった所で矢に射貫かれる者…敵の第一波の被害は決して少なくない。
「ううむ、最初はふざけた砦かと思ったが…今はヤツが敵でないことを素直に感謝するしかあるまい」
「ええ、我々にとっては天使ですが敵にとっては悪魔のような方です、ユキムラ様は」
「おお!司教殿!」
腕組みして唸るサルファスの横にシアが並び立った。
その姿はいつものリシテン教修道服でなく意匠を凝らした神聖な白い鎧だ。
リシテン教の神官たちは今までは秘匿された存在だったが、もはやそうも言ってもいられない状況…
覚悟を決めた神官兵たちはシアを中心に方陣を組んで魔力を増幅させる。
「天の槌よ、我が身に宿れ…番えるは裁きの光矢…不浄なる者よ、その身に受けよ…―――!」
詠唱と同時にバチバチと弾ける音を立てて光弾が神官兵たちの手の中に収縮していく。
シアはかっと目を見開き、神官兵たちに号令を出す。
「《断罪》!」
轟音。
光の矢弾が一斉に降り注ぎダイルマ兵たちを撃ち抜いていく。
魔術…数十年前に排斥されたはずのその射撃に兵たちは大いに動揺し前線は大混乱に陥った。
元々神官が護身用に開発した大したレベルの魔術ではないが、弓射代わりに撃つは威力十分…
手ごたえを確認したシアと神官兵は再び魔力を練り上げ第二射の用意に取り掛かる。
その隙を埋めるのは…
「義勇兵隊、いくよっ!ヨルトミアはアタシたちの手で守るんだっ!!」
「おおっ!!やつらの鉄頭を耕してやんべえ!!」
砦左翼から義勇兵隊が出撃、全長およそ5mの大長槍…通称サンゲン槍を振りかざしリカチの号令と共に一斉に振り下ろす。
しなるほどに唸りをあげて叩きつけられるそれらは木製とはいえど殺意の塊、リーチ外からフル装備の兵士たちを打ちのめしていく。
魔弾と大長槍の波状攻撃、そして難攻不落の砦構造。
数では圧倒的に劣るヨルトミアだが彼らは完全にダイルマ軍を圧倒していた…
―――…かに見えた。
「喝ぁーーーーつ!!」
怒声がダイルマ軍より響き渡る。
大混乱に陥っていたダイルマ軍だがその声ひとつで静まり返り、のしのしと歩み出る一人の将に兵たちは道を空けた。
ダンゲ=ディフォン…ダイルマきっての猛将。この戦の前線総指揮官である。
「栄誉あるダイルマ軍がヨルトミアの弱兵相手に何をやっておるかっ!!」
怒鳴りながら大斧を手に取り、力強く振るった。
その重量を前にヨルトミア兵が五人ほどまとめて斬り上げられ悲鳴を上げながらバラバラと地に落ちていく。
まるで巨大な熊に殴り飛ばされたかのように…
「冷静に対処すればあのような砦も魔術も恐れるに足らず!一気に攻め潰せいっ!!」
オオッ!!
猛将の一声と共にダイルマ軍は士気と統制を取り戻し数の利を活かして砦攻略を再開する。
さらにダンゲはサンゲン槍の取り回しの悪さを看破、戦闘経験で劣る義勇兵隊は一気に押し返され始めた。
リカチは弓射で必死に応戦するが一度引け始めた流れを止めることはできず…
先頭に立つダンゲを狙った矢も軽く弾き返された。
「くっ、こいつ…化け物か!?」
「弓の女!見事な腕だが所詮女は女!戦場に出てくるものではないっ!!」
巨体に見合わない速度で一気に距離を詰められダンゲの大斧が振り上げられる。
避けられないと悟ったリカチは死の予感に思わず目を閉じ、そのまま叩き潰され…―――
「だらあっ!!」
「ぬうっ!!」
ない。
甲高い金属音が響き、割って入ったヴェマの斧槍がダンゲの大斧を弾き返した。
思わずたたらを踏んだダンゲはその姿を見、怒気に黒髭と黒髪を逆立てて目を剥く。
「ヴェマ!!貴様ァ、この不忠義者がっ!!」
「よう、ダンゲのおっさん!久しぶりだな!」
怒り狂うダンゲに対し、ヴェマはにっと笑って手を振った。
同時に義勇兵隊を追い詰めていたダイルマ兵たちが林の中から飛び出してきた伏兵に横っ腹から襲撃され泡を食う。
それらの肩に刻まれているのは虎のマーク、ヨルトミア軍遊撃部隊。
ヴェマはリカチに一瞥くれて撤退させると姿勢を低く斧槍を構えてダンゲに対し向き直った。
ダンゲは怒りのあまり蒸気を吐く勢いでヴェマに指を突き付ける。
「前領主様の大恩を忘れ出奔したばかりか、あろうことかヨルトミアにつくとは!見下げ果てたぞヴェマ=トーゴ!」
「忘れちゃいねーよ、前の領主様は今でも感謝してる…オレを鍛えてくれたおっさん、アンタにもな…」
ヴェマは静かに言葉を吐いた。
今にも火を噴きださんばかりのダンゲに対しその様相は…凪いでいる。
「ならば死ね!もはや貴様がダイルマに恩を返すにはそれしかあるまい!」
「そいつはできない相談だ…こっちも欲しいものがあるんでね」
ぐぐ…とさらに姿勢を落とす。そのネコ科肉食獣の如き構えには一部の隙も無い。
その殺気を前にダンゲは大斧を構え直す。もはや問答無用…自らの手でこの不忠義者を討つしかあるまい。
そして二人は、どちらともなく弾かれたように間合いを詰める。
「オレはこの国で明日を掴むぜ!おっさん!」
「逃げ出した者が言うことかあっ!!」
林の中を激しい剣戟音が鳴り響き、両軍兵士たちが手出しできない一騎打ちをヴェマとダンゲが繰り広げる。
日が高くなっていくにつれ砦防衛戦はその激しさを増していくのだった。
◇
離れること数キロ…遅々として進まない行軍に、ツェーゼンは馬上で前方を睨みながら苛立っていた。
圧倒的な兵力差がありながらラノヒ砦のような小さな砦ひとつ落とせず停滞しているとは…
神経質な様子でコツコツと剣の柄を指で叩いて傍に控えた護衛兵士に当たり散らす。
「ったく、ダンゲがいながら先鋒隊は何やってやがる!まだ砦一つ落とせねえのか!」
「はっ…どうやら以前と違い砦が大きく様変わりしているようで…苦戦中です」
死傷者も多数出ている、とは護衛兵士はさすがに言えなかった。
ただでさえ苛立っているツェーゼンだ、これ以上不興を買えば斬られかねない。
そんな兵士の胸中も知ってか知らずかツェーゼンはさらに怒りのボルテージを上げる。
「だったら包囲して揉み潰しゃいいだろうが!数を使え、数を!」
「し、しかしツェーゼン様…砦攻略に兵を割けば御身の守りが手薄に…」
「ああ…!?」
馬上から兵士の胸倉が掴み上げられた。
その腕力は貴族だというのにかなりのもの…武闘派なだけあってツェーゼンは己の鍛錬も怠らない。
「守りで手一杯の連中がどうやって包囲を抜いて最後方の俺を狙うってんだよ…!?」
「ひっ…!も、申し訳ありません!!」
掴み上げられた兵士が乱暴に投げ落とされる。
尻餅をついた彼に対し、ぎらりと剣を抜いてツェーゼンは命じた。
「全軍前進!!圧倒的な戦力差ってやつを教えてやれ!!」
停滞していた行軍が再び動き出しラノヒ砦の包囲陣形にその形を変えていく。
その中途、陣が縦に長く伸びる瞬間を北の山の上から偵察する者が一人…
ヨルトミア軍一般兵、トビー。彼は深く深呼吸し、とある場所へと向かって駆けだした。
【続く】




