第百七話 タイクーン、神の力を打ち破る者の巻
「おらおらおらぁッ!!」
「くっ…!」
所変わって《皇帝の剣》本陣…
徳川四天王・本多忠勝の槍撃の嵐をノブユキはかろうじて防ぐ。
さすがは戦国最強格と名高い東国無双、白兵戦での強さはお墨付きだ。このまま打ち合っていればいずれ命を落とす。
隙を突いて跳び下がり、一度間合いを離したノブユキは後方に控えた配下の赤備えに攻撃号令を下す。
「あの武者の間合いに入るな!弓撃にて仕留めよ!」
「はっ!」
本陣を任された精鋭の赤備えは一糸乱れぬ動きで一斉に矢を番え、忠勝に向けて弓撃を開始。
並みの戦士ならば瞬時にして針鼠にされるだろう矢の豪雨…しかし彼らが相手取っているのは並みの戦士ではない。
忠勝は一歩も引くことなく前進。自らに迫る矢を全て弾き、叩き落とし、平然とノブユキへと迫る。
「無駄だ信幸!他の者ならいざ知らず、俺はお前では止められん!」
剛槍一閃…一撃を受けたノブユキの刀…真田正宗が悲鳴じみた金属音を上げる。
確かに、ノブユキは前世で采配で徳川軍を上回ったもののそれが個人の武勇となると話は別。
特にこの本多忠勝には手合わせする機会は多くあれど未だに一本も取ったことがない。ましてや若い肉体なら猶更だ。
どちらも力の程度は知り尽くしているということだ。だが…―――
「…それはそうでしょう、義父上に勝てる者は“転生者”でもそうそうおりますまい」
「わかっているならば退け!早々にタイクーンを討ち果たしこの戦を終わらせねばならん!」
「ふ…それは難しいですよ…何故なら…―――」
何故なら、この世界には義父上並みに強い武者が他にいるのだから…
ノブユキが心の中で呟くと同時…兵たちの間、そしてノブユキの傍を白銀の風が吹き抜けて忠勝を側面から強襲。
美しく閃く太刀を咄嗟に槍の柄で弾いた忠勝は、己の両腕に走る痺れに目を見開く。
たった一太刀で分かる…ノブユキの助太刀に入ったのは紛れもない強者だ。
「タイクーン…我が主は討たせはしない、私の目が黒い内はな」
「貴様は…―――」
ロミリア=カッツェナルガ…
この女騎士は先鋒隊に奇襲を仕掛けてきた三騎のうちの一人…一旦後方に下がっていたのが転回、再加速して戻ってきたか。
見遣れば彼女に率いられてきた騎兵隊が鳥居隊に側面突撃。苦戦するマゴイチたちを援護すべく攻め手の勢いを削いでいる。
忠勝は冷静に戦況を分析する…鳥居隊でもマゴイチと死神騎兵両方を相手取って突破するのは難しいだろう。
だとすればやはり己が総大将討ちを成すしかない…忠勝は一旦間合いを取り、改めて槍を構え直した。
「…徳川四天王・本多忠勝…悪いがこっちには時間がねえんだ、速攻でケリをつけさせてもらうぜ」
「ヨルトミアの騎士、ロミリア=カッツェナルガ…そう易々といくとは思わないことだ、“転生者”殿」
一呼吸置いて…ほぼ同時、弾かれたかのように地を蹴り肉薄。
剛槍・蜻蛉切と白銀剣アルビオンが閃光の如く疾り激しく交錯、轟音と火花を上げる。
まずは互角…弾かれる力に逆らわず数歩下がった忠勝は、槍の穂先が幾重にも分身したかの如く見える高速突きの連打で猛襲を仕掛けた。
対してロミリアは一切守りに入らない。最小限の動きで穂先を躱し、あるいはいなしながら前進、槍の死角である懐に飛び込む。
大した肝の据わりっぷり…思わず口笛を吹いて称賛する忠勝を尻目に、命を刈り取る死神騎兵の刃が閃光と化して襲いかかる。
至近距離から放たれた剣閃を忠勝は身を捩って回避。確かに速い…が、綺麗な太刀筋ゆえに攻撃軌道は見えやすい。
会心の間合いから放たれた必殺の一太刀…躱されたロミリアは驚いたように眉を上げ、反撃の槍撃を剣の腹で受け止めた。
衝撃。両者は再び間合いを取り、互いに視線を交錯させる。
「やるな…!」
「貴殿こそ…!」
僅かな応酬で互いの力を察した二者は軽く笑うとさらに加速。
常人の目には視認すらできないほどの無数の剣戟が交わされ、ぶつかりあう度に衝撃が戦場を揺るがす。
だが忠勝はいつまでもここで足止めを食っている訳にはいかない、こうしている間にも徳川本陣へ真田が迫っている。
名残惜しいが、一気に決着をつけねばなるまい!
「おおおりゃあっ!」
「っと…!?」
忠勝の太い腕が倍程にも膨れ上がり、振り上げられる剛槍の一撃をかろうじて防いだロミリアが数歩下がってたたらを踏む。
実力は互角、だが体格と膂力は忠勝が勝っている。技術先行のロミリアは力と力の競い合いとなれば若干不利だ。
態勢を僅かに崩したロミリアに対し、忠勝は振りかぶったままの槍を渾身の力で叩き下ろし…
「今だ!射てぇっ!」
「ちいいっ!!」
中断。ロミリアとの距離が開いたところへ飛来する複数の矢を全て叩き落とす。
忠勝は抜け目なく矢を放ったノブユキを睨みつけ…失念しかけていたがこれは一騎打ちではない。双方の軍の勝敗をかけた合戦だ。
ノブユキとロミリア…この二将を前にして手段は選んでいられんか…
忠勝は少々気が進まなさそうに嘆息すると、軽く目を伏せる。
「…本来ならこんなもん使いたくはなかったんだがな…―――…神権発動」
煌ッ!
その一言と共に忠勝の全身が燦然と光り輝く。
明らかに只事ではない…軽く目配せしたノブユキとロミリアは左右に跳び離れ、挟み撃ちにする形で忠勝へと打ちかかった。
対して、忠勝は一切構えることなく無造作に歩く。その身へと二つの剣閃が迫り…
「「なっ…!?」」
空を切った。
交錯するように駆け抜けて膝をついたノブユキとロミリアの両名は、呆気に取られてそのまま歩いていく忠勝の背を見る。
僅かに振り返って忠勝が注釈を入れた。心底、嫌そうに。
「俺の神権は“生涯不傷”…攻撃が当たらなくなるんだとよ、自分でも気に入らんがな」
前世、本多平八郎忠勝は数多くの戦場、最前線に立ったが一切負傷することは無かった。
それだけ卓越した体捌き、そして槍の腕があったということだ。神権はその武勇を拡大解釈、無敵化のスキルを与える。
焦った弓兵たちが一斉に弓撃を仕掛けるが、一度神権が発動した以上最早忠勝に矢が命中することは無い。
悠然と歩いていた忠勝は次第に加速、射かけてきた弓兵たちを斬り伏せながらその最奥…タイクーンの下へと疾走する。
「だ、誰か止めろぉーーーッ!!」
焦ったロミリアが、後を追いながら叫ぶ。
しかしノブユキとロミリアが止められなかった相手をこの軍の一体誰が止められるというのか…
決死の覚悟で護衛兵たちが掛かっていくが剛槍の一閃にて軽く蹴散らされ、金色の風と化した忠勝を止めることができない!
やがて忠勝は陣幕を突き破り、《皇帝の剣》総大将…タイクーン…リーデ=ヒム=ヨルトミアの眼前へと到達した。
神の脅威を目前に一切怖じないリーデの氷の視線と、葛藤を使命感で捻じ伏せた忠勝の燃える視線が交錯する。
「貴様がタイクーンか、恨みはないが我が殿のため…死んでもらうぜ」
「あら…敵総大将を前にして随分と無礼なのね…お里が知れるわよ、田舎武者さん」
討死がすぐそこに迫っているのに剛毅な女だ。
忠勝は思わず己の娘を思い出し、しかし気を取り直して言い放つ。
「女の身とて俺は容赦をせんぞ、総大将を名乗ったんだ…それがどういう意味か分かっているのだろう?」
獰猛に迫る忠勝に対しリーデはくすりと笑う。
そして自らもまたすらりと細剣を抜いた。その動作には一切の淀みがなく、どこか芝居がかった風すら感じさせる。
「無論よ…でもタダでこの首をくれてやるつもりはないの、貴方も死ぬ気でかかってきなさい」
「…つくづく敵として出会ったことが悔やまれる連中だぜ…―――…タイクーン、覚悟ッ!!」
忠勝は地を蹴り、蜻蛉切の穂先を眼前の女に突き立てんと奔る。
対するリーデは…多少は武芸の心得があるようだが、先の二人に比べればまるで赤子。相手にすらならないだろう。
だが蜻蛉切が間際まで迫った時、突如としてバサリと上質な赤布が翻り忠勝の視界を塞ぐ。
その正体はマントだ。リーデは咄嗟に黒鎧に装着されていたマントを取り外し、忠勝目掛けて投げつけたのである。
「…ッ、小癪ッ!」
「あぐっ!!」
だがそんなものはただの悪あがき。構えを突きの形から薙ぎ払いに変えた忠勝はそのままマントごとリーデを叩き伏せる。
強引な一撃を防ぎきれなかったリーデは悲鳴を上げそのまま地に転がった。力量差はこんな奇策で誤魔化せるものではない。
忠勝は見苦しい行いに思わず顔をしかめ、改めて総大将を仕留めんと槍を振り上げて…脇腹に僅かな痛みを感じる。
訝しげに見下ろすと、いつの間にやら気付かぬうちに左脇腹に小さな裂傷を生じていた。本来負う筈のない、ありえない傷だ。
「―――まさか…これはさっきの…?」
ほんの僅かに時間が巻き戻る。
タイクーンはマントを投げつけて視界を奪った直後、果敢にも細剣で斬りつけてきたのだ。
結果として僅かな傷を負っただけでそのまま叩き伏せたが…慢心か、それとも敵の執念が勝ったか、神権が破られ傷を受けた。
生涯不傷である筈の己が…愕然としてその場で動きを停止した忠勝の後方、一つの影が猛然と迫りくる。
「リーデ様ァァァーーーーーッ!!!!」
憤怒に眼光を輝かせながら飛び込んできたロミリアは白銀剣を抜き放ち忠勝を強襲。少し遅れてノブユキが駆けつける。
思考の渦に囚われていた忠勝は反応が遅れた。隙だらけだ…しかし神権は発動したまま、攻撃を通す手段は存在しない。
だが、ノブユキの目は璧に入った疵を見抜く!
「―――ロミリア殿ッ!!“傷”を狙ってください!!」
激しい怒りの色を浮かべながらもロミリアの瞳が冷徹に輝き、剣閃が軌道を変える。
狙いは忠勝の左脇腹…先ほどリーデによって僅かな傷を受けた箇所だ。ほんの僅かな傷に、寸分違わず白刃が食らいついた。
次の瞬間…忠勝の全身を覆う輝きが食い込んだ刃を起点にひび割れ、光の破片と化して砕け散っていく!
「ば、馬鹿な!!俺の…神権が…!!」
「うおおおおおーーーーッ!!」
光の破片はそのまま大気中に散らばっていき、光の鎧を剥がれた忠勝は唖然として生身を晒す。
絶対である筈の神権が破られた…其れは果たして如何なる原理か。それを知る術はその場の誰にもない。
そのまま深々と骨肉に打ち込まれた刃はロミリアの渾身の咆哮と共に振り抜かれ…忠勝の体躯を横一文字に斬り裂いた!
(―――ああ、クソったれ…!気が進まないのに神の力なんかに頼るんじゃなかったぜ…!)
不覚…前世でも味わったことのない深手だ。
鮮血を噴き出しながら忠勝はよろめいて崩れて落ち…そのまま沈黙して完全停止。
ロミリアは肩で息をしながら会心の手応えを実感…己もまた精魂尽き果て、その場に膝をつく。
一瞬の静寂…それはすぐにどよめきに変わり、どよめきは歓声へと変わっていく。
「ふーっ……さすがね、ロミリア…ノブユキも…今のはさすがに肝を冷やしたわ…」
一部始終を見届けたリーデは大きな安堵の息を吐き、思わず独り言ちる。
恐怖がなかった訳ではない。必死に震えを隠して虚勢を張り続けただけだ。だがそれが却って勝機を生んだ。
そしてノブユキの手を借りて立ち上がった彼女は遥か東方…徳川本陣の方角へと目を向ける。
此方はなんとか凌ぎ切った…後はユキムラがこの戦に最後の一手を打つだけだ…―――
【続く】




