第百六話 奮戦!異世界の忍たちの巻
「軍旗を倒してはなりません!殿がお戻りになられるまで陣を死守するのです!」
攻め入られた徳川本陣、榊原康政は配下の兵へと檄を飛ばす。
本陣に控えるは徳川軍の中でも精鋭兵、奇襲により乱されかけた統率は既に持ち直しつつあった。
一方で旗色が悪くなったのはシンクロウが率いる風魔・サナダ混合忍軍。
シンクロウは坂落としの勢いで押し切れなかったことに歯噛みし、舌打ちする。
(奇襲ってのは敵の心を乱してナンボだ…読まれてたっつうのは痛すぎるぜ…)
敵が浮足立たずに冷静ならばいくら風魔とサナダの忍が精鋭揃いと言っても兵力差は誤魔化し切れない。
そして敵の兵力は康政と半蔵の神権によってほとんど無限に補充される。
このままではジリ貧…ユキムラに家康討ちを任せたはいいもののその前に此方が包囲殲滅される可能性が高い。
状況を打開するにはもう一度波を起こす必要がある。敵軍を乱す大きな波を…―――
刀で亡霊武者を斬り捨てたシンクロウは風魔小太郎と背中合わせに構え、囁いた。
「…風魔、この位置から榊原を狙うことは能うか…?」
戦の最中で退いて今の康政は50mほど離れた地点に位置取っている…さらに周囲を精鋭兵が守護する万全の備えだ。
一瞬の間の後、小太郎は表情一つ変えず答える。
「…可能です…ひと時、我々から視線を外せられれば…」
「ふん…ここまで警戒されちまってる以上そいつは難しいな…だとすれば…―――」
だとすれば、波を起こすのはあいつらに任せるしかない。
ユキムラがここまで手塩にかけてきたサナダ忍軍…その勇士たちに。
シンクロウは僅かに目を細め、離れた位置で服部半蔵と丁々発止の剣戟を繰り広げるサイゾーを見遣る。
◇
「せいっ…!はっ…!」
まるで鎌鼬のように身軽に飛び跳ねて襲い来るサイゾーの攻撃を服部半蔵は捌いていく。
初めて会った時は軽くあしらったが今はまるで別人…伊賀忍の体術に対応しながら隙あらば短刀で致命の一撃を繰り出してくる。
この幼子、敵ながら恐るべき成長速度…短期間ではあるが半蔵を知る風魔と交流を得たというところも大きい。
おそらく風魔に何らかの対策を授けられた筈…それにより初見は歯が立たなかった半蔵相手に互角に立ち回っているというわけだ。
「ならば…ぬんっ!」
攻撃の隙を突いて半蔵は飛び離れ、胸の前で印を結ぶ。
神権発動…ぬるりと立ち上がった半蔵の影が人型を取り、二対一の形に…―――
「そいつは…ルール違反だ!」
「むぅっ!」
軽薄な一声と共に銃声。
乱戦の最中から鉛玉が飛来し人型を得る前の影を撃ち砕いた。
半蔵は忌々しげに其方を見遣る…あれは確かジューゾーと言ったか。サナダ忍軍の鉄砲の名手だ。
形を得る前に崩されればいくら神権と言えど影は粘土人形のようなもの…何の役にも立たない。
そうしている内にサイゾーが追いつき、再び攻撃を仕掛けてくる。
「ねんぐのおさめどきだ…!」
「舐めるなよ小娘!神権などなくとも貴様程度!」
半蔵が放った手裏剣とサイゾーが放った苦無が空中で激突。甲高い金属音と激しい火花を立てる。
ほぼ同時に二者は肉薄。半蔵の一太刀を掻い潜り、サイゾーは短刀による刺突で胸を狙う。
超至近距離の戦いとなれば小柄かつ素早いサイゾーに分がある。それを狙っての接近戦だ。
だが半蔵はその攻撃を読んでいる。この幼い忍は確かに天才、しかし戦闘経験は己の方が遥かに上!
刺突をバックフリップで回避するとそのまま宙返りながら攻撃後のサイゾーを蹴り上げた。サマーソルトキックだ!
「ぐあっ…!!」
「数年修業した程度でこの服部半蔵と渡り合おうなどと…笑止!」
蹴り上げられたサイゾーに対し手裏剣の追撃が襲う。
咄嗟に鋼の籠手でなんとか防ぐものの、その手裏剣はダメージを狙ったものではない。
無理な空中防御で姿勢を崩したサイゾーの無防備な着地際を狙い、無慈悲な二枚目の手裏剣が襲いかかる!
「うあああっ!!」
手応えあり…
サイゾーは必死に躱したものの右脚に深々と裂傷、バランスを崩して膝をつく。
その隙を半蔵は逃さない。右手に槍を召喚すると疾走、瞬時にサイゾーへと距離を詰めて突きを繰り出した。
深手を負ったサイゾーは躱…せない!その小さな体躯の中心を剛槍がぶち抜いた!
「サ、サイゾーーーーーッ!!」
分身を相手取り苦戦していたサナダ忍軍の内の誰か、その者の悲鳴じみた声が上がる。
半蔵は槍を伝わってくる命奪の感触に軽く一息吐き…―――ドロンと煙を上げてサイゾーの死骸が消失する光景に目を見開く。
馬鹿な!変わり身…否、分身の術か!それも純粋な忍術ではない。魔力によって依代を作った即席の分身だ。
一瞬、気を抜いた半蔵の死角から小さな殺気の塊が迫る!
「サスケのいうとおり…おまえはトドメをさすとき、ぜったいやりをつかう…」
消失した分身の煙の中から飛び出したサイゾーは槍の口金を踏んで跳躍。一気に半蔵の懐に飛び込んだ。
両の手は槍を握ったまま、懐に飛び込まれれば対処法は…ない!
死を悟り鈍化した時間感覚の中で、半蔵は咄嗟に槍を使ったことを後悔する。元は忍ではなく鬼半蔵と呼ばれた武者…その矜持に拘りすぎたか。
しかしそれを一見にして見抜いたサスケなる男…そしてその情報を勝機に変えたこの少女…只者ではない。
敗因は異世界の忍と侮ったことか…納得すると同時、サイゾー渾身の一撃が胸部に抉り込まれ服部半蔵の魂器を打ち砕いた。
「み、見事…異世界の忍…!」
致命のダメージに血を吐きながら称賛する半蔵に対し、サイゾーはふんすと鼻を鳴らす。
「サナダのしのびだ…おぼえておけ…」
真田の忍…そうか、前提からして間違っていたか…
半蔵は僅かに自嘲の笑みを浮かべると拡散する光の粒子と共に消滅。魂を黄泉へと還す。
それと同時に神権によって生み出されていた分身もまた全て解除。影となって液体のように地に溶け落ちた。
「ふー…」
残心を取ったままのサイゾーは戦闘終了を悟ると崩れ落ち、溜息を吐いて己の右脚を恨めしげに見遣る。
やせ我慢していたが重傷だ。腱を切られていないのは不幸中の幸いだが、しばらく立ち上がることもできないだろう。
戦いが終わればすぐにでもユキムラとサスケの所に駆け付けるつもりだったが…無念だ。
「サ、サイゾー!!無事か!!」
そのまま転がっていると戦闘を終えたサナダ忍軍の皆が駆け寄ってくる。
ひらひらと手を振って見せれば案外大丈夫そうな様子に全員安堵の溜息を吐き、てきぱきとコスケが右脚の応急治療を始めた。
そんな中で呆気に取られたままのジンパチがおずおずと切り出す。
「そ…それにしてもサイゾー…分身の術なんて一体いつの間に覚えたんだ…?」
「んん…?」
治療を受けながら気だるそうにサイゾーは返事をする。
「あいつがなんどもつかっていただろう…あれだけみせられれば、いやでもおぼえる…」
ひょっとして半蔵の神権を見てラーニング、自己流で発動したのだろうか…
そうなれば天才の一言では片づけられない…神の技術の模倣だ。常人においそれと行えるものではない。
皆が思わず絶句する中、心魂尽き果てたサイゾーはカラクリの糸が切れるかの如くことんと意識を落とした。
◇
「ば、馬鹿なッ!!半蔵殿!!」
分身が消滅したのを見、康政は思わず取り乱して叫ぶ。
あの服部半蔵とあろう者が異世界の、どこの馬の骨とも知れない忍軍に敗北する…ありえないことだ、何かの間違いとしか思えない。
家康不在の本陣の支柱となっていた康政のその動揺は、大きな波となって全軍に伝わっていく。
その隙をシンクロウが逃すはずがない。
「風魔ッ!!」
「―――…承知!」
小太郎は微細な禍々しい刃を持つ一際大きな手裏剣…風魔手裏剣と名付けた其れを投擲。
半蔵討死のショックによって完全に不意を打たれていた康政は、豪快な風切り音を立てて迫る手裏剣に気付きかろうじて防ぐ。
だがそれは悪手。風魔手裏剣には鋸刃形状の凹凸があり、迂闊に受ければ刃を噛み取られた後に回転の力によって得物を弾き飛ばされる。
言うなれば投擲武器版ソードブレイカー…小太郎の奥の手だ。
「しまっ…!」
「形勢逆転だ、若造ぉッ!!」
康政が刀を弾かれた直後、怒涛の勢いで護衛兵たちを斬り捨てながら突撃してきたシンクロウが眼前に迫る。
咄嗟に神権で亡霊武者の壁を作り出そうとするも、風魔忍軍からの援護射撃によって亡霊たちは悉く撃墜。壁を作り出すことができない。
守りが全て剥がれた丸腰の状態で康政が見遣るのは…敵であるシンクロウでなく、徳川の軍旗。
もう二度と栄光の葵旗が倒され泥に汚れることがあってはならない…!殿がお帰りになられるまでなんとしても死守しなくては…!
「私が、守らねば…―――!」
だが伸ばした手は到底届かない。
日光一文字が陽光にぎらりと輝き、決着をつけるべく振り下ろされる。
【続く】




