幕間その9 ユキムラとノブユキの巻
「こうして顔を合わせるのは犬伏以来か?」
「くくくっ…お互い随分と様変わりしましたがな…」
時はガハラカーン開戦前、場は召喚を終えたハーミッテ城へと遡る。
ユキムラは己とうり二つの“転生者”…ノブユキをまじまじと見つめ、心底可笑しそうに笑った。
二人を交互に見比べたシアとイオータは顔を見合わせて驚きに嘆息する。
「まさかお兄様を召喚なされるとは…―――いえ、今は女の子ですからお姉様ですか?」
「むぅ…そう呼ばれるのはなんともムズ痒いな…」
「姉上は別におりますから面倒になりますのう、小娘の姿ですが兄上でいきますぞ」
ノブユキ…前世の名を真田信幸。
真田幸村の兄にして昌幸の後の真田家の当主、武勇にも知謀にも優れた勇将である。
また統治にもその手腕は発揮され、彼の能力あってこそ宿敵であった徳川政権下においても真田家は末永く存続したのだ。
昌幸・幸村とは関ヶ原の戦いの折に勝っても負けても真田家が残るように敵味方に分かれ、それ以降会うことは無かった。
即ちこうして召喚された上での再会は関ヶ原以来となる。語りたい思い出話はいくつもあった。
しかしユキムラは敢えて郷愁の念を振り切り、ノブユキへとこれまでの経緯と現状の説明をする。
ノブユキもその意を汲み、黙してユキムラの話に耳を傾けて頷いた。
「―――…なるほどな、状況はだいたいわかった…一度仕えた徳川に再び弓引くというのは少々躊躇われるが…」
「そこを曲げてどうにかお願いしまする」
「無論だ、前世で恩義は十分に果たした…他ならぬ源二郎の頼み、聞かぬ手はあるまい」
「今世はユキムラちゃんでお願いいたす、兄上」
「ちゅ、注文が多いな…―――ユキムラの頼みだ、聞くとしよう」
ノブユキは《皇帝の剣》に味方することを快諾。傍で見ていたシアとイオータは胸を撫で下ろす。
だがその後、ノブユキは僅かに疑問を覚えて首を傾げる。
「しかし、何故私なのだ…?徳川を討つならば信玄公、太閤殿下、島津維新斎殿…他にも適任者がもっと居た筈だろう」
その問いにユキムラは僅かに目を細め、指を三本立てた。
「理由は三つ…まず一つは兄上がその方々に並ぶほど徳川に対して強いということ」
「そ、そこまでか…?あまり自覚はないが…」
「そこまででござる、兄上は常に厳しい状況下に置かれるため自身に対し低い評価をしがちなのです」
照れたように頬を掻くノブユキを尻目にユキムラは指を一本折った。
「二つ…兄上ならば必ずや我らの味方をしてくれるということ」
「…そこはまぁ…そうだな…言われて見れば信玄公や太閤殿下を喚んでは徳川に勝った後が面倒になる」
「ええ、兄上ならば間違いなく変な野心も持たずリーデ様の天下を支えてくれる立場に収まってくれるでしょう」
「な、なんだか褒められている気がしないな…」
今度は複雑な表情をノブユキが浮かべる中、さらにユキムラは一本指を折る。最後の一本だ。
「三つ…わしの采配を完全に模倣できるのは兄上のみということ」
「…詳しく聞こうか」
何か策がある、瞬時に察したノブユキは顔を近づけて聞き入る。
ユキムラの策はこうだ…深慮にして慎重な家康は確実に前世、大坂夏の陣で自身を追い詰めてきたユキムラに対し警戒する。
目印となるのは真田の赤備え、敵軍は赤備えの動きに注視し排除を最優先してくるはずだ。
その裏をかく。ノブユキが率いる真田の赤備えが本陣で徳川軍を引きつけ、手薄となった徳川本陣を迂回したユキムラ隊が突く。
そうして短期決戦に持ち込むのがユキムラの最後の策である。
これを成功させるため、囮となる赤備え隊は徳川に疑いを抱かせない程ユキムラの采配の模倣が求められる。
「それができるのは戦国乱世無数にいる将星の中でも兄上唯一人にござる」
僅かな間。
無茶振りである。戦いの中で死に今世でも戦い続けてきたユキムラに対し、ノブユキは実戦を離れていた期間の方が長い。
それが最後の大一番で徳川を欺けという難題が降りかかってきた形だ。開戦まで秒読みの段階で調練の時間すらロクに取れない。
だがその無茶を承知でユキムラは頼んできている。最も信頼できる将の一人として最後に頼ったのが実兄だったのだ。
ノブユキは僅かに目を伏せて出された茶を飲み、真摯に見つめてくるユキムラへと笑みを返した。
「…お前、父上そっくりになったな」
「…わしの今世での立ち回りは父上の模倣ですので」
「まったく…だからって私に無茶を押し付けてくる所まで真似んでもよかろうに」
軽く溜息を吐き、ノブユキは立ち上がって伸びをする。
「いいだろう…私に任せておけ、必ずやお前の策を成功に導いて見せよう」
◇
所変わって王都…王城内タイクーンの居室。
仮面転生者卍を名乗って皆を誤魔化した後、ユキムラとノブユキは内密にリーデへと謁見する。
二つ並ぶ同じ顔にリーデは軽く驚き、事情を聴いて呆れたように溜息を吐いた。
「ユキムラの策は分かったけど…どうしてあのようなふざけた格好を?緊迫した場を和ませるジョーク?」
「それもありますが…」
「笑えなかったわよ、あと名前もセンスがない」
ばっさり。
ユキムラは取り繕うようにして咳払いし、説明した。
「ま、真面目な理由として…兄上の存在は次の戦における勝利の要、可能な限り極秘にしておく必要があるのです」
当然、最終決戦に集った仲間が信じられないという訳ではない。
だが一度衆目に明かされた情報を完全に隠し通すことは不可能、どこかで敵軍に尻尾を掴まれる。
特に服部半蔵という戦国一優秀な諜報を抱える徳川ならばほんの僅かな隙からでも此方の手を読んでくるだろう。
それを避けるためには情報の機密化…味方にすら徹底して隠す必要があるというわけだ。
故にこの部屋の中にはリーデとユキムラ、ノブユキ以外は居らず、周辺をサナダ忍軍が最重要警戒している。
ユキムラが考えるこの策に対する重さにリーデは納得した。
「わかったわ、この策で家康めの度肝を存分にぶち抜いて来なさい」
「リーデ様すら囮とするのは心苦しく、尚且つ多大な危険が伴いますが…」
「今更よ今更、手勢率いて白兵戦をやるのはそれこそダイルマと戦っていた時から慣れっこなんだから」
豪気ともぞんざいとも取れるリーデの口ぶりにユキムラは思わず笑い、リーデも不敵に笑い返す。
そこに異を挟んだのはノブユキだ。軽い…総大将が命を賭けるというのにあまりにも軽すぎる。
「リーデ様、このノブユキは前世では徳川に忠義を尽くしていました」
いきなり何を言うのか兄上…慌てて止めに入ろうとするユキムラを手で制し、ノブユキは続ける。
「おまけに十六神将には私の義父…血縁者までおります、決して軽い間柄ではございませぬ」
「ふむ…それがどうかしたの?」
「…そのような立場の私を傍に置き、軍を三つに分ける…この策がどれほど危険か分かっておられますか?」
実直すぎるほどに実直。
ノブユキはリーデに対して自身が離反した時に守るものはないと示唆したのだ。
何故言わなくていいことまで明かしてしまうのか…ユキムラがはらはらと見守る中、リーデは悠然と笑みを返す。
「分かっているわ、貴方はユキムラが最も信頼する兄でしょう?」
「む…」
炎を宿した氷のような眼差しには一切の迷いが無い。
軽い調子と見せかけて確固たる覇者の器を内包する様…ノブユキは一瞬リーデの背後に太閤秀吉を重ね見た。
「私が信じる理由はそれだけで十分…この答えでよろしくて?」
この主君はユキムラを心から信じている…思わず沈黙吟味するノブユキに対し、リーデはくすりと笑って言葉を付け加えた。
「尤も、私の首級を狙って易々と取れるとは思わないことね…奪う気なら命懸けで来なさい、でなくば返り討ちにするわ」
強い女だ。
今度は亡き妻を思い出し思わず頬を緩める。ここまで覚悟が決まっていれば何も言うことは無い。
ノブユキはぺこりと頭を下げて非礼を詫びる。
「出過ぎたことを申しました…年寄りの要らぬお節介と思って聞き流してください」
「ふふ…年寄りも何も貴方、今は毛も生えてなさそうな小娘じゃない」
「おっと、そうでしたな…なにぶん前世は九十三まで生きておりましたが故」
「きゅ…!?」
思わず絶句するリーデを尻目にノブユキはユキムラを振り返る。
どちらも晴れやかな表情だった。これで心置きなく徳川との戦いに挑めるというものだ。
「…良き主君に恵まれたな、ユキムラ」
「ええ、二度目の生を捧げるに値する自慢の主君でござる」
ここでの会話はそれだけで十分。
リーデとノブユキ…互いに信頼関係が生まれたのを見、ユキムラは満足げに頷いた。
兄に引き継いで“転生軍師”としての役割は終わりだ。後は“真田幸村”として徳川家康と決着をつけるのみ。
(兄上を喚んだ理由はもう一つ…兄上ならば泰平の世でもわしに代わってリーデ様をお支えしてくれるだろう…)
戦いに生きて戦いに死んだ己と違い、統治を知る兄ならば平和な時代でも必ずや主君の助けとなれる。
後顧の憂いが無くなった今、戦いしかできぬ己は命に代えてでも家康を討つことに集中することが能う。
無論、生きて帰れればそれが一番良い…だがもし、命を捨てなければ敵が倒せぬ場合は…―――
親しげに話すリーデとノブユキの背を見ながらユキムラは人知れず決意するのだった。
【続く】