第九十七話 開戦、ガハラカーン平原の戦いの巻
セーグクィン歴1060年、双蛇の月16の日、早朝…
王都~ジークホーン領中間地帯・ガハラカーン平原にて《皇帝の剣》軍そして徳川軍、ほぼ同時に布陣。
連日の長雨と秋の不安定な天候により深い霧立ち込める中、両軍は陣形を整え始めた。
兵力で劣るも十六神将、そして神兵部隊による一点突破の早期決着を図った徳川軍は魚鱗の陣にて突撃準備を開始。
一方で数で勝る《皇帝の剣》軍は迎え撃つべく鶴翼の陣を…―――
否。
「て、敵襲ッ!!敵襲ーーーッ!!」
徳川軍が陣を形成する直前、深い霧を突き破って先鋒を急襲する部隊あり。
敵は多勢故に鈍重…まさか先手を打たれるまいと高をくくっていた徳川軍兵士たちは慌てふためいた。
その部隊…もとい三騎にとって敵兵たちの隙は命を差し出す行動に他ならない。
「ロミリア=カッツェナルガ推参!一番槍仕る!」
《皇帝の剣》…そしてヨルトミアの戦にて口火を切る役は決まっている。
白馬アルバトロスの嘶きと共にその女騎士が敵陣を駆け抜ければ、少し遅れて渦巻くように首級と血飛沫が舞った。
名実共に今世最強の騎士、ロミリア=カッツェナルガ…数多の戦いで経験を積んできた彼女に敵う騎士は最早存在しない。
死神騎兵の戦闘能力をまざまざと見せつけられて徳川軍先鋒がいきなり崩れかける中、重厚な地響きが後方より響いてくる。
「さっそく出てきたな…鉄人形め」
忌々しげに呟くロミリアが見る影は全高およそ3mほど、フルプレート騎士鎧姿の鉄人形…呪術教団の神兵だ。
兜状の頭部パーツには徳川の葵紋が刻まれ、重さに反し滑らかな動きは南部地方での戦いよりも遥かに洗練されている。
十全な準備期間を与えてしまった故に神兵がフルスペックを発揮できるようになったか…
ロミリアは舌打ちをひとつ…手綱を操ってアルバトロスを跳躍させ、振り下ろされる灼熱大斧の一撃をひらりと躱す。
空を切った大斧はそのまま地面に叩きつけられ炸裂するように土砂を抉り取った。直撃すればひとたまりもない一撃だ。
出端を挫かれ士気低下を起こしかけていた兵士たちは神兵の圧倒的なパワーに再び戦意を盛り返し始める。
しかし…
「“再転生”!!」
轟!
山間部にも関わらず突然波飛沫が巻き起こったかと思えば、赤髪褐色肌の女戦士が大刀を担ぐようにして疾走。
手綱を引いたロミリアとバトンタッチするようにして神兵に対して真正面から突撃を仕掛ける。
神兵が大斧を振り上げて迎撃しようとする中、それよりも一手速く女戦士は裂帛の気合で大刀を振り上げ…―――
「チェストォォォォッ!!」
ぐしゃり。
無骨な大質量刃を叩きこまれた神兵の兜がひしゃげ、あろうことか鋼鉄の機体がめりめりと縦に裂け始める。
示現流…その前身となるタイ捨流。かの流派の初太刀を受けてはならないと伝わる、受ければ刀ごと兜を叩き割られる剛剣故に。
頭から縦一文字に両断された神兵は頭部の魔力光を明滅させながらぐらりとよろめき、地響きを立てて地面に崩れ落ちると機能を停止した。
まるで冗談のような光景に兵士たちがどよめくのを忘れて押し黙るのを見、女戦士は残心を取ってにやりと笑う。
「よか!よか一太刀じゃ!この“再転生”、もっと早よ知ろごたったねぇ!」
満足げに笑うイエヒサの胸に光るのは赤い魔晶…蓄魔晶だ。
最終決戦にあたりユキムラは全“転生者”にこの蓄魔晶と“再転生”の法を伝授した。
これにより今まで少女の身で制限されていた彼女たちの戦闘能力が、時間制限付きではあるが十全に発揮される形となっている。
いきなり戦力の主軸である神兵が倒され、徳川軍が静まり返る中…一人の将が歩み出てきた。
「見事也!木偶とは言え一太刀にて斬り伏せるその手腕!名のある武士をお見受け致した!名乗られよ!」
「おいは島津!島津のイエヒサじゃ!おはんは何者じゃ!」
悠然と歩み出た一人の武者はぐるりと長槍を回し、声を張り上げる。
「拙者の名は徳川十六神将が一人!蜂屋半之丞!お手合わせ願いたい!」
その武者が名乗るが早いか周辺に超常の烈風が吹き荒れる。
十六神将に与えられた神権だ。さっそく面白い相手が出てきた…イエヒサは強敵の予感にぺろりと舌なめずりする。
しかし次の瞬間、背後からその肩にぽんと手を置かれて剛力によって引き戻された。
思わず転倒しそうになりたたらを踏んだイエヒサは抗議の声を上げる。
「どげんつもりじゃ!剣神どん!」
イエヒサと入れ替わるようにして前に出た剣神は長い黒髪を強風に靡かせながら半身振り返り、笑って言葉を返す。
「まずは一人一撃ずつ…それがユキムラの策だろう?ズルはいけないぞ」
「し、しかし一騎打ちを挑まれたんはおいじゃ!剣神どんじゃなか!」
「駄目駄目、一番槍と二番槍を譲ってあげたのだ、次は我だ…異論は言わせんよ」
不服に唸るイエヒサをロミリアが窘めるのを見つつ、選手交代した剣神は改めて眼前の将に目を向ける。
「そういうわけで島津に代わり上杉謙信…改め剣神が相手をしよう、文句はあるまい蜂屋某」
蜂屋半之丞はその名を聞き、思わず身震いして唾を飲んだ。
上杉謙信…転生してきていることは知っていたがよもやいきなり最前線に現れるとは。
だが如何な軍神と言えど神権持ちの将である以上は同条件。決して勝てぬ敵ではない!
「かの謙信公と槍を交えられるは光栄の極み!相手にとって不足なし!いざ参る!」
半之丞が長槍を振るうと同時、超常の竜巻が巻き起こり立ち込めていた濃霧が渦を巻く。
風を操る神権を得た半之丞にとってこの天候は天恵だ。霧により相手の視界を封じ、此方は風の動きで相手の居場所を知ることができる。
剣神が此方の居場所を把握して神権を発揮する前に、死角に回って心臓を一突き…これで勝てる―――
「そこか」
一閃。
「な…!?」
霧の中に一瞬閃いた光を白刃だと半之丞が理解した時、既に己の肉体に逆袈裟の裂傷が走り鮮血が噴き出した後だった。
鎧をも意に介せず深々と斬り裂いた姫鶴一文字は寸分違わず半之丞の魂器…魔力によって形成された依代の核を打ち砕いている。
呆気なさすぎる幕切れ…神権を使わずとも強すぎる眼前の相手に、半之丞は消滅しながらにして思わず問いかけた。
「い、如何にして拙者の位置を把握なされた…!?」
「勘だ」
「か…勘って…噂通り理不尽な…―――」
鎮。
軽い音を立てて姫鶴一文字が納刀されると同時、半之丞の肉体は消滅し魂が天へと還っていく。
敵も味方も呆気に取られてあんぐりと口を開ける中、剣神は高らかに宣言した。
「徳川十六神将が一人、蜂屋半之丞!討ち取ったり!」
静まり返っていた最前線に音が戻り、初手にして肝を潰された徳川軍兵士たちに悲鳴じみた動揺の声が上がり始める。
まずはよし…剣神は振り返って軽く拍手するロミリア、未だにヘソを曲げているイエヒサと顔を見合わせ、頷いた。
問題はここからだ。この勢いのまま打破できるほど甘い相手ではないことは重々承知している。
◇
「蜂屋が討たれただとぉッ!?」
徳川軍本陣、兵から伝令を受けた井伊直政は驚きのあまり床几を蹴倒して立ち上がる。
先鋒を任せた以上、最も危険の伴う位置とは分かっていた。神権持ちとはいえ全員無事では済まないことも覚悟していた。
だが…だがしかしあまりにも早すぎる。まだ全軍が完全に布陣しきっていない状況での先制攻撃だ。
一騎打ちを挑んだ末に剣神によって討たれた…その顛末を聞いた酒井忠次は苦々しく呟いた。
「蜂屋め…素直に兵を引いて包囲すれば良かったものを…あの謙信に勝てる筈なかろうが」
「しかし恐れず立ち向かった蜂屋殿の勇によってかろうじて士気は保たれ前線は持ちこたえています、最悪中の最良でしょう」
榊原康政がフォローを入れると忠次もそれ以上は追求しない。
四天王たちのさらに奥…目を伏せ、黙して戦況の報告を聞いていた家康は片目のみ開けて伝令兵に問い返す。
「それで、敵の先鋒三騎は如何に?」
「はっ!我が軍先鋒部隊としばらく戦闘した後、転進して三方に別れて撤退を開始しました!」
先の先を取ったのにそのまま押し込まず後退、敵の狙いは明白だ。
「誘いだ…追撃無用と各将に伝えよ、我らは一丸となって敵本陣を目指すのだ」
「し、しかし殿…敵本陣とは…その…一体どれのことやら…」
「何…?」
伝令の戸惑う返答に家康は訝しげに顔をしかめ、側仕えから差し出された遠眼鏡を覗き込む。
まずは正面に日輪のタイクーン紋の旗印がひとつ…だがそれと同じく北南方にも同じ旗印が堂々と屹立しているのだ。
計三本のタイクーン旗…さらに部隊構成は似通っている。これでは遠目から見てもどこが本陣なのか一切区別がつかない。
「ぬぅ…影武者だと…!?」
影武者戦法…
古来よりオーソドックスな攪乱戦法。敵の狙いを惑わせ術中に誘い込む攻防一体の戦術である。
だがそれは即ち総大将自らをも身を危険に晒すということだ。各軍の兵力は三分割され、運が悪ければ一手で総大将が討たれてしまう。
それほどまでにあのリーデ=ヒム=ヨルトミアという女帝は型破りで危険な相手…甘く見ていた家康はここにきて認識を改める。
同時に思い出すは一番最後に死を覚悟した大坂夏の陣…あの時も真田は影武者戦法によって己を追い詰めてきた。
(やはり真田か…!)
だが、奇しくも家康の心中とその配下…十六神将の心中は同じではなかった。
彼らが影武者戦法によって思い浮かべるのは大坂夏の陣などではない。もっと前の戦だ。
突如、霧立ち込める戦場に拡声魔術によって高らかな声が響き渡った。
『騎士女公リーデ=ヒム=ヨルトミア!ここにあり!異世界から現れし逆賊よ、ここで成敗致します!』
『我こそはタイクーン、リーデ=ヒム=ヨルトミア!“転生者”徳川家康!命が惜しくば降伏せよ!』
『さあ…かかってきなさい、“転生者”徳川家康!どちらが天下人に相応しいか、今ここで決めましょう!』
女の声が三つ、名乗りを上げた。
兵士たちが困惑する中…十六神将たちは噴き上がる激昂を抑え切れない。
家康が気付いた時には既に遅かった…彼らにとって影武者戦法を見て思い浮かべる戦は唯一つ。
その戦いの名は、三方原の戦い…
迫る武田の追撃に対し徳川の忠臣たちが命を捨て、影武者となって家康を落ち延びさせた戦だ。
若き家康そして若き十六神将が武田軍に大敗を喫した、徳川にとって消せぬ屈辱の歴史である。
それが今、これ見よがしに模倣されている…
「三方原か…!三方原のつもりか…!」
「誰の策だ…!愚弄しおって…!」
「真田…!武田の腰巾着であった真田の浅知恵か…!」
「許さぬ…!絶対に許さぬ…!」
徳川十六神将…家康の若年から天下取りを支えた十六名の直臣たち。
その気質は根っからの三河武士…即ち高い忠誠心とプライド、そして熱き心をその身に宿した武者たちである。
三河武士の気質は戦場において劣勢でも粘り強く戦う長所と成り得るが、その激情は逆に短所にも成り得てしまう。
特に、若い肉体を得て精神まで若返ってしまった“転生者”は…―――
「ま、待て!!」
「かかれえーーーーッ!!」
制止の伝令間に合わず、激昂した各十六神将により総攻撃命令が下された。
一丸となっていた軍はそれぞれ撤退する敵先鋒を追って分断…ただでさえ少ない兵力をさらに分けて追撃開始。
本陣に控えていた四天王…榊原康政以外の三人もそれを追い、それぞれの思惑を胸に本陣を飛び出していった。
「莫迦どもが!!」
家康は思わず手にしていた軍配の柄を握り潰す。
これこそが真田の思惑…一丸となれば勝ち目がない軍を分断し数の差で各個包囲殲滅する策略。
天下人となって老獪な戦術眼を得た家康はそれを理解できるが、将たちにはそれが伝わり切っていなかった。
だが今更悔やんでも一度動き出した激流は止める事能わず…こうなれば各個撃破される前に突破し敵総大将、タイクーンを討つ他ない。
「小平太!榊原康政は居るか!」
「はっ!」
濃霧に包まれたガハラカーン平原に、日が高く上がり始める。
【続く】




