第九十四話 最後の“転生者”の巻
サスケたちが東部地方の諜報活動に向かっていた頃…
わしは王都を離れ、シア殿と共に馬車に乗って改めて西部地方へと向かっていた。
何故徳川との一戦を控えたこの時に…多くの将がそう思っただろうが、機会は戦が始まる直前のここしかない。
わしの懐にはカンベエ殿から譲り受けた瓢箪がある。中にカシンの封じられた瓢箪だ。
「カシン、お主にはまだ聞かねばならんことがある…答えて貰うぞ」
瓢箪を軽く振り、話しかけると中からくぐもった声が返ってきた。
「私の知っていることはだいたい話しましたよぉ…そろそろ解放してくれませんかぁ…?」
「いいやまだだ、“転生者”召喚…この術式について詳しく聞かせて貰わねばな」
返答は意味深な沈黙…
わしは構わずにこれまで得た情報を改めて整理する。
「“転生者”とはわしら異世界の魂をこの世界に下ろし、依代に定着させた者のこと…これは相違あるまい」
「………」
「そして喚ばれる魂の対象は日ノ本…それも戦国期、応仁の乱あたりから大坂の陣あたりまでの人物に限る」
戦国乱世百年…その中で名を轟かせた者たち。特定範囲としてはあまりに広すぎるがわしの大まかな読みはこうだ。
よりによって何故その時代なのか…それはおそらく果心居士が最初の“転生者”としてこの世界に呼ばれたからに他ならない。
「おそらく召喚できるのはお主と縁のある者のみ…故にわしらの時代の者らに限定されるのじゃろう」
「ほほう…推測で“楔”の存在まで到達しましたかぁ、なかなかどうして聡い御方だ…」
乗ってきたな…
瓢箪の中から感嘆の声が聞こえたのに対しわしはわずかにほくそ笑む。
カシンは敵側ではあるが根っからの探求者気質…そういった者たちは得てして知識をひけらかす場を求めている。
その欲を刺激してやれば情報を引き出すのは赤子の手を捻るよりも容易い。
案の定、カシンは解説を始めた。
「ですが答案としては40点くらいですねぇ…“縁のある者しか呼べない”これは正解ですが対象が私というのは違う」
「…違うのか?」
「この世界にいる“転生者”ならば誰でも良いのですよぉ…“楔”はね」
重要なのは“召喚対象と縁のある者がこの世界にいるかどうか”…
即ち“楔”となる人物がこの世界に存在するのならば例え召喚の場に立ち会っていなくても喚ぶことが可能なのだ。
その縁というのは血縁関係や主従関係には留まらない。共闘した、敵対した、あるいは交流があった程度でも生まれるという…
無論、その縁が深ければ深いほど引き合う力は強い…例えるなら両兵衛のお二人が同時に存在しているのは偶然ではなく必然だろう。
「なるほど…しかしそれでは召喚対象の数が膨大になろう、選んで誰かを喚ぶというのは難しいのか?」
「フフフ…ここまでで50点、残りの半分は“人の願い”です」
「願い…?」
「そう、願い…想いの力が最も重要になってくるのです…」
つまりは術者が強く願った内容に近い“転生者”がこの世界に現れる。
オリコー公はわしのような軍師を望んでハンベエ殿を、フォッテ公は強い自分を願って信長公に憑依される形で召喚した。
わしらの世界を知らぬためその願いは酷く曖昧なもの…しかしそれによりこの世界に現れる者はある程度定めることができたのだ。
「それでミツヒデ殿…もとい南光坊天海は自身の縁で徳川家康を召喚できたというわけか…」
「いいえ、私とミツヒデさんの縁ではできませんでした…初代タイクーン…秀吉さんを喚ぶまではできたのですがねぇ」
「何…それは何故?」
「この世界で長く生きすぎたからです…向こうの世界よりも遥かに長く過ごしたことで縁が切れてしまったのでしょう」
「ではミツヒデ殿はどうやって家康をこの世界に喚んだと…―――」
言いかけて、わしははたと気付く。
徳川家康と深く繋ぐ縁を持った者がいる…血筋や仲間としてではない、敵としての宿命の縁だ。
瓢箪の中からくぐもった愉快そうな笑い声が響いた。
「お気づきになられましたかぁ…?そう、神君家康公をこの世界に召喚する“楔”となったのは貴方です、真田幸村殿」
「バ、バカな…わしは…―――」
「フフフ…しかも貴方は家康公の出現を願っていた…願いを内包した“楔”、召喚の起点とするにはこれ以上ない逸材でしたぁ」
衝撃。
一体いつわしが術式に組み込まれる仕掛けを施されたのか…その特定は難しいが今はそんなことは重要ではない。
薄々は自覚があった…天下一統に近づくにつれ、わしは事あるごとに前世の最後の戦いを思い出すようになった。
そしてあわよくば敵の“転生者”に家康が現れぬものか…前世での戦を今一度再現できないか…ほんの僅かだが、リーデ様の覇業を前にしてそんな欲が生まれていた。
その淡い願いが、ミツヒデ殿の野心と合致し今の事態を招いたのだ。ヤツの存在を確認した時に僅かに踊った心をわしは今更ながら恥じる。
世の中に偶然などは存在しない…全ては必然によって生み出された事象…
(―――…いや、少し待て…ではわしは誰の縁によってこの世界に喚ばれたのだ…?)
思い返してみればおかしな話だ。わしが召喚された時代にはカシンもミツヒデ殿も縁を失っていた。
だがわしはヨルトミアに召喚されこうして今も戦い続けている…“楔”となる“転生者”はいなかったはずなのにだ。
それに死した後に出会った女…リシテン教がカシンにより作られた宗教ならあの女神リシテンを名乗った女は一体何者だというのか。
「カシンよ、お主はわしの召喚には関与しておらんのだよな?」
「ええ、正直に言うと貴方はかなりの変則存在…まさか呪術教団以外に“転生者召喚”を知る者がいるとは思いませんでしたから」
カシンの意味深な沈黙…それは黙して話を聞いているシア殿に向けられたものだろう。
しかし、となるとカシンが女神リシテンに化けてわしの夢に現れたという説も消えた…ますます存在に謎が深まる。
黄泉の世界で悔恨の炎に焼かれ続けるわしをこの世界へと連れてきたのはあの女だ。その正体は前世を思い返しても記憶にない。
それに“我が子ら”…あの女はそう言った。子とはどういうことだ…まさか本当に神なる存在が…―――
「到着したようですね、ハーミッテ公国です」
シア殿の言葉にわしは思考の渦から現実に引き戻される。
あの女については考えても仕方ないことだ…重要なのは“召喚できる魂の特定は成る”。カシンからその言質を得たこと。
つまり最終決戦に向けてここで自由に戦力を増強できるということだ。たった一回きりではあるが…
「よし、行こうシア殿!最後の一仕事をお願い申す!」
「はい、ユキムラ様!この術を以て天下に安寧をもたらしてください!」
わしはパンパンと自らの両頬を張ると馬車から降りる。
ハーミッテ公国…我が陣営において最後の召喚権が残った国である。
◇
かつて西部地方の戦いにおいて攻め入ったハーミッテも今では随分と様変わりしていた。
イオータ様が領主となり文化の都として栄えてからはかつての質素で硬派な国風はどこにもない。
以前のハーミッテを誇りに思っている年配の領民たちにとっては些か苦々しく感じるだろうがこれも生存戦略。
その証拠に華やかに彩られた大通りの活気は以前よりも遥かに上回っている。
「よくぞお越しくださいました、ユキムラ様、シア司教」
ハーミッテ城に入ると優雅な一礼でイオータ様が出迎えてくれた。
かつてはリーデ様に憧れる夢見がちな乙女であったが今はもはや立派な領主の風格を漂わせている。
「久方ぶりです、イオータ様…しばらく見ぬうちに随分とお美しくなられましたな」
「ふふふ…ユキムラ様はまったくお変わりになられませんね、お姉様はご壮健ですか?」
「壮健も何も!今や天下をも呑み込まんという勢いでござる!」
軽く談笑しながらわしらは城の地下へと向かい階段を下っていく。
やがて辿り着いた地下空間には既に数人のリシテン教徒によって“転生者”召喚の魔法陣が描かれていた。
わしは再び瓢箪を取り出し、改めて問いかける。
「“転生者”は一国につき一人…この原則は真なのだな?」
「ええ…この世界に喚んだ魂に、国力の概念と術者の魔力を以て依代となる肉体を与える…それがこの術式です」
瓢箪の中から返ってくる声は僅かに弾んでいる。
わしらがこれから行う術式を前に楽しみが隠せないといったところだろう。
「国力の概念は天下一統されてしまえば統合されて一つだけになります…故に多くの国のある戦乱の世が望ましいのですねぇ」
「ふん…それは良いことを聞いたわ、つまりはヨルトミアが天下を取ればこれ以上“転生者”は現れんのだな」
「…まぁ、そうなりますねぇ…一統された天下が長続きするとは思えませんがぁ」
話は簡単になった。つまりは徳川を倒して東部を平定、この大陸をひとつの国とすればもはや敵は現れない。
ヨルトミアの戦いは正真正銘これで最後という訳だ。この戦いを以て本当にすべてにケリがつく。
わしはイオータ様に向き直り、真っすぐにその綺麗な瞳を見据えた。
「改めて確認しますがハーミッテの召喚権…わしが使わせて頂いてもよろしいのですな?」
わしの問いかけにイオータ様は可憐ににこりと笑った。
「当然です、お姉様の覇業の最後の1ピースとしてハーミッテがお役に立てるならこれほど嬉しいことはありませんわ」
答えはそれで十分…わしは深々と一礼し、魔法陣起動の支度をするシア殿に並び立つ。
真剣な表情でシア殿は頷き、陣の中央へとわしを促した。
「準備は整いました…ユキムラ様、この陣の上に立って“楔”となり、そして召喚する者を強く祈ってください」
陣の中央へと歩みを進めると描かれた線たちが淡い魔力光を帯び始め、暗い地下空間をほんのり青く照らし出す。
“転生者”召喚が始まったのだ…わしは全ての雑念を捨て、その者の存在をしかと脳裏に思い浮かべる。
これが最後の一手だ。彼の手助け失くして徳川打倒は成りはしない。
「異界より来たれ…我が声に応えよ…女神の祝福賜りし魂よ…―――!」
召喚の儀は滞りなく進み、シア殿の声が響き渡るたびに魔法陣の放つ光が次第に強くなっていく…
もはや目を開けていられぬほどの強い光の中、次第にはっきりと輪郭を作っていく人影をわしは見る。
「おお…!おおおっ…!」
―――そして、その者はわしの前に姿を現した。
【続く】