第九十三話 恐ろしき風魔忍軍の巻
ジークホーン領の最西端、王都へと繋がる街道の関門は厳戒警備が敷かれていた。
行商人に扮して入ってきた時とは打って変わった兵士の量…まるで戦でも始めようかと言わんばかりの備えだ。
あそこを通ろうとするならば入念なボディチェックと身元調査が行われるだろう。人相描きも出回っているかもしれない。
関門を遠巻きに見える小高い丘上の林の中、まずい状況に俺は思わず顔を顰めて舌を出した。
「ま、ワシらの無事とお前さんたちとの接触が知られりゃ普通はこうなるわな…」
「ジークホーン残党が《皇帝の剣》と手を組もうとしてるってこともお見通しってことッスか…」
「家康とやらは天下を取ったんだろう?だったらその程度の考えは読んで当然よ」
対してシンクロウの反応はいたって冷静だ。予めこの街道封鎖も予期していたように見える。
ともあれ俺たちが王都に向かうためにすべき道はふたつ…あの関門をどうにか突破するか、迂回して山越えを行うかだ。
俺たちの詳しい動向が敵に捉まれてない以上、一度山に入ればさすがに追っ手は現れないだろうが…
「山に入って迂回する案は却下だな」
「どうして…?」
「山越えで王都に着くまでどれくらいかかる?…おそらくはワシらが王都に着く前に戦がおっ始まるぜ」
「ええ…いくらなんでもそんな急に決戦が始まる訳が…」
「いいや、ほぼ確実に間に合わん…おそらく徳川は現時点で一大決戦の準備に取り掛かってるハズだ」
そんな馬鹿なと思いつつもその読みには説得力がある。
何故なら東部地方の鉄壁防衛陣を築いたシンクロウが此方についた以上、その弱点もまた此方に筒抜けだからだ。
つまり後手に回り敵の攻めに対して備える戦いでは、個々の戦力が勝っていても如何せん不利な状況から動かざるを得ない。
それでは例え守れたとしてもほぼ確実に被害が出る。王都を制した後に各地方を狙う徳川にとっては好ましくない状況だろう。
ならばいっそ先に仕掛けてしまえばどうか…そうして戦の主導権を握れば防衛陣の弱点を気にする必要もなくなる訳だ。
「もう既に戦は始まってるってことッスか…」
「その通り…お前さんらがこの東部地方に探りを入れた時点でヨーイドンだ、先に軍備を整えた方がまずは先手を取る」
「だとしたら一刻も早く王都に帰還しないと…!」
しかし関門の守りは先も確かめた通り非常に厳重…強行突破しようとすればほぼ確実に激しい戦闘となる。
最悪俺とシンクロウだけでも王都に到着できれば目的は果たせるのだが、騒ぎを知って十六神将が出張ってきた場合はそれも難しい。
なるべく戦闘は避けて上手く通り抜けたいところであるのだが…
考え込む俺を他所にシンクロウはピュウと口笛をひとつ吹いた。途端、一陣の風が吹く。
「…お呼びですか、殿」
「うおおっ!?」
大柄の男が一人、いつの間にか俺の背後に立っていた。
咄嗟に跳び離れてその姿をまじまじと見る…見覚えがある。確か服部半蔵と交戦した時に現れた風魔忍軍の一人だ。
あの時は動きが速すぎて気付かなかったが2mほどの背丈に額に控えめな二本角、喋ると口元に僅かに鋭い牙が見える。
この姿はもしや…
「獣人…?」
俺の問いに対しその風魔はじろりと一瞥を返したのみ。
間違いない、北部地方で見た純粋なオークたちとは遥かにヒューマン寄りだがその特徴は間違いなく獣人だ。
だとすれば十六神将と渡り合える身体能力の高さにも説明がつく…しかし…
「こいつは風魔忍軍の忍頭、コタロウだ…風魔はその頭領が代々風魔小太郎の名を継ぐ」
「それは分かりましたが…何故北部以外に獣人が…」
「んー?そいつはどうでもいい、とにかくこいつはこの世界で鍛え上げたワシの最も信頼できる忍だ」
どうやらシンクロウは細かいことを気にしない性質のようだ。コタロウも黙したまま語ろうとはしない。
となれば探った所で仕方がない…そんなことよりも今は優先しなければならないことがある。
「シンクロウさん、関門破りに何か策があるんですか?」
「ああ、お前たち真田の忍にもちょっくら働いて貰うことになるぜ…これを見な」
シンクロウが懐から取り出したのはこの付近一帯の地図だ。
今見えている関門と、関門から長く伸びる城壁…そしてごく近い場所にちょっとした集落がある。
おそらく兵士たちの詰所を中心に飲食店や宿泊所で発展した宿場町か…さほど規模は大きくない。
シンクロウの細く短い指がその宿場町を指し示した。
「今からここを襲撃する」
―――え…?
◇
「ふ、風魔だあーーーっ!!風魔が出たぞぉーーーっ!!」
火の手が上がり、黒装束の人影が飛び交って人々が悲鳴を上げる。
風魔忍軍…かつてジークホーン公国の快進撃の裏で暗躍した忍たち、それに対する東部の民たちの恐怖心は強い。
何せその者たちは残虐非道にして天地無法の乱波軍…ひとたび現れれば女子供から牛馬畜生まで命を奪われるという。
それが突如として現れたのだ。パニックに陥った民衆は慌てふためいて逃げ惑う。
「風魔!?滅んだんじゃなかったのかい!?」
「お、お助けぇーっ!!」
蜂の巣を突いたような騒ぎの中、男の声が上がる。
「関門だ!西の関門に行けば守ってくれる軍がいるぞぉ!」
たった一声が引き金となる。
このところ妙に厳重になっていた関門の警備を思い出した民衆は、群れ成して西の関門へと避難を開始。
風魔と敵対している軍の庇護を受ければ少しでも助かる可能性が上がると我先にと駆け出し始めた。
そうして風魔に追い立てられるようにして関門に殺到した人々により一瞬にして西の関門は大混乱に陥ってしまう。
「風魔だ!風魔が出た!兵隊さん助けておくれよぉ!」
「ええい、落ち着け!すぐに討伐に出る!出撃できんから一旦退去しろ!」
「じょ、冗談じゃない!すぐ後ろまで来てるんだぞ!?門を通らせてくれ!」
「ま、待て!今は厳戒態勢で―――ああっ!勝手に通るんじゃない!戻らんか!」
命の危機が迫った民衆が押し寄せると、さすがの番兵たちも抑え切ることができずに関門が突破されてしまう。
まさか庇護すべき対象に対し攻撃を加えるわけにもいかず、パニックに陥った群衆が門を次々越えていくのを見届けることしかできない。
そしてその群衆の中にはフード付きローブを着た赤毛頭の少女とそれに従う青年が混じっていた。
何を隠そう関門へと誘導したのはその片方…青年の方だ。不安そうな様を演じながら目立つことなくそそくさと関門を通過していく。
同行していた風魔忍軍と共にそれを見届けたサナダ忍軍・ジンパチは呆れたように溜息を吐き、ウンノは思わず苦笑する。
「相変わらずうちの頭領は演技派だねえ…役者としても食っていけるんじゃないかい?」
「まったくだよ…人畜無害そうな顔してる癖にあいつが一番の食わせ者さ」
これがシンクロウの策だ。
馬鹿正直に関所を破ろうとすれば否が応にも自軍に被害が出る…下手すればそこで捕縛される可能性も高い。
だがこうして一般民衆を操り関門に追い立てて混乱を引き起こせば厳戒態勢もまるで無意味なものとなる。
結果としてシンクロウとサスケの二人は見事に関門を突破し、ここからは最短距離で王都へと向かうだろう。
「にしても…シンクロウ殿の策略も見事だがそれよりも凄いのは…」
「ああ、風魔だね…ただの火付けでここまで恐慌状態に陥らせるとは…これまで一体どんな行いをしてきたのやら」
二人はゾッとしながら遠巻きにコタロウを眺めた。
コタロウは経過を観察すると同時に、敵の目を主君から引き離すべく敢えて物見櫓の上に堂々と立っている。
そのすぐ傍…あらかた工作を終えたサイゾーがするりと並び立ち、挑発的に話しかけた。
「うわさのわりには…あまいな…」
「…何故そう思う?」
振り向きもせずに問い返したコタロウに対し、サイゾーは軽く肩をすくめる。
「このさわぎで、ここまでしにんがでていない…ほんとうにちもなみだもないふうまなのか?」
僅かな沈黙の後、コタロウは重々しく口を開く。
「此度の作戦はより多くの者を関門に追い立てる事、であれば必要以上に殺しては混乱も小さくなろう」
「ふぅん…まあ、それならそれでいい…」
ちなみに、巷では極悪集団と伝わる風魔忍軍も好き好んで虐殺を起こしたことは一度もない。
主君たるシンクロウの命あらばどんな非道だろうと躊躇わないのは確かだが、あくまでそれは作戦の上でだ。
ではどうしてそのような噂が広まったか…シンクロウ自身が風魔の恐怖を諸国に喧伝したからに他ならない。
結果として東部地方に根付いた風魔の恐怖は最小限の手間で今回のような策略を可能としたのだ。
しかし、その代わり…―――
「来たか…」
「…おおいな…」
民衆の混乱を抑えて集落へと駆け付けた関門駐在群の規模は単なる盗賊討伐等の其れよりも遥かに強大。
それほどまでに東部地方では風魔が恐れられているということだ…そのうちに十六神将や神兵までもが増援に現れるだろう。
集落に残った両忍軍はある程度時間を稼ぎつつも危なくなる前に離脱という手立てだが、そう簡単にこなせる話ではない。
「娘、お前はそろそろ離脱しろ…ここからは風魔の仕事だ」
「じょうだん…サナダにんぐんはそこまでやわじゃない…ぞんぶんにあばれさせてもらう」
物見櫓の二人は短く言葉を交わした後、高く跳躍して眼下の敵軍勢の只中へと身を躍らせた。
【続く】




