第九十二話 シンクロウの思惑の巻
「シンクロウさん、仲間との連絡は取れました…が…」
「おう、そりゃ結構結構、闇雲に探っててもあのおっかねえ伊賀者に捕まるだけだからな」
シンクロウと名乗る少女に着いて森に隠された廃城にやってきた俺たちはまず東部各地のサナダ忍軍に活動中止の合図を送る。
服部半蔵…ヤツとその配下が目を光らせている限りこの東部地方での諜報活動は不可能と言っていいだろう。
俺たちサナダ忍軍も結構な手練れという自信はあったのだが、近接戦闘最強のサイゾーを以てしてもまるで赤子扱いだ。
下手に動けば各個撃破されて俺たちはそのうち全滅していただろう…
「それで…その…非常に助かったんスけど…シンクロウさん、アンタ“転生者”ッスよね?」
「ん…分かるか?」
おずおずと切り出した俺に対しシンクロウは驚いたように軽く眉を上げる。
俺も大概多くの“転生者”と関わっている。彼女らが纏う独特の空気というか仕草や言動は一目で分かるようになってきた。
しかし疑問なのは何故東部に“転生者”がおり、しかも徳川と敵対しているのかということだ。
見ればこの廃城には彼女以外にも数十名の将兵がいる…徹底管理された徳川の支配下でこういった軍が存在するのは稀だ。
「んー…さて、どこから説明したもんか…」
「“北条”…あの風魔って人がそう言ったのは聞こえました、もしかして貴女は…―――」
「マジか、そこまで割れてんなら仕方ねえな…説明するよ」
シンクロウはがりがりと頭を掻くと身上を語り始める。
かつて呪術教団の手引きにより小国ジークホーンに召喚されたシンクロウは混沌の東部地方をその才覚を以て統一に導いた。
そして天下一統を見据え、まずは王都に対抗する領内の防備拡張を行っている際に事件が起こる。
彼女が本拠オダワラを離れている間に突如としてジークホーン公が様変わり、“徳川家康”を名乗り始めたのだ。
「―――まさか…憑依召喚…」
「知ってんのか!?」
「ええ、西部でもそうして召喚された“転生者”がいました…間違いなくそれッス」
俺の脳裏にフラッシュバックしたのはフォッテ公の肉体を依代に召喚された織田信長だ。
魔力で仮初の器を一から形成する従来の召喚と違い、憑依召喚は元々ある肉体に魂を流し込みそこから“作り変える”。
定着には時間を要するものの、肉体の形成に魔力を必要としない分その召喚はスペック向上にリソースを費やせるのだ。
さらに徳川家康の魂は神として崇められていたため“神権”を持っている。
俺の知る限りでは最も強い要因の揃った“転生者”で間違いないだろう…
シンクロウはそこまで聞いて腕組みし、悩ましげに唸った。
「なるほど…徳川家康…そもそも聞いたことない名だが只者じゃねえな…」
「あれ?向こうの世界の天下人らしいッスけど…知らないんスか?」
「知らんよ、そもそも徳川なんて名を聞いたことすらないぜ…まぁ、推測するに原形は三河の松平あたりか」
どうやらシンクロウはユキムラちゃんたちの時代からは遥かに前の世代の人間のようだ。
話が僅かにズレた…再び気を取り直して彼女は現状の説明を再開した。
「で…ワシが帰った頃にはオダワラはすっかり徳川に乗っ取られちまってたんだな」
「それは…内乱は起きなかったんスか?普通は大事件ッスけど」
「不思議なことに…将兵どころか民草まで“元々徳川がこの地の支配者だった”って思ってるみてえでよ…」
カシンによる認識操作の術か…
改めて国を混乱なく乗っ取るには非常に都合の良い術だ。《皇帝の剣》の内部に使われる前に捕らえられたのは僥倖だろう。
その説明をすると腑に落ちたようにシンクロウは頷いた。そして話を続ける。
「で、運よくオダワラを離れててその術を逃れたワシとその手勢はここに落ち延びて再起を図ってるっつぅワケだ」
「つまり俺たちを助けてくれたのも…―――」
「ああ、お前さんら王都の連中だろう、そして徳川とコトを構えるつもりでいる…」
にやりと笑ってシンクロウは言った。
「どうだい、ここはワシと手を組まねえか?何を隠そうあのオダワラを縄張ったのはこのワシよ、逃す手はないと思うぜ」
やはりか…
この世の中完全な善意で助けられるほど甘くはない。何か裏があるのは当然だ。
シンクロウたちは徳川に対抗する気だが如何せん認識操作から逃れたジークホーン軍残党では戦力不足。
徳川に乗っ取られたジークホーン奪還に《皇帝の剣》を利用したいのは十分に理解できる話だ。
しかし…―――
「そりゃあ俺の一存では決められん話ですね…リーデ様…我が主君にお伺いを立てなければ…」
「だろうな…ならばワシは王都に向かう、その上でタイクーンとの取次ぎをお前さんにお願いしたい」
俺は迷った。
確かにこれは渡りに船…服部半蔵に目を付けられた以上俺たちが独自で情報を得ることは難しいだろう。
対してシンクロウは魔城オダワラ…現エド城の構造に精通している。当然弱点にも精通している筈だ。
だが、俺は彼女を信じていいのだろうか…この目の前の少女の空気はどことなくユキムラちゃんやマサムネに近い。
即ち胸の奥底に野心を隠しているタイプだ。こういうタイプは武人気質の“転生者”と違い謀略に手段を選ばない。
果たしてリーデ様に引き合わせて大丈夫な者か…ひとつ、試すことにした。
「…シンクロウさん、一つ聞いておきたいのですが…ジークホーン公とはどのような方でした?」
「ん…急だな…―――そうだなあ…」
僅かにシンクロウは遠い目をし、小さく自嘲気味に笑った。
「ま、悪い主君じゃなかったが脇の甘い餓鬼だったよ…まったく、ワシが目を離した隙に生贄にされやがって…」
軽く肩をすくめるシンクロウの表情に演技はないと見た。
その一挙一動から読み取るに、シンクロウとジークホーン公は良好な関係を築いていたはずだ。
それを横から奪い取った徳川に対し敵対心を持っているからこそ、この僅かな手勢で雌伏の時を過ごしていたに違いない。
敵を同じとしている今、仲間としては信用できる…俺はそう結論付けた。
探るように俺の目を見据えるシンクロウと目が合う。
「…で、どうするね?」
「わかりました、サナダ忍軍忍頭の名を以てタイクーンにお取次ぎしましょう…そして《皇帝の剣》に力をお貸しください」
俺が深く頭を下げると張り詰めていた廃城の空気が軽く緩んだ。
いつの間にかシンクロウの手勢たちも事の成り行きを固唾を飲んで見守っていたようだ。
シンクロウは呵々と笑って俺の肩をポンと叩いた。
「重畳重畳!安心しな、期待には応えるぜ!命拾いしたなあ、兄さん!」
「え…?命拾い…?」
「きづいてないのか、サスケ…うかつだぞ…」
何が何やら分かっていない俺に対しサイゾーが呆れたように鼻を鳴らした。
次の瞬間、俺は天井裏や柱の後ろ、果ては床下から此方の死角に陣取っている存在の気配を察知する。
今の今まで気付かなかったが俺たちが少しでも不審な動きをすれば瞬時に始末される状態にあったのだ。
「な…!こ、これは…」
「風魔忍軍…お前さんたちのようにワシがこの世界で鍛えた忍どもだ、腕利きなのは保証するぜ」
「い、一体いつの間に…」
「さいしょからだ、ここにくるまでわたしもきづかなかった」
服部半蔵に力量差を叩きこまれた直後だというのに何たることか…
俺は僅かに引きつった表情を自覚しつつシンクロウへと問いかける。
「あのぉ…もし断るって言ってたら俺たちをどうする気だったんです…?」
「んー?そりゃあお前…」
シンクロウはさらりと答える。
「ワシらの潜伏場所を知られた以上は死んでもらうしかねえだろう、わざわざ助けておいて何だがな」
―――…本当にこの人たちと手を組んで大丈夫だったのだろうか…
◇
エド城、天守中庭…
上着をはだけ、真剣にて素振りしていた家康の傍に闇から染み出るようにして現れた半蔵が膝をつく。
彼の纏った空気を察し、家康は素振りの手を止めることなく先んずる。
「…取り逃したか、真田の忍は…」
「は…申し訳ございません、仕留めかけたところ風魔…北条の手の者の横槍が入りました次第…」
「そうか…」
家康は僅かに目を伏せる。
このジークホーンを簒奪した際に、まず先の“転生者”として存在していた北条を徹底的に潰しにかかった。
その甲斐あってか認識操作の及ばない数多くの将を一掃することに成功したが、肝心の“転生者”は死亡が確認できなかった。
あの日、焼け落ちる支城と共に消えたと思いたかったがやはり北条の者、一筋縄ではいく筈もない。
そしてその北条が王都の使い…真田の忍と接触を図ったのだ。これが意味することはたった一つ…
「《皇帝の剣》と手を組み我らを攻撃してくるつもりであろう…もはや悠長にはしておれんな」
「では、殿…」
家康は真剣を一旦鞘に納め、つかつかと打ち込み用の木人の前へと歩み寄る。
そして僅かに目を伏せた後…
「フン!」
カッと双眸を見開き、真剣を抜き放つ。
逆袈裟に居合抜きで斬りつけられた木人はずるりと崩れ落ちて白砂上へと真っ二つに散らばった。
裂帛の気合…最後に見た老体からは遥かに若返った殿を見、半蔵は僅かに郷愁と感慨の念に囚われる。
それを振り払うかのように家康の決断的な号令が響き渡った。
「後手に回るつもりなどない…攻め入られる前に全戦力を以て王都を攻め落とす!」
【続く】




