表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
三国志のこんな人物  作者: 渡辺仙州
18/44

第18話 全琮《ぜんそう》:孫魯班の夫で呉を支えた名将

 歩練師ほれんし孫魯班そんろはんとつづいて、つぎは孫魯班の夫・全琮ぜんそうです。前回の記事を読んでからのほうが理解しやすいと思います。


 全琮は字を子璜しこうといいます。


 つつしみ深くおごりたかぶらず、相手の気持ちをよく考え、財を惜しまず人にほどこす性格だったといいます。


 父の全柔ぜんじゅうの命令で米を売りに呉へ行ったときも、呉の人びとの生活が苦しいのを見て、米を無償で分けあたえました。


 戦乱を避けて南方に移住した中原の士人たちも全琮を頼る者が多く、全琮は家財を投げうって彼らを助けたといいます。

 これによって全琮の名は天下に聞こえるようになりました。

 

 関羽が樊城と城陽を包囲したさい、全琮は「いまこそ関羽討伐をするとき」と孫権に上奏し、計略を述べました。

 孫権も関羽討伐計画を立てていたので、事を漏らさないためにこれを却下。

 関羽が捕らえられたのち、孫権は全琮に、

「今日の功績はおまえにある」

 とたたえ、楊華亭侯に封じました。

 

 そののち、魏の水軍が攻めてきたときもこれを防いだり、陸遜りくそんとともに曹休の軍を撃ち破ったりと、将としても大功を立てます。


 孫権の跡継ぎとして、孫和そんか孫覇そんはが皇太子の座をあらそったときには、全琮は陸遜にこの事態を書簡で伝えました。


 陸遜は孫和を推していて、全琮の身内の者が孫覇に組していることを非難したことから、二人の仲が険悪になります。


 そもそもこのあらそいの発端は、妻・孫魯班が孫和とその母の王夫人を讒言したことで、孫権の寵愛が孫和から孫覇に移ってしまったからであり、全琮としては孫覇側につかざるを得なくなっているような状況です。


 政争のなか、孫和は都から追い出されてしまい、いったん孫覇側の勝利となりますが、そののちに全琮は亡くなってしまいます。


 けっきょくケンカ両成敗で孫覇も皇太子にはなれず、幼い孫亮が孫権のあとを継ぎました。


 いっぽう全琮の亡きあとは、子の全懌ぜんえきがあとを継ぎます。


 魏で諸葛誕しょかつたんの反乱が起こったとき、呉がこれに応じて兵を送ります。

 全懌も兵を率いて寿春に向かいましたが、魏軍に包囲されて投降。その後は魏に仕えることになりました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ